第3話

 襖を開けて飲み会の会場である居酒屋の一室に入ると、中は異様な熱気に包まれていた。


 およそ三十畳程度の和室にはいくつもの長机が並べられ、その上には大量の料理が乗っていた。


 おそらくテニス部であろう大学生が男女合わせて、二十人程度。陽介から聞いていた通りだった。僕が来るべき場所はどうやらここで合っているらしい。


 新たな人物の登場に、何人もの視線が僕へと向けられる。テニス部に所属していない僕のことなど誰も知らないが、みんな顔を赤くして酔っているせいか、怪訝な目で眺めてくるだけだった。


 周りから浮いているのを肌で感じながら、適当に座れそうな場所を探す。陽介が女子たちと盛り上がっているのが目に入った。都合の良いことに隣が空いている。


 そそくさとテニス部の人間を交わし、陽介の隣に座る。


「俺の友達に彼女に振られた奴がいてさ、絶賛彼女募集中って感じなんだ」


「誰が振られたんだ?」


「それは結人……って、来てたのか。着く前に連絡してくれよ」


 僕が軽く頭をはたくと、陽介は唇を尖らせた。どうやら僕の改竄した過去を離していたらしく、女子の視線が哀れな人間を見る目だった。


 なんとなく目を合わせたくなくて、僕は陽介を睨む。


「どんな話をしてたんだ」


「なんてことないさ。お前が彼女を欲しがってるって話で盛り上がってただけだ。ただの下世話だからお礼はいいぞ」


「余計なお世話だ」


 呆れ混じりの溜息を吐いて、座布団の上に腰を下ろす。陽介は僕を紹介すると、また女子たちとの会話に花を咲かせ始めた。


 陽介と女子の間にカタカナ言葉が飛び交うが、流行に疎い僕にはさっぱりわからない。会話に入ろうにもネタが無い。こんなとき、才能の一つでもあれば、と思わずにはいられなかった。


 店員に注文するのも憚られたので、手元に会ったボトルからお冷をグラスに注ぐ。氷とガラスがぶつかり合う。心地の良い音を立てた。


 惜しげに水を飲んで気を紛らわせていると、陽介と話していた女子たちが僕に質問してくる。


「椎葉さんって彼女いたんですか」


「はい。数年だけですけど」


 作り笑いを浮かべて応対する。


「牧村くんから振られたって聞いたんだけど、どんなことがあったの? お互いに飽きてきたとか?」


「そんなのじゃないですよ。なんていうか、嫌われたみたいな感じです」


「椎葉さんの見た目は良さそうなのに……彼女さんは何が不満だったの」


「体の相性とか」


 突然割り込んできた第三者の発言に、僕と話していた女子は申し訳なさそうな顔をする。


「ちょっと、そんなこと言ったら失礼でしょ。椎葉さん、ごめんね」


「ぜんぜん気にしてませんよ。僕が振られたのは性格の不一致で、なんの面白い話もありません」


「そうなの」


 女子が黙って気まずい空気となったところに、颯爽と陽介は現れた。


 僕の肩に腕を回し、女子に向けて白い歯を見せる。


「こいつも落ち込んでるんだから、あんまり聞いてやるなって。数年とはいえ大好きだったから引き摺ってるんだよ」


 桜花が好きだったことは認めるが、振られてはいない。陽介の嘘に僕のちっぽけなプライドはそう主張したがっていたが、彼女の死など、飲み会の場で話す話題としては重すぎる。ここは空気を読むべきだ。


 僕が頬を硬くして俯くと、憐憫の目が頭に刺さっているのが感じられた。


「せっかく来てくれたのに、気まずくさせてごめんね」


 僕が返事をする間もなく女子たちは立ち上がると、別のグループに溶け込んでしまった。


 盛り上がる飲み会の場所の隅に、僕と陽介だけが残されて、誰も近づきたくない一角が出来上がった。


 誰も聞き耳を立てていないことを確認して、陽介に耳打ちする。


「どうして僕の彼女のことを話したんだ。お前は桜花が死んだって知ってるだろ」


「知ってるよ。でもさ、彼女が死んだ奴の次の彼女になるって中々勇気がいるだろ。それぐらいなら振られて彼女を探してる奴ってことした方が、向こうも結人と気楽に付き合えるかもと思ったんだ」


「俺は今でも桜花が好きだし、忘れるつもりもない。だから変な真似はしないでくれ」


「死んだ人より生きてる人を彼女にしないと将来辛いぞ」


「それでもいい」


 僕の一世一代の決意を聞いても、陽介は眉を下げて「そうか?」と疑問がやまないようだった。


 たとえ手の届かないところにいるとしても、僕は桜花が好きだ。その気持ちには嘘はないし、嘘をつきたくない。


 じっと見つめ返す僕の態度に、陽介は肩を竦めた。


「お前って難儀な性格してるよな」


「義理堅いって言ってくれ。なんか印象が悪い」


「死んだ彼女に義理立てしても何も得るものは無いぞ」


「わかってる」


 死んだ人は生き返らない。物心がついた子供でも分かっている世界の真理だ。それでも僕は桜花を蔑ろにするような真似はしたくなかった。


 陽介は僕の肩に手を乗せる。


「せっかくの飲み会なんだから、女子の一人ぐらいと連絡先を交換しろよ」


 口端を上げて笑いながらそう言うと、陽介は他のグループの会話に混ざるために席を移動してしまった。


 楽しそうな話し声を聞きながら、僕は一人席を下ろす。今さら誰かに話しかける気持ちは残っておらず、目の前に積まれていたポテトを食べることにした。


 ほんのりと塩味が効いているが、時間が経っているせいか生温かい。お世辞にも美味しいとはいえない食感だった。


 途中で帰るのは何かに負けたような気がして悔しい。スマホの時計を眺め、飲み会が終わる時間を数えてみる。


 突然、入口の襖が音を立てて勢いよく開かれた。


「テニス部の皆の衆、元気にしてたか?」


 女性のものと思しき声に、祭りの熱気を帯びていた全員が静まり返る。


 ポテトを食べる手を止めて顔を上げると、開け放たれた襖の前に一人の女性が堂々と立っていた。


 小さな顔には、大きな二つの目と細い鼻、そして口角の上がった口がある。おそらく染めたであろう長い茶髪を後ろで纏め、可愛げのあるポニーテールにしていた。真っ白なシャツに黒のスキニーというオシャレをしない恰好は、彼女の性格をありありと伝えているようだった。


 静かになった会場は、誰かの一声で再び活気を取り戻す。


「二ヶ月ぶりに京子きょうこが来たぞ!」


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