第19話 石化
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すかさず、新兵衛が、魔法の呪文で明かりをつけた。
自身の刀の切っ先とシャインの剣の先端を発光させて、松明のように頭上でかざす。
侍は、東方の魔法戦士だ。
『心頭滅却すれば火もまた涼し』などと言って自身に耐火の呪文をかけるといった、バフ系の自己強化魔法が主体だが、明かり程度の生活系呪文は、当然、使える。
地下に潜るのだ。パーティー内の明かり担当が、あたし一人ということはない。
呪文の他に、もちろん、カンテラや松明も携帯している。
明かりの手段は、あればあるほどいい。
あたしは、白い壁が終わったばかりの通路中央に、後ろ手に手をつき、足を延ばして座っていた。
足元側に、結界の境界がある。
もし、百斬丸が引っ張り出してくれなかったら、今頃、闇に飲まれていたはずである。
境界面を見つめる。
境界面からは何も出てこないが、境界の向こう側は、闇の色が圧倒的に黒かった。
境界側の通路と、境界では無い側の通路は、明らかに黒の濃さが違う。
ということは、境界から出て来られないだけで、黒い何かがまだいるのだ。
ひたひたと押し寄せてきた闇が、境界を越えて追ってこないということは、いつ誰がかけたものかはわからないが、それだけ強力な結界が、まだ効いている証拠である。
境界線を越えた先の通路内には、黒い何かが充満している。
洞窟側の通路は、普通に照らし出せている明かりが、結界側の通路では、境界線で、ぶちりと断ち切られて、その先は、明かりが届かない黒い壁になっている。
余談だが、羊羹という東方系の甘味は、新兵衛の好物だ。
心情的に、目の前に圧倒的な闇が、自分たちを襲おうとそそり立っているのに、そのすぐ脇で、回復や休息をしようというのは度胸がいる。
だが、もし、闇に結界を超える力があるのであれば、逃げようとしたところで逃げ切れるものではなかったし、逆に結界を超える力がないのであれば、境界のすぐ脇であるとしても、結界内の何者かに対して、この場所は安全だ。
通路の洞窟側から、地下二十一階の魔物が現れる恐れはあったが、結界内の闇の危険に比べれば、物の数ではない。
皆、それが分かっているから、必要以上に結界から遠く逃げようとはせず、まず状況の再確認をと考えたのだ。
シャインと新兵衛が、それぞれ結界側と通路側を警戒する。
百斬丸は、あたしの足元にしゃがみ込み、すばやくあたしのブーツを脱がした。
闇に触れたブーツの爪先が、黒く染まっている。
冷気を感じた場所だ。
布でできたブーツの材質が、冷気による氷ではなく、黒い石に変化していた。
闇の仕業だ。
百斬丸が、脱がしたブーツを床に転がすと、黒い石になった部分が、床面とぶつかって、パキンと割れた。
粉のように崩れて、両方のブーツの爪先に穴が開く。
さらに靴下も脱がされる。
靴下の爪先も同様に、黒く石化していた。
靴下はブーツより薄いため、ブーツを脱がす際の衝撃だけで石は割れて、粉になり、穴が開いている。けっして最初から穴あき靴下を履いていたわけではない。信じてほしい。
あたしの両足の爪先もまた、黒い石になっていた。
十本の指だけではなく、闇には触れなかったはずの
あたしは、前屈姿勢になると、両掌で、それぞれ左右の足の石化した部分に触れた。
口中で呪文を唱える。
ゴーゴン、メデューサ、バジリスク、コカトリス、その他諸々、およそ、あたしが今まで出会ってきた石化能力を持つ魔物に対して、効き目のなかった相手はいない非石化の呪文だ。
魔力が体内から掌に集まって、触れている足に注がれる。
常であれば、時間が逆行するかのように、肌が石から生身の肉体へと戻っていくはずだが、注いだはずの魔力が、霧散したように、どこかへ消えた。
変化は起こらない。
あたしの失敗を悟った百斬丸が、荷物から石化解除のポーションと、糸のように細い金色の針の束を取り出した。
ポーションを飲むように、あたしに渡すと、針を、あたしの足の石化した部分と生身の部分の境い目に、次々と刺していく。ポーションも針も、あたしのお手製だ。
あたしが、ポーションを口にしている間に、両足の石化境界面を取り巻くように、針が刺された。さながら、ウニである。
けれども、石化は治らない。
見ていると、刺した針が、足から飛び出している部分で、勝手に折れて、地面に落ちた。
石化が微妙に進行していて、確かに境界面に打ったはずの針が、わずかに石化の内側になっていた。
足の内側に刺さったまま状態のまま、体内の針が石化し、体から出ている部分が折れて落ちたのだ。
「ダメ。これ、あたしじゃ無理な奴だ。ごめん。下手うった」
あたしは、あっさりと匙を投げた。今ここで治せるような甘い奴じゃない。
「姐さんでも無理なんてあるのか? 何なんだ、あれ?」
結界面の羊羹を警戒したまま、シャインが言った。
羊羹は、先ほどよりも黒みを消していた。次第に、色が薄くなっていく。
あたしたちが、もう結界内に入ってくることはないと考え、次の獲物が現れるまで、またどこかに潜んで、待ち続けるのだろう。
洞窟側の通路同様、新兵衛が照らす光が、結界の境界面より奥まで届きだしていた。
「わかんない。多分、この先は何かの祭壇。アリジゴクみたいに下に潜んで、入って来た生贄が逃げられないところまで降りてくるのを、ずっと待ってるの」
「姐さんが気づいてくれなかったら全滅だった」
「下手うったけどね」
てへぺろ、と、あたしは笑った。
石化は、足首まで進んでいた。もう、歩けない。
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