第23話

 月曜日の朝。ネットサーフィンの徹夜が原因で深い眠りについていると、誰かから電話がかかってきた。重ったるい瞼を持ち上げようとするも、自分の身体とは思えないほど言うことを聞いてくれない。


 枕の近くに会ったスマホを暗転させると、時間は朝七時。


 誰だ、と恨み言のような呟きを心に仕舞って電話に出た。


『結人』


「麻奈さん?」


『違うわよ』


「桜花? いきなり電話してきてどうした」


『また平日に入れ替わっちゃったのよ』


 焦り口調で訴えてくる桜花に、僕は首を傾げた。


「僕に電話してきてもどうしようもないんだけど」


『それは分かってるけど、大学で何かあったときに一応来てもらえるようにってだけ』


 小さく息を吐いて納得の意を示した。


「今日の昼間にでも会う?」


『ううん。多分大丈夫。それじゃ』


 僕も「頑張れ」とだけ返して電話を切った。


 不意な入れ替わりは今までにもあった。そう考えれば別に珍しいものでもないのかもしれない。しかし何かが喉に引っかかっているような感覚がいつまでも消えなくて、首を掻いてみる。


 頭の隅に生まれた疑問に悶々としながら、月曜日を過ごした。




 重かった課題が終わって気楽に寝ていた火曜の朝。またしても着信音に眠い頭を叩き起こされた。時刻は七時きっかりなので別に常識外の時間ではないが、他人に目覚めを邪魔されるのはいつに限らず不愉快だ。


「はい」


『結人?』


「桜花?」


 ささくれ立った意識が一気に吹っ飛んだ。


「今日は火曜なのに、麻奈さんと入れ替わってないのか?」


『理由はわからないけど、今朝起きても私のままだった』


 麻奈と桜花の入れ替わりは麻奈の意思で行われていたはずだった。今まで二日連続で入れ替わることはなかったので、僕たちはてっきり二日以上は連続で入れ替われないと思っていた。


 頭が回りきらなくて言葉が出ない僕をよそに、麻奈は冷静に口を開く。


『とりあえず、今日の昼休みに会えないかな』


「わかった。すぐ行くよ」


『あと、陽介くんも呼んでおいて』


「どうして」


『できるだけ沢山の人で勝手に入れ替わった原因を考えた方が効率的でしょ』


「なるほどね。あとで陽介には連絡しておくよ」


『よろしく。じゃあ、また大学で』


 桜花が電話を切ると、僕の耳には無機質な機械音が繰り返し響いていた。忘れないうちに陽介にメッセージを送ってから一息つく。


 麻奈は、入れ替わりは二人の意思で行えると言っていた。それなのにどうして平日に桜花が現れてしまったのか。桜花がこの世界に居てくれることは嬉しいが、無秩序に現れるとなるとまた別の問題が起こる。僕と桜花のせいで麻奈の人生を乱すことは会ってはならない。


 大学に行っても、午前中は上の空だった。勝手に入れ替わった原因について、あらゆる仮説を考えては打ち消すという何の進展もない行為を延々と続けていた。昼になるのが待ち遠しいのか、まだ来ないで欲しいのか、自分でもわからなかった。


 終わりのない螺旋に囚われて睡魔の餌食になっていると、陽介に肩を叩かれた。


「もう昼だぞ。図書館に行くんだろ」


「うん」


 軽く流すような返事をした。今度は思いっきり腰を叩かれた。反動で身体が跳ね上がって椅子の上からずり落ちそうになる。すんでのところで机の端を掴んだ。


「痛いっての」


「じゃあ最初から返事しろよ」


「ごめん」


「……素直に謝るなよ」


 八の字に眉を寄せる陽介。どうやら思っていたよりも反応が薄くて面白くなかったらしい。しかし何をどうしろというのか。


「ほら、行くぞ」


 陽介は踵を返して講義室への外へと消える。僕も急ぎ足でその後姿を追いかけた。


 古今東西の書物が集う図書館には、世界各地の叡智が詰まっていると思う。しかし悲しいかな、僕の大学では利用する人はあまりいない。様々な論文が置かれたスペースならまだしも、大衆小説のスペースに人影はなかった。


 そんなことを考えながら、僕たちは本の森を通り抜けて図書館の奥へと向かう。日差しが差し込む窓際の席で桜花は腰を下ろして本を読んでいた。


「待たせた?」


「ううん、全然。今来たところ」


 初々しい男女カップルのようなやり取りを交わす僕と桜花に、隣の陽介が羨ましそうに睨んでくる。親友からの嫉妬は僕の中で優越感に変換されていて、むしろ心地良かった。


 男子二人で並んで桜花の向かい側に座った。最初に話を切り出したのは陽介だった。


「宮瀬さん……で合ってる?」


「うん」


 桜花は意気揚々と頷いた。


「で、結人からある程度は聞いてるけど、藤宮さんに戻れなくなったんだって?」


「そうなの。昨日から戻れないみたい」


 二人の会話に僕が口を挟む。


「京子さんにはなんて?」


「とりあえずこの身体にいるのが桜花だって説明しといた。すごくジロジロ見られたけど、たぶん信じてもらえたと思う」


 京子さんも知っていると聞いて少し安堵した。あとから説明するとなると面倒な事態になるかもしれないと思ったからだ。


 軽く話し合ったところで、ようやく僕から本題に入る。


「桜花には心当たりはないの?」


 顎に人差し指を当てて桜花は俯く。やがて首を横に振って顔を上げた。


「やっぱりない。わからない」


「結人が原因ってことはないのか?」


 陽介が尋ねてくる。


「僕が原因だったら少なくとも一つぐらいは心当たりぐらいあるって。本当にわからないんだよ」


「もしかして俺とか」


「それはない」「ないわね」


 陽介のボケに二人して突っ込んだ。僕たちが真面目に言い放ってしまったせいで場の空気が凍ってしまう。いたたまれない雰囲気に主犯の陽介は小さくなって縮みこまってしまった。


 置物と化した親友を置いて僕と桜花は話し合いを再開する。


「桜花でもなくて、僕でもないとなると、麻奈さんしかないんじゃないかな」


「そうかもしれない」


「桜花は何かわからない?」


「交換日記を読んでみても何も書いてなかった。こないだ平日に入れ替わった後に聞いてみたんだけど、分かんないみたい」


 ゆるゆると頭を振る桜花に、僕は肩を落とした。


 桜花が嘘をついていると思えなかったし、なにより日記の中身を確認する方法はなかった。麻奈が見せてくれないのに、桜花に頼み込んでも見せてもらえるとは思えない。聞くだけ無駄だろう。


 暗礁に乗り上げた二名と落ち込んだ一名が図書館の空気の一角を支配する。殊の外音楽の騒がしさは大事だなと思った。


 しばらくあれこれと議論を交わすものの、三人寄っても文殊の知恵は出てこなかった。


 これ以上話し合ってもどうしようもないということで、何の成果も得られないままでのお開きとなった。


 陽介や桜花と別れ、大学から家に帰る道すがら、頭にある情報を整理してみる。


 突然の入れ替わりに、僕と桜花に心当たりはない。一度目の不意な入れ替わりのとき、麻奈も心当たりは無いと言っている。もちろん京子さんが原因の一端を握っているとは思えないし、陽介なら尚更だ。


 考えれば考えるほど解決の糸口が遠のいている気がする。空に浮かぶ月は手に掴めそうな距離に見えるのに、いざやってみるとかすりもしない。そんな感覚だった。


 いつの間にか家に帰ってきた家の玄関を開け、馴染んだ我が家の空気に触れる。考えすぎで凝り固まった頭が溶解していくのを感じた。長いため息をついて着替えないままでベッドの上に横たわる。人目を憚らずに寛げるのはこれ以上ない至福かもしれない。少なくとも僕には。


 ここしばらく連勤気味だったスマホを机の上に放り投げる。翌朝だけは働かないように、電源だけは切っておいた。


 一通りの家事をこなして風呂に入り、本の散乱した床にため息をつく。


 今日中にすべきことをやり終えて、微睡みながら眠りについた。

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