第79話 面影

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 ここで、日を遡る。


 シャインが、花街の顔役と繋がりをつけるべく、花街トップのお店を訪れた晩である。


 シャインは、まっすぐにティファニーちゃんの目を見て言った。


「『お店のおかあさん』と話をさせてもらえるかな」


『お店のおかあさん』とは、俗に、ばばあと呼ばれる存在だ。


 花街のお店の実務の切り盛りをする役割の女で、主に客相手の現役は引退したが、高い調整能力を買われて、そのまま店に残った女が務めている場合が多かった。


 お店のお客様に対して、お店の誰を対応させるかの差配は勿論、芸事の監督や、裏方の指導といった、お店の諸事全般の業務を、経営者に変わって切り盛りをしている。


 実際には婆あではなく、中年女だ。


 お店の人間からは、信頼を込めて、『おかあさん』と呼ばれていた。


 当然、日々の実務の報告を行っているため、お店を経営している人間とは繋がりが深い。


 もちろん、この店の常連であるシャインは、過去に、この店の『おかあさん』とも、何度か挨拶ぐらいは交わしていた。


 だが、本来は、お店の裏方のチーフであって、お客様の宴席の場で何かをやる役目を持つ者ではない。基本、表には出てこない存在だ。


 そのために、シャインは、ティファニーちゃんを通じて、話がしたいと頼んだのだ。


 シャインの願いを、『おかあさん』に伝えるためにティファニーちゃんは席を外し、しばらくして戻って来た。


 シャインは、ティファニーちゃんに連れられて、別室に移動した。


 お店一階の最奥部。


 通常は、お客さんの誰であっても通されるはずがない場所である。


 お店の人間が暮らす、内側の空間だ。


 シャインは、お店のお客さんとしてではなく、『おかあさん』のお客さんとして、『おかあさん』の個室へ通された。


 シャインが以前会った経験がある、ちょっと品がいい感じの中年の女性が、にこにことシャインを待っていた。『おかあさん』だ。


 シャインに座るよう、椅子を勧めた『おかあさん』は、ティーポットからシャインのカップにお茶を注いだ。


 シャインを案内しただけで部屋に帰ろうとしたティファニーちゃんを、『おかあさん』は、「おまえも、そろそろいい歳だ。話を聞いていきな」と引き留めて、椅子に座らせた。


 要するに、近い将来の婆あ候補だ。


『おかあさん』は、ティファニーちゃんのカップにも、お茶を注いだ。


「ありがとう」


 シャインは、くん、とお茶の香りを楽しんでから、カップに口をつけた。


 砂糖は入っていなかったけれども、茶葉の甘い味がした。


「ティファニーを身請けしたいって話かい?」


 自分のカップにもお茶を注いで、ゆっくりと一口啜ってから、『おかあさん』が口を開いた。


「残念ながら」


 シャインは、首を横に振った。


「だろうねえ」と、『おかあさん』


「本当に残念」と、ティファニーちゃん。


「探索者ギルドが、花街と話をしたがっているんだ」


 シャインが、口にした途端に、にこにことしていた『おかあさん』の顔が険しくなった。


 深々と息を吐く。


「あんたは、ここに仕事を持ちこむような無粋な男じゃないと思っていたよ」


「ギルドに頼まれた仕事だったら、笑ってごまかしちゃうんだけどね。恩人に直接頼まれちゃったから、そうはいかなかった」


「ボタニカル商店だったかね? 随分な女傑だそうじゃないか」


「知ってるんだ?」


「表の街があってこその花街だからね。一応、街の大きな動きは追っているよ。エチーゴを追い出したんだろ?」


「追い出したというより、返り討ちにした感じかな」


「美人かい?」


「とても」


「ティファニーよりも?」


 シャインは、お茶を啜った。


 隣に座っているティファニーちゃんが、ズボンごと、ぎゅっとシャインの腿をつねった。


「痛い」


「ギルドは、花街と、どんな話をしたいんだい?」


「スラムを潰して宿を増やしたい、と考えている。その立ち退き交渉をしたい」


『おかあさん』の顔が、さらに険しくなった。


 シャインは、現在の街への探索者の流入状況を説明した。


「うちとしては、探索者の流入が増えるのは万々歳さ。あんたも知っているだろうけれど、最近、ここの値段もあがってきているよ」


 生き残る探索者が増えると、偶々たまたま、うまい稼ぎにありつけた者の数も増える。


 そういう者たちが、一夜の宿も兼ねて花街へ繰り出すので、花街は連日盛況だった。値段だって、あがるというものだ。


 値上げしても、お客さんが入ってくるならば、それに越したことはない。


「ここでも、新しいお店を開こうかという話になっていてね」


 もちろん、新しいお店を開けるような場所は、スラムしかない。


 探索者ギルドと花街は、同じ土地を狙うライバル同士になる。


「だから、ギルドと話をすることは特にない」


 この話は、これでおしまい、という感じに、『おかあさん』は口をつぐんだ。


「そっか。新しいお店ができたら教えてね。遊びに行くから」


 シャインは、お茶を飲み干した。


 カップをテーブルに置く。


「予定地のスラムの人たちは、追い出すの?」


 おもむろに、『おかあさん』に質問をぶつけた。


 本当に花街がスラムの一部を潰して新しいお店を出そうというならば、力づくでスラムの人間を立ち退かせることは可能だろう。


 追い出された人間は、物理的に狭くなったスラムの残り部分に密集して住むか、街へ溢れることになる。


 そうなると、街側の、さらなる治安悪化が予想された。


 探索者ギルドとしては、それは呑めない。


 現在の探索者ギルドと花街がお互いに黙認し合っている時代が終わって、過去の取り締まりや抗争の時代に戻ってしまう可能性がある。


 シャイン個人としても、呑めない話だ。花街は、楽しく遊ぶ場所である。


 だが、スラムを、花街のお店にではなく、探索者用の宿に変えたところで、同じ問題が起こるのは明らかだ。


 その分のスラムはなくなるわけだから、どうしても、物理的にスラムからあぶれる人間が発生する。


 花街にとって、スラムの人間は、或る意味、身内だ。


 スラムの人間が、花街のおこぼれをあてにしているように、花街の人間も、スラムの人間をあてにしている部分があった。


 身内である以上、安易には追い出せないし、追い出したくない。


 だから、『おかあさん』の新しいお店の話は、ギルドとの交渉の席につかないためのはったり・・・・で、本当は、花街はスラムについて現状を維持するつもりだというのが、シャインの読みだった。


 少なくとも、探索者ギルドのスラムに対する姿勢よりも、花街は、スラム寄りのはずだ。


 ただし、食いつなぐためのおこぼれは回すことができても、完全には養えていない。

 

 この先、宿の値段の高騰が続けば、稼ぎの少ない探索者たちでは泊まれなくなるだろう。


 それこそ、スラムで寝泊まりをするような者が出る事態も考えられる。


 立ち退きどころか、スラムの拡大だ。


 拡大すれば、花街のおこぼれが、回りきらない範囲もでてくるに違いない。


 だとすると、花街もジリ貧だ。


 住む場所がなく、家族も呼び寄せられない探索者の不満が、探索者ギルドに向かうように、おこぼれが回って来なくなったスラムの不満は、自分たちを養えない花街へ向かうはずだ。


『おかあさん』は、シャインの質問に応えなかった。


「今日、こうして僕がでしゃばる・・・・・にあたって、ギルドに手土産を用意させた。『最後の晩餐場』が、今後、スラムの子供たちに定期的に炊き出しを実施する」


『おかあさん』は、目を瞑り、難しい顔をして、腕を組んだ。


 ティファニーちゃんが口を挟む。


「あらっ、お店の子たちも食べに行かせていいのかしら?」


「いいんじゃないかな。そうすれば、僕の負担も減るし。少なくとも、エチーゴより、うちの姐さんは、話が分かるよ」


 新ギルドマスターであるアイアンの名前は出てこなかった。


「よし」


『おかあさん』は、目を開き、組んでいた手を解いた。


「とりあえず、上に繋ぐかどうかは、あんたほどの男が惚れた女がどれほどのものか、あたしが見てからだ」


 シャインは、珍しく、慌てた様子で手を振り回した。


「そんなんじゃないよ」


 顔が赤くなっているのは、宴席で飲んだ酒のせいだけじゃないはずだ。


 シャインは、言葉を続けた。


「面影が、僕が母親だと信じている人に少し似てるだけだって」


 ティファニーちゃんは、シャインのマザコン発言に、少し引いた。

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