石鹸のお披露目

 話し合いの翌日、早速ヤミ市で香水を買ってきた二人は、石鹸の改良に乗り出していた。


「しかし香水一本で七百円とはぼったくりもいいとこだよな」

 真は不満げにそう呟く。

「兄さん文句ばっかり言ってないで手を動かしてよ」

 芹香がそれに答えながら二人はすり鉢とすりこぎ棒を使って石鹸を砕いていく。


「でもなんだかもったいないような気もするよな」

「いいのよ一度溶かしちゃうんだから」

 そう言いながらも二人は砕いた石鹸をボウルに移し鍋にかけ湯煎する。


 数分後、石鹸が溶けてきたところに香水を十ほどふりかけ混ぜ火からおろす。

「あとはこれを型に入れて冷ますだけよ」

 そう言って芹香は借りてきた重箱に中身を移す。


「ああ、今の段階から香りが違うな」

 真が重箱に鼻を近づけそう呟く。

「そうねこれなら出来上がりが楽しみだわ」

 そう言って芹香も腕を組んで満足げに頷くのだった。


****


 翌日。固まった石鹸を切り分けて新聞紙に包んでいると、 川崎にトラックを回送する途中だった速水が様子を見に寄ったので、それに乗せてもらい兄妹も川崎に行くことにした。


 ちなみに速水はトラックの補給や整備の関係でほぼ社屋に泊まり込みだったが、四日に一度ほどは実家に泊まるのでその時はトラックに乗って移動していた。

 そのため朝にトラックを返しに行く時があるのだ。


「いやぁ、寄ってくださって助かりました。

 ありがとうございます」

 真はそう言って頭を下げる

「いやいいさ。あの鉄道の混み方は殺人的だからな」

「本当ですよね」

 真はげっそりしながら答える。


 この時代の鉄道は都心部から地方に食料を買い出しに出かける人や都心部の家を焼かれ郊外から職場に通う人たちで物凄い混み方をしていた。


 その列車に毎日乗る真と芹香はさすがの精神力と言えるだろう。 (もっとも二人が良く乗る京浜東北線は都市部を走る近距離列車で買い出し部隊の人が比較的少ないという面もあったか)


「それで石鹸の方はどうなった」

 速水は石鹸の事が気になって仕方がない様で、トラックを発進させると早速訪ねてくる。

「上手くいきましたよ。なあ芹香」

 真は自信ありげにそう芹香に話を振る。

「ええ、これなら売り物になると思います」

 芹香もそう頷く。

「それは頼もしい限りだね」

 速水はそう言うと、快活に笑うのだった。


****


 そんな会話をしながら一時間ほどで一行は川崎の社屋にたどり着いた。

 一階の倉庫部分では今日も林田と相馬の二人が機械修理に励んでいた。


「 おはようございます速水さん。それと真君に芹香ちゃんも」

 相馬がそう話し掛けて来る。

「おはようございます。佐伯さんは二階かい」

「ええ」

 そんな会話をしていると二階部分から声がかかった。

「やあ、速水君。おや、真に芹香ちゃんも一緒かい」

「 おはようございます佐伯さん。

 早速アレがもう出来上がったそうですよ」

 速水が佐伯を見上げながらそう声を上げる。

「ほう、じゃあ早速だが見させてもらおう三人とも二階に上がってくれないか」

 と佐伯は言ってニヤリと笑うのだった。


 ****


「これがそうか」

 佐伯が呟く。

 兄妹は佐伯と速水に石鹸を渡して見せる。

「見た目は普通の石鹸よりも茶色いな」

「だが匂いはそれほど気にならないよ」

 石鹸を検分する佐伯と速水は口々にそう言う。


 そこに真が、タライに水を張り持ってきた。

「試しに手を洗ってみてください」

 そう言って芹香が使いかけの石鹸を差し出す。

「 うんそれじゃあ、………………うん充分石鹸として使えるよ」

「ああ、匂いも言うほどは気にならないな」

 佐伯と速水は手を洗いながらそう呟く。


「売れますかね」

 芹香は不安そうに佐伯の顔を眺め言った。

「安くすれば売れるんじゃないか? いくらぐらいでいるつもりなんだい」

「 工業品が十五円ぐらいなので十二円ぐらいで売れないかと……」

「中抜きされて八円ぐらいで売れれば良いか」

 佐伯が腕を組んで呟く。


「 材料費が一個三円、八円で売れば五円の儲けか。

 百個売れば五百円の儲けになる……良いな、売ろう」

 佐伯は暫くぶつぶつと独り言を呟くと、そう言って勢いよく立ち上がる。


「じゃあ石鹸の生産は真と芹香にやってもらおうか。

 それで良いですよね佐伯さん」

 速水が佐伯に確かめる。

「それで良いんじゃないか。

 そして二人の取り分 が一個につき二円でどうだろう」

 佐伯も速水にそう言って頷き返す。


 ちなみに現在の五行社の体制は佐伯と速水がそれぞれ機械部門と運送部門の長をしており、売上から自らの取り分をのぞいた分を五行社に利益として納めていた。

 つまり、取り分を認められたということは 一部門の長として認められたということだ。


「本当ですか!!」

「ありがとうございます!」

 真と芹香は顔を見合せるとそう言って喜び合う。


「卸し先は取り敢えず大原さんの所で良いだろう、お前らの家にも近いし。

 明日にでも話を通しておくよ」

 速水がそう言って、二人に笑い掛ける。


「ありがとうございます」

 芹香はそう頭を下げる。

「ただし、交渉はお前らではやってくれよ。詳しい事は俺にはわからないからな」

「「はい!」」

 速水に対してそう返事を返す兄妹はやる気に満ち溢れている様に見えた。


****


 石鹸を売ることが決まって後日、真と芹香の兄妹の姿は上野のヤミ市にあった。


「地図によるとこの辺りなんだけどな」

 二人は速水に書いてもらった地図を頼りにいつも食料を卸している大原の店に向かっていたのだ。


 実はこの二人。大原に未だかつて会ったことが無かった。

 芹香は川崎の社屋で会計をやっていたので会う機会もなく。

 真もいつも向かう先は松戸の倉庫だったので会うのは倉庫番の二人組だけだった。


 速水は、今日久しぶりの仕入れがあるとかで、二人に地図だけ渡して上野駅前でおろすと、トラックに乗って行ってしまった。

 そのおかげで子供二人で初対面の大人相手に商談を行うというかなり無茶な状況になっていた。


「まったく、結構速水さんもいい加減だよな」

「まあ、それだけ期待されてるって思いましょう。……この辺りじゃないかしら」

「あれ、ここって」

「コッペパンのお店ね」


 そこは二人はこの時代に来て最初に訪れた店だった。

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