日本の首都、東京は面積としてはせまいが非常に広い街だ。

 1つの都市、地域にしては異常なまでに多様性たようせいんでおり新旧の建築物と世界中の文化が入り乱れている。


 朱夏あやかが男に連れてこられたのはそんな東京の中でも玄関口げんかんぐちと呼ばれる羽田空港近くの街だ。横浜が近い事も有り多少のかたよりは有るがそれでも人種も国籍こくせきもバリエーションに富んでいる。

 そんな中で何の看板かんばんも立てていない事務所が有る。


影鬼かげおに派遣事務所・蒲田営業所』


 日本では妖魔が発生すると警察機構に所属する鬼、四鬼しきが対処する。

 そして鬼になる権利が認められるのは四鬼に所属する者だけであり、それ以外の者が鬼に成る事は例外無く違法いほうとなる。


 そんな犯罪者達の中、影鬼と名乗り活動する一派いっぱが居る。

 それが男が所属する影鬼であり、男はその中でも蒲田で活動している者の1人だ。


 駅前から伸びる大通りに面した事務所でありながら看板は無く空きテナントだと思っている地元住民も居る程に人気ひとけが無い。

 十字路のかどに建つ4階建てテナントビルの2階、北西に面して日当たりは悪い為に家賃が安く自堕落じだらくな性格の男は気に入っている物件だ。

 しかしながら同居人である朱夏としては不満も多い。


「洗濯物は全部乾燥機かんそうき任せってどうなの?」

「まあまあ、知ってるでしょう、影鬼は日陰者なんだよ」

「言葉通りに日陰に入らなくても良いでしょうに」

「名は体を表すと言うじゃないか」


 らずぐちの絶えない翡翠ひすいの騎士、影鬼翠かげおに・みどりは最初から朱夏には偽名ぎめいだと伝えてあり朱夏は本当に翠の事で知っている事が性別しかない。他に分かる事と言えばいつも減らず口を叩いている事だけで本心も分からない。


 朱夏が船から連れ出されて2週間、脱出時には船のスタッフを何人か殺害して朱夏の事が記述された資料を焼いたりと乱暴な手段を取った翠の印象は1つも変わっていない。

 影鬼としての仕事を3日に1回程度受けているが隠蔽工作いんぺいこうさくなどほぼ考えず妖魔を殲滅せんめつする為に破壊活動を行う様子も見られた。


 事務所に居る時はネット麻雀まーじゃん、漫画、映画、動画ばかりで鬼としての訓練をしている様子も無い。

 駄目人間かと思えば街のチャリティイベントやボランティア活動をしたり朱夏のようなうしぐらい相談先を持たない者を見つけては世話を焼いたりもする。


「何で反社会的勢力の影鬼がボランティアしたり警察より市民の為に動いたりしてんのよ」

「『悪党が募金してはいけない』って法律は無いだろう?」

「……確かに」

「俺は影鬼から仕事以外は好きにしろと言われてる。逆に仕事以外まで口出しされるなら影鬼にも所属してないだろうし」

「自由人」

「犯罪者なんて多かれ少なかれ、だと思うけどね」


 事務所の中、事務机に置かれたノートPCを操作しながら応える翠に朱夏は机に腰を乗せて溜息ためいきく。

 見た目だけなら翠は20代前半なのだが朱夏にしてみればそれすら疑わしい。整形で見た目年齢は有る程度は誤魔化せる。朱夏からすればその程度に疑わしいのが翠という男だ。

 そんな時、事務所の扉がノックされた。


「ここに直に来る客が居るなんてね」

「ふふん、人徳じんとくがあるだろう? 開けて貰えるか?」


 これでは家政婦ではなく助手じょしゅだと思いながら朱夏が来訪者らいほうしゃの為に扉を開ける。

 少し驚いた顔をして入って来たのはフォーマルなスーツ姿の女だ。明らかに朱夏を見て驚いており、直ぐに事務机に居る翠に視線を移す。


「ここはいつから託児所たくじしょになったのかしら?」

「ベタな台詞せりふをどうも」


 女の言葉を流した翠が朱夏を見れば何も感想は無いようで事務所の奥に有る給湯室きゅうとうしつでコーヒーを用意し始めた。

 業炎鬼ごうえんきの訓練には無表情に成る事で無感情になる訓練が組み込まれており分家の焼土鬼しょうどきでもそのノウハウは蓄積ちくせきされている。朱夏も17歳は鬼の業界では子供だと考えており、その意味で自分が子供だと理解しているので何も思う事は無い。


 何の反応も無い朱夏に拍子抜ひょうしぬけした女はうながされた通りに翠の前に置かれた椅子に座り、朱夏が差し出したコーヒーに口を付けた。


「あら、美味おいしい」


 こんな怪しい事務所に来るには整った身なりの女は地味な化粧けしょうで分かり辛いが美人だ。意図的に目立たない化粧をして集団にもれる様に意識しているのかもしれない。


「ウチの助手は優秀でね」

「え?」

「……本人が驚いてるんだけど?」

「ふふん」

「いや、ドヤるところ? まあ良いわ、仕事の話をしましょう」


 翠の知り合いが来た事に朱夏は何の反応も示しておらず女としては意外だった。

 しかも翠が人をめる所を女は初めて見た。

 それでもコーヒーをれる間に多少の時間は経っている。

 時間も限られているのでコーヒーで口の中をすっきりさせて早速仕事の話を始めた。


「明日の便びんで九州から荷物が届くの」

「そうか」

「その荷物を強奪する連中から守って」

「あ、そっち?」

「ちょっと面倒なのは護衛が他にも居るのよ」

「他? もしかして、四鬼か?」

「ご明察めいさつ。今回の積荷つみにはちょっと特殊でね、相手は外国よ」

「四鬼だけじゃ足りない理由は、聞かない方が良いか?」

「そうね。いつも通り何も聞かないで欲しいわ」

「分かった。四鬼はこっちも狙ってくるんだろう?」

「ええ。共闘は出来ないわ」

「それが事前に分かっていれば充分だ」

「必要な情報と考えられる危険はこれにまとめてある。仕事が終わったら焼却しょうきゃくして」


 女はかばんから薄い冊子さっしを取り出し事務机に置いた。表紙は真っ白で何の飾り気も無い。

 その無機質さに朱夏は不気味さを覚えたがそれは彼女がそれなりに裏家業の雰囲気を知っているからだろう。その自覚は有るので朱夏は特に何も言わずに2人の会話に口をはさまない。


 女は席を立って朱夏と1度目を合わせ、事務所を出て行った。

 コーヒーを気に入ったのは本心のようでしっかりと楽しめる量が減っていた。


「影鬼ってこんな仕事もしてるの?」

「時にはね」

「影鬼が四鬼の仕事を手伝うって、マジ?」

「意外と有るんだけどな。四鬼の方でも全国の妖魔退治の為に人手が十全じゅうぜんとはがたい。だから全力で異端鬼いたんきを狩るような事はしないのさ」

「互いの利益りえき合致がっちするから?」

「多少、って注釈ちゅうしゃくが付く」

「分からないんだけど、影鬼にとって妖魔を狩るメリットって何なの?」


 朱夏の当然の質問に翠は困ったようにまゆせた。

 背凭せもたれに思い切り寄り掛かって天井てんじょうあおぎ、1度目をんでから朱夏に向き合った。

 2週間でいだいた印象から程遠い真面目な表情に朱夏も緊張をいられるが、その分だけ興味がいて事務机越しに翠に顔を寄せる。


「実は俺も知らない」

「えぇぇ……」

「まあ影鬼に所属している異端鬼はそれぞれに事情を抱えているからな。正しく答えるなら、人による、だ」

「じゃ影鬼本家の目的は?」

「それこそマジで知らないな。というよりも知らない方が良い」

「え?」

「仮にも警察とタメ張る裏組織のボスだ、俺みたいなしたはね、関わらない事が最良さいりょうの防衛策なの」

「そんなレベルなの?」

「そんなレベルなの」


 嫌そうに顔をゆがめた朱夏は翠に背を向けて事務机に寄り掛かりズルズルと座り込んだ。


「何て所に来ちゃったんだろ」

「人生何が起きるか分からないものさ。君は四鬼、シスター、影鬼と数奇すうきな人生を送っているとは思うけど」

「シスターは特殊も特殊よ」

「四鬼から影鬼よりは少ないと思うけどね」


 考えるとつらい気持ちになりそうだったので朱夏は考えるのを止めコーヒーカップを片付ける事にした。

 翠もこれ以上に軽口を言うつもりは無かったようでノートPCを手元に寄せる。事務所にタイピング音を響かせながら次の仕事の為に翠は羽田空港の間取まどりを調べ始めた。

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