第15話 アニメ映画を見よう

「さて、なにをしよっか?」


 食後。紅茶を飲みながら、僕は愛里咲さんに尋ねた。

 彼女は僕の腕にギュッとしがみつく。


「うーん、詩音ちゃんに甘えたいなぁ❤」

「それ、休日じゃなくてもしてるよね?」


 温かい紅茶にくわえ、ぷにぷにした弾力によって、体が火照っている。

 誤魔化そうとして、突っ込んでみた。


「時間があるんだし、ずぅーっと触れ合っていたいんでしゅ」

「はいはい、ありさちゃん、甘えっ子でちゅね」

「ばぶぅ」


 赤ちゃんプレイが始まってしまった。


 マジな話、1日中、ひっつかれていたら、我慢できる自信がない。まさか、押し倒すわけにもいかない。心身の限界を超えて、気絶するかも。

 当時に、これまでは学校に救われていたんだと実感した。


 数分は赤ちゃんに付き合ってから、提案してみた。


「映画でも見る?」

「うん。せっかくなら、アニメ映画がいいな」

「アニメ見るんだ?」

「普通に好きだよ」

「僕も。オタクと呼べるほど詳しくはないけど」


 受験勉強をきっかけに遠ざかってしまったが、中2までは、毎期30本ぐらいのアニメを見ていた。そこそこの数の作品には触れている。


 とはいえ、グッズを買ったり、聖地巡礼に行ったり、セリフを暗記するほどではない。オタクを名乗るのもおこがましいレベルだ。


「ありさも」

「ん?」

「オタクと名乗るレベルじゃないかな」


 さすがの愛里咲さんもオタクの世界ではトップではないようだ。オタク、怖い。


「だって、他人の家にご厄介になっておいて、テレビを見てると印象が悪いから」


 悲しい理由だった。


 落ち込んでいる場合じゃない。

 せっかく僕の家に住んでいるんだ。大人とはちがうことをしないと。


「愛里咲さん、うちでは好きなだけアニメを楽しんでね」

「詩音ちゃん、すこすこのすこ」


 ギュギュッと僕の胸板に自分の胸を押し当ててくる。


(そんなつもりじゃなかったのに)


「ちょっ、愛里咲さん?」

「詩音ちゃん、ホントに優しくて、素敵な人だよぉ」

「い、い……」

「いや、そんなことないよ」と答えようとして、思いとどまった。


 愛里咲さんは真剣な目つきだった。それを否定することは、僕を褒める愛里咲さんを下げるわけだ。


(謙遜って場合によっては、良くないんだなぁ)


 しみじみ実感していると。


「どう、少しは自分に自信が持てた?」


 僕の心を読んだかのように愛里咲さんが問いかけてくる。学校にいるときの優等生の顔だ。


「うーん、自信がついたかはわかんないけど、謙遜は相手を下げることもあるって気づけた」

「おっ、ありさの計画も順調だねぇ」

「そうなの?」

「だって、以前の自分を冷静に見られるようになったから、そう言えると思うんだよねぇ」

「たしかに」


 さっきの僕は余計な発言をする前に、思いとどまることができた。冷静に考えた結果、愛里咲さんを傷つけないで済んだ。


「なら、もっと甘えないと」


 愛里咲さんは僕の膝に座ってきた。

 お尻の感触に気を取られたら、下半身が反応しかねない。


 意識をそらさないと。


「愛里咲さん、急にキャラが変わるよね」

「切り替え早い方が、たっくさん甘えられるからねぇ」


 まさかの理由だった。


「ところで、アニメはなにを見る?」


 僕はテレビのリモコンを操作して、動画配信サービスの画面を映し出す。


「あっ、『夜の少女』があるっ!」


 愛里咲さんが叫んだ。


「『夜の少女』か。僕も気になってたんだよね」

「じゃあ、ポチッと」


 映画の再生が始まる。


『夜の少女』とは3年ほど前のアニメ映画だ。オタクだけでなく、一般層や大人の注目も集め、かなりの大ヒットを飛ばした。


 この作品の主人公は、不登校の男子高校生だ。いじめをきっかけに、昼間は部屋に引きこもり、ゲームを心の支えに毎日をやりすごしている。


 彼が置かれた境遇が他人事ではない。

 そのせいもあって、オープニングから物語に引き込まれていく。


 主人公の少年は夜になり、ゲーセンへ。

 そこで、ヒロインの少女と出会う。少女はどこか哀愁を帯びていた。


『ゲームのやり方を教えて』


 少女がいきなり話しかけてきた。


『えっ?』

『ゲームをするの初めてだから、教えて』

『うん。どうせ暇だし、いいよ』


 主人公は初心者相手に手加減をするつもりで、格ゲーをすることに。

 ところが、少女は操作を覚えるや、いきなり少年に勝ってしまった。

 油断していたのもあるが。


『君、やるね?』

『うん、だって、天才だもん』

『なら、本気を出さないとな』


 少年と少女は格ゲーの対戦にのめり込む。ハイレベルな戦闘のすえ、少年が勝利を収める。


『対ありでした』

『あなた、強いのね?』

『ゲームしか能がない男だし』

『ってことは、ゲームなら能があるんでしょ? すごいなぁ』


 呆気に取られる少年。複雑な心理描写が声優の神演技と、精細な絵によって表現されていて、驚嘆した。


『あたしは夜の人間。夜なら会えるかも』


 以来、少年と少女は夜に会って、ゲームを中心にいろいろな遊びをした。

 少女はほとんどの遊びを知らない。少年が優しく手ほどきをしてばかり。


『接待プレイも悪くないなぁ』


 とか言いつつも、すぐに少女に追い抜かれるのだが。

 やがて、少年は自分の人生に希望を持ち始める。


『ねえ、僕、昼間、出かけられるようになったんだ。昼に会ってくれるかな?』

『ごめんね、無理なの。だって、あたしは夜だから』


 じつは、少女は夜を司る存在だった。昼間は寝ていて、夜にしか動けないという。


『あたしが昼に動いたら、世界から夜が消える。それだけはダメ』


 愛里咲さんは少女のセリフに鼻をすすっていた。

 僕はティッシュで彼女の顔を拭く。


 クライマックス。少年は少女とともに夜の世界で生きていくことを決断する。


 昼間から夜に変化していく街の景色が描かれる。赤く染まる空の色づかいと、光の加減は見事としか言うほかなく。


 夕暮れ時、輪郭がぼんやりとした少年と少女が抱き合う姿に、僕まで泣いてしまった。


 映画が終わると。


「うぅぅっ、よかったよぉ」

「やっぱ、僕、この監督、めちゃくちゃ好き」

「ありさも」


 ふたりして抱き合いながら、感動を共有する。

 余韻にひたること30分。その間、ひたすら愛里咲さんの背中をさすっていた。


 気づいたら、お昼をすぎていた。


「ごめん、なんか作るね?」

「詩音ちゃん、このまま出かけない?」

「えっ?」

「せっかくの休みに家事をしてもらうの悪いし」


 甘え担当とは思えない発言だった。


 愛里咲さんは契約で甘えている。本当はしっかりしている。たまに素が出るのかも。

 その割に、堂々と抱きついてきたり、肌を見せたりするのは謎だけど。


「それに、必要な物も買いに行きたいもん」

「ごめん、僕も気になってたんだ」


 スポーツバッグと学校のカバンだけを持って我が家に来た愛里咲さん。うちにあるものを貸して、最低限の生活をしてもらっていた。


「じゃあ、出かけるか」

「わーい、デートだぁ。デートだよぉ❤」


 やっと僕の膝から降りた愛里咲さんは、ぴょんぴょん飛び跳ねる。胸が縦に弾む。


「あっ、僕は支度してくるから」


 危険物質から目をそらし、自室に戻った。

 別の意味でもドキドキしていた。


(って、デートって言わなかった?)


 大変な事実に気づいて。


「えぇぇぇぇっっっっっっっっっっっっっっ!」


 思わず叫んでしまった。

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