第4話 天才の災難

「おじいさん、同居って、どういう意味ですか?」

「詩音、おまえ、勉強得意なのに、同居の意味も知らんのか?」


 祖父に訊ねるや、ボケが返ってきた。


「そういう意味じゃなくて……なんで、一条さんと同居するのかな?」

「愛里咲ちゃんを守ってあげたいからじゃ」


 じいさん、堂々と言ってのけた。


 僕のおじいさんは小さいながらも会社を経営していた人だ。今は引退して、伯父に社長を譲っているが、現役時代はかなりのやり手だったと聞く。派手な接待と称して、夜遊びも盛ん。女性にもモテていたと聞く。


 今の口説くようなセリフも似合っている。

 僕にも遺伝してほしかったスキルだ。


(ってか、おばあさんが聞いたら、怒らないかな?)


「おい、詩音。愛里咲ちゃんが嫌なのか。けなげで、良い子じゃないか?」


 学校での様子を見ていれば、一条さんが良い人だとよくわかる。

 いや、待てよ。裏では腹黒の可能性もありうるのでは?


「一条さんが良い人なのはわかるから」


 思ったことを口に出せない僕です。そもそも、可能性で他人を疑いたくもない。


「けど、理由もわからずに同居と言われても、『はいそうですか』と言えないよ」

「それも、そうじゃな」


 おじいさんはうんうんとうなずくと、一条さんを一瞥する。


 おそらく、彼女のプライバシーに関わる内容なのだろう。

 自分の態度を軽く後悔する。かといって、理由は聞いておきたいし。もどかしい。


「お世話になるんですから、私の事情を話します」

「いいのかい? 詩音はクラスメイトなんだ。バラされたら困るんじゃぞ」

「姫野さん、信用できないお孫さんと私を同居させようとなさるんですか?」

「痛いところを突かれたわい」


 こういうとき、どう反応したらいいんだろうか?

 なんと言えばいいかわからず、テーブルをじっと見つめる。


「詩音はどんくさくて、勉強以外にはなにもできない男じゃ。ワシや息子とは似ても似つかぬ陰キャでな」


 祖父にまでディスられる僕の無能さ。もはや最弱の域に達している。


「じゃが、心根は優しい奴じゃ。ちょっとした興味本位で、他人に害をなそうとする輩ではない。それだけは、ワシの全責任をもって、断言する」


 おじいさんは拳をテーブルに叩きつけて、言い切った。

 めちゃくちゃ恥ずかしい。


「それは学校での姫野くんを見ていれば、よくわかります」

「えっ?」


 驚いた。一条さんといえば、雲の上の存在だ。僕みたいな最底辺の人間を気に留めていたなんて。


(どこまで、すごい子なんだよ?)


 一条さんがまぶしいと同時に、僕は困惑した。


 万能なうえに性格まで良いなんて、余計に自分がちっぽけに見えてくるんだから。

 学校で接しているだけでもつらいのに。

 一条さんと同居までしたら、僕のなけなしのプライドは完全に壊れてしまう。


 自分勝手な都合だ。一条さんには申し訳ない。

 けれど、全力で断りたい。

 約束だから、理由は聞くけど。


「なので、私の秘密を打ち明けますね」

「は、はい」


 一条さんの瞳があまりに純粋で、とっさに答えていた。

 一条さんの期待に応じなきゃと思っていた。


「私、親がいないんです」

「親がいない?」

「ええ。中学2年のときに事業に失敗し、私を残して夜逃げしたんです」


 言葉を失ってしまった。

 なんでも持っている一条さんに重い出来事があったなんて、信じられない。


「愛里咲ちゃんの父親とはワシも知り合いでな」

「そうなの?」

「ああ。一緒に経営を勉強した仲じゃ」


 おじいさんがそう言うなら、本当なのだろう。

 それに、おじいさんと一条さんの謎の関係も理解できた。おじいさんの人脈は広い。経営者の知人は多くいるらしい。


「ここから先はワシが話す。愛里咲ちゃんも自分では言いにくかろう」

「すいません、お願いします」


 一条さんは額がテーブルに着くぐらい深く頭を下げた。


「遠慮しなさんなって」


 おじいさんは威勢よく胸を叩いてみせる。


(美少女の前で格好つけたがっているのか?)


「両親がいなくなった後、愛里咲ちゃんは叔母の家に引き取られたのじゃ。じゃが、愛里咲ちゃん、美少女だろ?」


 意地悪く僕に聞いてくる。陰キャには難易度が高すぎる質問だ。

 なにも答えられないでいると。


「おまけに、当時から発育が良くてな」


 つい胸を見てしまった。制服を持ち上げる膨らみは、ドカンとテーブルの上に乗っかっていた。気づかないフリをしていたのに。


「叔母の旦那が愛里咲ちゃんをエロい目で見ていたらしい」


(おじいさんのようにですね?)


 自分のことを棚に上げて、脳内で突っ込んでみた。

 一方、一条さんはうつむいている。白い肌が少し赤くなっている。天才にも羞恥心はあるようだ。


「結局、叔母夫婦の関係が悪化してな、愛里咲ちゃんは追い出されたのじゃ」

「ちっ」


 やるせなくて、つい舌打ちをしてしまった。


「さすがに、中学生を放っておくわけにはいかぬ。じゃから、ワシらの経営者仲間で、愛里咲ちゃんの面倒を見ることになったんじゃ」

「ええ。さきほど、和菓子屋さんにお世話になった話をしましたよね?」


 一条さんは僕の目を見て言う。

 そういえば、さっき和菓子の修行をしたと言っていた。

 そのとき、あれ……?


「和菓子屋さんも父とは経営者仲間でした」

「和菓子屋でも愛里咲ちゃんの美少女っぷりが災いとなってな。妻帯者のいる家に置くのは危険ということになったんじゃ」

「すいません、私のせいでご迷惑をおかけして」


 一条さんが悪くないのに、ペコペコと頭を下げる。


「その後、女性同士のカップルの家に行ったのじゃが。そこが生け花の家元でな、愛里咲ちゃん、家元をはるかに超える作品を作ってしまった。家元が嫉妬してな」

「そうなんですか」

「愛里咲ちゃんを追放したんじゃ」

「追放系かよ⁉︎」


 つい突っ込んでしまった。

 勇者パーティを追放されたとかいう創作物っぽい。


「生け花の家以外にも、行くところ行くところ、愛里咲ちゃんのスペックが高すぎて……」

「迷惑をかけてばかりなので、ひとり暮らしをしようと思ったのですが」

「ワシが保証人になってもいいのじゃが、そのまえに行くところがあるじゃろ?」


 おじいさんは僕を見て、にやける。


「それで、僕のところに?」

「詩音なら愛里咲ちゃんに手を出す度胸もないし、プライドもない。嫉妬して追放する真似なんぞせぬ」


 信用してくれるのはうれしいけど、期待には応えられそうにない。

 一条さんが近くにいたら、余計にきつくなるんだ。


 けれど。

 肩身が狭そうにしている一条さんは――。

 完璧な少女どころか、僕の同類に思えてきて。


「僕はいいけど」


 へたった。

 捨てられた子犬を捨てておく度胸は僕にない。


「ところで、父さんたちは反対しないの?」」


 それでも、同居を受け入れる勇気がなくて、親をダシにしてみた。


「それなら問題ない。『孫の顔を見せてくれ。できるものならな』と言っておったぞ」


 息子を煽ってくる我が父。完全に舐められている。

 どうにか粘ろうとして。


「一条さん、僕と暮らして、身の危険を感じないの?」


 一条さんの気持ちに訴えてみた。


「私にはわかります。姫野くんが安全な方だと」


 迷わずに言い切ったうえに。

 超絶美少女が上目遣いでねだってくる。完全に童貞殺しだ。


(外堀が埋められていくじゃん⁉)

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