第13話

 東京から二時間ほど電車で移動して、僕たちは紅葉で有名な観光地を訪れていた。


 昔の貴族が造った庭園らしく、枯山水や寝殿造の建物が整備されて今もきれいに残っていた。中学校の教科書に出てきそうだと僕は思った。


 タイミングを見計らって写真を取ることも忘れない。


 紅葉が舞う石畳を歩いていると、不意に桜花が身体を伸ばす。


「暇だねぇ」


「もうちょっと風流を感じたらいいんじゃないかな」


「私には無理だって。ナウでチョベリグな若者なんだから」


「わざと言ってるだろ」


「うん」


 鷹揚として頷いた。


 僕と同い年の桜花はそんなセリフが流行していた時代には生きていなかった。どこで過去の流行語を知ったのかは知らないが、麻奈の顔で言われると違和感だらけだった。


 桜花は池の鯉を眺めながらため息をつく。


 僕もその背中を見つめながらため息をついた。


「桜花が花火を見たいって言ったからここにしたんじゃないか。秋に花火をやってる祭りを探すのは苦労したんだよ」


 夏ならまだしも、秋に花火大会をやっている地域はあまりなかった。ネットを何時間も探してみて、ようやくこの市の秋祭りを見つけたのだ。


 二年ぶりに桜花に振り回されて苦労した疲れがどっと押し寄せる。


「まだ時間はあるんだし、ゆっくり色んなところを回ればいいじゃないか。僕はここの景色が好きだし、もう少し見て回りたいんだ」


「彼氏の趣味に付き合うのも彼女の仕事だもんね。わかった、一緒に見て回ろっか」


 桜花は池の端から立ち上がると、ジーンズの裾についた草を軽く払う。またも大きな背伸びをしてから僕と手をつないだ。


 僕の右手と桜花の左手が繋がると、お互いの体温が伝わり合う。


 どこまでも続く紅葉の道を僕たちは歩く。


「紅葉も散ってて、なんだかバージンロードみたい」


「本物は百合の花だけど」


「人の上げ足を取らないの。結人こそ雰囲気を大事にしなさい」


 ぐうの音も出ない正論に目を逸らす。さっきは自分が風流について説いていただけに、何も言い返すことができなかった。


「ねえ」


 桜花の呟きに、僕は手を強く握って反応する。


 小さな滝音が響く庭園で、桜花はぽつりと呟いた。


「私たち、結婚できるのかな」


 それは、僕が忘れようとしていた夢だった。三年前の事故の日に、二度と叶うことはないと諦めてから、一度も思い出すことがなかった。


 できる、と言うのは簡単だ。しかし実行することは難しい。


 言いあぐねている僕。黙っている桜花。


 主を失った庭園は完全に無音のままだ。鳥の鳴き声でもあれば気を紛らわすことができたのに。


「できる、と思う」


 中途半端な返事に、桜花が吹き出した。


「そこは言い切ってよ」


「……ごめん」


「謝ったらだめでしょ。そこは頑張るって言ってよ」


 先の見えない未来を憂う僕とは違って、桜花は太陽のように明るかった。猫背になっている僕の肩を強く叩いて活を入れてくれる。


「今から祭りデートなんだから、もっと元気出してよ。そんな元気じゃ帰る前に気力が枯れても知らないよ」


 桜花に言われて思い出した。さっきまでの僕は秋祭りを楽しみにしていたのだ。


 こんなところで暗い顔をしていても、桜花との時間を無駄にしてしまうだけ。


 体に残っている元気を絞り出して、空元気で笑ってみせる。


「秋祭りは存分に楽しむよ」


「さすがは私の彼氏! そうでなくちゃ」


 次の目的地を目指して、僕たちは広大な庭園を歩く。


 秋の澄んだ空は、どこまでも高かった。




 適当なところで休んだり、桜花が行きたいと言っていた着物のレンタルができる和服店に行ったりしているうちにあっという間に秋祭りの始まる時間になっていた。


 僕たちが河川敷の秋祭りの会場に足を運ぶ頃には、会場は人で埋め尽くされていた。老若男女が集っていて、着飾っている人もいれば普段着の人もいる。みんな思い思いの表情で祭りを楽しんでいるようだった。


「別行動すると会えないかも。桜花はスマホ持ってる?」


「持ってない。でも、二人で一緒に回ればいいじゃん」


 深い紫色の生地に金銀の糸で描かれた紅葉が描かれた着物を身にまといながら、桜花は顔を綻ばせた。屋台から漏れる小さな光に照らされる横顔はとても眩しくて、ちょっと恥ずかしかった。


 冷静さを見失わないように気を付けながら、適当に話題を逸らす。


「桜花はどこか行きたいところはある?」


「結人が行きたいところ」


 桜花は腕に手を回しながらぐっと胸を押し付けてくる。


「だからそういうのはやめろって」


「でも、好きなんでしょ」


「桜花だったらね。今は麻奈さんの身体なんだから、後でどうなっても責任は取れない」


「そっか」


 僕の予想とは違い、桜花はあっさりと腕に巻いた腕を外した。しかし手は外さないようで、僕たちの指先は絡まり合ったままだった。


 秋風が吹いて体の芯が冷やされる。けれど細い指先は暖かいまま。


「私たちって祭りに行ったことあったっけ?」


「なかったんじゃないかな。そもそも地元に大きな祭りなんてなかったし」


「そうだったっけ?」


「少なくとも僕は知らないな」


 桜花は首を傾げた。僕たちの地元は都市と田舎の中間みたいな場所で、中途半端に文化が混じりあっているのだ。形而上の祭りだけで、古くから伝わる大きな祭りは残っていなかった。


 二年ほど帰っていない故郷に思いを馳せていると、桜花に手を引かれる。


「ねえ、一緒にお面買わない?」


「お面?」


「ほら、あそこ」


 僕たちから数メートル離れた場所にお面屋があった。


 最近はやっているキャラクターのお面や凄まじい形相の般若のお面など、多種多様なお面が飾られていた。値段を見る限り手ごろなプラスチック製のようだった。


 僕の返事も聞かずに桜花は歩き出していく。


「すみません、そこのお面を二つください」


 桜花は狐のお面が欲しかったようだった。とんがった二つの耳と、やたらと高い鼻が特徴的な狐面で、一般的な白と赤で模様が描かれていた。


 お面屋のおじさんは愛想のよい笑顔を浮かべながら、一番手元に狐面を桜花に渡す。


「はいよ。お嬢ちゃんは彼氏とデート中かい?」


「はい!」


「元気のいいこった。あと、代金は五百円ね」


「僕が払います」


「さすがは美人の彼氏さんだ」


「ですよね」


 桜花と男性は目を合わせて笑う。何がさすがなのか僕にはわからなかった。


 財布から五百円玉を取り出しておじさんに手渡しする。「まいど」と屈託のない笑顔を向けられた。


「二人とも楽しんでな~」


「はーい」


 おじさんの見送りに桜花も手を振って返す。周りの人々にもその光景は目立っていたらしく、沢山の人の目が僕たちに向けられていた。


「ほら、早く行くよ」


「そんなに急がなくてもいいじゃない」


「いいから」


 僕は気恥ずかしくてお面屋が見えないところまで小走りに進んでいった。


 屋台が消えて提灯が並ぶ道まで来ると、目に見えて人の数が減っていた。息の詰まるような圧迫感がなく、安心して気を休めることができる。


 手を引かれてきた桜花は前に屈み込んで肩で息をしていた。


「私は下駄履いてるんだから、もうちょっとゆっくり歩いてよ」


「ごめん。忘れてた」


「祭りは深夜まであるんだから、もうちょっと焦らずに楽しもうよ」


「そうだね」


「じゃあ、早速これ着けて」


 桜花がそう言ったのと同時に、突然視界が暗転した。段々と目が慣れてくると目の部分だけ視界が開いていることに気付いた。


 自分の顔を触ろうとして、滑らかな素材に指が触れる。


「面白いけどあんまり似合ってない」


「外すよ?」


「ごめんって。冗談。すごくかわいい」


 ドスの効いた声を出すと、桜花は取り繕うような笑いを浮かべた。なんとなく言い訳が釈然としない気もしたが、お面に掛けていた手を下におろした。


 桜花も左手に持っていた狐面を被って僕の方を向いた。


 長い髪の狐が目の前に現れる。


「どう?」


「可愛いんじゃないかな」


「ありがと」


「どういたしまして」


 桜花の笑い声が聞こえるが、目の前にいる仮面の表情は眉一つ動かない。ちょっと不気味でちょっと不思議な感じがした。


「せっかくだし写真に撮ろうよ」


「いいかも。結人、並んで撮ったほうがいいんじゃない?」


 内カメラにして自分の狐面を写す。隣に桜花が入ってきて、画面半分に彼女の姿が収まった。


「ポーズはどうする?」


「適当にピースでいいんじゃないかな」


「それじゃ麻奈が面白くないでしょ。何が変なの考えてよ」


 数分にわたる談義の末、僕たちが指で狐を作っている写真が出来上がった。


 二人でお面の相手を眺めていると、真っ黒な空が一瞬だけ真っ白に染まる。


 顔を上げてみると、花火が打ち上げられていた。


 慌ててスマホを取り出して時間を確認すると、もう打ち上げの時間になっていた。桜花もすっかり忘れていたようで大声を上げた。


「もうこんな時間⁉ 花火が綺麗に見えるのってどこだっけ?」


「ここから十分ぐらいの場所だけど、今から行っても混んでるかも」


「そんなことはいいの。せっかく見に来たんだから存分に楽しまなきゃ」


「走るの?」


「もちろん!」


 桜花は鷹揚に頷くと、お面を取って体を反転させて走り出す。


 下駄だから走れないと言っていたのは誰だったか。そんなことを考えながら僕も彼女の後姿を追った。


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