第18話 虚無
6
シャイン、新兵衛、百斬丸の三人は、判断を迷わなかった。
あたしが、撤退の声を上げるや振り返り、あたしの脇を駆け抜けて、階段を上っていく。
あたしを見捨てて、逃げだしたわけではない。
あたしに対する、全幅の信頼だ。
瞬間、通路の前方で、キャシーが消滅した。
「あちっ!」
あたしの体に衝撃が走る。
無理やり、召喚の絆を引き千切られる際に受ける衝撃だった。
光が消えた前方の通路の奥で、闇が濃くなった。
光の精霊が消えたからというわけではない。
暗い空間に、さらに黒い色がついたのだ。
闇の中に、闇より黒い色の何かが発生した。
さながら、『虚無』だ。
見えないが、確実に暗い何かが、そこに存在し、ひたひたと寄ってくる。
やばいやばい。
「
あたしは、呪文を詠唱した。
前方の通路に向けて炎を放つ。
壁に張り付く、粘着性の炎だ。
その気になれば、水中でも燃え続けさせることができる。
炎は通路の上下左右の壁に張り付き、囲まれた通路の中央に向かって炎を噴出させた。
『虚無』が通路を進んでくるというならば、炎を通らなければ進めぬように。
『虚無』には、炎が有効であるとか、そういうわけじゃない。
野生の獣は、炎を恐れるはずだという、安直な心理だ。
気休めである。
あたしから見て、『虚無』は、炎の壁の向こう側にあるのに、闇が濃く、暗く、より黒くなっていくのが、なぜか見える。
炎の明かりに、照らされて消える類の闇ではない。闇のような、暗い何かだ。
けれども、すぐには炎を突き抜けて来ないということは、少しは足止めの役に立ったのか?
ジェーンは、炎の壁の手前側に浮き、周囲を照らしている。
ジェーンの真下、炎の手前の通路の石材ブロックの隙間から、何かが湧き出した。
黒い霞のような何かが、壁面で揺れている。
『虚無』だ。
『虚無』は、直接、炎は通り抜けずに、壁の石材ブロックの隙間内を通過した。
炎を通り過ぎてから、隙間から姿を現し、ブロックの表面伝いに、あたしに向かって、ひたひたと這いだした。
やばいやばいやばいやばい。
思考で、ジェーンを呼び寄せる。
あたしは、振り返り、階段を脱兎のごとく駆けあがる。
先に逃げた三人は、はるか先だ。
二十一階の床から、階段を覗き込むようにして、あたしを待っていた。
でも、まだそこじゃダメだ。
ドミニクが、三人を照らしていた。
ジェーンは、背後から、駆けあがるあたしを照らしている。
ジェーンが照らす光でできたあたしの影が、あたしが上る階段の前方で揺れている。
「この白い壁の外まで逃げて!」
あたしは叫んだ。
理由はわからないが、直感的にそんな気がした。
ここは、結界の中だ!
三人は、すぐ指示に従った。
あたしも走る。
まったく、二十五の年寄りに全力疾走なんて、させんじゃないわよ。
バシュ。
二度目の衝撃。
背後で、ジェーンが、召喚を引き千切られたのだ。
階段を上りきる。
明かりは、前方の三人の上にいるドミニクだけ。
三人は結界の外に立って、歓声を上げ、手招きしている。
あっちは、もう大丈夫だ。
あたしも、あとちょっと。
思った瞬間、足がもつれた。
あっとっと、と、たたらを踏む。
心に体がついていってない。
畜生。昔は、韋駄天だったのに。
『虚無』が迫る。
命じたわけでもないのに、突然、三人の上で舞っていたドミニクが飛んで来た。
そのまま、あたしの真上を抜けて、背後の『虚無』へ突っ込んでいく。
ごめん。
ありがとう。
背後から、爆発のような強烈な緑の閃光。
バシュ、と、全身に三度目の衝撃が走った。
暗闇。
最後にあたしの目に映ったのは、結界内に身を乗り出すようにした百斬丸が、あたしの手をつかみ、強烈な力で引き寄せる姿だった。
あたしの両方の足の爪先に、冷気が走った。
冷たい氷を長くつかんでいると、冷えは痛みに変わる。
冷気は、即座に痛みに変わって、あたしを襲った。
「ぎゃぁあぁあっ」
あたしは、絶叫した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます