第26話大事なものは。前編
「悪い子……? お仕置きだと……? この僕――大悪魔ヴェルゼバ様に、よくもそんな口を聞けたものだねぇ……!」
少年――ヴェルゼバは尻を押さえながらブツブツと呟く。
怒り心頭と言った顔だ。やれやれ、あのくらいじゃ反省しないか。
もっとキツくやらないとダメみたいだね。
「ご、ご主人様! ヴェルゼバと言えば魔界に古くから存在する大貴族、その中でも最大の軍勢を支配すると言われる大悪魔です! あの濃厚な魔力密度、激しいまでの魔力の奔流……間違いありません!」
急にメフィが騒ぎ出す。
「ここに現れたということは恐らく、このゴブリンたちも彼の軍勢の一つなのでしょう。すぐにここから逃げるべきです!」
「何言ってんのメフィ、あのまま放っておいたらあの子の為にもならないでしょ。子供ってのは、やって良いこと悪いことを何もわかっていないからね。それを正しく躾けるのは年上の仕事だよ」
実家の弟も相当なワンパク坊主だったが、私がかなり厳しく躾けたおかげで今はかなり大人しくなったものだ。
「~~っ! 勝手にしてください! 私は逃げますからねっ!」
そう言ってぴゃーっとメフィは飛んでいった。
「ふはっ! ペットにも逃げられてしまったねぇ」
「ペットじゃないよ。仲間だ」
「何でもいいさ。くくっ、それよりも僕を躾けられると言うなら存分にやってみるといい!」
ヴェルゼバが邪悪な笑みを浮かべ、地面を蹴る。
高速で迫り来るヴェルゼバ、その右手には黒い剣が握られていた。それに応じるべく私も銅の剣を抜く。
ぎぃん! と鋭い音が辺りに響いた。衝撃波が巻き起こり、周囲の石や埃が吹き飛ばされる。
そう、別にいい。こいつの戦力はかなりのモノだ。巻き添えを喰らうかもしれないからね。
「へぇ、そんなゴミ武器で僕の黒死刃を防ぐとは、大口を叩くだけはあるじゃないか」
剣を仰け反らせながら、ヴェルゼバは嗤う。
その視線の先、私の持つ銅の剣には大きな傷が入っていた。
「私の銅の剣が……!」
「魔力を込めて強度を増したようだけど、元の剣がそれではどうしようもないだろうっ!」
繰り出される斬撃の嵐を何とか防ぐ――が、そのたびに銅の剣は欠けを増やしていく。
切っ先に、根元に、刃身に、瞬く間にボロボロになっていった。
「くっ……人の大事な物になんて口を……っ!」
「後生大事にするような剣とは思えないがね!」
気づけばヴェルゼバのもう片方の手に、魔力が集中している。
魔術だ。私もそれに対抗すべく術式を展開する。
「『滅牙断衝』」
放たれた黒い衝撃波を、咄嗟に生み出した『火球』で迎撃する。
しかし、相殺し切れず漏れた衝撃波に吹き飛ばされた。
「アゼリアっ!」
どぉん! と、そのまま石壁に叩きつけられた。
もうもうと立ち昇る土煙を払って立ち上がろうとして、気づく。
「あ……私の、剣が……!」
先刻の一撃で銅の剣は真っ二つに折れていた。
支えにしていた腕も余波を受け、ズタズタになっている。
「はーっはっはっは! 偉そうな口を叩いてそのザマとは、ざまぁないねぇ! だがまぁ、この僕を相手にして、結構やれた方だとは思うよ? 普通はここまで戦えはしないと思うからさぁ。せいぜいあの世で誇るがいい――」
ヴェルゼバが言いかけた、その時である。
「か、勘弁して下さいませヴェルゼバ様! 我々とて貴方様に逆らうつもりはありません!」
突如、飛び出してきた老ゴブリンが即座に頭を地面に擦り付ける。
「そもそも我ら一族は貴方様の言う通りにしてきたではありませんか! 我らの食い扶持まで減らして言われるがままに大量の食物を捧げてきた……それでも足りぬから危険を冒して野菜を盗み、仲間同士で共食いもして、そうしてやっと生き繋いでいたのです。飢餓で死ぬものも多数いました。ですがこの方々は我々を救おうとしてくれている。このイモが育てばもっと貴方様にもより多くの食料を届けられるかもしれないのです。どうかお慈悲を……!」
しかしヴェルゼバは冷たい目でそれを見下ろすと、一笑に付した。
「おいおい、何を言っているんだ? それこそがまさに僕に逆らう行為じゃあないか」
「は……どういうことですか?」
「つまりさ、君たちを飢えさせることこそが僕の望みなのだよ」
ヴェルゼバの言葉にその場のゴブリンたちは耳を疑ったかのように目を見開く。
「君たちゴブリンは我が軍勢の中でも最弱、全く以って恥ずべき存在だ。しかしいつまでも弱いままで満足されては困るんだよ。故に僕は君たちに大量の供物を要求した。厳しい環境においてこそ種は進化する。互いの肉を喰らってでも、君たちは強くなって欲しかった。これは愛の鞭というやつなのだよ。そんな僕の思いを裏切ろうとしたんだ。許せるはずがないか」
「で、ですが我らとて懸命に……」
「懸命にだって? 世の中は結果が全てだ。過程に意味などない。……全く、そんなことを言っているから弱いままなんだよ? 言っておくが君たちに目指して貰うのは、このレベルだから」
ぱちん、とヴェルゼバが指を弾くと共空間が歪んだ。
そこから現れる巨体の魔物、魔物、魔物……
「ミノタウロス……? それにオーガですって……」
「おいおい、トロールにガーゴイルまでいるぞ……」
「こ、これがヴェルゼバ様の軍勢……!」
ぞろぞろの出てきた魔物の群に皆は息を呑む。
どれもこれもゴブリンとは比べ物にならないような巨体ばかりだ。
「ゴルルル……」
魔物たちは唸り声を上げながら、ヴェルゼバに傅く。
「見たまえ。僕の軍勢でも選りすぐりの者たちさ。この力強さ、美しいまでに鍛え上げられた体躯……実に素晴らしいだろう?」
うっとりとした顔で自らの呼び出した魔物の群を眺めていたヴェルゼバだが、ふと何かに気づいたように頷いた。
「……あぁでもそうだね。よく見れば彼らと君たちとでは比較にもならないな。鍛えてあげようにも、根本から違いすぎる。無茶振りというやつだったのかもしれない。……うん、僕が間違っていたよ。これ以上君たちに期待するのは時間の無駄というものだ」
「は……はぁ……?」
「だから、いいんだよもう。用無しというやつさ」
いけ、とヴェルゼバが呟くのと同時に、魔物の群は一斉にこちらを向き直った。
「バオオオオオオ!」
咆哮を上げながら、魔物の群は突進してくる。
その大声量に雰囲気に飲み込まれていたレジーナらがハッと正気を取り戻した。
「キリア、前を任せるわ! 後衛は任せて。……『炎烈火球』っ!」
「うおおお! レジーナさんには指一本触れさせん!」
魔物の波に潰されぬよう戦うレジーナとキリア。
巨大な魔物相手に一歩も譲らない戦いぶりだ。それでも相手は多数、その上味方となるはずのゴブリンたちは狼狽え、ただ無為に数を減らしていくのみである。
「みんな!」
「おっと、まだ動けるのか」
駆け付けようとした私の眼前でヴェルゼバが嗤う。
ぎぃん! と折れた銅の剣で受ける。
しかし既に剣身は折れており、魔力で強化してようやく役割を維持出来ているに過ぎない。
「ぐ……っ!」
「ふははははは! 惨めだねぇそんなボロ武器に頼らざるを得ないとは! さぁ死ね! すぐ死ね!
早く! 早く! 早く!」
打ち込まれるたびに剣の傷は、ヒビは大きくなっていた。
レジーナたちの方からも苦戦の声が聞こえている。
くっ、このままでは――
「喝ッッッ!」
そんな中、ひと際大きな声が響く。
「狼狽えるな者ども。これは生き残る為の戦いぞ!」
そう言い放つ老ゴブリンの肉体は、気づけば二回りは大きくなっていた。先刻までの姿が嘘のような筋骨隆々の身体、鋭い顔つき。
「武器を取れ! 敵を倒せ! 我らが強さをとくと見せつけよ!」
手斧と盾を構え、いつの間に斬り落としたのか、手には魔物の首が握られている。その姿はまさに戦士であった。
「戦え!」
「ギィィアアア!」
老ゴブリンの号令でゴブリンたちは奮い立つ。
一体では叶わぬ相手にも、それ以上の数で立ち向かっていく。
レジーナ、キリア、老ゴブリンを中心に円陣を組み、対抗しているのだ。
しばしそれを眺めていたヴェルゼバだったが、すぐに黒い笑みを浮かべた。
「おい、何をしている? ――押し潰せ」
「バオオオオオ!」
咆哮を上げる魔物の群、急にゴブリンたちの攻撃が通じなくなった。
痛みを無視しているのだ。そういう魔術を使ったのだ。
「オオオオオオオオオ!」
どか、ばき、ぐしゃ、とゴブリンたちが蹴散らされていく。
「みんな!」
「人の心配をしている場合かな?」
どかっ! と不意の一撃をモロに喰らい、私は壁に激突した。
くっ、瓦礫が邪魔で起き上がれない……下手に動くと崩れそうだし。そろっとそろっと……
私が抜け出そうとしている間にも円陣はどんどん崩れていく。
三人もまた奮闘するが、死に至るダメージをも気にせず突っ込んでくる相手には分が悪すぎる。
組み伏され、動きを封じられてしまった。
老ゴブリンは懸命に顔を上げ、吠える。
「な、何故ですヴェルゼバ様! 我らは貴方様に尽くしてきた! なけなしの食糧も捧げてきた。その仕打ちがこれではあまりに――」
「ハッ、食料?」
老ゴブリンの言葉を遮って、ヴェルゼバが嗤う。
「君たちが寄越してきたのは屑肉や屑野菜ばかりだったじゃないか。あれを食料というのかい? とてもじゃないが碌に食べれたものじゃなかったから、仕方なく豚の餌にしてあげたよ、豚共は喜んで食べていたけれどねぇ。くはははっ!」
ゴブリンたちはヴェルゼバの言葉をただ黙って聞いていた。
握り込む拳は震え、噛んだ唇からは血が滲んでいた。
「確かに苦境に置かれることで成長を促すことは可能ね。――ただし無数の屍を以てして、だけれども」
「馬鹿な……それでは短期的には強くなる者が出てきたとしても、全体の数は減り続ける。そのまま滅びる可能性だってあるだろう。ゴブリンという種をそのまま消すつもりなのか?」
しかしヴェルゼバはレジーナたちの言葉を鼻で笑う。
「力弱き者はいつか滅びるのが世の定めだ。そもそもこの程度で絶えてしまうなら、それが運命だったということさ。何よりこの僕に逆らう方が許せぬ事だと思わないかい?」
ヴェルゼバは老ゴブリンからイモを奪い取ると、それを地面に投げつけた。
「あ……」
声を上げる老ゴブリンに構わず踏み潰すと、グリグリと踏み躙っていく。
「そ、それは我々の命! どうか、どうかそれ以上はお止め下さい! お慈悲を……」
イモは粉々に砕け、泥と一体化する程ぐちゃぐちゃになっている。
それでもヴェルゼバは止めることはない。
「こんな汚い物を喜んで食べていて、強くなれるはずがないだろう。もっと自分に厳しくなれ! 成長し続けろ! 諦めるな! 妥協するな! 強くなった暁にはより良い暮らしを保障してやろうじゃないか! 彼らのようにねぇ! わかったら――」
ヴェルゼバがようやく止まる。
止まるというか、私に視線を向けたまま固まっていた。
その顔からは初めて笑みが消え失せていた。
「それはダメでしょう」
そう呟きながら、私はゆっくり歩み寄る。
「人の大事な物を馬鹿にし、貶め、踏み躙る……そんなことは世界中の誰にだって許されませんわ」
気づけば口調はかつての私に戻っていた。
――以前、私は大事な物を、大事な気持ちを、大事な『物語』を親兄弟に否定され続けてきた。
心痛に病みかけていた私はついに爆発し、家族と大喧嘩の末に何とか和解して上辺だけは何とか健全な関係に戻りはしたものの、未だに心には深い傷を負っている。
それがなければ今の私はいなかっただろう。だけど許したわけじゃない。
今でも思い出すだけで心が燃えるように痛いのだ。それくらい傷ついていたのだ。家族ですらそうなのだ。
赤の他人にそれをされた彼らの心境は如何なことだろう。その気持ちを思えば、到底許せるはずがない。
「アゼリア……貴女、髪の色が……」
レジーナの呟きで気づく。
私を覆う魔力コーティングが剥がれていることに。
当然、こんな地下深くに月の光は届かない。
そうなった理由は一つ、私の溢れ出る魔力がそれを消失させていたのだ。それほどの魔力が溢れていたのだ。
驚愕に目を見開くヴェルゼバの瞳には私の銀の髪が、赤い瞳が映っていた。
「躾けの時間は終わりでしてよ」
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