第1章 陰キャの家に天才がやってくる
第3話 周りがすごいと落ち込むよね?
5月中旬。
なぜか今年は梅雨みたいな天気が続いている。そのせいで、気分が滅入ってくる。
6時間目、数学の授業。おじいさん先生の声も物憂げだった。
「じゃあ、今日の授業はここまで」
朝から誰とも話すことなく、放課後になってしまった。
僕が淡々と帰る準備をするなか、周りの生徒たちは会話を楽しんでいる。
たとえば、近くの男子は――。
「なあ、おまえ。警察官と剣道して、勝ったんだろ?」
「まあな。戦場を知ってる人は強かったけど、オレの方が上手だったわ」
「さすが、特待生はちげぇな」
「おめえだって、中学時代はテニスで全国2位じゃねえか」
「いやいや、1位じゃなくて、2位だし。自慢にはなんねえよ」
警官を倒した男と、全国2位。どちらもレジェンド級なのに、さらっと言ってのける。
運動がからきしダメな僕にすると、異世界の住人だ。
(場違いすぎるし、早く教室から逃げよう)
カバンをつかんで、席を立つ。
教室の出口に向かう途中、今度は女子の声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ、バイオリンのコンクールで優勝したんだって?」
「うん。おかげで、夏休みにウィーンへ行くことになったんだぁ」
「へぇ」
「向こうの先生が教えてくれるんだって」
今度は音楽で異次元の会話が繰り広げられていた。
僕が通う私立
都内有数の進学校でありながら、運動や文化活動にも力を入れている。支援が手厚いのもあり、多分野で才能に恵まれた生徒が通っている。
特定分野のトップクラスの人が、同じクラスに何人もいるのだから怖ろしい。
その中でも極めつけが。
「
「いえいえ、柔道は久しぶりなんです。あまり役に立てたかどうか」
「なにをおっしゃっているのです。愛里咲さまが対戦した人、去年、全国優勝したのですよ」
「あら、そうなんですね」
「愛里咲ちゃん、今度はうちの部も協力お願い」
「ソフトボール部ですよね?」
「うん、そだよ。去年は全国3位で、今年は優勝狙ってるんだぁ」
「でしたら、私が紅白戦に参加するのはどうかしら? 三刀流の私と戦えば、良い経験値になりますよ」
(三刀流だと……?)
ピッチャーと打者以外に、なにがある?
「でも、愛里咲ちゃん、少しは手加減してよねぇ。投げては完全試合、打っては全打席ホームランじゃ練習にならないし」
「……適度にがんばります」
勉強は学年1位。柔道とソフトボールでは、全国レベルを余裕に超えている。文武両道のうえに、容姿まで学校一の美少女との評判だ。
一方、僕は投げても打っても珍プレイしかできないわけで。
「はあ~」
一条さんの横を通りすぎるとき、思わずため息が漏れた。
(いや、一条さんだけじゃない)
自分以外のみんながすごすぎる。
なんで、僕はこんな学校に入ってしまったんだろう?
もちろん、志望動機はある。
中学時代、唯一まともにできるのが勉強だったのだ。だから、勉強を頑張った。とにかく、頑張った。
成績のよい学校に入れば、道が開けると思ったから。
しかし、目標の学校に来てみれば、この通り。完全に落ちこぼれている。
授業は普通についていけるが、そういう問題ではない。
平凡な僕と、才能を発揮する周囲の人々。人として違いすぎて、惨めさしかない。
入学して1ヶ月ちょっと。学校の選択を誤ったことを、早くも後悔していた。
身の丈に合った高校なら、ここまで卑屈な思いをしなくて済んだはず。
やるせない気持ちを噛みしめて、教室を出る。
外は曇り。沈んだ感情が、さらに落ちてくる。
家に着くまでの20分、数十回はため息をこぼした。
家の玄関を開ける。空気がよどんでいた。
ここ1年ほど、ずっと無人の家に帰っているので、すっかり慣れてきた。
商社勤務の父が海外赴任し、ひとり暮らしをしているのだ。
いつもは帰宅後に掃除と料理をする。今日は疲れて、やる気が出ない。月曜日だから憂鬱なのかもしれない。
制服のまま、ペットボトルのお茶を飲んでいたら、玄関のドアが開く音がした。
祖父だろう。
両親がいない間、祖父が僕の保護者になっていた。ときどき、様子を見に来る。
「おじいさん、いらっしゃい」
玄関まで迎えに行くと。
「おう、詩音、元気じゃったか?」
「う、うん、まあね」
おじいさんに心配をかけたくなくて、自分なりに元気よく答えたつもりだった。
「相変わらず、辛気くさいのう。わし、ひ孫の顔を見たいのじゃ。そんなんじゃ30すぎても童貞間違いなし。そのうち、大魔道士になるぞ」
おじいさんは悪い人じゃないけれど、ストレートすぎる。
無視してリビングに戻ろうとしたときだ。
「さ、お嬢さん。入って」
おじいさんが外向きの作った声で言う。
「それでは、お言葉に甘えて、失礼します」
どこかで聞いたことのある、女の人の声だった。
思わず、玄関の方を振り返る。
「「えっ?」」
彼女と声が揃ってしまった。
というのも、僕の家に入ってきたのは――。
「一条さん?」
同じクラスで、なんでもできる天才少女の一条愛里咲さんだったから。
「
僕が驚く一方。
一条さんは多少びっくりしているのだろうが、そこまででもなさそう。学校でクラスメイトと話すノリだった。
おそらく、姫野という名字で薄々察していたのかもしれない。
なんで、おじいさんが一条さんを連れてきたのか?
そっちの疑問の方が大きくなってきた。
「なんじゃ、ふたりは知り合いじゃったのか?」
祖父がニヤけていた。
数分後。我が家のリビングにて。
僕はお茶を入れていた。湯飲みを一条さんと祖父に差し出す。お茶請けは祖父が買ってきた饅頭だ。
「姫野さん、お饅頭おいしゅうございます」
「愛里咲ちゃん、わかるのか?」
「ええ。和菓子屋にお世話になっていたことがあり、お仕事をお手伝いしてましたので」
「愛里咲ちゃん、和菓子の修行まで」
「はい……ですが、奥様に不信感をもたれてしまいまして」
一条さんは言いづらそうにしている。
意外だった。万能の彼女が、僕と同じ種類の人間に見えたのだから。
「愛里咲ちゃん、けなげすぎるのぉ」
おじいさんが泣き出し、ハンカチで目を拭きだした。
なぜ?
「おじいさん、どうしたの?」
僕が尋ねると。
「決めた。愛里咲ちゃんの面倒はうちで見る」
「えっ?」
会話の流れがめちゃくちゃすぎる。そもそも、話の背景もわからない。まったく理解できない。
「とはいえ、うちで愛里咲ちゃんが暮らしたら、女房が勘違いする可能性もある」
「で、ですわよね」
僕に関係ない話だし、聞かないフリをしよう。
そう思ったのだが。
「というわけで、愛里咲ちゃんを息子の家に連れてきた。
ここで僕の名前が出てきて。
「詩音、愛里咲ちゃんと同居しなさい」
「へっ?」
(なにを言ってるのかな?)
しばらくして脳が事態を把握し。
「えっ、えぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっっっっっっっっ‼」
叫んでしまった。
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