そなただけではない
山吹弓美
そなただけではない
王立学園内、談話室の一角。
高位貴族の子女が優先的に使用することのできる個室の一つは、現在学園に在籍しているこの国の第一王子ザイアンの通年予約という形で独占されている。
春には卒業を迎えるザイアンがいなくなった後、誰がこの『王子の間』と呼ばれるようになった空間を確保できるかという予想が在学生の間では盛り上がっているが、それはさておいて。
「殿下。そろそろお心を決められたほうが良いのではないか、と愚考いたしますが」
現時点で個室の主であるザイアン王子にそう進言してきたのは、王国近衛騎士団長たる侯爵の嫡男であるフラット。騎士の子としては小柄な体型だが、制服の下に隠れている肉体は騎士として申し分ないものである。
「何をだ」
「殿下もご存知でございましょう。あなたの婚約者たるパロット公爵令嬢の、メロリア嬢に対する行いの数々を」
不満げに一言だけ返答した王子に、宰相の一人息子……公爵家の嫡男たるケーノが拳を握り言葉を紡いだ。こちらのほうがフラットよりも大柄だが、後方に向かって撫で付けた髪と黒縁の眼鏡のせいで肉体派とは見られていない。
「ああ。報告はお前たちから、山のように届いているな」
「いくら公爵家の令嬢とはいえ、あのような女性を殿下の妃とするのは国のためになりません。どうかご再考を」
自分の目の前に積まれた書類をぱん、と手のひらで叩いてみせたザイアン王子に対し、フラットと同じことを告げてきたのは国教の教主を務める女性の息子ラグン。母親に似て細身の美形である彼の冷たい視線は威圧感があるが、ザイアンには効果がない。
「俺の一存で、婚約者の変更ができるとでも思っているのか。第一、今の我が国において
「ですが、メロリア嬢は教会も認めた聖女ですよ!」
「ヘスティシアも聖女だ。お前の母親が認めた、な。それに彼女の能力は、俺が一番良く知っている。俺を癒やしてくれるのは、ヘスティシアの全てだ」
ラグンの指摘に対し、ザイアンはばっさりと返してみせた。
第一王子ザイアンの婚約者、パロット公爵令嬢ヘスティシア。彼女はラグンの母親が長を務める国教会の、多くの教父や教母がその高い能力を認めた聖女である。能力を認められたがゆえの、婚約でもあった。
今一人、ラグンが名前を出したメロリアはカジャック男爵家の養女だ。三年前に貧民街で見出され、聖女としての能力を認められたためにカジャック家に入り、そうして学園で学んでいる。卒業後は教会に入り、身体や心の傷を癒やすという聖女の務めを果たす、はずであった。
「……ですが、殿下。こちらをご覧になってください」
「これは何だ」
「三日前の、メロリア嬢からの訴えでございます」
ラグンの横からフラットが差し出してきた新しい書類を手に取り、ザイアンは半目でそれを見つめる。またか、という表情で白い紙に記された文章をざっと眺めた王子の顔から、表情が消えた。
「ほう。『生まれながらの公爵令嬢たるわたくしを差し置いて殿下のお側に侍ろうなどと、何と愚かなことか』……この通りにヘスティシアはカジャック男爵令嬢を詰った、のだな?」
「間違いないです! お友達も、何人かが証言してくれましたから!」
ザイアンが発したのはフラットに対する質問だったはずだが、それに答えたのは少女の声だった。訝しげな視線を巡らせると、いつの間にか王子の正面にはピンクブロンドのふわっとした雰囲気を漂わせる少女がいる。
メロリア・カジャック、先ほどから名が出ている本人だ。
「……カジャック男爵令嬢。俺はそなたを呼んではおらん」
「呼ばれなくても来ていい、ってみんなが言ってくれました。それに、ヘスティシア様の被害を受けてるのは私です! ザイアン様、どうかヘスティシア様を何とかなさってください!」
家名で呼ぶザイアンに対し、メロリアは当然のように相手の名を呼ぶ。眉をひそめたザイアンに向けて、メロリアは大きな瞳をうるりと潤ませた。
「確かに私は、孤児院からカジャックの家に入った養女ですけれど。だからって、貴族のお家に生まれた人に蔑まれるいわれはありません!」
そう、メロリアは絶叫した。
途端、室内がしんと冷える。第一王子の視線から、温度が全くなくなったせいだろうか。
「カジャック男爵家は、養女の教育に失敗したらしいな」
「え?」
「フラット、ケーノ、ラグン。この書類に記された言葉、ヘスティシアが口にするはずがないということはお前たちも知っているだろう。その点について、なぜ確認をしなかった」
「え、あ」
「そ、それは……」
「おかしいとは思ったのですが、その、パロット公爵令嬢が今の地位にあることに思い上がったのではないか、と」
「その程度のことも確認できずに、何が悪行の報告だ。ヘスティシアは、そんなことを言うはずがない。大体」
酷くうろたえる青年たちの様子を見ながら、メロリアだけが事態を理解できずにきょとんと立ちすくんでいる。
その彼らをじろりと見据え、ザイアンはきっぱりと言ってのけた。
「カジャック男爵令嬢は知らんようだが……ヘスティシアは『生まれながらの公爵令嬢』ではない」
「へっ?」
「彼女はもともと、平民の子として生まれ市井で育っている。彼女が先代パロット公爵の孫娘だと判明したのは、ほんの八年前の話だ」
先代パロット公爵が、メイドとして雇っていた平民の女と深い仲になり子供を産ませた。
嫉妬深いことで有名な先代の夫人は、女と生まれた子……娘を家から叩き出した。既に夫人も後継者たる嫡男、現公爵家当主とその弟を生んでおり、『妾と卑しい血の入った子など要らぬ』と雄叫びを上げたそうな。
先代公爵はやむなく、女に数年は生活できる程度の金子を与えた。それと、生まれた子が我が娘である証として家名を刻んだペンダントも。
これは、さほど高くはない石を使ったものだ。高価なものを使えば即座に換金されるか、手癖の悪い者どもに奪われる可能性があったから。
「でまあ、夫人は怒り狂っていたのが身体に障ったらしく先に身罷ったわけだが……九年前、当の先代公爵が亡くなったときに公開された遺言状に、その娘の存在が記されていてちょっとした騒ぎになったのだ」
当代公爵からしてみれば、彼女は異母妹ということになる。男兄弟だったところに、妹がいるということを知らされた当代公爵は自身の父母に代わり、兄として必死に探し回ったそうだが、しかし。
「先代の死から一年後。どうにか探し当てた時には、腹違いの妹は流行り病で既に此岸の人ではなかったそうだ。ただ、彼女には同じ病で死した夫との間に娘がいてな」
それが、ヘスティシアだった。彼女も病にはかかったのだが、どうにか永らえたのだという。
当時十歳の彼女は平民として育ち、両親を失ってからは小さな店でこき使われていたらしい。それでも安い石のペンダントに刻まれたパロット家の名は健在であり、髪色も瞳の色も祖父たる先代公爵のものを受け継いでいた。
身元の確認を受けて、当代公爵は自らの姪である彼女を迎えに行った。彼女の母親、自身の妹を見つけてやれなかったことを悔い、せめてその娘であるヘスティシアを我が娘として引き取りたいと申し出た。
「ヘスティシアは王立学園で学ぶことができる、その利点をもってパロットの名を名乗ることを了承した。そもそも本を読むことが好きだったらしくてな、サーティールが選んだ本を読み漁る姿はとても幸せそうだったぞ。ああ、今でも思い出す」
サーティール。パロット公爵家の嫡男はヘスティシアやザイアンよりも二つ年上で、既に学園を離れ王国の要職につくための研鑽を重ねている。
彼は突然現れた『妹』を可愛がり、彼女が望んだ学習や読書に関して自ら手配をしてみせた。また公爵夫人もヘスティシアを『娘』として受け入れ、可愛がる一方で公爵家の者として当然のマナーを一から教え込んだという。
「『お祖父様には思うところはあるんです。でも、お養父様やお養母様、お兄様はわたしのことを受け入れてくれました。だからわたしは、この家に恥じない人になりたいです』……そう、俺に言ったんだよ、あいつは。十歳の、街育ちの子供がな」
「十歳の時といいますと、殿下のお誕生日を祝してのパーティがございましたね」
「ああ、それだ。ケーノの言ったそのパーティが、俺とヘスティシアの初対面だった。パロットに引き取られて三ヶ月ほどだったそうだが、その間に基本的なマナーは覚えてしまったそうだぞ」
そこまで言ってしまってから第一王子は、目の前にいる男爵令嬢をじろっと睨みつけた。ぽかんとしたままの彼女に、言葉を投げつける。
「カジャック男爵令嬢。そなた、カジャックを名乗って何年になる? 十歳のときにたった三ヶ月で基本を覚え、許しもなく人を名で呼ぶことなどしなかったヘスティシアに、敵うと思っているのか。男爵家に必須の知識やマナーが、公爵家のそれより難しいとは思えないが」
「え、あ、な」
「自分が平民として生まれ、育ったヘスティシアが生まれながらの公爵令嬢、などと口にするはずがない。事実であると言うならば、その証拠を持ってくることだ。なんなら、ここに署名してある『証人』を連れてきても構わん。無論、偽証であればそれなりの処罰を覚悟してもらうことになるが」
「ひい!」
鋭い視線と、鋭い言葉。その二つを突きつけられてメロリアは、悲鳴を一つ上げるとばたばたと走り去っていった。
ばたん、と威勢よく閉じられた扉には目もくれず、ザイアン王子は残った三名の青年たちに視線を向ける。先ほどと同じように、王子の目に温度はない。
「そなたらを側に置き、いずれは側近として重用するつもりだったが……たかだか一人にこのように手玉に取られてはな。考え直すことになりそうだ」
「そ、それはその」
「あまりに愛らしかったので、そのう」
「マナーがなっていないのも、元平民であるからだと」
「そなたらの言い訳が言い訳になっていない、と何度も言わねばならんのか。やはり、無理だな。何しろ」
あわあわとどうにか取り繕おうとする三人から視線を外したザイアン、彼の口から大きなため息が吐き出される。
そうして、王子はきっぱりと言ってのけた。
「あの男爵令嬢と我が愛しのヘスティシア、そもそも同じ立場であったことが分からぬ時点でそなたらの見る目は濁っているからな」
さて。
実際のところ、パロット公爵令嬢ヘスティシアがカジャック男爵令嬢メロリアを貶める発言をしたという事実はなかったという調査結果が出た。即ち、メロリア及び証言者たる数名の貴族子女は偽証を行ったことになる。
メロリア以外の偽証者は全て、メロリアに要請を受けたと答えた。曰く、彼女はザイアン王子とその側に仕えていた高位貴族子息及び教主嫡男の寵愛を受けている存在である故、彼らの不評を買いたくはなかったのだそうだ。
……側仕えたちはともかく、王子の寵愛などというものは全くなかったわけなので。
「ふざけるな! 俺の寵愛を受けるのはヘスティシアだけだ!」
報告を受けたザイアンの絶叫は、噂となり学園の隅々にまで広がったという。当のヘスティシア嬢は耳まで真っ赤になったとか、ならなかったとか。
メロリアは貴族籍を抹消され、小娘に誑かされた実子の愚かさに憤慨した教主の手配により修道院に送られた。ラグンも別の施設に送られ、国教の修道士見習いとして厳しい教育を受けることになる。
フラットとケーノはそれぞれ実家の後継者から外され、下っ端として一から教育され直すこととなった。教育の結果が目に見えるようになれば彼らの地位も見直されることとなるが、今はまだ分からない。
ザイアン王子とヘスティシア嬢は仲睦まじく、間もなく開催されることになる結婚式を心待ちにしている国民は数多い。
ついでに。
王立学園内談話室の一室、通称『王子の間』。
この個室で起きた一連の話が噂として流れ、新たなる通称が付けられたという。
曰く、『真実の間』と。
そなただけではない 山吹弓美 @mayferia
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