ヤミ市

「ここがヤミ市だぜ。兄ちゃんたち」

「……」

「……」


 ヤミ市にたどり着いた真たちは、何処から出てきたのかと思う程の人の数に驚いた。


 そこには、戦後のヤミ市といわれてまず想像する光景が広がっていた。

 そこかしこにテントが張られ、その上に食料の他洗剤等の日用品、高級品であろう着物まで様々な商品が並べられている。何処からか揚げ物の匂いが漂って来て空腹が刺激されるようだ。


「凄い人の数ね兄さん」

「ああ」

「みんな飢えてるんだね」

「そうだな」


 二人はそんなことを言いながらも、自分たちの生活を思い返していた。

 戦争の話を聞いたことは有るかも知れないが、実際に体験したのは初めてである。ここは真たちの知っているどんな光景よりも荒廃したものだった。


 バラック街の道端には、人が座り込み、うずくまっている。

 道行く人はそんな人たちを気にも留めずに歩いていく。

 三人は人ごみをかき分けながら前に進む。


 しばらく進むと、ケイタが立ち止まった。

「あそこだ」

 ケイタが指さした方を見ると、大きなテントがあった。


 どうやら、あそこが食料品の店のようだ。

ケイタがテントに向かって声をかけると、一人の男が出てきた。

 男はケイタを見るなり、何やら怒鳴りつけてきた。


「このガキ、てめえまた来やがったな! 次売り物かっぱらったらぶん殴るだけじゃすまさねぇぞ!!」


 男の年齢は40歳くらいだろうか? 髪は薄く、顔は脂ぎっていて、着古された作業服を着ている。真たちが近づくと、唾を飛ばしながらケイタに詰め寄ってきた。

 どうやらこの男が店主の様だ。


 ケイタはそんな男に臆することなく 店主を睨みながら答える。

「ちげぇよ。今日は客連れてきたんだよ」

「あぁん?」

「金ならある」

 真はそう言うと、財布を取り出した。


「ほぉ……見せてもらおうじゃないか」

店主がニヤリと笑みを浮かべた。

「これで足りるか?」

 真は百円紙幣を一枚店主に渡した。

「……」


 店主は無言で紙幣を眺めた。

「確かみたいだな。……で、何をお望みだい?」

「食い物をくれ」

「ふん。それならこっちだ」

 店主が顎でしゃくって後ろを示す。


そこには汚れた箱に入った缶詰等が並んでいた。

どれもこれも桁違いの値札が付いている。

 真はザルの上に山積みにされた握り飯とコッペパンを指差し店主に尋ねた。


「これはいくらなんだ?」

「ああ、それは十円だ」

「!?」

「こいつはいくらだ?」

「そいつも十円だ」

「……」


「……コッペパン五個」

「他には何かいるかい?」

「いや、これだけでいい」

「そうか。まいどあり」

「……ちょっと待ってくれ」

「あん?」


「本当にこんな値段するのか?」

「ああ、本当だとも」

「しかし、パン一個が十円というのは高すぎるんじゃないか?」

「うるせーな。文句があるなら買わなくていいぜ」


「いや、そういうわけじゃないんだが……」

「兄さん、行こう」

「……ああ」


 二人はしぶしぶといった感じで引き下がった。ちなみに、握り飯一個の公定価格は14銭程だ

 その様子に店主はニヤリと笑う。


「……お前らも孤児か」

「……」

「まあいい。持ってけ泥棒」

「……どうも」


 真と芹香は苦々しい表情を浮かべながら、パンをリュックにしまうとその場を後にするのだった。


****


 その後二人はケイタと線路の高架下(あとで知ったが現代の山手線と京浜東北線の線路だった)に沿って歩き、ケイタたちがねぐらにしている地下鉄日比谷線上野駅の地下道へと向かった。


 地下道に近付くにつれて、すえた匂いが強くなっていく。

 地下道の入り口は大通りと交差するガード下に作られていた。幅十五メートル程のなだらかなスロープが地下まで続いている。


 二人は目の前の光景に思わず絶句した。

 床に寝そべるケイタと同じ境遇だろう子供、壁にもたれ座り込む片腕の無い大人。そして能面のような表情で周囲を気にすることもなく行き交う通行人。誰も彼も驚く程に生気が無い。

 

 地下道の入り口まで来たところでケイタは二人に問い掛けた。

「さて、どうする兄ちゃんたち、ここまで観てきて。親戚の家に帰る気にはなったかい?」


 なにかを言いかける二人を制してケイタは話を続ける

「俺たち孤児は人間扱いされてない。……好きでなった訳でもないのに、なにもしなくても差別され、死んでも誰も困らないし何とも思わない。生きるためには犯罪だろうが何でもしなくちゃいけない。

 そんなふうになるより多少いびられても、人として生きた方が良いんじゃないか?」


「………」

「……私たちには帰れる場所なんか無いよ」

 芹香が何とかそれだけ呟いた。


「……そうか。まあ、好きにしなよ。俺には何も出来ないから。……じゃあ俺は行くわ。元気でな」

 ケイタはそう言うと二人の前から立ち去ろうとしたが真が呼び止める。


「これあの子達に食わしてやってくれ」

と言うとコッペパンを三つ差し出した。

「……ありがとう」

そう言うとケイタは今度こそ立ち去っていった。


****


 真たちはまだ子供だ。

 働ける年ではない。

 二人にできることといえば、盗みや物乞いぐらいしかない。


 だが、それも成功するとは限らない。

 この時代は、身寄りの無い子供が生きるには厳しい時代なのだ。一週間後には自分達もここに寝ているかもしれない。

 そう二人は自分達の先行きに、不安を感じるのだった。


「兄さん」

「どうした」

「私たちってこのまま生きていけるのかな」

「さあな」

「……」

 二人は重い足取りのまま、無言で歩き始めた。


****


 真と芹香は、ケイタと別れてから空きっ腹を抱え当てもなく歩いていた。

 パンはまだ残っている。しかし資金も有限なため節約しなければならない。


 空腹を紛らわすために真は辺りを見渡す。

すると、腰を掛けれるような瓦礫が目に入った。

真はふと思いついたように言った。

「ちょっと休んでいくか」

「うん」


 二人は瓦礫に腰掛けると、黙り込んでしまった。

「……」

「……」


 しばらく沈黙が続いた後、芹香が口を開いた。

「ねえ、兄さん。これからどうしよう?」

「そうだな……」

「私ね、実は考えてることがあるの」

「なんだ?」


 芹香は、ケイタと別れたあと、自分たちでも出来ることを考えていたのだ。

「まずは、お金を稼ぐことが大切だと思うんだ」

「どうやって?」

「石鹸を作って売るのよ」

「石鹸?」


 真は思わず呆気にとられて芹香の顔を眺めてしまうのだった。

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