第4話 私の人生最大の後悔
なぜ私がここまで、祖母との日々を大事にしたいのか。
それにはある出来事が関係している。
私という人物についても振り返るので、少し長くなるがここに綴ってみようと思う。
私は高校まで本当に勉強が嫌いだった。
どのくらい嫌いだったのかというと、テスト開始直前にようやく教科書のテスト範囲ページを開くほどである。
勿論、学年最下位のテストなんて余裕で取っていた。
そんな私も高校3年になり、進路を決めないと行けない時が来た。
祖母の遺伝のせいか、体育だけはいつも飛び抜けて高評価だったので担任はいつも「体育の先生になるため、体育会系の学校なんてどうだ?!」と目をキラキラさせながら言っていたが、専門教科体育の担任が言う言葉はいまいち心に響かなかった。
体育教師になるなんて、大学でもしかしたら大嫌いなシャトルランをやるのではというだるさがこみ上げてきた。
また、体育専門の先生が期待の目でそんな言葉を言うもんだから、教員不足ってやつかぁ。なんて思ってた、ませた高校生だった。
しかし、唯一私には興味のある分野があった。
高校では習わなかったが、美容に興味があり美容師になりたいと思っていた。
専門学校なら面接できちっとしておけばいけるなと言う甘い考えもあり、高3の6月頃にAO入試で美容の専門学校への進学が決まった。
それから、私はだらだらと静かに学生生活を過ごした。
仲のいい周りの友達がセンター試験に向けて、黙々と勉強していたからだ。
なにが sinθcosθtanθだ。
そんなの社会に出たら使わないだろ。
何のためにやるのか、1から説明しないと絶対やらないぞ。
そんなひねくれた18歳。
しかし、ここで転機が訪れる。
祖父母に「みーちゃん、この前の期末テスト持っておいで」と言われ、ウキウキと18点のテストを持って遊びに行った私は、大好きな祖父から効果抜群すぎるミサイルをくらう。
「ショックだ。」
いつもにこにこ笑っている祖父が、酷く肩を落としてため息までついて、まるで余命宣告でも受けたかのような顔で私の18点のテストを見て言った。
このままでは・・・やばいぞ・・・
ここではっと気付かされ、美容専門学校入学後必死に勉強をして、学科も実技も学年1の成績になった。
今でも当時真冬の朝4時に起きて、ホットココアを飲みながらテスト勉強をし、そのままテスト本番に向かったあの頃の自分は戦力外通告を受けた野球選手のように、祖父に褒められるため努力していたと思う。
その努力もあって、と自分でいうのもなんだがトップ成績で第1志望のサロンに就職。
自分好みの木目調の床、観葉植物で溢れる店内、休日のカフェのようなゆったりした音楽が流れ心地の良いサロン。
よし!ここがスタート地点だ・・・と思い、毎日お客様の頭をシャンプーし、ヘッドスパでは8年間没頭したバレーボールで鍛えた筋肉で、何人ものお客様を虜にさせた。
あとはスタイリストになるだけ。
もぅ少し、もう少しと思っていた矢先だった。
私がサロンで1番お手本にしていた、技術も接客もピカイチの先輩が交通事故で亡くなった。
入社したての頃は、その先輩は少し怖そうな人に見えた。
胸下まである赤みの強い癖毛ロング。
キリッと目尻がはねたネコ目風のアイライン。
ハキハキ喋る姿。
いかにも「自己主張が強そう」な人だ。
その先輩に指導を受けていた初めの頃は、怖くて内容も頭に入ってこなかった。
しかし、この怖いというのは虐められるから等の怖いでは無く、圧がすごすぎて何かやらかしたら1時間は余裕で説明も兼ねた説教をされそうな雰囲気だったからだ。
けれども、それは私の勘違いだった。
その先輩の言っていることを落ち着いて聞いてみると、私ができないことに対して叱っているのではなく、お客様の立場になって考えて私に叱っている事に気がついた。
「あ、この人はひょっとしたら本当にすごい人なのかもしれない。」
それから、私はいつもその先輩がお客様と話す様子、楽しそうにカットする表情、忙しくても忘れないお客様への気遣いを見ていた。
「私もこんな美容師になりたい。お店で1番稼ぐ美容師じゃなくて、お客様を第1に思って笑って仕事に就く美容師に。この先輩についていくんだ。」
そう思っていたのに、その先輩がいなくなってしまったのだからその時の喪失感なんて言葉にならない。
元々先輩は若くして腰を悪くしていた。
しかし、人気スタイリストだったため土日は朝から夜まで予約でいっぱい。
勿論、お昼休憩なんて取れやしなかった。
それでも、明るくにこやかにお客様の施術に入っていた。
その為、出勤時に満員電車で押されて腰を圧迫されると体が使い物にならないため、会社では禁止されているバイク通勤を内緒でしていたのだ。
そして、2017年9月29日の朝。
先輩は運悪く、バイク出勤時に前方からの右折車の死角に入り、事故にあってしまった。
時間には厳しい人だったのに、その日は9時半の朝礼時間になってもサロンに現れなかった。
不審に思ったオーナーが先輩の携帯に電話すると、救急隊員の方が出て「ご家族の方でないと、現状お伝えできません」との事。
顔を真っ青にしてサロンをとび出たオーナーが帰ってきたのは、それから2時間後。
順番にバックルームにスタッフを呼ぶ。
出てきたスタッフは目に涙を浮かべている。
私が遂に呼ばれる。
「ゆみが・・・亡くなりました。」
嘘だという感情と、やっぱりという感情。
ごちゃ混ぜになり、私の目から大粒の涙が溢れて止まらない。
これから私はどうしたらいいんだ。
誰をお手本に目指していけばいいんだ。
もう一度LINEしたら返事が来るんじゃないか。
そんな事ばかり頭に浮かんだ。
その日のことはショックが大きすぎて、あまり覚えていないが、事故当日営業を皆で早めに切り上げて先輩の家に行った。
お家に上がらせてもらい、先輩のご遺体と対面した。
私がヘッドスパの練習をさせて貰って、気持ちよすぎて寝てしまった時の先輩の顔だった。
亡くなったなんて、到底思えないほど綺麗で。
「本当にいい子だったんです・・・。本当に・・・本当に・・・!」
先輩のお母さんの泣き叫ぶ声と姿が、今でも頭から離れない。
確か、先輩が無くなってから数ヶ月は毎晩毎晩泣いていた。
しかし、このままでは先輩が悲しむと思い同じサロンの同期とお墓参りに行く事にした。
「ゆみさーん、元気ですか?ゆみさんの指名の〇〇さん、この前娘さんにクリスマスプレゼント買ったってウキウキしちゃってましたよ。」
「ゆみさん!ゆみさんの大好きな焼き鳥買ってきたけど、皮とネギまどっちがいいですかー?」
同期とふたりで話しかけながら、お墓参りをした。
そして、毎年先輩に会いに行こうと約束をして、それはコロナ禍の今でも続いている。
そして、私が先輩の事で1番後悔している事。
それは誕生日のお祝いをしなかった事だ。
先輩は私の誕生日には必ずLINEでおめでとうとメッセージをくれた。
私もちゃんと先輩の誕生日には、お祝いメッセージを送らないとと思っていた。
2017年9月25日、先輩の28回目の誕生日。
先輩が休みだったので、明日来たら直接おめでとうございますと言おうと思っていたのに、その頃練習が重なり疲れてお祝いするのを忘れてしまった。
ずるずる引きずった結果、最悪の29日を迎えてしまったのだ。
事故前日、帰り際サロンから出る先輩と、営業後練習に備えてマクドナルドでポテトを買ってきた私がすれ違った。
「おつかれー!お先に失礼するね!」
「あ!お疲れ様です!また明日よろしくお願いいたします!」
それが最後の会話。
この事は一生後悔し続けると思う。
そしてこの事件をきっかけに、私はその時にやろうと思った事をすぐやるようになった。
もう大切な人を同じ目に合わせないために、私は今日も大切な祖母のために今出来ることをしていく。
大先輩が最後に私に教えてくれた、大事な事だ。
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