くねくね討伐・ワンサイドゲーム:前編

 くねくね:都市伝説の一つ。二〇〇〇年代前半より、インターネット掲示板を中心に語られている。夏の田園や川辺に姿を現し奇妙な動きを行うが、それを目撃し、正体を知ると発狂するとされている。

 

 雷園寺穂村に謎のメールを送り付けたくねくねの討伐は、八月の中旬、お盆休みの明けた週末に行う事と相成った。

 これは当初の予定とは大分と異なるスケジュールではある。初めのうちは、七月の末か遅くとも八月の初旬の土日の何処かで、穂村たちの見ている所でくねくねを討伐しよう、などと言う話が上がっていた。

 その予定がずれ込んだ要因は幾つかある。第一の要因は猛暑である。真夏日どころか三十五度を超すような日が七月から八月の上旬にかけて続いたのだ。源吾郎や雪羽、或いは穂村たち雷獣兄妹が熱中症になる恐れすらあったのだ。

 そうこうしているうちに仕事をこなしたり異世界にいる邪神系妖狐の誕生日を祝ったりなどして、気付けば盆が過ぎていたのだ。ついでに言えば穂村とミハルの兄妹は、ちょっとした騒動を起こした事で父親から説教を受け、八月いっぱいまで謹慎処分を受けているのだ。自宅謹慎までとはいかないが、穂村たち単体で出かけるのは禁止されているとの事である。

 とはいえくねくねを討伐する案件そのものは消滅した訳ではなく、ただただその現場に穂村たちを伴わないというだけの話である。

 源吾郎としてはそれで良かったのだ、と思っていた。穂村たちは妖怪的にはまだ青少年であるし、お世辞にも妖力や戦闘能力が高いわけでもない。またくねくねは妖怪であっても発狂する恐れがあるという。そうした危険にわざわざ身を晒さなくても大丈夫であろう。そんな風に考えていた。

 もちろんこちらとて、見物すると言っても危険のない状態を作りだす事には変わりはない。それでも万が一の事が起こってしまうのがこの世なのだ。

 そしてそれは、二人の実兄である雪羽も同じ意見だったのである。

 源吾郎はだから、手持ちの軽自動車に雪羽を筆頭としたツレたちを乗せ、指定された場所へと意気揚々と向かう事となったのだ。

 ちなみに車に乗る面子の中にサカイ先輩はいない。彼女は得意の転移術でもって、現場に先回りしているとの事だったのだ。


 台風が抜けた後だから、少しばかり涼しくなったみたいだ。運転席から降り、トランク内の荷物を引きずり出した源吾郎はそんな風に思った。まだ秋には程遠いが、それでも今までの猛暑よりは格段にマシである。

 この分ならば多少歩くのもそんなに苦ではない。くねくねは田んぼや川べりに姿を現すので、討伐するにはわざわざそちらに出向かねばならないのだ。車は現場から最寄りの駐車場に停めてはいるが、それでも徒歩で五分十分はかかってしまう。

 学生が修学旅行にでも使うようなバッグと小ぶりなクーラーボックスを両手に提げつつ、源吾郎は一行がいるのを確認した。同乗していたのは雷獣の雪羽に妖狐の米田玲香、そして源吾郎の使い魔であるホップの三名である。

 源吾郎たちは、サカイ先輩がくねくねを所を見学するために現場にやってきたのだ。元々は源吾郎と雪羽が萩尾丸に指名されていたのだが、ホップと玲香も付いて行くという事なので連れてきた次第である。とはいえ、ホップは源吾郎たちと一緒にいたいという理由であり、玲香はいざという時に源吾郎たちを護ると意気込んでいるので、根本的な理由や目的は異なっている。


「ゴロー君。私も一つ、荷物を持つわ。また色々持ってるんだから、重たいでしょ」


 玲香は源吾郎の許に近付くと、優しく微笑みながらそう言った。帽子の間から赤味の強い金髪が露わになり、陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 源吾郎もまた笑みを浮かべ、しかし遠慮がちに半歩ほど後ずさった。


「あ、うん。ありがとう玲香さん。でも俺は大丈夫。歩いてすぐの所だから……」

「あははっ、本来ならこの辺りで俺が荷物運びを手伝ってやれたら良いんだけどなぁ」


 快活な笑い声と共にそう言ったのは、ツレの雪羽である。彼は手ぶらではなく、キャリーカートを引いている。バッグを提げているわけでは無いのだが、機械を一式運んでいる事は源吾郎も知っている。


「見ての通り、俺も俺で荷物が一杯あるからさ。折角米田の姐さんがそう言ってくれてるんだ。変に意地を張らずに姐さんを荷物を持ってもらったら良いだろ」


 雪羽はここで言葉を切ると、源吾郎に三歩ほど近付いてにたりと笑う。


「お盆休みの間と言えども、先輩はもう早速米田の姐さんと同棲してたんだろう? そんだけ仲が良いんだったら、もう夫婦同然じゃないか。共同作業って言うにはちと地味だけど、恥ずかしがる事は無かろうに」

「雷園寺! もっと言い方をだなぁ……」


 雪羽にからかわれ、源吾郎は顔を赤くして吠えた。このお盆休み、玲香が源吾郎の部屋に何日か滞在したのは事実である。しかしそれはやましい理由によるものではない。玲香も吉崎町方面で仕事があり、自宅よりも源吾郎の部屋にいた方が身動きがとりやすかったのだ。そしてそうこうしているうちに台風が襲来したために、彼女は源吾郎の部屋に滞在せざるを得なかった訳である。まぁ源吾郎としては、大好きな玲香が何日も自室にいたので嬉しかった事には変わりないが。

 源吾郎が照れている間にも、玲香とホップは涼しい顔である。まぁ二人にしてみれば照れる要素は特に無い。玲香が泊り込んでいた日々も、冷静に考えれば三人でルームシェアしているような感じだったのだから。

 ともあれ源吾郎はこれ以上後ずさる事は無く、玲香はこだわりのない様子で源吾郎の方ににじり寄った。


「雷園寺君もそう言っているし、荷物を一つ持つわね。ゴロー君も月曜日からお仕事でしょ。腰を言わせてもいけないし」

「……うん。ありがとう玲香さん。それじゃあこっちをお願いしようかな」


 結局のところ、源吾郎は玲香の好意に甘える事にした。彼女と二人だけであれば、意地を通し抜いたのかもしれない。しかしこの場には雪羽の目もあるし、甘えるように既に誘導されてしまった。

 それでも玲香には軽い方を手渡した。将来の妻への思いやりであり、源吾郎のなけなしの意地でもあったのだが。

 そんな二人の妖狐の様子を見ていたホップもまた、源吾郎に近付き、荷物の方へ腕を伸ばす。


「ねぇ島崎さーん。ぼくもお荷物はこぶよ!」

「君は良いんだよ、ホップ。というか重たいから君にゃあ持てないぞ」


 源吾郎は即答した。ホップはあからさまにつまらなさそうな表情を見せてはいるが、致し方ない事である。

 今でこそ源吾郎そっくりの少年の姿を取るホップであるが、その本性は十姉妹から変じたものである。妖怪化の影響で普通の十姉妹よりも大型化してはいるものの、それでも体重は三十グラム程度である。重たい荷物を運ばせるのは気がとがめた。

 更に言えばホップは六歳を迎えたばかりで妖怪としては極端に幼く、弱小妖怪クラスの妖力しかない。紆余曲折あって源吾郎の使い魔となっている訳であるが、現時点ではホップを使役して利用する事は考えていない。そんな事をさせるにはホップは幼すぎるし弱すぎる。源吾郎は常々そう思っていたのだ。


「ホップ君。荷物の方は大丈夫だから、後でセッティングの準備とかを、島崎君やお姉ちゃんと一緒に手伝ってくれると嬉しいな」

「うん! 一緒に手伝う」

「ホップ、はしゃぐのは良いけど俺たちからはぐれないように気を付けるんだぞ。遠出しちゃったし、知らない人とか妖怪の中には、悪いやつがいるんだからさ。

 あとしんどくなったら構わずに変化を解いて、無理しないようにするんだ。良いな?」

「平気だってば島崎さん。遠くには行かないし、ぼくは元気いっぱいだもん」


 十代半ばの少年めいた見た目に比してやや幼い物言いのホップの姿を、源吾郎は安心半分不安半分で眺めていた。使い魔であるホップの事を、源吾郎は部下や手駒として見做した事はない。幼い弟に接するような感覚で、ホップに対して向き合っていた。長らく末っ子だった源吾郎は、ホップの存在によってはじめて兄らしい振る舞いを取るようになったのだ。


「ゴロー君。やっぱりホップ君の事になると心配性になっちゃうのね」


 雪羽を先頭に進みだすと、玲香がそっと源吾郎に耳打ちした。その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 いつの間にか自分たちを追い越したホップの背を眺めながら、源吾郎はまず頷いた。歩みが早いのは鳥妖怪だからだろうか。


「あいつは俺の事を心の底から慕っているからね。その期待に応えないといけないと思うし、あいつもまだ幼いから……幼いうちは明るく楽しく穏やかに暮らして欲しいと願ってるんだ」


 そこまで言って、源吾郎は深く息を吐いた。脳裏には、おのれが幼かった頃の情景が鮮明に浮かんでいた。


「……はは、この頃思うんだ。ホップと接する俺の姿は、かつて俺に接していた兄上の、特に宗一郎兄様の姿をなぞっているんだってな。玲香さん。兄上は厳しいばかりかと思っていたけれど、存外過保護な所があったのかもしれないって、この歳になって気付いたんだよ」

「ゴロー君のお兄様方もゴロー君を可愛がっていたし、ゴロー君はホップ君の事を弟として可愛がってるって事なのよ」


 玲香の言葉は優しげだったが、琥珀色の瞳には寂しそうな色が浮かんでいた。昔の事を偲んでいるのだと、源吾郎はすぐに悟った。彼女の過去について、源吾郎は全てを把握している訳ではない。長らく添い遂げるのだから、これから語ってくれる事もあるだろうと思っていた。

 喪ったものは二度と戻らない。自分ごときが喪ったものの穴埋めになるとも思っていない。しかしそれでも、夫として彼女を支え、心の癒しになれば良い。源吾郎はそんな風に思っていた。


「だけど、ゴロー君はホップ君の事になるとちょっぴり過保護になっちゃうわよね」

「ううむ。実は鳥園寺さんにも時々そう言われちゃうんだよな。ホップはもうきちんと妖怪化しているし、案外豪胆な性質だから、外界の接触を断つような暮らしは不健全だってね……俺だって、ホップを籠の鳥として育てるつもりは無いんだけどさ」


 鳥園寺さんの名をここで出したのは、彼女とホップの間に交流があるためだ。ホップが人型に変化できるようになってからというもの、源吾郎は彼をペットの小鳥ではなく一人の子供妖怪として扱うようになった。すなわち、妖怪社会について勉強させ、自分以外の妖怪や人間に少しずつ引き合わせているのだ。

 その一環として、平日などはホップを術者の鳥園寺さんに送り込み、妖怪社会のあれこれを教えて貰っている訳である。鳥園寺さんはホップの教育を快諾してくれた。元々鳥妖怪を従える一族の当主であるし、そうでなくとも源吾郎とは女子会()を行うほどに仲も良い。

 本来ならば、くねくね討伐についてはホップは留守番させるつもりであった。それに対し、鳥園寺さんはホップを連れて行くべきだと強く主張したのである。


「島崎君。あなたがホップちゃんを弟として可愛がっているのは解るわよ。だけど、あなたの立場上、ホップちゃんはいつまでも安楽な世界で暮らせるわけじゃあないの。もう既に、あなたが過保護すぎる事にあの子は少し不満や疑問を抱き始めているわ。

 そう言う年長者の扱いが、幼い子供には想像以上に怒りをもたらすって事くらい、島崎君なら解るでしょ? 私だって解るわよ」


 いつになく真剣な鳥園寺さんの言葉に、源吾郎は頷くほかなかった。彼女の言葉は真実味が籠っていた。源吾郎と同じく、彼女もまた末っ子なのだから。


 そんな事をあれこれと考えているうちに、一行は現場に到着したのだった。

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