第2話 割引券

               2


 魔物は、地下四階を主な根城とする、大口鼠ラージマウスラットだった。


 耳の根本付近までガバリと口が開き、最大限に開いた口腔の直径は五十センチメートルにも及ぶことから、その名がつけられた大型の鼠系モンスターだ。


 別名を鰐鼠アリゲーターラット


 体高六十センチ、体長一メートル程度が、成体の平均的サイズである。


 尾まで入れた全長は、一メートル半に及ぶ。


 大顎による一撃は驚異的だが、地下四階まで自力で降りてこられるようなパーティーであれば、そう恐れるような相手ではない。


 それが五匹。


 一方の探索者側は前衛に戦士二人、中衛に戦士と盗賊、後衛に僧侶と魔法使いという、ごく一般的な組み合わせのパーティーだ。


 戦っているパーティーの背後、十メートル程まで近づいてから、俺は足を止めた。


 俺に気づいた後衛の僧侶と魔法使いが振り返って、俺に身構える。


 背後から、俺にバッサリやられてしまう危険に備えたのだろう。


 さも手助けに駆けつけたという振りをしながら、魔物ではなく、探索者を殺して財産を奪うという手口がある。


『自分たち以外の何者にも油断をしてはいけない』という言葉は、基本であると同時に鉄則でもあった。


 場合によっては、『自分以外の何者にも』という言葉に置き換わる事態すら存在する。


 ダンジョン内で出会う一番危険な相手は、同じ探索者だと言われていた。


 ダンジョン内は、無法地帯だ。


 表向き、ルールは存在していたが、ばれなければ何をやったところでお咎めなしだ。どうせ誰も見てはいない。


 例えば、酒場で、誰かが誰かに地下で手に入れた自分の剣を自慢している。


 何日か後、自慢された側の誰かは、いつのまにか似た剣を所有しており、自分の剣を自慢していた側の誰かは、迷宮から戻らない。おそらく迷宮の魔物に殺されたのだろう。


 そういった不思議な話ならばいくらでもあった。


 俺は、俺に対して身構える僧侶と魔法使いに対して、万歳をするように両手を上げて見せた。敵意はないというアピールだ。


 手には手袋をはめているだけで何も持っていない。


 身に着けているのは、革製の軽い鎧だ。盾はない。


 左腰に一本、短剣を下げているが、体の前後を配達用の荷物に覆われた俺の姿は、およそ戦闘向きではない。


 それどころか、ネギを背負った鴨状態だ。


 相手が俺を獲物だと判断する可能性があるので、警戒するべきは俺の側だった。 


 万歳しながら、前方に吊るした竿先の明かりで相手を照らす。

知らない顔である。


 どこか他所よその町から、最近、やってきたパーティーなのだろう。

男だけだ。


 少なくとも、我がボタニカル商店のお得意様ではない。


「ボタニカル商店の配達だ。悪いが脇を通らせてくれ」


 戦闘中の全員に聞こえるような大声を、俺は上げた。


 僧侶と魔法使いは、きょとんとした顔で、お互いの顔を見合わせた。


 ダンジョン内で、『配達』なんて言葉は、他所では使わないから当然の反応だ。


 だが、この町で繰り返しダンジョンに潜っている者であれば、誰もがボタニカル商店の無料配達サービスを知っている。知らないとなると、やはり新顔だ。


 僧侶と魔法使いは、すがるように中衛の戦士に声をかけた。


 中衛の戦士が振り返る。リーダーなのだろう。中衛に立ち、全体に指示を出すのだ。


 リーダーは、殺気立った目で、俺の顔をぎろりと一睨みした。


 戦闘中とはいえ、俺の声は聞こえていたはずだ。


「そこで待て!」


 リーダーは、幅広の剣で鼠を牽制しながら、俺に言った。


 少なくとも、後ろから刺される心配はない、と判断したらしい。


 続けて、「戦闘中だ」と、僧侶と魔法使いに声をかけてから、自分も戦闘に集中する。


 ひっかいたり、とびかかったり、噛みついたりという攻撃を、入れ替わりざまに繰り返してくる鼠に対して、前衛の二人は、突いたり、盾で受けとめたり、切ったりと忙しく対応する。


 前衛が、鼠を盾で受けとめた瞬間には、リーダーの戦士が、中衛から鼠を突いた。


 剣による攻撃の合間合間に、魔法使いの呪文や僧侶の癒しが、適切なタイミングで放たれる。


 中距離からの、盗賊による投擲も行われていた。


 戦闘は、一進一退だ。


 魔物と探索者、どちらも攻撃の決め手に欠けているようだった。


 探索者たちのパーティーの力が、丁度、地下四階相当ということなのだろう。


 余裕をもって戦闘の回数を重ねるためには、実力相当より一階程度上の階で、弱い相手と、繰り返し戦った方が経験になる。通常の魔物に総力戦を行っているようでは、勝ったとしても、連戦はこなせない。


 どうやら、戦闘は長引きそうだ。


 本来は、後ろで決着がつくのを待つべきだが、生憎、俺には時間がなかった。


 次の地下五階で、受取人が荷物を待っている。


 万が一、俺が運ぶ回復アイテムの到着が遅れて、


『ボタニカル商店が、時間通りに配達してくれれば!』


 なんて言葉を聞く羽目になる事態は、絶対嫌だ。


 かといって、ここで戦闘を手伝ったあげく、獲物を横取りされた扱いをされるのは馬鹿馬鹿しい。


 ボタニカル商店配達の心得、『戦闘の手伝いは行いません』だ。


 地下五階への直近の階段は、すぐ先である。あいにく、そこまでの迂回路はない。


 とすると、


「上を抜けるか」


 俺は、戦闘中のパーティーの頭と天井の間に、一メートルほど空いている隙間に目を付けた。


 ジャンプして、素直に戦闘の上を跳んで超える方法は、背中のリュックサックが天井にぶつかるため不可能だ。


 けれども、どうにかしてリュックサックを横倒しにできれば通れるだろう。


 パーティーの頭上には、幅四メートル、高さ一メートルの隙間が空いている。


 リュックサックを横倒しにすれば、幅二メートル、高さ一メートル相当だ。


 自分の身長を計算に入れても、幅四メートルもあれば問題ない。


 俺は、腹側のリュックサックの脇ポケットに右手を突っ込み、手のひらサイズの二つ折りにした紙きれを一枚出した。


 通路の右寄りに場所を変えると、二、三度、飛び跳ねたり深く沈みこんだりと屈伸を行う。


「待てない。上を超えさせてもらう。頭を下げろ」


 俺は、探索者たちに大声で注意を促すと、探索者たちの直近背後、俺が今立つ場所からだと斜め前方にあたる、通路左側の壁に向かって、一気に駆けた。助走距離を稼ぐため、通路を右から左に斜めに走るのだ。


 すぐさま、壁に向かってジャンプ。


 壁面に足を着け、体を横倒しにしながら、咄嗟に頭を下げた探索者と鼠の上の壁を駆け抜ける。


 駆け抜けざまに、紙をリーダーの鎧の襟元に挟みこんだ。


 壁面を蹴って、鼠たちの背後に降り立つ。


 壁走かべばしりだ。


 突然、前後を人間に挟み撃ちにされて、鼠たちから浮足立つような気配があがった。


 振り返らずに、俺はそのまま、先へ走る。


 背後で、鼠の断末魔の悲鳴が高く上がった。


 探索者たちが、うまく鼠の動揺をついたらしい。


 これで均衡が崩れるだろう。あとは、削り取るだけだ。


 駆け抜けざまに、俺がリーダーの襟元に挟み込んだのは、店のチラシだ。


 広げれば、


『ボタニカル商店全品10%割引券

 一パーティー様一回限り

 他の割引券との併用不可

 地上でも地下でも使えます』


 と書いてある。


 どんな時でも、新規顧客の開拓は大切だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る