第7話 天才、ダメな子になる
「詩音ちゃん」
「ん?」
「ありさの頭を撫でた感想は?」
「ぶはぁぁっ⁉︎」
(なんて答えるのが正解なんですか?)
『かわいかった』とか言ったら、セクハラになりかねない。
かといって、一条さんは期待のまなざしを向けてくるわけで。そっけない態度も良くない気がする。
悩んだすえに正直に答えることにした。
「まるで、シルクのようになめらかだね」
ただし、万が一を考慮した。文学的な表現ができればよかったけど、逆にキモい可能性もある。
「うれしいなぁ~えへっ」
超絶かわいい生き物なんですが。
彼女の態度を見ていたら、あんまり悩む必要はなかったかも。
「他には?」
「ほかに…………うーん、そうだなぁ」
女子をハグしたまま、髪を撫でるなんて生まれて初めて。無我夢中で、詳しい感想なんて考える余裕はなかった。
今、一条さんは僕の前の席に移動している。
距離と時間が離れて、少しは冷静に振り返られる。目を閉じて、脳内で頭撫で撫でを再生してみた。
「あっ!」
つい叫んでしまった。
「はい、詩音ちゃん。答えをどうぞ~」
一条さんは握りこぶしを作ると、クイズ番組の司会者のノリで僕の口に近づける。マイクに見立てているようだ。
「一条さんの頭を撫でてたら、自分にもできる仕事があるんだなって…………いや、ごめん。変態すぎるよね、あはははは」
「ぴんぽーん、大正解でーす!」
一条さんが僕の頭に手を伸ばし、よしよししてきた。
「えっ、正解?」
「そだよ~!」
「変態の間違いでは?」
「安心してぇ。変態じゃなく、正解だから。音もぜんぜん似てないよねぇ。クスッ」
笑われてしまった。
「ホントに詩音ちゃん、自分に自信がないんだねぇ」
「うっ」
「そういうところもかわいいなぁ」
彼女はクスリと微笑むと。
「じゃあ、もう一回、ありさの髪を撫でてみよっか」
銀髪をいじりながら言う。
「えっ?」
「撫でながら感じたことをストレートに言ってね」
こうなったら、自棄だ。
僕は一条さんの隣に座ると、頭のてっぺんに手を乗せる。
――ブルッ。
彼女は一瞬だけ身震いすると、にへらと満面の笑みを浮かべた。
「僕、ペットの面倒を見てるみたい」
「うふっ。詩音ちゃんの指、おっきくて、温かくて、気持ちいいよぉ。もっと撫でて」
「こう?」
「ふぁんっ❤」
一条さんの小さな口から甘い声が漏れた。上半身が震え、つられて豊かな双丘も弾む。
「一条さん、喜んでくれてる?」
「ありさ、どう見える?」
「めっちゃ、子猫みたい」
「う、うん、気持ち良すぎて……あぁんんんっ…………へんな声が出ちゃうよぉぉっ!」
童貞には刺激が強すぎる。
「だ、誰のおかげで、ありさ、変になっちゃったのかな?」
上目遣いを向けてくる同級生の破壊力がすごすぎて、表現のおかしさもどうでもよくなっていた。
というか、いろいろありすぎて思考力を失った僕でもわかる。
「この場には、僕しかいないよね」
「大正解でーす! 詩音ちゃんのテクニックと優しさに、ありさは落ちたのです」
一条さんは椅子をずらして僕から距離を取る。頭撫でタイムは終了のようだ。
再び、僕の前の席に腰を下ろすと、琥珀色の瞳をキラキラさせて。
「自分にもできる仕事があるって、実感できたでしょ?」
問いかけてくる。
「そうだなぁ。一条さんはペットで、僕がお世話をしていた感じだったんだけど」
「そうそう。ありさ、子猫ちゃんの演技をしてたもん」
「一条さん、演技までできるの?」
「ん。ありさ、小学生のときは子役してたの。ドラマや映画にも出たことあるんだよ~」
「マジか⁉」
子役経験者なら、かわいさしかない振る舞いも納得できる。
「ちょっと話題になったんだけど、途中でやめちゃったんだよねぇ」
「……」
「詩音ちゃん、自分はなんにもできないって言ってるけど、できることあるよね?」
子役の話は終わりらしい。
未練がないか、よほど嫌なことがあったか。どちらにしても、僕に詮索する権利はない。
「だって、ありさを感じさせたじゃん」
(……表現⁉︎)
頭を撫でて気持ちよくさせたと理解しておこう。
「たしかに、そ、そうだけど」
彼女の考えがわからない。
怪訝さを隠さない僕に向かって、一条さんは満面の笑みで答える。
「だから~詩音ちゃんがなんにもできないなんて、ウソなのです~。ありさの頭を撫でて、ありさを快楽堕ちさせちゃったからねぇ」
今度は表現も気にならなかった。
「頭を撫でるなんて誰にでもできるから、価値ないよ」
嫌な言い方だ。けれど、卑屈な人間なんだから仕方がない。
「詩音ちゃんは失敗を学習しちゃってるんだねぇ」
嫌われたと思ったのに、一条さんは気分を害した様子もない。
「詩音ちゃん、推測を言わせてもらうね。間違ってたら、怒ってね」
「ん、別に好きにすれば」
「詩音ちゃん、昔、なにかに失敗して、『自分はダメだ』って思うようになったんじゃない?」
「そうだよ。僕は昔から不器用だし、運動もボロボロ。たしか、4歳になっても、
「そうなんだぁ。よく腐らずに生きてきたね」
みっともない話をしても、優しく接してくれる。
「でも、失敗を学習しちゃって、諦めちゃってる」
「あのさ、さっきから『失敗を学習』って言ってるけど、どういうこと?」
「ごめん。学習っていうと、学校の授業とかの勉強を想像しちゃうよね?」
「うん」
「ありさの使ってる学習は、心理学用語なんだ」
どおりで、話が噛み合っていないわけだ。
「ものすごく噛み砕いて言うね。学習とは経験した結果、行動が変わることなんだ」
一条さん、本当になんでも知っている。
「つまり、恥ずかしい経験をした結果、『自分はダメ』という思考をするよう行動が変わってしまったの」
周りくどい言い回しに首を捻っていると。
「思考も行動の一種だよ」
「そうなんだ」
「もっと噛み砕いて言うと、ゲームで同じ行動を何度かしているうちに技を習得するようなイメージ」
「僕はネガティブ思考スキルを身につけたってわけね」
一条さんは首を縦に振った。
「そこで、『詩音ちゃん、ダメな人じゃないよ』と言ったら、どう思う?」
「うーん、そうだなぁ」
人に褒められた経験ないので、難問だった。想像して答えよう。
「『思ってもないことを言ってない?』とか、『そうは言っても、ダメなものはダメなんだよなぁ』みたいなことを思うかな」
「やったぁ。ありさの読みがあってたよぉ」
僕の気持ちを読み取っていた?
コミュ障には信じられない。
「15年の人生で染みついた価値観は簡単には変わらないんだよ。ちょっと人に褒められたぐらいで自信が持てるんだったら、癒やしの需要なんてなくなっちゃうよぉ」
僕の言いたいことを彼女が代弁している。
うれしくて、信じてみたくなった。
「そこで提案がありまーす」
「一条さん、なんですか?」
「ありさが家にいるときは、徹底的なダメっ子になりまーす。だから、詩音ちゃんがお世話をしてくださーい」
「なんですか、その提案は?」
「繰り返し、繰り返し、ありさを甘やかしているうちに、詩音ちゃんは自信に満ちてくるでしょう」
まるで、明日の天気を予報するような口調だ。
「数日後の予報じゃなくて、明日の天気予報だからね」
「う、うん」
「最近の天気予報を甘くみたらいけないよ」
外すつもりはないってことか。
しかし、天才のくせにバカみたいな案だ。
「プロの心理カウンセラーに聞いた話なんだけどね」
「うん」
「就職活動に失敗して、鬱った人に言ったんだって。『毎日、コーヒーを淹れて』と。で、その学生さん、母親にコーヒーを出してみた。すると、母親に、『あんた、このコーヒーおいしいじゃない?』と褒められたらしい」
僕は学生に自分の姿を重ねていた。
「それから毎日、コーヒーを淹れているうちに、自分にもできることがあると気づいたの。そして、彼はバリスタになりましたとさ」
「良い話だけど、たまたま彼に才能があっただけで――」
「後になって、カウンセラーが母親と話したんだけど、『最初の頃、コーヒーはまずくもないけど、うまくもなかったわ』だってさ」
反論を封じられた。
嘘でもいいから褒められているうちに、自信が持てるようになった。そういう話だと理解した。
ここまでしてくれたんだ。もはや断る理由はない。
「わかった。一条さんの世話をすればいいんだね?」
「じゃあ、まずは、抱っこしてぇ」
ダメな子になると言ったけど、そこまで?
「よし、これで合法的に甘えられるぞぉ❤」
天使みたいな笑顔をされて、なにも言えなかった。
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