第17話 逃げない
僕は戦場にいた。しかも、味方は自分ひとり。完全に敵地のど真ん中である。
ただし、戦場といっても――。
赤やピンク、黄色、クリーム色、白、黒などの布が舞う世界。華やかで、天国のような空間だった。
(居心地さえ悪くなければ、文句のつけようがない)
というのは、ここはランジェリーショップ。
「愛里咲さん、僕、来てよかったんですかね」
店員や他のお客さんの視線を気にした僕は、弱音を吐く。
「なにか不都合でもぉ?」
「いや、男が入るのよくないんじゃ」
「問題ないよぉ」
「そうなの?」
男が下着売り場に入るなんて、ラブコメ漫画だけの話だと思っていた。
「うみゅ。下着売り場のお姉さんが、SNSに投稿してたんだぁ」
「なんて?」
「『男性お断りなんてルールはないですよ(にこっ)』だってさ」
「なら、安心した」
甘い香りにクラクラしているのを隠して、大丈夫なフリをする。
「ただ、注意が必要でね」
「う、うん」
「『ルール的に問題がなくても、他のお客さまをジロジロ見たり、やたらと商品に触れたりしないでくださいね』と、そのお姉さんは言ってたなぁ」
「それはアカンだろ」
「詩音ちゃんなら大丈夫だと思って、連れてきたんだよぉ」
まだ1週間も一緒にいないのに、愛里咲さんは僕を信頼してくれる。
うれしいと同時に、責任も感じる。
「もちろん、変なことはするつもりないけど、僕、どうすればいいの?」
「普通でいいんだよぉ」
「普通にできたら苦労はないよぉ」
困っているのはガチだけど、空気を重くしたくない。それで、愛里咲さんの真似をしてみた。
「クスッ」
笑われた。
「詩音ちゃんにとって、ここは敵地なんだねぇ?」
「……ま、まあね」
意地を張っても見破られるだけなので、素直に認めた。
「どういうところが居心地悪いのかな?」
「だって、女性だけの空間だし。陰キャの僕とは世界もちがうし。こういうお店に男子が入るのってチャラいリア充か、ラブコメ主人公か、変態ぐらいじゃん。僕とは別の人種だと思うんだ」
「ふむ、ふむ」
つい饒舌に語ってしまった。
愛里咲さんは首を大きく振って、相づちをしてくれるから話しやすい。
「自分に似合わない空間に突然、放り出されたから、いづらいのかも」
モヤモヤしている感情が上手く言語化できた気がする。
たぶん自分ひとりだったら、『逃げたい』で終わっていただろう。
「ありさ、詩音ちゃんに試練を与えたんだよねぇ」
「えっ?」
まさかの発言にびっくりしてしまった。
「安心して。罰ゲーム的なノリじゃないから」
「わかってるけど……試練って?」
「詩音ちゃん、快適な空間から出たくないと思ってないかな?」
質問の意味がわからなかった。
「いつも『僕なんか、なんにもできない陰キャだから』とか言ってるじゃん」
「うん、カースト最底辺の人生だからね」
「そうやって、『ダメな人間なんです』って、自分を型にはめてるの」
いつもの愛里咲さんは甘いだけに、塩モードの言葉が胸に染みた。
「なにもできなくてつらいと言ってるでしょ?」
「う、うん」
「けど、自分が最底辺でいることに安心してもいる」
グサッ。
「ありさ、詩音ちゃんと暮らしてみて、詩音ちゃんの良いところをいっぱい見つけた」
「僕の良いところ?」
僕は愛里咲さんを全面的に信頼している。
一見すると毒舌だが、僕のためを真剣に考えているのが伝わってくるから。
「ありさを甘えさせてくれる。髪を撫でるのうまい。男子の割に料理もおいしい。洗濯もしっかりできるし、掃除もできる。ありさがいた家の旦那さんたちより、よっぽど家事スキルはあるよ」
「僕の家事スキルなんてたいしたことないし。学校でも評価されないし」
「そういうところだよぉ」
愛里咲さんは眉根を寄せる。
「ありさ、詩音ちゃんに自分を好きになってほしい」
「……ありがとね」
「そのためには、陰キャという安全地帯から抜け出す練習も必要なの」
「そうなの?」
「じゃないと、『自分はダメ』と思い込んで、自分が嫌いでいつづけるから」
言わんとしていることはなんとなくわかるが、なぜ下着なのか?
「それで、ここに?」
「うん。場違いなところに行っても、大丈夫だった。そんな経験をすれば、少しずつでも変わっていくから」
彼女の微笑が勇気をくれる。
「知ってる?」
「ん?」
「心理療法でね。わざと恥ずかしいことをする治療法があるんだよ」
「へえ」
「駅前で知らない人に、『あてぃくし、闇より使命を受けし光のお嬢様ですわよ』と声をかけるとか」
「……それは恥ずかしすぎる」
ガチな中二病か、お笑い芸人の度胸試しじゃないんだから。
「でね、中二病か、お笑い芸人だと思われるけど、通報まではされないのよ」
「たしかに」
「意外と大丈夫なんだって安心するらしく、不安を抱えている人に効果があるんだって」
「すごいな」
「あっ、良い子は真似しちゃダメだよぉ。やる場合は専門家の指示でやってね」
愛里咲さんの話をまとめてみると。
逃げちゃダメ。
逃げているかぎり、僕は変われない。
なら、恥ずかしさを乗り越えていけばいい。
「わかった。僕、普通でいる」
胸に手を当て、自分に言い聞かせる。
「やったぁ。これで、詩音ちゃんに下着を選んでもらえるよぉ」
愛里咲さんがはしゃいでいた。
「もしかして、僕に下着を選んでほしくて?」
「ソンナコトナイヨ」
「片言なのが怪しい」
首をひねりながらも、僕は愛里咲さんに感謝していた。
「じゃあ、ありさは選んでくるからぁ」
愛里咲さんが僕から離れていく。
愛里咲さんからの忠告もある。下手にキョロキョロするのは避けた。
かといって、スマホを出すのも危険だ。動画を撮っていると誤解される恐れもある。
することもないので、目をつぶって待機していたら。
「詩音ちゃん、どっちが好みかなぁ」
愛里咲さんが戻ってきたらしい。
目を開けると、愛里咲さんが何着か下着を持っていて。
「まずは、右の黒いのと、左の白いの?」
黒はすごかった。レースで透け透け。バラの模様も大人っぽい。大変エロい。
体付きは大人並みに成熟していても、甘えモードの愛里咲さんは幼い。
かなりギャップがある。ギャップの魅力をどう考えるか?
一方、白い方は清楚なオーソドックスなタイプ。学校モードの愛里咲さんが着けていても違和感はない。もちろん、甘えモードにも似合っている。
「白かな」
どうせ、愛里咲さんのことだ。着替えさせてとか言って、家で下着姿を見せてくる。ギャンブルはしない。
「ん。とりま、白ね。次は、黄色とピンク」
愛里咲さんに合うのはどっちか脳内でシミュレーションする。
「ピンク」
「じゃあ、紫とクリーム色の縞々」
「クリーム色の縞々」
「詩音ちゃん、安パイだねぇ」
エッチなのに手を出す度胸まではない。
「あらあら、若いって素敵だわねぇ」
「わたしも年下のかわいい彼氏に下着を選んでもらいたいなぁ」
近くにいたお姉さん方が僕たちに微笑ましい目を向けている。
愛里咲さんに手を引っ張られた。
「じゃあ、一緒に試着室へ行こ?」
「さすがに試着室までは無理だって」
「試着室の前で待ってて」
(あっ、そういう意味ね……)
勘違いして、恥ずかしい。
「じゃあ、少々お待ちを」
そう言って、愛里咲さんが試着室の中へ入っていく。
待つこと数分。
「お待たせ~どうかな?」
「う、うん…………きれいすぎる」
ピンクの下着。花柄の刺繍があって、かわいいに加えてエレガントでもある。ゴージャスなボディの魅力を引き立てていた。
「よし。思わず出た感想は本音だろうし、これで決まりねっ!」
愛里咲さんは満面の笑みを浮かべる。
この笑顔を見られたんだ。勇気を出して良かった。
「この下着で、詩音ちゃんに甘えちゃうぞ~❤」
「お手柔らかにね」
僕が返事をしたときだった。
「つか、愛里咲っちじゃん」
どこかで聞いたことのある声がして。
「そっちの彼は、詩音たん?」
彼女と目が合った。
「きゃぁぁっ! 良いもん見ちゃった☆」
クラスメイトの登場に、目の前が真っ暗になった。
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