災禍の底ー2021年9月

 海上かいじょうに浮かぶ船があった。

 海上のカジノホテル、そう表現される程度に金と権力の集まる客船きゃくせんだ。


 月に照らされた純白の船体に似合わず船内は金があふれ、上半身ストリップの女たちがポールダンスや酒で男たちを持て成している。

 全員が人目を気にしたマスクを掛け男も女も素性すじょうは分からない。それでも体格や声から参加者同士で相手の正体は想像は出来ている。


 それを含めて知らぬフリをするのがここのマナーだ。

 そんな欲望に満ちた客船の中、不釣ふついに神聖な装飾そうしょくの空間があった。入口は両開きの大扉で過剰かじょうなまでに十字架で装飾されている。ドアノブまで十字架形状になっているあたりデザイナーの偏屈へんくつさを伺わせる。


 扉の中は十字架にそくしたようにカトリック式の教会だ。

 しかし日本人デザイナーが男を喜ばす為にデザインしており懺悔室ざんげしつの奥には隠し扉が有り複数のベッドルームに繋がっている。

 教壇きょうだんの下には人が隠れられるスペース、意図的に柱は大きく作られ物陰が多く、別の部屋に繋がる扉もある。


 修道女ともシスターとも明確に区別できないが妙に身体のラインが強調される聖職者風の服の女が数人、聖書らしき本を持って距離を取って席に着いている。

 その女たちを値踏ねぶみするようにスーツ姿の2人の男たちが教壇から全体を見渡している。


 ここの客だが1人は若い実業家と表現されそうな細身の体躯たいくをしており、もう1人は中肉中背でスキンヘッドだ。

 知り合いではないらしく互いに簡単な挨拶あいさつだけして各々おのおのが女たちを見ている。

 あごに手を当てて腕を組む実業家風の男にスキンヘッドが声を掛けた。


「表のカジノには興味が無いのですかな?」

「はは、少々旗色はたいろが悪かったもので気分転換です」

「ああ、それはお気の毒に」

「そちらこそ、どうされたのです?」

「昔から神聖な物に引かれるたちでしてね、まあ一種の参拝さんぱいといったところです」

「それは信心深い。良き事です」


 軽く話して、実業家の男は最奥の若い女に声を掛け懺悔室にうながした。

 少し後にスキンヘッドが別の女に声を掛けて懺悔室とは別の扉に入っていく。

 懺悔室に入った2人、実業家の男が先に話し始めた。


「ここに来て長いのか?」

「ええ。ここは迷い人が多いですから」

「そうか。俺も君からすれば迷い人か?」

「貴方は違いますね。迷いが無いとは、貴方を知らない私には言い切れませんが、少なくとも強く目的意識を持っています」

「ここの客は大なり小なりだと思うが?」

「ええ、8割はそうです。しかし中には悩みを晴らす為にこの船に来られる方も居ます」

「意外だな」

「どこまで行っても人は人、必ず例外が有り少数派が居ます」

「なるほど、真理だな」

「ええ。それよりも本日は懺悔ざんげをお望みですか? それとも救いをお望みですか?」


 懺悔室の中か、それとも奥のベッドルームか、そういった意図の選択肢だが実業家の男は懺悔室を選ぶ合図あいずとして足元の壁を軽く爪先つまさきで小突いた。


 せまい室内の足元の壁が開きかがんだ女が頭から入ってくる。つんいの姿勢で細身の女が薄暗い室内に入ってくる姿はそれだけで煽情的せんじょうてきだが男の方に反応は無い。女の侵入しんにゅうを腕を組んで待っている。

 静かに這い寄る女が男の太股ふとももに手を乗せ、身体を起こすように力を込める。


「震えているな」

「……そうでしょうか?」

「君の素性すじょうは知っているがな」

「……何をおっしゃっているのかしら?」

「まあ今は楽しもう」

「……分かりました」


 渋々と男の言葉に従い女が膝に乗って男に抱き着く。

 やはり身体は小刻みに震えており明らかに経験が少ない事が分かる。男の調べでは女が客を取るのは今日が初であり先程の言葉も運営が指導したマニュアルにしたがったものだ。


「さて、事前調べだと初物はつものだが、本当はどうだ?」

「……」


 ほぼにらまれているに等しい視線にも平然として男は女の腰に手を回す。

 男が手を動かす度に小さく震える女の反応を見て確認した男は女の耳元で鼻で笑い手を離した。

 何事かと怪しむ女に対して男は両手を上げてみせた。


『自分で思いつくようにしてみろ』


 男のジェスチャーをそう取った女は震えをこらえながらキスをしてみせた。

 その初々ういういしさに今度こそ笑ってしまった男が肩を掴んで距離を取った。


「いや、すまない。今日は女を抱きに来たんじゃないんだ」

「……何だって言うの?」

「君を選んだのは1番口がかたそうだったからだ。奥の部屋を貸してもらうぞ」


 そう言って足元の開いた壁から脚だけでスイッチを操作して隠し扉を開く。

 スイッチの位置まで調べされている事に目を見開いた女を抱えたまま男は通路を通って迷い無く1つの扉を潜り、女をベッドに放り投げる。


「結局、やる事はやるんじゃない」


 そう皮肉気ひにくげに言った女には視線すら向けずに男は左手に奇妙なグローブをめる。親指の腹と中指の先端に翡翠ひすいの宝石が付けられており、手の甲には槍と杖が十字に重なったエンブレムが付いていた。

 女が男の素性すじょうを察して目を見開く中、男は左手で指を鳴らし親指と中指の翡翠を打ち付ける。


 その瞬間、男の周囲に翡翠色の鎧が現れ男の身体をおおっていく。西洋鎧を思わせる鉄の服のようではあるが、肩回りや下半身ははかまを思わせるデザインで動きづらい様には見えない。

 右手に十字薙刀じゅうじなぎなたを持ち、左腕全体を赤いマントが覆っている。左の手の甲にはグローブと同じ槍と杖のエンブレムが残っており、マタドールや西洋の騎士を思わせる。


「……鬼」

「まあ、正確には違うんだがな」


 そう言った翡翠の騎士は壁に向けて腰を落として右腕1本で薙刀を引き絞る。


「斬り飛ばせ」


 マントが薄く発光し槍が金属ではなく、光のかたまりに変化する。


嵐牙転刃らんがてんじん


 翡翠の騎士はその刃を横薙よこなぎに払う。

 その動作に合わせて光刃こうじん軌跡きせきえがき、明らかにその軌跡に合わない光量が女の視界を焼く。まぶしさに慣れて女が目を開けば男は鎧を解いて小さく息を吐いて落ち着いているところだった。


 男が薙刀を振るった先、スキンヘッドが女を連れ込んだ部屋が有る壁には傷1つ無い。

 しかし女の想像力は既に答えを出していた。


「どちらかが、妖魔だったんですか?」

「うぅん。秘密って事で」

「貴方、鬼だったの?」

「ちょっと違うんだが、まあ気にするな。お互いに騒ぎは嫌だろう?」

「……ええ」

「俺はもう帰るよ。君も仕事に戻った方が良いだろう?」

「貴方、特殊部隊とか、何かなの?」

「ははは。言ったろ、気にするべきじゃない。それとも俺に付いてくるのか?」

「……私は」

熱島朱夏ねじつま・あやか。17歳。業炎鬼ごうえんきの分家、焼土鬼しょうどきの家系。稼業かぎょうぎたくなくて家出。根無ねなぐさ履歴書りれきしょらない職を転々としている」

「……本当に調べてあるのね」

「言っただろう。口が堅そうだって」


 静かになった朱夏に薄く笑い掛けて男は小さく伸びをした。

 懺悔室と同じ、思う事をやってみろと言いたげなその姿に朱夏はベッドから降りた。


「連れて行って。役に立ってみせるわ」

「へぇ。どうやって?」

「……夜のお世話とか?」

「漫画の読み過ぎじゃないか?」

「くっ」

黒子くろこ程度には働けるか?」

「鬼に成れる程度には訓練したけど、最後まで終えてないわ」

「マジか。まあ聞いといてなんだけど戦力は求めてない」

「何なら求めてる?」

「家政婦」

「え?」

「家政婦。正直、家事をやってくれる奴が居ると本当に助かる」

「花嫁修業もさせられてたから家事は一通りできるわ」

「良いね。契約成立」


 手を差し出した男の手を朱夏が取った。

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