第68話 師匠と先生と店長
2
「ていう話を、アイアンがしてったのよ」
その日の夕食時、あたしは、アイアンからの相談事について、マルくんに話した。
食卓は、厨房兼調剤室のテーブルである。
テーブルの真ん中には、いつも薬草を煮込んでいる魔女鍋でつくったシチューが、鍋のまま鎮座している。
お代わりし放題。
以前、ミキからは、シチューを鍋のまま出すのはいかがなものか、と否定されたが、我が家の食卓の安定の光景だ。
マルくんは、気にする様子もなく、ぱくぱくとシチューを食べていた。
いつもどおりだ。
「何ともないの?」と、あたしは訊いた。
「何が?」
「味」
マルくんは、きょとんとした顔をした。
あたしは、話に夢中になって、まだ口にしていなかった自分のシチューを口に運んだ。
いつもと違って、シチューが緑色だ。
濃密な草の香りが、口内に広がった。
「にがっ!」
「そう? 食えるよ。毒は入っていない」
そういや、マルくんは、毒を飲んでも平気なのだった。
忍者は、毒に耐える修業も積んでいる。
毎日、少量の毒を飲んで、体に耐性をつけていた。
薄い毒から初めて、少しずつ、濃い毒にしていくのだ。
刃の下に心を置いているから、何でも我慢してしまう。
その結果、味覚が麻痺していた。
「忍者の保存食ならわかるけれど、俺に味を求められても」
マルくんに毒見はできても、味見はできなかった。
まったく、料理の作り甲斐がない奴だ。
「回復の効果はある。食べれば元気にはなるだろう」
うん。食べられればね。
今は、そういう話をしているのよ。
あたしは、諦めて、マルくんのシチュー皿を取り上げた。
「これはなし」
あたしは、鍋を、本当の食事が入った鍋と交換した。
3
翌日、あたしは、ラン・デルカとスー・デルカを店に呼び出した。
厨房兼調剤室に二人を通す。
「あんたたちを見かねて花嫁修業をつけてやるわ。男は、胃袋をつかむのよ」
突然、何を言われたのか、二人は意味が分からないようだ。
あたしも、自分で何を言っているのか、よく分からない。
二人に、ただ働きをさせるための方便だ。
あたしは、鍋に入ったポーションの搾りかすを二人に見せた。
ふやけた、緑色の繊維の山だ。
「この搾りかすを人間の食べ物にしてみなさい。何でもおいしく食べられるようにできれば、男なんて、いちころよ」
「あん?」と、ランが声を荒げた。
「どうして上から目線なんだ」
「あたしには、マルくんがいるからよ」
二人は、ぐうの音も出ないようだ。
アホを見る視線を感じるのは、気のせいだろう。
店舗室から、さっとミキが走ってきて、なぜか、あたしの前に立つランとスーの横に並んで、気を付け、をした。軍隊じゃあるまいし。
「どうしたの?」
「花嫁修業は早い方がいいと母から聞きました。わたしも参加させてください」
マジか!
今時、花嫁修業なんて言葉を使う人が、本当に、まだいたんだ。
自分で口に出しておきながら、あたしは、ラッキーの感覚にびっくりした。
幼い頃から、娘に花嫁修業をさせようだなんて、どんな感覚だ。
育ちの良さがにじみ出しているとしか、思えない。
あいつ、何者だ?
「母も、幼い頃から始めたそうです。お陰で、父と出会えたと言っていました」
その結果、手に入れたのが、プラックか。
プラックは、既婚未婚問わず、店を訪れる探索者女子連中からの評判が、すこぶる高い。
遭難した際、命がけで、ラッキーを守り抜いたと絶賛された。
自分の旦那と、ぜひ交換してほしい候補、ナンバーワンだ。
あたしは、そんなこと思ってないけれど。
要するに、プラックのような
「その意気や良し」
あたしは、ミキに言った。
「店番は、あたしが受け持つから、ミキは、こっちの組に入りなさい」
「はい」
「おいおい、オレはやらんぞ」
ランが言った。
「そういうのは、わたくしもちょっと」
スーが言った。
「二人は、ミキの師匠と先生なんでしょ。ミキより行き遅れになってもいいの?」
ランとスーが、あたしに対抗して、ミキに色々、魔法について教えこんでいるのを、あたしは知っていた。
ミキに、師匠、先生と呼ばせている。
ラン師匠とスー先生だ。
あたしは、店長。
なぜだろう、そこはかとなく負けた気がする。
「でも、ミキが入ったからどちらか一人でいいわ。部屋も狭いし。あーあ、姉妹で差が付いちゃうわね」
「やります」
スーが言った。
「待て。オレもやる」
ランが慌てた。
ランは、搾りかすが入った鍋を持った。
「やるぞ、ミキ」
「はい、師匠」
ランとミキは、炉の一つに向かった。
「姉さん、待ちなさい。半分は、私が使います」
「取り合いしなくても、搾りかすはどんどん出てくるわよ。ミキ、なんで搾りかすを食べられるようにしたいのか、よく、二人に教えといてね」
「はい」
これでよし、と。
なんだかんだ言って、ランもスーも優秀な魔導士だ。
ポーションの製作には精通している。
何の成分をどれだけ混ぜたら、どのような効能が上がるか下がるかといった、トライ・アンド・エラーは、お手の物だ
味に対しても、同じ手順で実験を進めればいいだけである。
そのはずだ。
「あ、でも、高い調味料とかは使っちゃだめよ」
あたしは、車椅子をタップして、部屋を出た。
店番が、あたしを待っている。
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