列車に乗って

 翌朝、真が目が覚ますとと外はまだ暗かった。隣を見るが芹香の姿はない。

 (トイレかな)と思いつつ二度寝をしようと目を瞑ると、外から水を流す音が聞こえてくる。


窓から顔を出してみると、そこには着物姿のお重がいた。彼女は井戸から手桶に水を張り、何回も洗面器にすくいながら顔を洗っている。


 見ていると彼女がこちらに気付く。

 一瞬驚いたような表情を見せた後、笑みを浮かべて

「おはようございます」

と言いながら頭を下げてきた。


 釣られてこちらもお辞儀をする。

「はい。おはようございます」

「いえいえ。じゃあ私はお仕事があるんで失礼しますね」

 お重はそういうとお辞儀をして立ち去って行く。


 一人きりになったところで、真は改めてあたりを見回す。

 昨日は気づかなかったがそこには見事な庭園……ではなく、菜園が広がっていた。日々の食料の足しにするのだろう。


 ふと空腹感を覚え、部屋の時計を見る。

 時刻は朝の五時半を回ったところだった。

 まだ早い時間だが、何か手伝うことがあるかも知れないと思い真はとりあえず台所を探してみることにした。


 廊下に出ると右手に縁側があり、左手には障子戸が並んでいる。

 庭側にはガラス窓があるが、今は閉まっている。

 中の様子を伺おうと思ったが、それは後にしてまずは台所を探すことにした。


****


 台所にたどり着くと、お重が忙しく働いている。

 朝食は六時からなので、それまでに下ごしらえを済ませておく必要があるのだとか。


「あら、ちょっと待っててくださいね。もうすぐ朝食が出来ますから」

 お重はそう言いながら、味噌汁の入った鍋をかき混ぜる。


「何かお手伝いできることはないですか」

「え?! あら、まぁ。別に何もありませんよ。真さんたちはお客様ですし」

「いや、しかしお世話になるのです。なにか働かないと申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまって……」


「そうですねぇ、それではそこの食器棚に入っているお椀を出しておいてもらえませんか?」

「わかりました!」

 言われた通り食器棚を開けると中には大小様々な皿が入っていた。


 その中から比較的大きめのものをいくつか取り出す。

「これでいいですか?」


「はい、大丈夫ですよ。あとはこれを向こうの方のテーブルまでお願いできますか」

「はい」

 指示された通りに作業を進める。


 するとそこに芹香もやってきた。

「 おはようございます。私も何か手伝います」

 お重が

「 おはようございます。もう大丈夫ですよ、食堂で待っていてくださいね」

と、言ったので二人は食堂に向かう。


 食堂の椅子に座って真は芹香に尋ねた

「起きた時居なかったけどどこに行ってたんだ?」

「お手洗いよ。ついでに顔も洗ってきたわ。兄さんも洗ってきたら?」

「そうだな、そうするか」


 そう言って立ち上がると、ちょうどその時扉が開いた。入ってきたのは清十郎だった。

「清十郎おはよう」

「ああ、二人ともおはよう。」

 挨拶を交わした後、少しの間沈黙が流れる。


「どうしたの、兄さん」

 芹香が不思議そうに尋ねる。

「いや、なんでもない。それよりお腹空いたな」

「そうね、おなかすいたわね兄さん」


 そんな会話をしていると、今度は静江が扉を開けて入ってきた。

「あら皆さんおはようございます」

「「「 おはようございます(母上)」」」

「清十郎これを」

 静江はそう言うと一通の封筒を差し出した


「 母上これは?」

「 佐伯様へのご挨拶の手紙です。あなたたちの商売のについても少し触れておきました」

「 ありがとうございます母上」

「 私に出来るのはこれぐらいです。後はあなたたち自身の力で何とかしなさい」

 それだけ言うと静江は食事を持って運んできたお重に、自室に連れ戻されるのだった。


 今日もまた三人で食事をとる。

 今朝の朝食は芋と麦を混ぜた薄い芋粥に、芋の葉っぱを入れた味噌汁、あとは小さな目指しが一尾だった。

やはり少し物足りなかったが、真は出されたものを全て平らげた。


 食後のお茶を飲みながら、真は昨日から気になっていたことを口にする。


「ところで清十郎は学校はどうしているんだ?」

「国民学校に通っていたんだが、みんな集団疎開してしまって休校状態ってね。それでも一応卒業扱いなって四月からは中学校に進学する予定だよ」

「 清十郎は何で疎開しなかったんだ」

「母上を置いていけなくてさ」

そう言って清十郎ははにかんだ。


****


 それから一時間後、三人の姿は上野公園の西郷像前にあった。

 全国から金物がことごとく戦争のために消えていくのに、この西郷像だけは生き残った。不思議な因果である。


 西郷像はケイタの寝床の地下道とは目と鼻の先にあるので、 兄妹はまたケイタに会うかもしれないと思っていたのだが、結局会えずじまいだ。


「速水さんは、まだいないな」

「もうそろそろ来るだろう」

そんなことを言っていると、

「おーい」

と、 三人を呼びながら階段を駆け上がってくる速水の姿が見えた。


「悪い、待たしたか?」

「いえ俺達も今来たところです」

 真が代表して答える。


「じゃあ早速向かおうか、とりあえず川崎駅でいいんだろう?」

「はい。でもどうやって行くんですか、歩きですか?」

 清十郎が訊ねる。


「いや歩きでは半日かかっちまう、電車で行こう。切符は買ってあるから」

そう言って速水は切符を四枚取り出し、ニカリと笑った。


****


 それから暫く後、四人は車上の人となっていた。


 列車内はたくさんの人でぎゅうぎゅう詰めだったが、四人はなんとか席を確保することに成功した。

 だがそれでも座り心地が良いとはいえず、大変な事には変わりない。


 そんな中、窓際の座席に座る真の隣には芹香が陣取っていた。そして向かい側には清十郎と速水が並んで腰掛けている。


 列車はガタゴト揺れながら進んでいく。


「しかし速水さん切符代を出して頂いて。ありがとうございました」

「なに良いさ、列車の切符まで闇価格じゃないからな。

それより今後の話をしよう」

速水がそう言うと全員が表情を改める。


「まずはヤミ市の店の方なんだが、米や芋の類はいくらでも持ってきていいってよ。いつもの値段で買い取るってよ。ただ腐りやすい野菜の類は要相談だそうだ。

 あと親父の方はヤミ市に卸す米や芋は全部持っていっていいそうだ。ただ商売仲間が子供だとは言ってねえぞ。侮ることはないと思うが不安がるかもしれないからな」


速水はここで小声になり頭を寄せる。

「トラック一杯に積めば一万円以上の儲けになる。ここまではいいか?」

 三人が頷くのを確認して速水は話を続ける。


「あとここからが大事な話だ。

 真君と芹香ちゃんのお金は車の借り賃に当てる 。残った金で家の近所の野菜を買えばその儲けは君たちのものにしていい

 ……だが、家の米とかを売った分の儲けは 清十郎くんに紹介料として一割、真君と芹香ちゃんに車の貸賃分と配当として二割、俺が残りを貰いたい」


「それでいいわ」

  芹香がそう言うと、真と清十郎も頷いた。清十郎に至っては桁の違いに目を白黒させている。


「まあ全ては車を借りれたらの話だな、そうでなければ取らぬ狸のなんとやらだ」

 そう言って速水が笑ったのはちょうど川崎駅のホームに列車が入った時だった。

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