第5話 私が全力を尽くします

 このままでは同居する流れになってしまう。

 どうにか逆らいたくて。


「僕、どうせ人畜無害の陰キャだよ」


 ひねくれた発言が出てしまった。


(どんだけ、ちっぽけな人間なんだよ?)


 完璧すぎる一条さんに比べて、自分の存在が恥ずかしすぎる。微粒子レベルでも世の中にいてはいけない気がしてきた。


(一条さん、引いてるだろうなぁ)


 目を見るのも怖くて、テーブルの木目をぼんやりと眺めていたら。


「姫野くん、私、人畜無害の陰キャ……好きだよ」


 思ってもみない発言に、つい彼女の顔を見つめてしまった。

 アイドルばりにキラキラした笑顔を僕に向けていた。


(天使ですか⁉)


 高スペックで、性格もいいとは。

 陰キャを殺そうとしてくる。


(いや、待て)


 雰囲気に流されたら痛い目に遭う。

 たとえば、僕に気があると勘違いするとか。僕を励まそうとしているだけなんだ。好意があると思って、好きになったら、絶対に失恋する。


 冷静になった。

 すると、別の問題も浮上してきた。


 なんでもできて、性格も良い子との同居なんて、僕にはムリ。自分の惨めさが強調されて、余計につらくなる。


「だって、僕はなんにもできないからね」


 自棄気味に言うと。


「それはちがうわ」


 一条さんはすかさず首を横に振った。


「うちの高校に合格できる時点で、成績は優秀なはずよ」


 そう反論されたけれど、こっちは劣等生をこじらせていない。


「けど、入試の成績は50番台だよ。べつに、優秀じゃない」

「でも、300人中50番台なのよ。上位2割に入っているわ。普通に立派な成績だと思うけどなぁ」

「全然、たいしたことないよ。だって、みんな勉強だけじゃなくて、運動や音楽、絵をしながらじゃん。一方、僕はガリ勉で、やっと50番台だし」


 みんなが本気で勉強をしたら、下位に転落するだろう。

 高校に入学して、1ヶ月ちょっと。誰にも言えなかった不満が口をついて出た。

 一条さんはうつむいて、縮こまる。


「……ごめんなさい。また、私、ひどいことをしてしまいました」


 彼女の琥珀色の瞳に涙が浮かぶ。


 僕は自分の軽率さに気づいた。


 一条さんは才能を嫉まれて、住んでいた家を追放されたわけで。

 そんな彼女の前で、僕は優秀な周囲に対して卑屈な態度を取ってしまった。

 彼女を追い出してきた人を連想させる言動だったかもしれない。


「詩音、いたいけな少女を泣かすとは、最低じゃな」

「うっ」


 おじいさんにも怒られてしまった。


「こんな孫と暮らしたら、愛里咲ちゃんもつらいだろう」


 しかし、僕を責める声に優しさがあった。

 一条さんへの憐憫の情だけでなく、僕に対してのいたわりも感じられる。


 おじいさんは僕の悩みもある程度は知っている。

 とくに、両親との関係だ。


 うちの両親はいわゆるリア充で、仕事でも成功している。

 父は総合商社勤務のエリートで、今は海外で働いている。母も陽キャで、華やかな人。


 小さい頃は自慢の親だった。

 けれど、小学校の高学年になる頃には、僕はスクールカーストの最底辺が定着してしまった。最上位層に両親の姿が重なってみえて、両親が憧れでなくなった。


 だというのに。

 立派な親は僕の気も知らずに。

『もっと積極的に動かないと、なにも変わらんぞ』みたいにプレッシャーをかけてきて。


 中学に入った頃には、両親が苦手になっていた。


 一条さんは間違いなく、両親側の人間。

 彼女と同居したら、僕の居心地が悪くなる。そう、おじいさんは察したのだろう。


「じゃから、この話はなかったことに――」

「待ってください」


 ストップをかけたのは、一条さんだった。


「私、姫野くんじゃないとダメなんです!」

「えっ?」


 まさかの強い語気に、僕は驚いてしまった。

 なお、おじいさんはニヤけている。


「愛里咲ちゃん、本気でいいのか?」

「ええ。私にはわかりますので」


 一条さんは堂々と胸を張っていた。

 あまりにもすがすがしくて、彼女の笑顔がまぶしかった。


「姫野くんがこれまでの大人とちがうと」

「僕はなにもできない卑屈な人間なんだよ」


 言っていて、だんだん胸が苦しくなってきた。


「姫野くん、痛そうですね」

「ぐっ」


 見破られてしまった。

 僕の困惑にもかまわず、彼女はこっちに手を伸ばしてきた。


 僕の頬に指が触れる。

 初めての女子の感触に衝撃を受け、逃げることもできなかった。


「姫野くんの顔に悔しいって書いてありますよ」

「……」

「姫野くん、自分の価値を実感したいんですね」


 なんでもできる彼女は、心まで読めるのか?


 なにもできない僕は、自分にもと確認したかった。

 そのために、都内トップクラスの進学校を選んだ。合格すれば、勉強がことの証明になるから。


 入ってみて、後悔はしたけれど。


「当たりみたいですね」

「……」

「私と同居すれば、自分の存在意義を実感できますよ」

「ふっ。ですか」


 彼女が自信満々なので、つい笑ってしまった。


「『最高』って表現ですけど、景品表示法で禁止されますよ。誇大広告になるとかで」

「私が全力を尽くします。だから、が実現されたも同然。誇大広告にはなりません」


 一条さんは言い切った。


(そんな理屈ありなの?)


 僕は普通未満の高校生なので、法律的な解釈はわからないが。

 彼女のナチュラル笑顔には、信じてしまいたくなる強さがあった。


 まさに、カリスマだ。


 教室にいるような普通レベルの天才ならば、疑っていたかもしれない。

 しかし、一条さんは天才を超える天才。


「信じるよ」

「では、今日から姫野くんに尽くします」

「へっ?」


 尽くすと言われると、変な想像をしたくなる。


「姫野くんでしたら家庭崩壊のリスクもありませんし、夜のお世話を――」

「な、なにを言ってるのかな?」


 男子高校生の妄想がまさかの当たりだった。驚きと戸惑いを隠せない。


「うちに同居するのはかまわないし、僕も一条さんの力になりたいけどさ」


 慌てて話題を変えようとしたのに。


「ほんとにひ孫の顔も見られるかもな」


 おじいさんの方が早かった。僕をからかってくる。


「お邪魔虫のワシは退散するとしよう。それじゃな」


 おじいさんはニヤニヤしながら、リビングを出て行った。

 しばらくして、玄関のドアの音がする。本気で帰ったらしい。


(どうしよ? 同居することになっちまったよ)


 雲の上の存在とふたりきりになってしまった。しかも、自宅で。


(どうしろってんだよ?)


 こういうとき、なにを言ったらいいか陰キャにはわからない。


「すいません、おじいさんが変なことを」


 とりあえず、謝ってみる。


「もう、ダメぇ~」


 なにか変な音がした。

 テレビはついてないはず。近所の人が騒いでいるのかな?


「我慢できないよぉぉっ」


 もう1回だ。


 しかも、よく聞くと、2回とも一条さんの声だった。


 幻聴だろう。頬をつねってみる。

 痛みに襲われた直後だった。


 ――ふにゅ、ふにゅ。


 二の腕に究極的に柔らかい物体が当たって。

 オレンジのような甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「ひ、姫野くん、ありさをギュッとしてぇ❤」

「えっ?」


 一条さんに抱きつかれているんですが。

 起きたまま夢を見てるんですかね?

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