門の引力いんりょくさからわずに引き込まれたさくは引力に合わせて進めていたあゆみが急に重くなった感覚に驚いて足を止めた。

 引力が急に無くなったせいでバランスが崩れた事を理解している裂は少しつんのめったが倒れる事は無い。

 しかし、彼の背後に居た者はそうもいかなかったようだ。


「わっ」

「ぐっ」

「ああっ、ごめんなさい」


 裂をかばおうと追ってきた黒子くろこ同様どうように門に吸い込まれたらしく勢い良く裂の背中に衝突しょうとつしてくる。

 黒子の勢いで転びそうになった裂だが左足のかかとで回転しながらバランスを取り戻し、黒子を支える事無くらしてから体勢を整え周囲を見渡した。


 星が見えない事から屋内おくないと思われるが天井てんじょうらしき壁は見えない。不気味な岩の壁が裂たちを囲み正面のみ通路になっている。壁には顔にも見える三角形に近い配置でランプが規則的に並び光源は確保されていた。


 背後を見れば吸い込まれる直前に見た豪奢ごうしゃ装飾そうしょくの西洋両開き扉が立っている。壁に設置されているのではなく、地面から直接生えているようだ。扉に設置されたドアノブには幾重いくえにもくさりからみ付き巨大な南京錠なんきんじょう施錠せじょうされていた。

 軽く触れてみただけで人力じんりきでの破壊は不可能だと分かる程に硬い。


「前に進むしかないか」


 溜息ためいききながら裂は通路の先を目指して歩を進め始め、いきなり肩をつかまれた。


「ちょっと、こんな所を1人で行こうなんて無謀むぼうですよ!」


 起き上がった黒子が裂の歩を止める為に肩を掴んでから、札を構えて先を歩き出した。


……少しでも大きい妖魔が出てきたら役立たずだな。


 黒子の扱いについて見捨てる方向で決定した裂は何も言わずに彼女の後を歩き始めた。


貴方あなた、名前は?」

「は?」

「ああ、先に自己紹介しとかないといけませんね。私は青山霞あおやま・かすみ、今は私服だけど普段は警察で四鬼しき黒子くろこをやってます」


 通路を歩き始めた霞は一定間隔でふところから手に持っている札とは別の札を出して壁に貼っていく。

 目印となる札なのだろうが何の為か正確には分からない。


「……灰山はいやま

「へ~。鬼業界いたんきでは時々噂を聞く苗字みょうじですね」

「そうなのか?」

「ええ、一般的にはたまに聞く苗字だと思うけど鬼業界ではね、1つ噂があるんです」

「そうか」

「灰山はね、四鬼の1柱、業炎鬼ごうえんきとの派閥はばつ争いで衰退すいたいした一族の苗字なんだそうです」


 裂もそれは知っている。

 人の業を炎に変えて全てを焼き尽くす業炎鬼、人の意志を灰として積み上げ刃とする灰塵鬼かいじんきかずはなれず歴史の中で協力する事も有れば対立する事もあり灰山家としは最も因縁いんねんの有る間柄あいだがらだ。


 しかし裂個人としては業炎鬼には何の感情も無い。灰塵鬼が業炎鬼につぶされたのは裂の祖父そふの話で彼自身は特に被害を受けていない。好きにも嫌いにも成る理由が無かった。


「青山という事は、青山さんは激流鬼げきりゅうきの関係者か?」

「実家は激流鬼の分家ですよ。分かれたのは5代以上も前の話で今は本家の血はかなり薄いけどね」


 自虐的じぎゃくてきな霞に返答する言葉を持たない裂は通路の奥、曲がり角を見てあゆみめた。


「何か居る」

「え、あっ!」


 通路の奥の曲がり角から姿を現したのは人の腰程度の高さの異形いぎょうだった。悪魔を思わせる羽や角を生やし顔にはくちびるが無く歯茎はぐきが見え、目蓋まぶたは大きくギョロりとした目で獣のように2人を見た。


「何アレ!?」

「妖魔じゃないのか?」

「あんなの四鬼のデータベースでも見た事無いですよ!」

「なら新種なんだろう?」


 裂の考えとしてはそれだけだ。

 見た事が無い物は自分が無知か新種かどちらかだ。

 人は世界の全てを知る事など出来ないのだから、見た事も聞いた事も無い物があって当然だ。


「気楽に言いますね」

「下手に知識が有る奴の方が不足の事態には弱い」


 言い切った裂に霞は溜息ためいきき札を構えた。


「先に言っておきますが私は黒子、戦闘力はかなり低いですよ」

「一般人を不安にさせないでくれ」


 軽く振り返った霞は冷や汗を流しながら笑い、距離の有る内に札を起動させた。札に書かれた文字から水が生まれを描いて小悪魔へ向けて飛翔ひしょうする。


 着弾を確認する前から霞は両袖りょうそでを振って仕込んでいた札を左右2枚ずつ、合計4枚起動させ小悪魔へ向けて一直線に投げつけた。先行で発動させた札よりも鋭く尖った槍を思わせる小型の矢のような札は弧を描いたり重力に影響される事も無く小悪魔へ向けて直進する。


 初弾は追尾能力もあって肩へ当たりひるませ、追撃の4本が小悪魔の胴体どうたいへ3本、頭部に1本が的確に刺さる。


「倒した」

「雑魚で助かりましたが、油断は出来ませんね」


 札の数は有限だ。

 霞はそでふところ仕舞しまった札を確認しながら静かに歩き始めた。


……私も鬼に成れればこんな苦労はしないのに。


 単純に力量不足だ。

 彼女の力量では四鬼の基準とするメンタリティをたせていない。

 その基準を満たさない限り霞は黒子のままだ。


 通路はまだ続いている。周囲に気を張りながら一般人である裂を守れる位置を確保し続ける緊張感に霞の精神は限界をむかえていた。

 数回の小悪魔との戦闘では距離を取って確実に1体ずつを排除はいじょし進んでいく。

 通路はずっと1本道で迷うような要素は無く、やがて霞は門よりも更に大きく扉の無い門のわくを発見した。


「何、これ?」

「今日は超常現象が多すぎて疲れた」


 溜息を吐いた裂は霞が茫然ぼうぜんとしている間に止める間も無く無防備に前に出て先の見えない枠をくぐる。

 枠は向こう側が見えている。

 なのに霞には裂がカーテンの向こうにでも行ったように姿が見えなくなった。


「……おっしゃとおりよ、まったく!」


 一般人であるはずの裂がパニックも起こさず背後を素直に付いてきてくれた事は非常に助かった。戦闘でも常に霞から少し距離を取った背後に居てくれて気にせず立ち回れた事は確かだ。


 しかし、余りにも一般人らしくない。

 今の無警戒な行動だって普通ならば考えられない。

 出口だと思って急ぎ通ろうとするなら分かるが、彼はむしろこの先に希望が無い事を確認に行くような無表情だった。


……まるで、現場に入る鬼たちみたいですね。


 そんな訳は無い、感情を抑える事を前提ぜんていにする鬼にはんして、軟派なんぱに対して彼は余りにも感情的な行動を取ったじゃないか。

 そう自分に言い聞かせ霞は裂を追う為に枠を潜った。


▽▽▽


 枠を抜けた先はかわえしない通路ではあったが上階じょうかいへ続くゆるい角度の階段になっており丁度ちょうど先が見えない程度の高さで段が途切とぎれている。

 先に枠を抜けていた裂は身体からだほぐすように手足を回し激しい運動に備えていた。


「何をしているんです?」

「何か居る」

「……一般人の貴方あなたが張り切る事ではありません」


 既に裂が一般人では無いと疑念ぎねんを持っている霞だが今は尋問じんもんしている場合ではない。

 先に進む以外に選択肢せんたくしが無い今、霞は義務感から裂よりも先に階段へ踏み出し札を用意した。


 段に足を掛ける度に階段の先があらわに成る。登り切った先の左右の様子は壁に阻まれうかがえ無いが、正面は行き止まりになっているようだ。

 何事も無く出口の門が有って欲しいが、それは現実を見ない我儘わがままだと自覚し霞は緊張で重くなる脚にむち打って脚を上げる。


「最悪だな」


 階段を登り切った先、2人は完全な行き止まりになっている事を確認した。四方しほうを壁におおわれた入口の空間に似た行き止まりだが、門のような物が無い事だけが唯一ゆいいつの違いだ。

 それは同時に、出口が無い事を意味している。


「そんな、ここまで一本道だったじゃないですか」


 道中の疲労感とろうかんひざから崩れ落ちた霞を追い抜く形で裂が前に出た。


……あの巨体が居ない?


 裂が遭遇した巨大妖魔は道中に居なかった。この迷宮の中で待ち構えているのかとも思ったがその様子は無い。


 しかし、裂はあのステルスせいから今も眼の前に居ながら見る事が出来ないだけではないのかと疑念を捨て切れないでいた。

 四方を囲まれた空間の四隅よすみを確認しようと壁沿かべぞいに部屋を一周しようと考えて、を止めた。


まずい」


 裂はふと門に引き込まれる直前の、巨体から見下ろされる感覚を思い出し霞へ向けて走り出した。

 茫然ぼうぜんと座り込んだままの霞を突き飛ばして行き止まりから距離を取らせると、行き止まりを封鎖ふうさするように青白い円形の紋章もんしょうが現れ裂と霞を分断した。


「あ、悪い」


 異常事態の連続に思考停止していた霞は裂に突き飛ばされた事で階段を転げ落ちて行き、それでも途中で体勢を立て直し裂を見上げた。


「何をするの!?」

「助けたのにその言草いいぐさか」


 溜息を吐いた裂にった霞は結界にはばまれながらも裂の背後で輪郭りんかくのハッキリとしない巨体を見た。半透明でイヌ科を思わせる牙を生やした2.5メートル程の巨体、単眼たんがんでゴリラを思わせる太い上半身と鋭い爪に細い下半身。


 黒子ではどう足掻あがいても討伐とうばつ出来ない濃密のうみつな妖気をまとった妖魔がそこに居た。


「何で、今まで、妖気なんて、ほとんど感じなかったのに」

「ステルス性能を持った妖魔か。これは危険手当をもらわないとな」


 いつの間にか両手にグローブをめた裂が右腕を肩から回し妖魔へ向き直る。

 半透明だった妖魔は少しずつ実体を取り、やがては完全に実体化し裂へ威嚇いかくするようにのどを鳴らし始めた。


「逃げなさい!」

「どこにだよ?」


 反射的に叫んだ霞に首だけで振り返った裂が皮肉気ひにくげに笑みを返す。

 身体を充分にほぐした裂は色々な物をあきらめ、両拳りょうこぶしを身体の正面で打ち合わせた。


「装甲」


 灰を積み上げたようなザラザラとした質感の灰色の鎧、縁には細身ほそみ草紋そうもん緑金りょくきん彫金ちょうきんされ所々ところどころ黒曜石こくようせきがあしらわれている。ひじから通常の鎧では有り得ないやいばが伸びており関節部にはジェット機のスラスターを思わせるギミックが見て取れる。


「嘘、本当に異端鬼いたんきなんて」

討滅とうめつする」


 巨体を相手に全く引く様子無く、灰塵かいじんの鎧は妖魔へ大きく踏み込んだ。

 える妖魔の威圧感を物ともせず顔面に左ジャブを叩き込んでひるませ更に踏み込み、右拳を空振りながら肘の刃で妖魔の顔面をけずる。

 巨大な単眼たんがんに刃が当たらないように首をらした妖魔の下顎したあごを浅くいた肘刃ちゅうじんを引き戻し灰塵の鎧は後方へ軽く退いた。


「貴方、何なの!? その鎧、業炎鬼に滅ぼされた灰塵鬼だとでも言う気ですか!?」

「滅んでないだろ。俺が居るんだから」


 裂の当然の事のように指摘する言葉に何も言えなくなった霞は自分の思い込みに頭をかかえそうになった。


……情報はいくらも有ったのに、そんな訳無いと、そう思いたかったんですか、私は!?


 灰塵の鎧、改め灰塵鬼かいじんきは妖魔へ向けて再度踏み込んだ。妖魔が牽制けんせいで放つ数回の噛み付きを左右へのステップでかわしその度にジャブを放つ。


 噛み付きは顔面へ攻撃されるだけだと妖魔が攻撃方法を切り替える。

 剛腕ごうわんを振り上げすきが出来る事も構わずに拳を灰塵鬼へ向け振り下ろす。


 ギリギリで躱しカウンターを叩き込もうと身体をらした灰塵鬼は、確信の無い悪寒おかんしたがって大きく退いた。

 その回避行動のお陰で灰塵鬼は妖魔の拳が発生させた地響じひびきと地割じわれを躱し再び妖魔とにらみ合う。


 剛腕が生み出す衝撃に驚きはしたが灰塵鬼は再度距離を詰める。元々遠距離攻撃は持っていない。距離を取る意味は無いのだから前に出るしかない。

 小刻みなステップで妖魔が割った床を避けて距離を詰め、再度振り上げられた拳よりも更に深い位置へ踏み込んだ。


 拳が床を強打する直前、灰塵鬼は拳を振るう事無く妖魔の腹からわきに抜けるように移動し妖魔の脚部きゃくぶを踏台にして宙へ浮き衝撃をやり過ごす。落下の勢いを利用して体重を乗せた拳を妖魔の背へ放ち、反動で距離を取って着地する。


 背中側に居るだろう灰塵鬼を目がけて適当に振るわれる拳をくぐって躱し、ガラ空きになった妖魔のふところへ踏み込む。3連打を腹部へ叩き込み、怯んだ隙にアッパー気味の拳を鳩尾みぞおちへ放ち再度距離を取る。


 妖魔は全体重を掛けたボディプレスを放っていたが、危機感から距離を取った灰塵鬼には当たらず不発ふはつに終わる。


……ガラ空きだ。


 右肘を大きく引いて力を溜める。


「全て、さばく」


 肘刃ちゅうじんが伸び太刀を思わせる長刀ちょうとう形作かたちづくる。

 肘のスラスターに火がともり、灰塵鬼の身体を独楽こまのように回転させようと出力を上げ緑の火を断続的に小さく噴き出した。


塵刃じんば重斬じゅうざん


 拳を振るった瞬間、刃が緑色の炎に包まれスラスターが瞬間的に高火力による強烈な推進力すいしんりょくを灰塵鬼の右腕に与える。

 その推進力に逆らわず、しかし肘刃の軌跡きせきを完璧に操作する灰塵鬼の一閃いっせん寸分違すんぶんたがわず妖魔の頭部を上下に両断し、勢いを弱める事無く回転しながら縦切りへ繋ぎ妖魔を十字に切り裂いた。


「おまけだ」


 顔面を深く切り付けた事で妖魔の存在は既に消滅寸前だが、灰塵鬼は駄目だめしとばかりに再度スラスターを吹かす。縦切りで宙に浮いた身体を回転させ、4等にいた頭部の中央を拳で突破する。

 身体からだごと妖魔へ拳を突き立て十字の傷を広げながら更にスラスターを吹かし、頭部を完全に貫通し着地した。


 スラスターの勢いで地面をすべりながら着地を決めて振り返れば頭が半分亡くなり縦に深く裂傷れっしょうが入った妖魔の巨体が力無く膝を着いていた。

 分断された頭部は地面に落下しながら黒い粒子りゅうしに成って消滅していき、残された胴体も切断面から消滅が始まっていた。

 その奥、元来た通路をふさいでいた結界のような紋章も妖魔と共に薄くなり消滅し始めている事が分かる。


「灰山、君?」


 薄くなる結界の奥、かすみ茫然ぼうぜんとへたり込んで灰塵鬼を見つめていた。


「今の、迷宮のあるじだったんだな」


 鎧を解除し周囲を見渡して裂はこの異界いかいが薄くなっていくのを確認した。

 通路全てが淡い粒子をはっし始め現実の、袋小路ふくろこうじつながる細い路地ろじかさなり始める。


「おい」

「な、何ですか?」

「街で俺を見ても構うなよ。お互い関わらなければ面倒にならないんだから」

「そ、そうはいかないですよ! 君にはどこで鬼の鎧を手に入れたのかとか、あの路地で何をしていたのかとか聞きたい事が山ほどあるんです!」

「答える義理は無い」

「私は四鬼の黒子です! 今回のけん詳細しょうさいに上司に報告して一般人が巻き込まれないように対策する義務があります!」

「俺には関係無い」


 少しずつ現実に近付く空間で裂は霞から大通りへ向けて距離を取り、元の空間に戻った瞬間に霞に背を向け走り出した。


「待ちなさい!」


 現実に戻ると同時、裂と霞を分断していた結界も無くなった事で霞も裂を追う為に走り出したが大通りに出た瞬間、裂を完全に見失い足を止めた。


……くっ、この人混ひとごみで見つけるのは無理ですね。


 悔しい気持ちを抑え込み、霞はスマホを取り出し上司への報告に通話アプリを起動させた。

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