堂島家にて
実は静江は清十郎から話を聞き終わるとゆっくりと口を開いた。
「なるほどそういうことでしたか……。その速水さんという方にはきちんとお礼をしなければなりませんね、息子の命の恩人ですから。
着物の件はそれで良かったかもしれません。あれは父上から頂いた形見ですので。
……あなた方も息子の友人であるわけですから断る理由はありません。
しばらくの間我が家でゆっくりしていってください」
「ありがとうございます! 助かります!」
真は心底ホッとした表情を浮かべ、頭を下げた。
「しかし!あなたたちが商売をすることには反対です」
静江は穏やかな表情から一変して、厳しい表情でそう告げる。
「何故ですか?」
戸惑っている男二人を置いてきぼりにして芹香は冷静に訊き返す。
「あなた達はまだ子供です。世の中には悪い大人も沢山いるのになぜあなたたちがその中に入らなければいけないのですか?
そもそも闇取引は犯罪です。糊口をしのぐために仕方なくものを交換する程度ならまだしも大儲けを企むなんて良い行いとは思えません」
静江は毅然とした態度でそう話す。
芹香も負けじと言った
「それでも私たちにはお金が必要なんです」
「……何か事情があるのですか」
「 ……私たちみたいな身寄りもなく何の力もない子供はどのみち悪人に骨までしゃぶられて利用されるんです。そうならないための力が必要なんです。
そのためには綺麗事なんて言ってられないんです」
「……」
「……」
静江と芹香はそれから暫く睨み合う。男たちはその迫力に呑まれ、口を挟む事ができないでいた。
やがて根負けした静江がふーっと息を吐くとこう告げた。
「わかりました。そこまで言うのであれば仕方がありません。ただし条件をつけさせて下さい」
「なんでしょうか」
「まずは体を大切にすること。そして危険なことはしないこと。
もし約束を破った時はどんなことがあっても許しません。
あと、清十郎のことをお願いします」
そう言って深々と頭を下げられ芹香は慌てて顔を上げるように言う。
「はい。肝に命じておきます」
「ならいいです。さぁせっかくのお茶が冷めてしまいましたね。新しいのをお持ちしますので少々お待ちください」
そう言い残して静江は再び台所へと向かった。
「ふぅ。緊張したぜ」
真は肩の力を抜いた。
「母上は基本的にああいう性格だからな。あまり気にしない方がいいよ」
清十郎が苦笑しながら言った。
「でもお母さんって優しいのね。私びっくりしちゃった」
「うん。良いものだな」
真はまだ両親が生きていた頃を思い出しながらそう言った。
そんなことを話していると居間の扉がノックされ誰かが入ってきた。
「あら誰かしら」
「下女のお重さんだよ。祖父が生きていたときから住み込みで働いてくれているんだ」
「 お茶をお持ちしました」
そう言ってお重はお茶のお代わりを差し出した。
お重は年の頃は七十半ばほどの老婆だった。
「ありがとう。母上は?」
「 お部屋にお戻りいただきました。どうやら私が 買い物に出た間に起きだしてしまったようで」
「だいぶ具合が良さそうだったけど」
「坊っちゃん、いけませんよ。お医者様もあと五日は養生をするように、とおっしゃっていたはずです」
お重はそう清十郎を窘める。
「坊ちゃん、それとこのお二方をお世話するように静江様がおっしゃっていたのですが」
「彼らは僕の友人で真君と芹香さんっていうんだ」
「真です。宜しくお願いします」
「妹の芹香です。お世話になります」
二人がそう挨拶をするとお重は笑みを浮かべ、
「あら、坊ちゃんにこんなお友達出来たなんて。長生きはするものですわ」
と、コロコロと笑った。
「もう!それはいいから!!二人の世話を頼まれたんでしょ」
清十郎はそう言って怒った。
「はいはい。それでは坊っちゃん、体を清めて着替えをしておいてくださいね。もうすぐ夕ご飯になりますから。
お二人は付いてきてください、お部屋にご案内します」
お重はそう言いながら歳を感じさせない素早さで立ち上がった。
****
二人が通されたのは六畳一間の和室の客間であった。
その後、静江が二人のために清十郎の父と清十郎の古着を、着替えとして持ってきてくれたり。
また起きだしていた所をお重に止められたりといったことがあったが、 概ねふたりは夕食までゆっくりと過ごすことができた。
夕食は静江が病のために一人で食べ、お重が給仕に付くため。三人で食卓を囲むことになった。
内容は蒸したさつまいもが一人半分。小麦を練ったすいとんと菜っ葉が入った汁物が一人お茶碗一杯だった。
二人としては 少し物足りなかったが、清十郎が喜んでるということは充分豪華な部類に入るのだろう。
「 清十郎それで明日会いに行く人はどんな人なんだい」
「なんでも父が任官して最初に艦に乗った時の直属の上官だったらしい、ウマがあったらしく先方が艦を降りた後も休暇の日には会いに行ってたそうだよ」
「へぇ」
「僕も最後に会ったのは八つの時なんだけど、 いつも小遣いとかをくれたので佐伯おじさん佐伯おじさんと言って懐いてたんだ」
その佐伯という人は外国から車を輸入する事業や 輸入した車を販売することカーディーラー的なことから、それを修理する自動車修理工場のような事業まで幅広く事業展開していたらしい。
「何か車を安く貸してくれるといいな」
「そうね兄さん」
そんな話をしているうちに三人は食事を終え、各々の部屋に戻った。
****
この時代電気の供給も不安定で、明かりがないせいか夜寝るのも早かった。
二人も夜早くに貸してもらってお布団に入り、横になりながら話をしていた。
「しっかし、長い一日だったな」
「そうね、しかしなんとか寝るところも確保できてよかったわね兄さん」
「ああ、それだけでも俺たちは運がいい」
「でもケイタたちなんかは」
「……どのみち今の俺たちにはどうすることもできない」
「……わかってる」
「 もう寝よう。居候が起きるのが遅かったらシャレにならないぞ」
「そうね、おやすみ兄さん」
「おやすみ芹香」
****
その夜、真は夢を見た。両親との懐かしい夢だ。
父親と幼い芹香を抱いた母親が一生懸命何かを話す真の頭を撫でている。
そんな優しい夢だった
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