第68話 師匠と先生と店長

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「ていう話を、アイアンがしてったのよ」


 その日の夕食時、あたしは、アイアンからの相談事について、マルくんに話した。


 食卓は、厨房兼調剤室のテーブルである。


 テーブルの真ん中には、いつも薬草を煮込んでいる魔女鍋でつくったシチューが、鍋のまま鎮座している。


 お代わりし放題。


 以前、ミキからは、シチューを鍋のまま出すのはいかがなものか、と否定されたが、我が家の食卓の安定の光景だ。


 マルくんは、気にする様子もなく、ぱくぱくとシチューを食べていた。


 いつもどおりだ。


「何ともないの?」と、あたしは訊いた。


「何が?」


「味」


 マルくんは、きょとんとした顔をした。


 あたしは、話に夢中になって、まだ口にしていなかった自分のシチューを口に運んだ。


 いつもと違って、シチューが緑色だ。


 濃密な草の香りが、口内に広がった。


「にがっ!」


「そう? 食えるよ。毒は入っていない」


 そういや、マルくんは、毒を飲んでも平気なのだった。


 忍者は、毒に耐える修業も積んでいる。


 毎日、少量の毒を飲んで、体に耐性をつけていた。


 薄い毒から初めて、少しずつ、濃い毒にしていくのだ。


 刃の下に心を置いているから、何でも我慢してしまう。


 その結果、味覚が麻痺していた。


「忍者の保存食ならわかるけれど、俺に味を求められても」


 マルくんに毒見はできても、味見はできなかった。


 まったく、料理の作り甲斐がない奴だ。


「回復の効果はある。食べれば元気にはなるだろう」


 うん。食べられればね。


 今は、そういう話をしているのよ。


 あたしは、諦めて、マルくんのシチュー皿を取り上げた。


「これはなし」


 あたしは、鍋を、本当の食事が入った鍋と交換した。


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 翌日、あたしは、ラン・デルカとスー・デルカを店に呼び出した。


 厨房兼調剤室に二人を通す。


「あんたたちを見かねて花嫁修業をつけてやるわ。男は、胃袋をつかむのよ」


 突然、何を言われたのか、二人は意味が分からないようだ。


 あたしも、自分で何を言っているのか、よく分からない。


 二人に、ただ働きをさせるための方便だ。


 あたしは、鍋に入ったポーションの搾りかすを二人に見せた。


 ふやけた、緑色の繊維の山だ。


「この搾りかすを人間の食べ物にしてみなさい。何でもおいしく食べられるようにできれば、男なんて、いちころよ」


「あん?」と、ランが声を荒げた。


「どうして上から目線なんだ」


「あたしには、マルくんがいるからよ」


 二人は、ぐうの音も出ないようだ。


 アホを見る視線を感じるのは、気のせいだろう。


 店舗室から、さっとミキが走ってきて、なぜか、あたしの前に立つランとスーの横に並んで、気を付け、をした。軍隊じゃあるまいし。


「どうしたの?」


「花嫁修業は早い方がいいと母から聞きました。わたしも参加させてください」


 マジか!


 今時、花嫁修業なんて言葉を使う人が、本当に、まだいたんだ。


 自分で口に出しておきながら、あたしは、ラッキーの感覚にびっくりした。


 幼い頃から、娘に花嫁修業をさせようだなんて、どんな感覚だ。


 育ちの良さがにじみ出しているとしか、思えない。


 あいつ、何者だ?


「母も、幼い頃から始めたそうです。お陰で、父と出会えたと言っていました」


 その結果、手に入れたのが、プラックか。


 プラックは、既婚未婚問わず、店を訪れる探索者女子連中からの評判が、すこぶる高い。


 遭難した際、命がけで、ラッキーを守り抜いたと絶賛された。


 自分の旦那と、ぜひ交換してほしい候補、ナンバーワンだ。


 あたしは、そんなこと思ってないけれど。


 要するに、プラックのような当たり・・・の旦那をつかむためには、幼い頃からの花嫁修業が大切という話だ。


「その意気や良し」


 あたしは、ミキに言った。


「店番は、あたしが受け持つから、ミキは、こっちの組に入りなさい」


「はい」


「おいおい、オレはやらんぞ」


 ランが言った。


「そういうのは、わたくしもちょっと」


 スーが言った。


「二人は、ミキの師匠と先生なんでしょ。ミキより行き遅れになってもいいの?」


 ランとスーが、あたしに対抗して、ミキに色々、魔法について教えこんでいるのを、あたしは知っていた。


 ミキに、師匠、先生と呼ばせている。


 ラン師匠とスー先生だ。


 あたしは、店長。


 なぜだろう、そこはかとなく負けた気がする。


「でも、ミキが入ったからどちらか一人でいいわ。部屋も狭いし。あーあ、姉妹で差が付いちゃうわね」


「やります」


 スーが言った。


「待て。オレもやる」


 ランが慌てた。


 ランは、搾りかすが入った鍋を持った。


「やるぞ、ミキ」


「はい、師匠」


 ランとミキは、炉の一つに向かった。


「姉さん、待ちなさい。半分は、私が使います」


「取り合いしなくても、搾りかすはどんどん出てくるわよ。ミキ、なんで搾りかすを食べられるようにしたいのか、よく、二人に教えといてね」


「はい」


 これでよし、と。


 なんだかんだ言って、ランもスーも優秀な魔導士だ。


 ポーションの製作には精通している。


 何の成分をどれだけ混ぜたら、どのような効能が上がるか下がるかといった、トライ・アンド・エラーは、お手の物だ


 味に対しても、同じ手順で実験を進めればいいだけである。


 そのはずだ。


「あ、でも、高い調味料とかは使っちゃだめよ」


 あたしは、車椅子をタップして、部屋を出た。


 店番が、あたしを待っている。

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