第87話 経営者

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 嫌な想像が、頭に浮かんだ。


 花街自身が、カルト寺院の納入業者そのものである可能性だ。


 もちろん、花街としてではなく、別の名前の納入業者を立ち上げているだろう。


 カルト寺院あての搬入に便乗して、花街用の搬入をしていても、門番には分からない。


 当然、カルト寺院に対しては、花街用の搬入もしている事実は伏せておく。


 どういう手段で、花街は、カルト寺院に取り入ったのか分からないが、おそらくは、お布施とか寄進の力を駆使して、納入業者になったのであろう。


 いずれにしても、花街はカルト寺院の納入業者という地位を手に入れ、全店長会ルートでの仕入れに依存しなくても問題がない状況をつくってから、全宿屋会と袂を分かった。


 そう考えると、辻褄つじつまが合う。


 以来、花街は、カルト寺院の仕入れルートの一角を担い続けながら、自身への搬入も続けている。


 今現在もだ。


 花街とカルト寺院の癒着のパイプは、不可分なほど強固になっているはずだ。


 であるとすれば、花街の仕入れルートを特定したぐらいで、交渉を有利に進められるだろうという考えは、甘すぎた。


 花街が、全店長会ルートを仕入れに利用しているのであれば、締め出しを仄めかす駆け引きができるが、自分自身が仕入れルートである相手に、その手は使えない。


 一つある方法は、カルト寺院に、自分の仕入れルートを花街に密かに利用されている事実を伝えて、花街の締め出しを依頼する手だ。


 カルト寺院に、花街をカルト寺院ルートから締め出させて、その後、全店長会ルートに混ぜてやるからスラムの再編に協力するよう、花街を口説く方法。


 悪くない。


 だが、もっと、嫌な想像が頭をよぎった。


 自分の仕入れルートを花街に利用されている事実を、既にカルト寺院が知っている場合だ。


 どこかの時点で、カルト寺院ルートを花街が利用している事実は発覚したが、それこそ、お布施や寄進の力を駆使して、現在ではカルト寺院から黙認されている場合である。


 下手にカルト寺院に締め出しを依頼したりすると、余計な方向に話が拗れる恐れがある。


 考えられる最悪の状況は、癒着のパイプが不可分ではなく、既に同じ物になっている場合だ。


 いつのまにか、カルト寺院自体が花街の経営者に成り代わっている懸念がある。


 司教や司祭自身が、自ら納入業者を経営している事例があるのだから、カルト寺院自身が、花街の経営者になっていても不思議ではない。


 もちろん、実際の経営は花街の実務者に任せて、自分は上前を撥ねる形であるだろう。


 お布施や寄進が、さらに派手になったようなものである。


 もともと、カルト寺院全体の組織的な話として、寺院が経営する孤児院の子供を、奴隷市場に流している話は広く知られていた。有力な顧客へ、直接、斡旋する事例も多い。


 孤児院で最低限の礼儀と教養を身に着けさせているため、カルト寺院印の奴隷、もとい、奉仕活動従事者は市場でも大人気だ。


 この街の花街に特有の、花街とスラムが共同で子供を育てている仕組みに、カルト寺院の孤児院から奴隷市場へ至るルートが加われば、ビジネスは、もっとうまく機能するだろう。


 もしかしたら、花街が全宿屋会と袂を分かち、街にスラムが発生しだした当初から、そういう仕組みで機能しているのかも知れなかった。


 すべては、神のみぞ知るだ。


 街の中へ物資を搬入するカルト寺院ルートは、逆に街からの搬出ルートとしても機能する。


 ティファニーちゃん曰く、花街の仕組みで育てられた子供は、花街から、個々人の適性や能力を判断されて、花街で何らかの仕事を得て働くようになる子もいれば、育った段階でスラムの住人として独り立ちする者もいるという。


 実際の行き先は花街とスラムの二択ではなく、独り立ちしたと称して、街から密かに奴隷市場へ出荷される選択肢があっても不思議ではない。


 選ぶのは、子供自身ではなく、育てている側だったが。


 子供たちは、スラムから孤児院に引き取られた後に出荷される場合もあれば、スラムから直接、市場に出荷される場合もあるだろう。


 但し、子供たちの育成に関わっていないティファニーちゃんは、事実を知らない。


『おかあさん』になれば知るのだろうか?


 すべては、あたしの想像にすぎなかったが、いかにもカルト寺院ならばありそうな話で、胸糞が悪くなってきた。


 ただし、街でスラムに残される場合と、街から出て市場へ出荷される場合では、当の子供本人にとって、どちらが良いかというと一概には言えない。


 全員が劣悪な労働環境に置かれるわけではなく、主人に命じられた様々な仕事を、給料なしで行う環境になるだけだ。


 多かれ少なかれ、食事は出る。


 給料代わりに食事があるのだと考えれば、スラムで職も食事もなく、十歳で死ぬのとどちらが良いだろう。


 奴隷にだって、後に解放奴隷として大成する人間もいる。


 生き延びて大人になった後に、奴隷待遇から逃げ出すという手段もあるだろう。

生きてこそだ。


 少なくとも子供たちに奉仕活動従事者として生き延びる道を提供することで、結果的にカルト寺院の行為は、命が救われる子供を増やしている。


 したがって、奉仕活動従事者の育成は、カルト寺院の教義に何ら矛盾していない。

対価として市場からカルト寺院に入る販売金額が、孤児院での養育費や寺院が実施する炊き出しなどのボランティア費用に充てられていると考えると、間違ってはないのだろう。


 もし、問題があるとしたら、カルト寺院印の奉仕活動従事者になるに相応しい、見目麗しい子供たちのみしか、孤児院の門戸が開かれていないことだろうか。


 それと、司教や司祭その他による横領だ。


 生憎、神がどこまで必要悪を認めているのかは、大聖堂の聖女だった、あたしでもわからない。


 それはさておき、考えられる最悪の状況として、カルト寺院自体が花街の経営者である可能性に、あたしは気がついた。


 もし、そうであれば、カルト寺院にとって、現状はそれなりにうまくいっている。


 花街の経営者であるところのカルト寺院は、探索者の宿泊場所を確保するためごときで、スラムの敷地を安易に手放したりなんかすまい。


 スラムがなくなり、奉仕活動従事者が出荷減になるほうが、遥かな痛手だ。


 ティファニーちゃんや『おかあさん』が心配しているように、スラムを手放すという経営者の判断に、お店の従業員が従わない選択をする事態には、普通はなりえない。


 スラムは、手放されないはずだ。


 カルト寺院は、探索者など地下の暗がりに寝かせておけばいい、ぐらい言いそうだった。


 それでも経営者が、探索者ギルドからの接触に食指を動かして、スラムの立ち退きを認める可能性があるのだろうか?


 将来に渡る奉仕活動従事者の出荷収入よりも、目先のまとまった金をとる。


 だとしたら、カルト寺院という組織としての選択ではないだろう。


 考えられるのは、カルト寺院内の一個人としての選択だ。


 もちろん、お偉い誰かさんの。


 はっはーん。


 あたしは、ピンときた。


 そう言えば、この街の大司教様は、そろそろ異動の時期のはずだ。


 理想の異動先が内示される可能性は、本部への付け届けの金額の多少に比例する。


 今こそ、まとまった金額の使い時だ。現金は、いくらあっても足りないだろう。


 汚職にまみれた場末のカルト寺院の偉い人が、寺院の将来より、自分の御栄転を希望するなら、スラムの立ち退きもあり得るだろう。


 とても、それらしい。


 だったら、やりよう・・・・があるかも知れない。

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