影鬼の遠縁らしい人物の家を調べる当日、玲奈からは止めたり同行を求める様な素振りは無かった。

朱夏は事前に調べていた近所のファミレスに入り窓際の席に着く。ノートPCを開いて一見すると作業している体裁を取り、マイクの無い無線式のイヤホンを付けている。

通話内容を誤魔化すにも限界が有るので今回は朱夏が入力した文章が読み上げソフトで翠に通じる様に成っている。

連携にタイムラグが生じるが今回は仕方が無い。一応、翠の提案でショートカット操作を登録しており、その操作を行うと翠に部屋に近付く者が居ると即座に連絡が入る工夫は施した。

蒲田駅から数駅の距離なのでクロスバイクで来た翠は何食わぬ顔でマンションを目視できるドラッグストアに駐輪してマンションへ歩き、特に立ち止まらずにマンション内を目指す。


「さて、行くかな」

『マンション全体が規模の割に人気が無いわね』


朱夏の声では無く一音一音を発生する機械音に少しの違和感を覚えつつ、翠は問題のマンションに踏み込んだ。

指定されたのはこのマンションの307号室で他の妖魔の反応は無い。

街灯や信号機に仕込まれた妖魔探知装置に反応してアプリに連絡が入るのだが、妖魔探知アプリを見ても反応が無い事からの判断んだ。

もしも妖魔探知装置を掻い潜る特性を持った妖魔が居れば無意味だが、そんな妖魔が発見されれば恐らく国連が発表しているだろう。

そんな報道を聞いた事の無い翠は特に妖魔に気を配る事はせずにマンションを進んだ。エレベータは動いているが周囲の様子が分からなく成るので階段を上がり3階に到着した。

階段もエレベータも建物の端に1つしかない様で廊下を見れば手前の扉横に310のプレートが嵌め込まれている。

廊下を歩くと直ぐに307の扉が有り、念の為にドアノブを回したが鍵が掛かっていた。

品川駅地下迷宮で入手した鍵を使えば問題無く開く事が出来たので翠は周囲に人が居ない事を再確認して入室した。

普通の1Kの部屋の様で入って直ぐに小さいキッチンとバストイレに繋がっていそうな曇硝子の扉が有る。それとは別に扉が有り開けてみれば居間に成っていてベッド、台に乗ったテレビ、漫画が入った本棚、複数のゲーム機が適当に置かれていた。

部屋の隅には埃が溜まっており如何にも掃除を面倒臭がる1人暮らしの部屋といった風情だ。


「これ探す場所ってベッドの下とか壁の収納スペースだけかな」

『ただの1Kで凝った隠し場所なんて無いもんね』


まずは分かり易い壁の収納を開ける。単身者を想定した部屋なので壁の中を繰り抜いて扉を付けた収納スペースだ。中にはハンバーを掛けられる棒がつっかえられており複数のジャケットやコートがハンガーに掛けられている。使い込まれた様に皺の有るスーツや取っ手が少し変形したビジネスバッグの他にも市販の半透明な収納ボックスが複数置かれておりシャツや下着が入っている様だ。

棒の上には横向きの板が等間隔に2枚設置されて空間が仕切られており、1枚目にはバスタオル等が置かれている。2枚目の板は天井に近い高さで身長が2メートル程でも奥まで有効に使うのは難しい。その為か下段には折り畳みの脚立が有り、2枚目の板の上にはゲーム機の箱が有るだけだ。


「意外と面倒臭いな」


呟いてから翠は適当にボックスを開いて中を見てみるが特に影鬼に関わる様な物は無い。脚立を使って板で出来た2段の奥まで見てみたがやはり1段目にはタオルしかなく、2段目もゲーム機の箱だけだ。念の為に箱の中を見たが使わなかったケーブルと説明書以外には仕切り用の段ボールが入っていた。

徒労感を感じつつ収納扉を閉じてベッドの下を覗き込む。収納スペースと同じ様に市販の半透明な箱が複数置かれており、やはり中には服や小物が入っていた。


……パソコン無くて良かったぁ。流石にデータの確認なんてやってらんないし。


ゲームは軌道して履歴が残ると後が面倒なので手を触れず、翠は朱夏との連絡を1度切ってスーツの男に通話を掛けた。

いつも通り直ぐに通話が繋がるので監視されているような不気味さを感じるが気を取り直して話を始める。


「今、室内を見てみたが影鬼に繋がる様な物は見つからないね。むしろ普通のサラリーマンの部屋かと思うくらいに何にもないぞ?」

『影鬼から離れて4代目ですからね、本人も自分が反社会組織の血縁者だと知らないかもしれません』

「マジか」

『妖魔化したのも普通に会社でのストレスからですね。私達も単純に影鬼血縁者だという事で監視していたので四鬼より先に察知しただけです』

「何だ、玲奈さんの関係者だったりするのかと思って警戒しちゃったよ」

『あ、無関係では有りませんね。部屋の主は彼女が無職に成ってから風俗業に落とそうとしていました。職業訓練校の契約社員で副業をしていましてね、紹介料を狙っていた様です』

「流石だよ玲奈さん」

『全くです』

「そう言えば、前に噂で影鬼は彼女みたいな難有りの人材を子飼いにして活用してるって聞いた事が有るんだけど、本当?」

『ああ、程度の大小は有りますが本当ですよ。彼女の場合はその中でも特に変わり種ですが』

「マジか。もしかして、弱点無いなら作ってしまえ、的な?」

『そういう使い方も有ります』

「うわぁお」

『翠さんは朱夏さんを手元に置いた事で四鬼側の仕事を断り辛く成るかもしれませんからね、淡島玲奈はタイミングを見て貴方に押し付け、派遣するつもりでしたが予定が早まりました』

「押し付けるって言いかけたね」

『流石にあの頻度で問題を起こす人材を社会の中で飼うのは限界が有りまして。いやぁ、良かった良かった』

「たく。で、何なんだあの女?」

『簡単に言えば妖魔と人間のハーフ、の先祖返りですね』

「ああ、絶風鬼が昔に狐と人のハーフみたいなの血を取り込んだんだっけ?」

『社会的な認知が無いので学術的な名称も無くて不便なんですがね』

「はいはい。で、玲奈さんは何の妖魔の特徴を持ってるのさ?」

『100年以上前なので正確には不明ですが、花と蜘蛛の特性を持った妖魔がベースに成っているそうです』

「蜘蛛って、虫の?」

『はい』

「喰われねえように気を付けよ」

『カマキリじゃあるまいし、メスがオスを食い殺す事は無いんじゃありませんかね』

「ベースに関係無く妖魔の血が有る時点で怖いっての」

『成程』


これ以上の調査は不要との事だったので通話は切って再度、朱夏に通話を繋ぐ。


「やあやあ。調査完了、引き上げるよ」

『了解。事務所に帰ってるわ』

「はいはい~」


住所は蒲田から数駅で程近い場所なので朱夏も無駄に合流の為に時間を使う事はせずに事務所に先に帰るらしい。

特に止める理由が無いので翠も通話を切って玲奈に仕事が完了して帰宅するとのメッセージを送った。

拍子抜けの様な仕事だったが、もしかしたらスーツ男の真意は玲奈の素性について話す場を設ける為だったのかもしれない。

四鬼としての教育を受けた朱夏に知らせるかどうかは保護者とも言える翠に任せる事で影鬼への緩衝材にされ、玲奈は自分の素性を理解していないので翠に依存させて様子を見る。

何と面倒だと溜息を吐いて翠は部屋を出て鍵を閉め、何食わぬ顔でマンションを後にした。

ドラッグストアに停めておいたクロスバイクに跨り蒲田に向かって漕ぎ出す前にスマートフォンを見れば玲奈から返信が来ている。翠の送信から1分以内に返信していた様で投稿時間が同じに成っていた。


『お気を付けてお帰り下さい。何か軽食でも用意して待っていますね』


随分と気を遣わせた様なので軽い気持ちで『楽しみにしてる』と返しクロスバイクを走らせた。

ポケットの中で直ぐにスマートフォンが振動したのでまた返信が有ったのだろう。

まあこれ以上は気にしても逆に帰りが遅くなるだけだと思い信号に引っ掛かったら返そうと放置した。


▽▽▽


長い信号に引っ掛かる事も無く翠は帰宅して2階に上がり、習慣で音も無く事務所に入室した窓が開いて換気されているにも関わらず何か空気が淀んでいる。

違和感を覚えて目視出来ない簡易キッチンを覗いて見れば、静かにIHに乗せた鍋を掻き混ぜる玲奈が居た。横からでも瞳孔が開いている様に見え、口は小さく何かを呪詛の様に吐き出し続けている。

気配を消したまま翠はキッチンから離れてスマートフォンを取り出して先程のメッセージを見た。


『食べたい物や飲みたい物が有れば行って下さい。ちゃんと用意しますね』


もしかしてこれに返信しなかったせいかと思ってキッチンに耳を寄せてみる。


「まだ見てないのかなでも移動中なだけかもだし何が食べたいかな翠さんの好み知らない早く聞き出さないと部屋に呼べないかなマッサージくらいするのにそれとも部屋に行こうかな鍵は掛けない様にお願いして盗聴器とか有れば独り言も聞けるかなそれとも同室をお願いすれば良いかな」


……あれぇ、こんな感じ?


殆ど息をする事も無くずっと呟く姿は正直に言えば怖い。

ここまで可笑しく成っているにも関わらず妖魔化の兆候も無いという事は恐らくスーツ男の言う通り妖魔の血が混じっている為だろう。最初から妖魔な者が妖魔に成る事は無いのだろう。

顔の半分だけで簡易キッチンを覗き込んで玲奈を観察してみると爪の長さが不安定で数センチを伸びたり縮んだりしている。長い髪からは植物の花粉の様な物が薄っすらと発光しながら吐き出され数センチで消滅した。

生身に変化を起こす訳では無い鬼技では行えない様な不思議な現象が起きている。

魔装ならば機械的に爪を伸縮させたり、髪の様な装飾品から何かしらの効果を持った鱗粉を発生させる事は出来るが生身の変異は不可能だ。


……わぁい、人外だ。


これは拙いと確信した翠は音も無く事務所から退出し、今度は意図的に音を立てて事務所の扉を開いた。


「ただいま~。朱夏は先に帰ってないか?」

「あ、お帰りなさい。簡単な食事ですけど、用意していますよ」

「ありがとさん」


素知らぬ顔の翠は玲奈がマグカップで用意したコンソメスープを受け取り、冷ましながら飲んでいると直ぐに追加で1口サイズの唐揚げが多く入った皿が静かに置かれた。

爪楊枝が3本用意されており朱夏の分も考慮している様だ。


「朱夏ちゃんはまだ帰ってきていませんね。自転車の翠さんの方が早いのは意外でした」

「この辺の電車は快速か各駅かで凄い時間が変わるからね」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。各駅なんてバスみたいな距離で止まるから数駅なら自転車の方が早いのはザラだね。特にこの事務所、駅から少し歩くしね」

「ああ、その時間も有りましたね」


そんな事を離しながら翠が唐揚げを3個食べた時に事務所の階段を登る足音が聞こえてきた。


「あ、朱夏ちゃんでしょうか」

「かもしれないけど、玲奈さんはちょっとキッチンに」

「はい」


何の疑問も無く従ってくれるのは有難いが、先程の様子を知っているとその従順さは恐ろしい。

ストーカーの制御方法など翠は知らないので、最悪の場合は殺す事も視野に入れて今後は玲奈と向き合わなければ成らない。


「ただいま~。あら、翠の方が早かったのね」

「お帰りなさい、朱夏ちゃん」

「ただいま、玲奈さん」

「軽食を用意しましたから休んで下さい」

「あ、唐揚げっ。あのキッチンでよく作れるなぁ」


翠もその調理の腕は素直に褒められる。

椅子を寄せて来た朱夏にも玲奈はコンソメスープを渡し、自分も椅子を寄せて翠の事務机に3人が集まった。


「美味し~。まだ寒いって訳じゃないのにコンソメスープがこんなに美味しいなんて、玲奈さん凄い」

「うふふ、ありがとう」


先入観を無しに見れば大人のお姉さんに懐く女子高生なのだが、2人の背景を知っていると妖魔の先祖返りと妖魔討滅が本業という非常に危ういバランスが見えて来る。

静かに溜息を吐いた翠は仕事は終わったと自分に言い聞かせて唐揚げとコンソメスープを堪能する事に集中した。

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