第15話
「結人がやってることって二股だよな」
食堂で僕と陽介がサンドイッチを食べようとしていると、陽介が突然そんなことを言い出した。いきなりの爆弾発言に僕は吹き出してしまった。
気管に詰まった米にむせながら、涙目になって顔を上げる。
「いきなり何言ってるんだよ。僕が二股なんてするわけないだろ」
陽介は不満そうに「だってさ」と言葉を続ける。
「今の状況を振り返ると、結人は宮瀬さんと藤宮さんの二人と付き合ってるわけだろ? それって二股と変わりないだろ」
「二人で身体を共有してるんだから、どうしようもない」
「でもさ、それって言い訳にしかならないと思うんだよ。片方の人格が出てる日だけ会えばいいんじゃないか?」
「自分の意識が身体に宿ってない間に変なことをされてたら怖いだろ。だから僕が両方と話してお互いに問題が無いって伝えてるんだ」
少し苦しい僕の反駁に、陽介はコップの水を飲みながら眉を顰めた。心では納得していないものの、論理的には納得しているような、複雑な表情だった。しかし事実である以上どうしようもない。
束の間の沈黙に、僕は何も言わずご飯を頬張った。
陽介は米が山盛りになっていた器をドンと音を立てながらトレーに置く。
「やっぱり納得できねえ」
「僕に言われても知らないって」
「違う。結人がモテることだ」
僕は絶句した。
「どうして俺には彼女ができないんだ! 結人は二人もできてるのに!」
「大学の食堂で変なことを言うな。それに、僕が付き合ってるのは桜花だけで、麻奈さんは桜花との話で仲良くなってるだけだから」
「ダウト」
「嘘じゃない。諦めて信じてもらわないと困る」
少しずつ冷え始める僕の視線に、陽介はがっくりと肩を落とした。陽介に彼女もちというのは大きなアドバンテージを占めているようで、彼女もちの親友を前にして自尊心が大きく傷ついたようだった。
彼女ができない原因を僕に責任転嫁されても困るので、カツを食べながら目を合わせないようにする。
ちょうど食べ終わりそうなところで陽介が口を開いた。
「なあ」
「何?」
残り一粒の米を掻き込みながら尋ねる。
「もしもの話だぞ?」
「じれったいから早く言え」
「もし、宮瀬さんと藤宮さんのどちらかを選ばないとしたら、結人はどっちを選ぶんだ?」
箸を動かしていた手が止まった。
平日には麻奈と話し、休日には桜花とデートをする日常が僕の中では当たり前の光景と化していた。どちらかがいない生活なんて想像できないし、想像したくない。二人とも僕にとって必要な女性だ。
しかし、どちらかを選ばないとしたら。
「桜花だと思う」
「彼女だからか?」
「まあ。三年も離れ離れになってた彼女が戻ってきたんだから、今度こそ手放したくない。何があっても二度と失いたくない」
「おう……」
思わず真剣に話してしまった。陽介は真顔で語っていた僕を見て、目を見開いたままあからさまに反応に困っているらしくそわそわしていた。
「結人って意外と真面目なんだな」
「僕は元から真面目だぞ」
「桜花が居なくなってから魂を抜かれたみたいになってたくせに。俺はあの頃の結人も覚えてるんだぞ?」
にやける陽介に、僕は照れ隠しとして目を泳がせた。桜花が死んでいた頃の僕は散々なものだったと親や知り合いから聞いている。当時のことを自分では覚えていないのは、あまりにも悲しかったせいで記憶が欠落しているからだ。
「ここだけの話、担任の先生も結人が宮瀬さんの後を追わないか心配してたんだぞ」
「そんなことするわけないだろ」
「お前はそんなつもりはなかったのかもしれないが、三階の窓の外ばっかり見てる人間を見たら誰だって気に掛けるって」
「みんな揃って妄想が凄いな」
「それほどお前がひどかったってことだよ」
陽介は二杯目のコップに手を掛けて、冷たい水を一気に飲み干した。
「ま、桜花とお前が現在進行形で幸せなことはわかった。麻奈さんに嫌がられないように注意しろよ」
「いつも気を付けてるっての」
「ならばよろしい」
どこか上から目線な物言いで陽介が鷹揚に頷いた。
昼休みが終わり、僕たちは別々の講義を受けるために別れたのだった。
「どうしたの?」
俯いている僕を覗き込んで、桜花が首を傾げた。
「なんでもない。ちょっと気が抜けてただけ」
週末、僕たちは大学から電車で三駅離れた場所にあるゲームセンターを訪れていた。久しぶりにゲームをしたいという桜花の要望からここに来ようと決まったのだった。目を焼くほど眩しい筐体や、耳に響く音楽がエンドレスに流れているのはどこの店でも変わらない。
僕と桜花が出会ったゲームセンターもそんな場所だった。
「私が生きてた頃とゲームセンターも変わったなぁ」
「ゲームセンターが変わったというより、東京だから規模が大きくなっただけじゃないのかな」
「確かに、それあるかも」
誰でも思いつきそうな推察に、桜花は手を打って驚いていた。ちょっと抜けているのに勉強ができたのはどうしてだろう。ときどき僕はそんなことを考える。
桜花は僕の手を引きながら、光り輝くゲームたちの間を歩いていく。
「ねえ、何しよっか」
「メダルにクレーンゲームで時間的に丁度いいと思う。他のゲームまでは手が回らないかもしれない」
「私は音楽のゲームがやりたいな」
「三年経ってるから桜花の知らない曲ばっかりじゃない?」
「そういえば! そのこと忘れてた!」
弾んでいた桜花の足取りが一瞬重くなり、上がっていた口端が目に見えて下がった。
「これがジェネレーションギャップですか……」
「違うから。桜花は若いから」
「私、若い?」
「若い若い」
片頬を上げながら棒読みで褒めると、桜花が不満そうに睨みつけてきた。僕の考えはお見通しだったわけだ。
もしかすると、僕は彼女に嘘をつくことが苦手なのかもしれない。
ゲームセンターでメダル両替機の前に立ち、二人で何円分交換しようか考えていると、ふと目に留まる人影を見つけた。
「あれって陽介じゃない?」
「どこ?」
「ほら、向こうのクレーンゲームにしがみついている人」
「結構本気でやってるね。ちょっと見に行ってみようよ」
僕たちは筐体の影に隠れながら陽介の背後を目指す。スパイ映画のように身振り手振りで合図を送り合い、確実に陽介との距離を詰めていった。途中で店員に怪訝な目を向けられた時は一瞬焦ったが。
僕と桜花が背後に立っても気づかないほど陽介は熱中していた。その視線の先、プラスチックの板の向こうには、いくつもの美少女フィギュアが並んでいた。今期の人気アニメで見かけたことがあった。
「陽介」
僕が声を掛ける。陽介の身体が大きく跳ねあがった。
「結人⁉ 藤宮さん⁉」
「こんにちは」
なぜか淑女らしく腰を折って礼をする桜花。手元に口を当てて上品に笑ってみせる。
「牧村さんにこんな趣味がおありだったんですね」
「いや、違う。そうじゃなくて」
「ですが、必死にお取りになろうとしていらっしゃんたんでしょう?」
「藤宮さん、違うんだ!」
隠れ趣味で女性に変なイメージを持たれたくないのだろう。おろおろと戸惑う陽介の姿は見ていて滑稽だったが、少し可哀想な気がした。
「桜花、やめてやれ」
ため息混じりに言うと、知性を纏っていた麻奈が崩れ去って素の桜花の姿が現れた。
結人は目を見開いたまま固まってしまう。
「桜花なのか?」
「もちろん。結人の彼女の桜花です」
「俺を騙してたのか……」
大学の知人に見られたわけでは無いと知って、陽介は安堵で胸を撫で下ろしていたように見えた。少なくとも僕にはオタク趣味が露見しているのだが、僕への発覚は気にしていないらしい。
素に戻って快活な雰囲気の桜花は陽介に水を向ける。
「陽介ってどのフィギュアを狙ってたの」
「奥の右から二番目のフィギュア。銀髪のキャラのやつ」
「あのフィギュア、髪の色を変えると、なんとなく麻奈さんに似てるよね」
陽介が縮み上がった。
僕は親友の肩に手を置いた。
「好きだったのか」
「悪いか?」
「いや、全然」
「飲み会で見たときから一目惚れしてたんだよ」
勝手に心の内を暴露した陽介に、僕は何も言うことができなかった。麻奈さんはモテるタイプだとは思っていたが、いざ恋をしている相手を見てみると、なんとも言えない気持ちになる。
クレーンゲームを覗き込む桜花を横目に、適当な話題を考えて陽介に投げつける。
「中身は桜花と麻奈さんのどっちがいいんだ?」
「藤宮さん」
「僕は桜花だけど」
「知ってる」
気まずい雰囲気の僕と陽介。桜花は僕たちのことを気に掛けることなくゲーム筐体に硬貨を入れてクレーンを動かす。フィギュアの箱の側面に掛かったアームは箱を持ち上げることなく、音を立てずに滑って落下した。
桜花は悔しそうに地団駄を踏んでいた。
「陽介は僕と桜花が別れたら麻奈さんと付き合うのか?」
「そのつもり。当たって砕けろの覚悟でやってみる」
陽介はまっすぐな瞳で麻奈の身体を見つめていた。親友の本気がどれほどのものなのか、ひしひしと伝わってきた。
「結人、これ取ってよ」
数百円入れても手も足も出なかったのか、桜花が僕たちのほうを向いてそう言った。
「僕がやっても取れるかわからないよ」
「大丈夫。結人ならできるって」
「なんでそうなるんだよ」
「とにかくできるから。やってみて」
陽介に軽く手を挙げて、その隣を後にした。
桜花と入れ替わりでクレーンゲームの前に立つ。生前の桜花とのデート以来ゲームセンターに行っていなかったので、遊ぶのは三年ぶりぐらいだろうか。
百円硬貨を入れてクレーンを動かす。
目視で最適な位置を予想しながら、その場所にクレーンが向かうように繊細な操作を試みる。緊張で手が震えて狙った位置からわずかにズレてしまった。しかし狙いは上手くいった。箱に空いたわずかな隙間にクレーンの爪が刺さり、重そうなフィギュアの箱を安定して持ち上げた。
「すごい!」
「おお……」
僕のクレーン捌きに桜花は声を弾ませて、陽介は感嘆の声を漏らしていた。
箱に捕まっていたクレーンは穴に落ちる。陽介が求めていた麻奈さんに似ているフィギュアの箱が僕の手にあった。
「あげるよ」
「いいのか?」
「桜花に頼まれて取っただけだし、僕は要らないから。陽介の好きにして」
「ありがと。でも、取った分の金は返すよ」
差し出された百円硬貨を拒否する理由も無かったので、僕は大人しく受け取った。
「やっぱり結人はクレーンゲームだけは得意だよね」
「クレーンゲームだけってなんだよ。他に得意なことがあるに決まってるだろ」
「たとえば?」
「勉強とか」
「私よりテストの点数悪かったよね」
桜花に言われて僕は黙り込んだ。やたらと楽しい音楽が耳に障る。
しばらくして、意地の悪い質問をした自覚があったようで、桜花は「ごめんごめん」と謝った。
「結人のいいところは私がたくさん知ってるから」
恥じらいなくそんなセリフを言える桜花はやっぱり可愛いもので、僕の負の感情が溶かされていくように感じられた。
桜花は僕の態度が軟化したことに頬を緩めると、陽介へと顔を向ける。
「陽介くんはこのあと用事ある?」
「何もないよ」
「それなら、私たちと一緒に遊ばない?」
桜花の申し出に陽介は目を丸くした。すぐに第三者である僕のほうにも視線を動かして、参加の是非を尋ねてきた。僕は首肯しておいた。
少し照れくさそうに頬を掻きながら、陽介は口を開く。
「宮瀬さんがそこまで誘うなら、一緒に行くよ」
前向きな返事に桜花は頬を綻ばせた。
「じゃあ、早速三人で遊べるのゲームを探そうよ」
呑気に店内を駆け出していく桜花に男子二人で苦笑いをする。人混みに紛れてその後姿を見失わないように、僕も桜花の後を追う。
「陽介?」
振り返ると、陽介は足に根が生えたように立っていた。
僕が声を掛けると、その両眼を大きく見開く。
「ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「早く行くぞ」
「わかってるって」
僕たちは駆け足で桜花を探す。
振り返ったときに見た、フィギュアの箱を大事そうに撫でていた陽介が、脳裏から離れなかった。
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