くねくね討伐ワンサイドゲーム:後編

 ティンダロスの猟犬:HPLを祖とするクトゥルー神話に登場する神話生物。

 初出はフランク・ベルナップ・ロングの「ティンダロスの猟犬」(一九二九年)

 ティンダロスと呼ばれる都市に住まう不死身の存在であり、猟犬と呼ばれるものの実際に犬のような姿なのかは定かではない。

 曲線を先祖とする人間たちとは異なり、角度を先祖としているとも伝わっており、こちらに顕現する際は一二〇度以下の鋭角を介して姿を現し、標的を襲うと言われている。角度のない曲面を作った部屋に逃げ込めば助かるとされているが、成功例は少ない。

 ティンダロスの猟犬たちが大君主と仰ぐミゼーアは、北欧神話のフェンリルのモデルになったという説もある。


 サカイ先輩はしばしの間、青々とした稲が植わる田んぼを静かに眺めていた。

 八月の陽光に照らされて水面は銀色に輝き、稲は天に向かってその尖った葉を伸ばしている。実にのどかで牧歌的な光景だった。

 ただ、サカイ先輩には別の光景が見えているのかもしれない。横顔を窺うだけでも、彼女が鋭い眼差しでナニカを睨んでいたのだから。敵意とか殺意などという物ではない。猟犬や餓狼が獲物に対して向けるまなざしにさえ似ていた。


「それじゃあ、行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい」


 猟犬めいた眼差しのまま、サカイ先輩がゆらりと動いた。気軽な調子で手を振って送り出すのは双睛鳥である。源吾郎はただ、固唾を飲んでサカイ先輩の様子を眺めるだけだ。小鳥のホップのみならず、雷獣の雪羽も似たような感じだ。玲香はサカイ先輩を冷徹に観察しているようであったが、その面の裏には畏怖の念が見え隠れしていた。

 そうした視線をものともせず、サカイ先輩は田んぼへと進んでいく。その身は地面から五十センチほど浮かんでおり、しかしそこに床があるかのように歩いていた。ロングスカートの裾がひらめき、人の脚とも獣の脚ともつかぬものが見えた気がしたが、源吾郎は何も見なかったのだと思う事にした。

 そうしている間に、サカイ先輩は田んぼの中ほどに進んでいた。


「田んぼのど真ん中で闘うんですね……」

「そりゃあそうっすよ島崎先輩。くねくねの野郎は田んぼにいるなら田んぼの中、川べりなら川べりって相場が決まってるんですから。まぁ、田んぼの稲を台無しにしないのは殊勝な心掛けだと言えるけどさ」

「心がけがどうこうというよりも、くねくねがそう言う怪異……妖怪という事じゃあないかしら。妖狐とか雷獣はタンパク質由来の肉体を持つ妖怪ですけれど、そうじゃない身体の作りの妖怪だって世間にはいるでしょうし」

「うん、確かに玲香さんの言うとおりだよ。煙々羅とかは、文字通り煙でできた妖怪だって言うしさ」

『あ、やっぱり島崎さんって博識だ~』


 三人でああだこうだと話し合っている音声をマイクが拾ったのだろう。一連の様子を生中継で見ている雷獣の少年――恐らくは雪羽の実弟の一人、開成だろう――が、感嘆の声を上げる。

 ホップはそれを聞きながら欠伸をし、そのまま小鳥に姿に戻った。源吾郎はホップの為に小さなバードスタンドを用意し、更に水や殻付き餌を小さな器に入れてシートの上に置いた。人型を取れるようになったと言えども、ホップはまだまだこちらの姿の方が過ごしやすいようだ。


「さて四人とも、そろそろ始まるみたいだよ」

 

 双睛鳥が振り返ったのは、ホップが水浴びしようかどうか悩んでいる最中の事だった。勢いよく振り返ったために、偏光眼鏡の表面が光を浴びて銀色に輝くのが見えた。そして双睛鳥は、ずっと畦道の上で仁王立ちしており、源吾郎の用意したパラソルの下には入っていなかった。

 源吾郎は少し横に寄り、シートの中の空間を確保しようとした。ついでとばかりに玲香に近付いた訳でもあるが、それはご愛敬である。

 しかし、実際に双睛鳥に呼びかけたのは雪羽だったのだが。


「双睛の兄さん! 兄さんもシートの上で観戦しましょうよ。島崎先輩の術で作ったやつだから、上から下に風が流れてきて涼しいですよぅ」


 ある意味弟分ともみなせる雪羽の言葉を受けて、双睛鳥は微笑みつつも首を振った。


「ありがとう雷園寺君。だけど僕は大丈夫。ふふふっ、皆にしてみれば暑くてかなわないだろうけれど、僕にしてみれば羽毛の消毒が出来て丁度良いなぁって思ってるんだ」


 双睛鳥の言葉に、源吾郎と雪羽は思わず顔を見合わせた。やせ我慢している気配はなく、本心からの言葉であるように思えてならない。

 実際問題、鳩なども真夏の最中に翼を投げ出して羽毛を消毒しているではないか。しかも双睛鳥は単なる鶏などではなく、コカトリスという魔族である。先祖であるバジリスクはドラゴンの変種であるともされ、砂漠の過酷な環境下を生き延びてきたという。その事を思えば、異常気象の酷暑も彼にとってはどうという事は無いのかもしれない。


 サカイ先輩とくねくねとの対決については、源吾郎の口からは多くを語る事はない。その現場を目撃してはいた。だが何が何だか解らないうちに決着がついた。そう言う他に無かったのである。

 何せ、双睛鳥の術によってくねくねの姿ははっきりと見る事は出来なかったし、そもそも戦闘自体が数分を待たずして終わったのだから。

 そしてそれは、画面の向こうで生中継を見ていた雷獣たちも同じ事であろう。

 全てが終わった後で、サカイ先輩は涼しい顔でこちらに戻ってきた。双睛鳥は何か解ったらしく、すまし顔のサカイ先輩を見て苦笑いを浮かべている。


「あー、この感じだと喰い殺さずに仲間にした感じだね? サカイさんの事だから喰い殺すのかなって思ったんだけど」

「わ、わたしも最初はそうしようかなって思ったの。だけど、ある程度知能もあるし喰い殺すのが惜しかったから、とりあえず私の制御下に置いてみたの。もちろん、逆らえないように力の大部分は吸収したけれど」


 軽い調子で確認する双睛鳥に対し、サカイ先輩も世間話でもするような塩梅で応じている。サカイ先輩ばかりが強くて異質な存在だとこれまで思っていたが、そうとも言い切れないのかもしれない。源吾郎は二人のやり取りを見ながらそんな事を思っていたのだった。

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