翠の事務所が賑やかに成って1ヶ月、10月も中盤で寒がりならコートやジャケットを必要とし始める時期だ。

スーツ男は玲奈には蜘蛛と植物の妖魔が関係していると言っていたが、それを裏付ける様に玲奈は冷性で既にコートやジャケットを必要としている。11月にはマフラーや手袋が必要に成る勢いだ。

今までの服の好みから分かっていたが玲奈はシンプルなデザインを好むらしい。

そんな玲奈との11月の頭に外出の予定が出来た翠だが、仕事である。

状況的に朱夏のサポートは見込めないので玲奈に同行を頼む事に成ったのだが、完全に仕事の体裁として必要だったからだ。

依頼人は四鬼の女でもスーツ男でも無く、影鬼が運営する図書館、影鬼・ライブラリーの職員だ。文章だけの依頼なのだが依頼人の名称は無いので裏の仕事が集まる図書館が仕事を消化する為に適した人材を選んだと翠は判断した。

内容はシンプルな物で暗殺だ。誰にとって都合が悪いのかは不明だが標的は影鬼家の中でも上の下の位置する影鬼鋼牙(かげおに・こうが)の取り巻き4人。

鋼牙の勢力を削ぐ目的を隠す気は無いのか殺害は全て鋼牙に伝わる様に東京駅付近のホテルで開かれるパーティに合わせて行われる。パーティは19時から23時まで開催され標的は宿泊する為、ホテル内で殺害する事が条件だった。

同じ派閥に所属する為か標的達は同じフロアに宿泊する。翠の魔装が持つ壁抜けの斬撃なら今回の暗殺には最適だろう。

そんな訳で上流階級なパーティに参加する事に成ったのだが流石に朱夏は若すぎるしパーティの年齢層に合わないだろう。


「という訳で、玲奈さんをパーティに参加させる為にドレスとかコートとか揃えないとね」

「まあ俺は潜入用に仕立ての良いスリーピーススーツが有るから良いけど、玲奈さんのドレスか」

「何? 何か問題でも有るの?」


事務所で3人が揃い翠に事務机に集まっている。

事情の説明も終わり朱夏が玲奈を着せ替え人形にしようと目を爛々と輝かせているが、翠が手振りで制した。


「依頼元からドレスに関して追加情報が有ってね、品川に影鬼の息の掛かった店が有るらしい。そこで無償で用意出来るみたい」

「あら、至れり尽くせりね」

「一応、俺の分も考慮してくれてるらしい。手持ちがパーティに合わないと目立つし念の為に3人で行くか」

「あら、2人で行って来たら?」

「俺はドレスの見立てが分からないし、玲奈さんの護衛に女が必要でしょ」

「ま、試着室の中が怖すぎるものね」


以前に服を買いに行った時の店員の様子を思い出して朱夏も納得した様だ。その時は苦労した様で表情が硬い。


「えっと、私が翠さんとパーティに出るのは良いのですが、ドレスを着た事が無くて、ちゃんと選べるでしょうか?」

「その辺は店員の見立てに任せるとしようかな。俺も女性のドレスのトレンドなんて知らないし」

「まあその業界に居ないとトレンドなんて分からないでしょうしね」

「朱夏ちゃんも分かりませんか?」

「玲奈さんくらいの年齢のドレスは分からないわね。実家の仕事で着飾る事も多かったけど、1番面倒なのは卒業式とかね」

「それだとドレスというよりもフォーマルなスーツに成りそうですね」

「そうなの。だからオシャレも何も無かったわ」

「お前、卒業式とか出てたのか」

「家が煩いから逃げられなかっただけよ」

「ふふ、朱夏ちゃんらしいですね」


笑い事かは微妙だが確かに朱夏らしい理由だ。基本的に規律や模範的な事には向かないのだろう。生まれた家さえ普通ならここまで抉れる事も無かっただろうが仕方が無い。


「今回は待機かぁ」

「パーティの従業員として入り込むには年齢も素性も誤魔化しが効かないからな」

「外からの連絡も今回は厳しく制限されてるみたい。全く、悪い連中って何でこんなに自分を守るのが上手いのかしら」

「上手いから悪い連中の中で上に入れたんじゃないか?」

「そりゃそうか」

「じゃあ今回は悪い人達をお掃除ですね」

「……玲奈さんって、意外と簡単にこの状況を受け入れてますよね」

「その、何故か昔からヤクザ屋さんとか詐欺師の人が近付いて来る事が多くて」

「玲奈さん、警察で囮捜査官やったら凄い活躍しそう」

「警察内部で問題が起きそうだけどね」

「人に好かれるって大変なのね」


スーツ男から聞いた玲奈の先祖返りの可能性は朱夏に伝えてある。

元々が四鬼に居た為、朱夏も妖魔と人のハーフの可能性を頭ごなしに否定はしなかった。業炎鬼の分家なので絶風鬼の過去には詳しくないが江戸時代に妖狐の血を取り入れたという噂話は聞いた事が有るらしい。

翠よりも先に玲奈が翠に依存している事に気付いており、以前に病んだ言動をしていた事で注意を促してみたら気付いていなかったのかと翠に呆れた程だった。

パーティの日時は11月の頭らしくドレスの調整等も考えれば直ぐに向かった方が良いだろう。

翠から依頼人にドレスの確認は今日でも構わないかと連絡すれば直ぐに可能との連絡が返ってきた。


「今日でも良いらしい」

「じゃ、行っちゃう?」

「そうですね。帰りに食材の買い出しもしたいですが、荷物次第ですかね」

「さって、じゃ行くかね」


外出の準備を整えた3人は電車で品川に向かうが、玲奈が絡まれたり痴漢に遭わない様に角に居て貰い2人で囲んだ。

時間帯は11時前なので電車内の客は多くない。座席が丁度埋まる程度の利用客しか居ないが、幾人かの男性客がコートで身体のラインが見えないにも関わらず玲奈に視線を向けた。直ぐにガードに入っている2人を見て悔しそうに諦めて席に着く。

蒲田駅からは数駅で品川駅だ、ドレスを選んでから昼食は適当に済ます事にして翠は2人を指定された店に案内した。

店内は普通の女性向けブティックなのだが、翠が店員に声を掛けると奥に案内される。

在庫室らしい通路を抜けて建物の奥に進めばコンクリートで打ちっ放しの広い部屋が有り、そこに移動式のハンガーラックに掛けられた大量の女性物ドレスが並んでいた。

一般的な店舗でも見る機会の無い量に驚いた朱夏と玲奈だが翠は特に反応を見せずに待っていた店員に声を掛ける。


「お待ちしておりました。今回は影鬼家のパーティに参加との事でしたね」


初老の男はゆっくりとした動作で礼をして3人を出迎えドレスの山を示す様に歓迎した。

その背後には2人の女が控えており、玲奈を見て一瞬だけ硬直したが直ぐに意識を取り戻す。

これなら朱夏に護衛を頼まなくても良かったかと思った翠だが、玲奈と2人きりに成るのは避けたいので正解だったと思い直して玲奈にドレスの山を示した。


「俺も自分のスーツを見直すから、そっち任せるよ」

「了解~。楽しみに待ってなさい」


何故か玲奈では無く朱夏が自信満々にあまり大きくもない胸を張る。

呆れた翠だが表情に出すと面倒に成りそうだったので意識的に苦笑を返し2人から離れた。

スーツを見直すと言っても男物の選択肢はそう多くは無い。ドレスの山に比べると非常に少ない面積に複数のスーツが並んでいる。三つ揃えやモーニング等、種類は様々だが男はシンプルな三つ揃えを勧めて来た。


「今回は黒の方が良いのかな?」

「いえ。今回はかなり遊びの有るパーティなので重い色は避けた方が良いでしょう。少し遊びが強いですが茶色にTシャツやデニム生地等でも問題無いでしょう」

「デニム生地は本当に遊んでるね」

「人によってはジャケットにジーンズで来場される様な趣向のパーティですから」


上流階級のパーティと聞いて男は全員が結婚式の様なスーツを想定していたが違う様だ。

流石にデニム生地を選ぶ程の目立ちたがりではないので普通の紺色のスーツを選択した。

いくつかのサイズに袖を通してみてサイズが合う物を選び、細かい部分を調整する為に男に預けた。


「来週には郵送致します。それで修正したい部分が有ればお持ち下さい」

「んじゃ、お願いしますわ」


常に背筋の伸びた初老の男は綺麗な姿勢で存在感が有るにも関わらず本人の気配は薄いという不思議な感覚を周囲に与える。何故か翠も首から下の印章は覚えているのだが、顔だけが妙に記憶に残りにくく諜報員かと疑っている。

自分の分を選び終わった翠が朱夏と玲奈の様子を見ようと女物のドレスの山に向かう。

何やら黄色い声が響いているので少しの不安を覚えた翠だが、合流してみれば特に問題は起きていない。

単純に玲奈が着せ替え人形にされて疲れているだけの様だ。

ハンガーに掛かっていたらしい複数のドレスは試着の後らしくハンガーから外されて裁縫道具の置かれた台に積まれている。


「あ、翠さん、助けて下さいっ」

「いや、楽しんでいるみたいで何より」

「遊ばれてるんです!」


何度もドレスを着替えた為かブラジャーも付けないで翠に背中を向けた玲奈が手で胸を隠している。ショーツ以外は何も身に着けていないので尻は小振りで形が良い事は分かってしまう。

そんな玲奈の前では怪しい笑みを浮かべる女2人が別のドレスを選んでおり、パイプ椅子を持ってきた朱夏は座りながら疲れた様に溜息を吐いている。


「あら、目の保養?」

「それはそうだが、何コレ?」


玲奈の染み1つ無い白く綺麗な背中は本来なら長い黒髪で見えない筈だが、今はアップに結われているので首まで見えている。

翠に見られている恥ずかしさで肌に朱が混じっており、それを見た女達の目が少しだが段々と細く成る。

目敏く見定めた翠は店員達を正気に戻す為に少し大きめの声で女達に声を掛けた。


「玲奈さんに合いそうなドレスは有ったかな?」


話し掛けられた事で正気を戻した女達は少し慌てつつ、3着のドレスをハンガーに掛けて3人の前に出した。


「今回は比較的身内で遊びの強いパーティですから、露出は多過ぎないこちらはどうでしょうか?」


言われて3人が視線を手元に向けてみればイメージの異なるドレスが並んでいた。

黒く首元まで布が有るワンピースでスカート丈は膝上だが背中は開いている。

群青でロングスカートだが深いスリットの入った肩と胸元が見えるタイプ。

白く身体のラインが分かる細身のワンピースで肩に黒い羽織がセットの様だ。


「玲奈さんはどれが良い?」

「あ、翠さんに選んで頂けないですか?」

「良いの? 俺は白いヤツが良いけど」

「ではそれで」


多少食い気味の返事だが気に入った物を着るのが良いだろう。

翠と朱夏は本心から何が選ばれても良かったが、女2人は露出の多い最初の2つのを着せたかったらしく少し残念そうだ。

そんな女達の事は知った事では無いので翠は裁縫台の端に追いやられていた玲奈の服を掴んで背後から本人の肩に掛けて追い抜いた。


「じゃ、調整をお願いしても良いかな?」

「あ、はい」


翠が意図的に振り返らないので朱夏は直ぐに玲奈の腕を掴んで裁縫台の横に有る簡易的な試着室に放り込んでカーテンを閉める。翠が拾いきれなかったブラジャーも回収して下から追加で渡す。


「男物の方は来週には事務所に届くって聞いたんだけど、玲奈さんのはいつに成りそうかな?」

「えっと、同送に成ります」

「そう、ありがとね。じゃ1週間くらい待ちだな」

「あの、彼女、モデルとして働く気はないでしょうか?」

「残念だけど駄目。俺の上司からも彼女を人目に触れさせるのは事情が有る時に限るって言ってるんだ。それに彼女、目立つの嫌いなんだよ」

「でも、勿体無い」

「聞き分けて貰える? それとも、さっきの男にお願いして聞き分けて貰わないと駄目?」

「っ! はいっ、すみませんっ」


一瞬だけ見せた翠の冷たい視線と殺意に気付く程度に影鬼の様な裏家業に理解は有る様だ。

女2人は青い顔をしながらも翠から静かに2歩後退し、選ばれたドレスを持って去って行った。


「なぁにが上司よ」

「玲奈さんが芸能界なんて、想像してみなよ」

「いや、分かるわよ。芸能界に限らずその業界のヤバイのが集まって来るでしょうね」

「それのフォローなんて仕事を振られてみなよ。考えただけで頭痛がする」

「私、事務所の掃除してるわ」

「逃がさないよ」


馬鹿話をしていると私服に着替えた玲奈が試着室から出て来た。


「お待たせしました」

「いやいや、災難だったね」

「お恥ずかしい所を見られてしまいましたね」

「声を掛けてから近付くべきだったね。さて、何か美味しい物でも食べに行こうか?」

「はいっ」


結い上げられていた髪から櫛を外して翠に小走りで駆け寄る姿は少女の様な純粋さを思わせる。翠に懐く度合が深まれば深まる程にまるで親に懐く幼女の様に依存の度合いが高くなっていく。

こんな美人に純粋な少女の様な懐かれ方をすれば手放し難くなる。スーツ男が前に言っていた狙い通りの感覚を覚えさせられて翠は少しだけ後悔した。


……鬼の訓練、真面目に受けとけば良かったなぁ。


翠が使う魔装に魔動駆関は積んでいない。

つまり四鬼や異端鬼の様に自分の感情を抑制する訓練に力は入れていない。単純に裏家業に浸かっている時間が長いので訓練中で家出した朱夏に近いレベルで感情の抑制は出来る。

それでも本職の鬼には敵わないので、スーツ男の見立ては正しかったのだろう。

朱夏と玲奈に悟られない様に溜息を吐いて翠はブティックを出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る