第10話 これからもいっぱい甘えるからね

 風呂から上がった僕は疲労困憊していた。


(元気になったんだけどさ、別の意味で)


 一条さんを寝室に案内したし、後は寝るだけ。

 まだ月曜日なのに、めちゃくちゃ疲れている。1日の密度が濃すぎて、10年ぐらいに感じられたのだ。


 夜10時少し前。寝るには早い。が、気力も湧かず、ベッドに潜り込む。


 1分もかからずに睡魔が襲ってくる。

 うとうとしていたら――。


「お邪魔しまーす」


 耳元で女の子の声がして、布団がめくり上げられ。

 背中に温もりを感じた。


「$(#%!」


 意味がわからず、跳ね起きた。


「な、なにをしてるのかな?」

「なにって……ありさ、ひとりじゃ寝られないもん」


 お風呂に続き、寝室までも。


 答えはわかっているので、理由も聞かない。

 どうせ抵抗したところで、言いくるめられるだろう。疲れて、抵抗する気力もない。


 それでも、いちおうは警告しておく。


「僕と一緒に寝るって危険なんだよ」

「詩音ちゃんのこと信じてるもん」


 迷いもなく言い切った。


 それにしても、今日まで会話をしたこともない陰キャを、ここまで信じるなんて……。


(ちょっと理解できないんだよなぁ)


 漫画やアニメの世界だったら、初対面のヒロインが盲目的に主人公に尽くす展開はあるかもしれない。


 しかし、僕が生きているのは現実だ。


 現実は厳しい。

 さまざまなことに失敗し続けてきた僕にはわかる。

 都合がよすぎる、と。


(天才巨乳美少女が、僕の背中に胸を押しつけてるんだぞ)


 契約もあるとはいえ、さすがにやりすぎだ。


「詩音ちゃんの背中、温かいし、頼りがいがあるよぉ」


 子どものように無邪気なので、疑いたくはないけれど。


「なんで、僕なの?」

「また、それ~。ホントに詩音ちゃん、自信がないんだからぁ」

「そりゃ、陰キャの思考が染みついてるからな」

「じゃあ、ありさも張り切って甘えないとね」


 そう言うと、一条さんは。


 ――むぎゅ、むぎゅ。


 背中に当てられた兵器が動いた。互いの足も絡まっている。


「僕、一緒に寝るのを認めたわけじゃないんだけど」


 悪あがきをしてみる。


「ありさの寝技から抜け出せるかな?」

「寝技?」

「ありさ、柔道もできるから」

「柔道部の助っ人で試合に出たんだったよな?」

「なんで、知ってるの?」

「学校で話してるの聞いたから」

「えへっ、詩音ちゃん、ありさに興味持ってくれてたんだぁ。えへへっ」


 言えない。たまたま聞こえただけなんて。


「まさか、柔道の全国大会優勝者に勝った一条さんが、こんな子だとは思わなかったけど」

「なぜ、説明セリフ調なのかな?」

「一条さんのすごさをアピールしただけ?」


 気づけば、からかっていた。

 信じられない。陰キャ代表の僕が、雲の上の存在をいじるなんて。


「ありさ」

「へっ?」

「一条さんじゃなくて、ありさ」

「えっ?」

「一条さんと呼ぶのは、他人行儀すぎなんですぅ」


 僕は彼女に当たらないよう注意して寝返りを打つ。

 一条さんは頬を膨らませていた。


「もしかして、名前で呼んでほしいの?」

「ありさには甘える権利があるのです。えへんっ」


 胸を張って言うことなのか。というか、胸を張られるのは、対応に困る。胸同士が触れないよう気を遣うのが大変なんだ。


「でも、名前呼びは……」

「あーんにお風呂、添い寝までしておいて、恥ずかしがるなんて、かわいいんだからぁ」

「うっ」


 たしかに、僕たちはいろいろとすっ飛ばしている。


「それに、ありさを名前呼びするなんて、詩音ちゃん、陽キャみたいだよぉ」

「たしかに、名前呼びは陽キャって感じだもんな」

「自信満々な人たちの行動を真似れば、詩音ちゃんも自信がつくかもよ」


 一条さんが言うからには、心理学的な根拠でもあるのだろう。


「わかった。あ、あ、愛里咲さん」


 噛みつつも、本日最後の難題をクリアした。


「噛み噛みな詩音ちゃん、初々しくて、ちゅき❤」


 僕の首筋に頬ずりをしてくる一条さん。いや、愛里咲さん。


(『ちゅき』は冗談だよな⁉)


 契約上、甘えを強調するための『好き』であって、恋愛的な意味はないはず。

 勘違いしたら、お互い不幸になる。胸の高鳴りを必死におさえた。


「まあ、イントネーションが『ありさ』じゃなくて、『愛里咲』なのは引っかかるけど、許しましょうかねぇ」


 愛里咲さんは小悪魔的な笑みを浮かべた後。


「ふぁぁ~」


 小さな口でかわいらしいあくびをする。


「そろそろ、寝ようか?」

「そうだねぇ…………あっ、お休みのキスしてぇ」

「き、き、き、き、キシュ⁉」

「騎手じゃなくて、キスだよぉ」


 クスクス笑われてしまった。


「なら、機種にする」


 キスは無理なので、はぐらかそうとする。


「焦っちゃって、かわいいなぁ」

「うぐっ」

「キスじゃなくって、頭を撫でてくれたら、いいよぉ」

「だったら、いいか」


 シャンプーをかけて間もない銀髪から良い香りが漂ってきて、心が安らいだ。

 愛里咲さんの感触と、芳香に誘われるまま、僕は眠りに落ちた。



 5月中旬の朝陽が窓から射す。最近、梅雨みたいな天気が続いていたけれど、久しぶりさわやかな陽気だ。


 いつになく、すがすがしい気分で目が覚めた。


 なんだか手のひらにも多幸感がある。

 スポンジのような、マシュマロのような。


(いや、現実に存在する物体では説明できないな、この触り心地は……)


 人類を争いのない平和な世界に導く、究極のマジックアイテムかもしれない。


 手のひらを閉じたり、開いたりしてみる。手のひらに収まりきれないほど大きいようだ。


「ふぁんんっ❤❤」


 女の子の艶っぽい声がして、ハッとした。

 僕、一条さん、愛里咲さんと同居していて、一緒に寝たんだった。

 おそるおそる目を開くと、想像通りの事故が起きていた。


(そりゃ、幸せになるわけだよなぁ)


 困惑していたとき。


「ふぁ~よく寝たぁ」


 愛里咲さんの目が開いた。


「詩音ちゃん、あいかわらず良い男だねぇ」

「お、おはようございます」


 どうやら、さっきの事件はバレてないらしい。


「詩音ちゃん、ギュってしてぇ」

「はい、喜んで」


 いけないことをしてしまったし、素直に応じよう。慰謝料代わり的な。


「詩音ちゃん、これからもいっぱい甘えるからね」

「う、うん。ま、任せて」


 愛里咲さんの銀髪に朝陽が注ぐ。

 彼女に笑顔でいてほしくて、僕は彼女を抱きしめた。

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