影鬼事務所蒲田支店の住民が3人に成って1週間、やっと9月も後半に入りジャケットでも問題無い気候きこうに成った。

 としによっては10月でも30度手前に成る事が有るので念の為に夏物は片付けていない。


 朱夏あやか玲奈れいなの色気に慣れてきたが、初日の警戒心が有る為に自室には100均で買った南京錠なんきんじょうで自作の鍵をもうけた以外に大きな変化は無い。

 玲奈にもノートPCを用意して副業サイトで仕事をするのは自由としており、ひまな時には動画を見たり副業をしたりしているらしい。


 そんなある日、みどりに影鬼側のスーツの男から連絡が入った。

 仕事の話なのは確定だが問題は玲奈の扱いだ。


『翠さん、こんにちは』

「どーも。前に言ってたお仕事ですかい?」

『ええ。先に言って頂けるとこちらも切り出しやすいですね』

「まあ良いんですが、玲奈さんはどうします?」

『彼女に知らせるかはお任せしますよ』

「OK。ま、適当にさせて貰うかな」


 3人とも事務所の机でPCを操作しているので翠の声だけは聞こえている。

 気を利かせて玲奈は席を立って3階の自室に移動し始めた。彼女も翠や朱夏が反社会的な仕事をしている事は察している様で仕事の電話の時には最初から席を外すつもりだった様だ。


『おや、扉の音がしましたね』

「玲奈さんが退出した。仕事の電話だって察してくれたらしい」

『気の利くお嬢さんだ』

「何かアンタが言うと胡散臭うさんくさいんだよなぁ」

『恐縮です。では、仕事の話をしましょう』

「はいよ。鍵は持ってるよ」

『ありがとうございます。今回の依頼はその鍵を使って指定の物件を調べて頂きたいんです』

いわきの部屋とかって事かい?」

『まあ、有体ありていに言えばその通りです』

「鍵の時も思ったが、真意が分からなさ過ぎて怖いね」

『いやいや、私共は常に翠さんには適切な仕事を斡旋あっせんする所存しょぞんですよ』

「わぁい、軽く見て欲しい」

『ははは、ご冗談を』


 互いに本心を冗談交じりに伝えつつ、男は声のトーンを落とした。


『調べて欲しい部屋の住所は後でメールを送ります』

「調べるって言っても、何を見付けて欲しいとか有るのか?」

『そうですね。実は妖魔が発生した部屋なのですが、影鬼の遠縁とおえんに当たる者なので影鬼に繋がる品が無いか確認したいんですよ』

「もう警察とか四鬼とかが調べてたら出番無くない?」

『大丈夫です。室内では死人が出ずに妖魔も部屋から逃げたので警察も四鬼も調査はしません』

「いやいや、絶対とは言い切れなくない?」

『なので遠巻きに監視を付けています。当日は室内の調査は翠さんにお任せしますが、外部からの監視はこちらで用意しましょうか?』

「後で回答しても良いかな? こっちの人員で確認したい」

『分かりました。この電話番号は本日は有効なのでその間に連絡を下さい』

「OK。じゃ、また後で」


 通話を切って朱夏を見ると通話が仕事だった事は察しており期待した目で翠を見ている。

 自立心の高い朱夏は自分が仕事をしている感覚が欲しいのだろう。

 ある種の自己肯定感を高める為なのだろうが、翠はつい意地の悪い対応をしたく成るがこらえる。


「あの鍵は影鬼の遠縁の家の鍵で妖魔化の現場だったらしい」

「へぇ」

「妖魔は部屋から逃げてるし室内で死人は出てないが、その部屋から影鬼に繋がる物が無いか探して欲しいってさ。妖魔が逃げたから四鬼も警察もその部屋は調査していないらしい」

「フワッとした依頼ねぇ。ん? ちょっと聞いてみたいんだけど、妖魔が出現したのいつよ?」

「そう言えば聞いてなかったな。えっと、住所はここで、妖魔探知アプリの履歴りれきっと」


 朱夏に言われてタイミングの不自然さに気付いた翠がスマートフォンに入っている影鬼製の妖魔探知アプリを開き、メールで送られてきた地域の妖魔の反応履歴を調べた。


「履歴は1件。1ヶ月も前だ」

「鍵の回収依頼の前じゃないの」

「こりゃ裏有りまくりだな」

「影鬼は妖魔が発生する兆候ちょうこうつかんでいたか、影鬼が妖魔を発生させる様に仕向けたか」

「いやぁ、断りたいねぇ」

「断れるの?」

「無理だな。さて、朱夏は今回は来るかい?」

「行くわよ。ちょっとキナ臭すぎるし、四鬼側の動向も気になるわ」

「なら外からサポート頼む。朱夏が居ないなら影鬼側から室外の監視員を派遣はけんしてくれるらしい」

「ま、少しは連携の経験値が有る方が良いでしょうね。特にここまでキナ臭いと」

「本当にそれ」


 溜息を吐いて背凭せもたれに背を預けた翠は直ぐにスマートフォンで影鬼の男に通話を掛けると直ぐに繋がった。


『お早い決断で』

「おう。監視員はこっちで用意するからそっちから出さなくて良いや」

かしこまりました。では2人分の報酬ほうしゅうを用意しましょう』

「おや、太っ腹」

『翠さんとは長いお付き合いを希望しておりますから。ご満足頂ける報酬を用意しますとも』

「はいはい。で、ちょっと確認なんだが、指定住所で確認された妖魔は1ヶ月も前で鍵の依頼を受ける前ぽいんだが、教えて貰えたりする?」

『ああ、話は簡単です。元々、妖魔化の兆候ちょうこうが有ったのでいつでも討滅とうめつ出来る様に準備をしていたんです。そしたら先に妖魔化してしまいまして、討滅ではなく調査に切り替えました』

「うわぁ胡散臭うさんくさい」

『ははは、商売は信用第一と言いますが、信用の形は様々ですから』

「相手に何か裏が有るって考えている事も含めて信用の1つって?」

『はい。相手が何かする可能性の有る相手だ。それは1つの信用でしょう』

「それは疑念って言うんだよ」

見解けんかい相違そういですね』


 別に商売の話をしたい訳でも無いのだ、必要な話は終わったので翠もスーツ男も通話を切った。


 面倒な相手との会話を終えた翠はスマートフォンを机に投げ出して机に突っ伏す。

 どう考えても関わったら厄介やっかいな目にたぐいの仕事だ。


 話が来て時点で詰んでいるのだから回避不可能な事案だったのだが、それでも回避方法が有ったのではないかと思ってしまうのが人のさがだ。

 何よりも今までスーツ男が持ってきた案件で途中に妙な要素を追加されるとのちに響く事が多かった。


 今回の件で追加された要素と言えば玲奈だ。


……あの住所、玲奈に関係が有るのか?


 疑念ぎねんは疑念のままにしておくとろくな事に成らないが、疑念を晴らすと知り過ぎて厄介事やっかいごとに巻き込まれる事も有る。

 つまり結果は出てみないと分からない。


朱夏あやか、この住所が玲奈れいなさんに関係してるかもしれないし、住民が玲奈さんの関係者かもしれない。下手に関わらせない様に注意しといて」

「考え過ぎじゃない?」

「だと良いんだがなぁ。今まであの男から受けた仕事を思い出すと妙な関わり方をしてたりしそうなんだよ」

「そんなに疑わしいんだ?」

「もう何か有るの前提なくらいさ」


 普段は飄々ひょうひょうとしているみどりが疲れ切った様子で机に突っ伏しているのは珍しい。朱夏とて翠と知り合って短いが、それでも珍しいと思う程なのだから今回の仕事は面倒事の可能性が高いのだろう。


 突っ伏しながらも翠はスーツ男の言葉を思い出していた。

 玲奈が翠の指示には従うと言うのだ、最近は玲奈の性格も掴めて来たので翠は色々と試す事にして席を立った。


「どうするの?」

「住所送るから近くで監視できる場所探しといて」

「はいはい」

「俺はちょっと玲奈さんと話してくるよ」

「あ、外出した方が良い?」

「そういうのはラブホでやるよ」

「わぁ、まだ何も言ってないのに」

「男女がやる事なんて決まってんだろ?」

「そりゃそうか。ま、明らかにアンタになついてるし何とかなるでしょ」

「好かれる事の恐怖って知ってる?」

「そりゃストーカーとかならヤバいけど、玲奈さんはかなり受身だし平気じゃない?」

「うっわ。お前、四鬼に残っても黒子止まりだったな」

「何よそれ」

「まぁ、人の世界は何でも起きるって事で」


 翠はノートPCを閉じて退出し、3階の玲奈の部屋をノックした。


「玲奈さん、翠だ」

「あ、どうぞ」

「お邪魔しますよっと」


 特に抵抗の無いドアノブを開くと何やら桃やサクランボを連想する甘い香りがした。アロマキャンドルでもいているのかと思ったがそれにしては生々しい香りだ。


 不思議には思ったが今は意識の外に追いやって扉を玄関と見立てる様に仕切られたカーテンを開いた。

 カーテンの奥、室内にはマットレスが敷かれ折り畳み式の机と座布団の他には簡易的な化粧台が有るだけだ。

 玲奈はマットレスに横座りをしており、先日購入した青白いブラウスに短いスリットの入った白いロングスカートを穿いている。薄い桃色のリップが色白の彼女の顔の中で主張し過ぎないアクセントになっていた。


「自室なのに随分と身形みなりに気を遣ってるんだな」

「買い出しや事務所に人が来るかもしれませんから」


 そう言って玲奈はマットレスの隣を軽く叩いて翠に座る様にうながしてくる。

 目を細めて小さく微笑む姿は子供が見れば優しく母性の溢れる態度とも取れるが、一定以上の年齢の男にしてみれば誘っている様にも見える不思議な仕草だ。


 そしてカーテンを開けて確信したが、この部屋にアロマキャンドルの様な果汁かじゅうの香りをただよわせる物は無い。化粧台を見ても化粧水とリップしか無く香水やチークすら無いのだ。


「気にしてくれてありがと。それにしても良い匂いがするけど何か使ってるの?」

「そうですか? 自室の匂いは自分では分からない物かもしれません」


 話ながら玲奈に誘われるままに翠は隣に腰を下ろした。

 1人分とは言わないがそれなりに距離を開けて座ったのだが意外にも玲奈は距離を詰めて来て身動ぎすれば肩が当たる程の位置だ。


 確かに彼女の衣食住を用意して感謝されているのは分かっていたがそれでも過剰かじょうな懐き方だ。まるで卵から孵化うかした雛鳥ひなどりみを連想させる程に玲奈から翠への距離は近い。


 玲奈に密着されても平常心を乱す事は無い翠だが、玲奈の態度で影鬼にまつわる噂を思い出した。

 影鬼の遠縁や妖魔に関わりの有る表社会で生き辛い者達を飼い殺しにして精神に方向付けをほどこし、手放しがたい相手に送り影鬼を裏切れないくさびにする。

 飼い殺しにされた者に自覚が有るかは分からないが、玲奈の人間では有り得ない甘い体臭や朱夏に聞いた寝惚ねぼけた際の力を考慮すると通常の人間では無い可能性が高い。


「ちょっと仕事が入ったんで、朱夏と2人で留守るすにする日が有るよ」

「あら、そうなんですか。私も手伝えれば良いんですが」

「ま、荒事は俺達の領分だよ。玲奈さん別に格闘技とか習ってないでしょ」

「ええ、お恥ずかしながら喧嘩も満足に出来なくて」

「何となく殴られた経験が有るのかと思ってたけど、違うかな?」

「その、クラスメイトの女の子に、好きな男の子に色目を使っていると言われて」

「コッテコテのテンプレだね。何ともなかったの?」

「1回殴られた瞬間に先生が来てくれて、その女の子達は退学に成りました」

「凄いね、1回なのに退学なんだ」

「お陰で妙な噂が立って友達も出来ませんでした」


 痛々しい笑みを浮かべる玲奈だが翠には同情する様な感覚は無い。そんな感覚が有ればこんな踏み込んだ質問はしていない。


「そんな事ばっかりでしたね。社会人に成ってからも、ギリギリで助けて貰えましたけど流石に居辛いづらくて」


……やっぱ常に誰かが監視してて使い物に成る様に調整してたのか。


 真相しんそうはスーツの男に聞いてみないと何とも言えないが翠は自分の想像がそんなに間違っていないと確信した。

 そうでなければこんな状態の女がこんな素直に生きられる筈が無い。


 話している内にも玲奈は翠に近付きいつの間にか腕に手を回している。

 このまま話していると押し倒されそうな雰囲気だが翠も流石に意識の有る状態で好きにされるつもりは無い。

 ただ細いのに骨張った感触が無く柔らかいというまともな人間の身体としては考え辛い玲奈の魅力はあらががたく、翠は話しの最中はこのままで良いかと思ってしまう。


 その辺の思考の誘導も含めて恐らく玲奈の異常性なのは理解しているが、翠は取り敢えず話を進める事にした。


「翠さんや朱夏ちゃんみたいに普通に接してくれる人は初めてです。両親でも父はどこか私を性的に見ていましたし、母はそんな父を見て私に嫉妬しっとしていましたから」

「まあ俺も朱夏も変に感情的に成らない訓練をしてるからね」

「ふふ。非合法との事でしたけど、鬼に関わる方なんですね」

「分かっちゃうよねぇ」

「ええ。翠さんは影鬼なんて鬼の付く偽名ですし、朱夏ちゃんも熱島は四鬼のホームページに焼土鬼しょうどきとして紹介されていました」

「アイツは家出中で鬼じゃないけどね」

「影鬼という偽名の意味は分かりませんが、鬼と付くからには関係が有るんですよね?」

「ま、その辺はいずれね。まだ知り合って短いし、もう少し俺達の事情が分かって来たら説明するよ」

「はい。待ってますね」


 とうとう翠の肩に頭を乗せて腕に胸を擦り付けて来る。

 ここまで近いと玲奈の頭部に翠の鼻が近付き室内の甘い香りが玲奈から発せられている事が分かる。やはり化粧品や香水の類ではなく体臭たいしゅうだ。

 こんな人物がそばに居た思春期の男子達は大変だっただろうと同情しつつ、社会人で我慢がまんが出来ない者は自業自得だと翠は切り捨てる。


窮屈きゅうくつかもしれないけど俺と朱夏が居ない日は事務所に居て誰にも会わないでくれ。宅配にも出なくて良いからさ」

「はい。ご迷惑お掛けします」

「全く、君に俺を紹介した奴に君の事情を聞きたいけど何かハッキリしないんだよね」

「そんなに私の事、知りたいですか?」

「知らないと何か有った時に対処出来ないしね」


 言いながら玲奈が身体を擦り付ける様に呼吸に合わせて身体を上下させる。完全に誘っている様で頬は赤く成り口は翠の耳元に寄せてささやいている。

 昼食を終えた程度の昼間で特に防音もされていない部屋だ、下の階の朱夏に聞こえる可能性も有るので露出癖ろしゅつへきの無い翠としては乗り気には成れない。


 つかまれている左腕を玲奈の腰に回して軽く撫でながら玲奈の頭部に手を伸ばし、ゆっくりと離れる様にうながした。

 翠の意図を察した玲奈は名残惜しそうに身体を離し、肩が触れる程度の距離に戻る。


「玲奈さんも知らない君の秘密はどこかで調べるとして、しばらくはゆっくりしてくれ。もしかしたら玲奈さんに手伝って貰う仕事も出てくるかもしれない」

「はい。その時は全力でお手伝いしますね」


 過剰かじょうに力を込めない穏やかな返答に少しの安心感を覚えて翠は玲奈の部屋から退出した。

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