大原という男
店に入ると 以前ケイタに怒鳴り散らしていた男がいた。
「いらっしゃい。ってお前らは……」
「……どうも」
「いつぞやのガキだな。……今日もコッペパンか?」
そう作業服の男改め大原は言った。
「速水さんの紹介で来ました。
田尻真です。こっちは妹の芹香です」
「……よろしくお願いします」
そう二人は自己紹介をする。
大原は一瞬目を見開くが、すぐに厳めしい顔付きニヤリ戻り
「……ああ、聞いてる。
自家製の石鹸を売りたいって?
まずは品を見せてみな」
と手を突き出す。
「……これです」
そう言って真は石鹸をひとつ差し出した。
「……ふーん」
大原は表面を撫でてみたり香りを嗅いだりと石鹸を細く検分する。
「 それでこれをいくらで売りたいんだ」
大原が二人をじろりと睨みながらそう言った。
「一個十円です」
芹香が一歩前に出てそう言う。
「高いな。一個六円なら買う」
大原は一言で切って捨てる。
「材料だってタダじゃないんです。一個九円」
芹香が言い返す。
「揚げ物屋から安く廃油を買い取っていくガキがいるって聞いたぞ。一個七円」
「手間賃だって入ってるんです。一個八円。
これ以上はまけられません」
「……まあいいだろう。一個八円で一月後までに何個用意できる」
大原は一瞬考え込むと芹香を見てそう言った。
「四百個は行けます」
「全部買おう。その次は売れ行きを見てからだな。
それでいいか」
「はい。宜しくお願いします」
そういうと芹香と大原は固く握手を交わすのだった。
****
それから数週間後、石鹸は順調に生産されていた。
原材料である油と苛性ソーダさえ手に入れば量産できるので、真と芹香は朝から晩まで働き続けた。
しかし石鹸作りは思った以上に大変だった。
「うーんこの固まり具合だと少し泡立ちが良いような気がするなぁ。
あと少し粘りがある方が肌には良さそうだなぁ」
芹香はぶつくさ言いながらも楽しげに作業を続けていた。
「なぁ芹香。
石鹸作るの楽しいか?」
「ええ、面白いわよ。
それにこれでお金が入るんだもの楽しみにもなるってもんでしょ」
「まあそりゃそうなんだけどさぁ」
「それより兄さんは楽しくないわけ」
「いや俺だって楽しんでるけどさ。
でもこう毎日同じことばかりしてたら飽きてくるだろ」
「それは否定しないけれどね」
そんな会話をしながら真はせっせと木枠(林田と相馬に作って貰った)の中に溶液を入れていく。
「よし、こんなもんかな」
そう呟くと真は木枠を持って縁側に向かう。
「芹香、そっちはどうだ」
「こっちも出来たわ」
「じゃあ乾かすか」
「そうね」
「乾燥機もあるといいかもな」
「そうねぇ。
でもきっと高いわよ」
こうして石鹸は木枠に詰められ、あと一ヶ月熟成させると完成する。
この数週間で石鹸の在庫は四百個を越えた。熟成待ちを含めるともう少し増える。
そして今日も真と芹香はせっせと石鹸を作り続けるのだった。
****
「真さん芹香ちゃんお疲れ様。お茶が入ったから休憩にしましょう」
そう声をかけてきたのはお重だった。
「ありがとうございます」
真はそう礼を言うと二人はお重と一緒に居間へと向かう。
「はいこれ。今日のお菓子ですよ」
そう言って差し出されたのは薄皮に包まれた饅頭のようなものだった。
「これは?」
「小麦粉を練って蒸したんですよ。
中に餡子が入ってるんです」
「へぇ、いただきます」
そう言って真は口に運ぶ。
「うん美味しいですね。甘すぎなくて食べやすいです」
「良かった。うちで作った特製の芋餡を使ってるんです。サツマイモを裏ごしして砂糖を少し入れてじっくり煮込んで作ったんです」
「砂糖!! ああだからちょっと甘いんですね」
「ええ、でもしつこくはないでしょう。
これなら子供にも人気が出ると思います」
「確かに良いアイデアかもしれませんね」
そう言って三人で笑い合う。
「ところで真さんに芹香ちゃんも、最近随分忙しそうにしてますけど大丈夫ですか? あんまり無理しないでくださいね」
心配げなお重の言葉に芹香は笑顔で答える。
「はい。大丈夫です。
むしろ今は楽しくなってきました」
「それならいいのですが……」
まだどこか納得いかない様子のお重だったが、それ以上は何も言わなかった。
****
その翌日、大原は約束通りに石鹸四百個を三千二百円で全て買い取った。
「……三千二百円、確かに」
「おう。売れるようならまた頼む」
そんなやり取りの後二人はすぐに店を出た
「ふぅようやく終わったな」
「そうね。これで当分の資金の目処はついたわ」
「それにしてもまさか本当に売れるとは思わなかったな」
「私もよ。でも売れたんだから結果オーライじゃない」
「それもそうだな」
二人で笑い合う。
すると突然芹香が前のめりに倒れる。
「 おい! 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると芹香は苦しそうにしている。
よく見ると顔色は青白く額には汗が浮かんでいる。
「すごい熱だ!!」
真はそう言って驚く。
芹香は幸いなことにすぐに意識を取り戻した。
ただ高熱のせいで目が虚ろになっている。
「兄さん……」
「お前一体何でこんなになるまで黙ってたんだ!」
しかし芹香は荒い息を繰り返すだけで答えない。
「何とか言えよ! 頼むからさぁ」
その時、真は芹香の手が小さく震えていることに気づく。
「……寒い」
「……とにかく家に戻るぞ」
そう言うと真は芹香を抱き上げ歩き出す。
そしてしばらく歩いた後、真は立ち止まる。
「もうすぐ着くからな」
「…………うん」
「寒くないか?」
「…………うん」
そう言ったきり芹香は目を閉じてしまう。
そして真の腕の中で芹香は気を失った。
****
「んっ」
芹香が目覚めるとそこは自分の部屋だった。
「あれ?」
(確か私は石鹸を売りに……)
そこまで考えた時、芹香はハッとする。
慌てて起き上がろうとすると誰かがそれを止めた。
「起きたのですか? もう少し寝てなさい」
「お重さん?」
「体は大丈夫ですか?」
「うん。どうしてここに?」
「覚えていないのですか? 真さんがあなたを背負って帰ってきんですよ」
「兄さんが?」
そこで芹香は思い出す。
自分が倒れてしまったことを。
「兄さんは?」
「隣の部屋で眠っています」
「そっか。迷惑かけちゃったな」
「そんなことはありません。それより何か食べられそうなら作りますけどどうしますか?」
「うん。お願いします」
そう答えるとお重は静かに立ち上がる。
そして台所へ向かう前に一言だけ呟いた。
「全く。無茶ばかりして」
それは誰に対しての言葉なのか。
芹香にももちろん聞こえていた。
「ごめんなさい」
芹香の小さな謝罪の声は誰にも聞かれることなく消えていった。
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