異世界狐交流譚――お狐様の誕生日祝いを添えて――その⑦(終)

 源吾郎の予想通り、穂村とミハルはすぐに目を覚まし、人型に変化できるほどに回復した。熱中症にかかっていたわけでは無いのだが、源吾郎が用意した冷しぼとスポーツドリンク(紙コップに入れて飲んでもらったのだ)も役に立った。

 ついでに言えば伊予が気を利かせて、冷凍庫にしまっていた南極アイスを二人に用意してくれたのだ。

 穂村たちも目を覚まし、身体的にも無事である事が確認された。さてこれで一件落着――とはいかなかった。ここから彼らへの事情聴取を行わねばならないからだ。しかしながら、神使と妖怪たちが集まる居間には、小さくも苛烈なカオスが発生していた。発生源は穂村と六花、もとい六花に変化した雪羽である。


「ごめんなさい六花姐さん~! 妹まで巻き込んじゃって、ぼくもうダメなやつだよおおお~!」

「よしよし、そんなに泣くな穂村。いや……漢なら泣くだけ泣いてそれで嫌な事をさっぱり洗い流した方が良いんだろうな。ま、アタシもさっきはとしてお前に色々言っちまったけれど、お前もミハルも無事だったんだから良かったよ」

「兄さ、お姉ちゃ~ん」


 あのスケバン雷獣姿の六花の胸に縋りつき、穂村は人目をはばからずギャン泣きしていた。六花はそんな弟の背に手を回し、優しく背中を撫でている。先程弟を叱責していた六花ではあるものの、泣きじゃくる弟をなだめるその姿にはまさしく慈母のごとき笑みが浮かんでいた。

 少女姿なのに慈母のような笑みなのかだとか、そもそも六花は少女じゃなくて雄ではないか。そのようなツッコミが入り込む余地すらない。もう完全に二人の世界に没入していた。

 今の二人には「穂村君、意外と感情表現豊かなんだね」「これがマジモンのブロマンスかぁ……」「六花ちゃん尊い」「六花ちゃんにオギャるのもアリだな」などと言う神使たちの発言すら聞こえていなかった。源吾郎の耳にはバッチリと届いてしまったが。

 そしてその源吾郎は、に変化してミハルに向き合っていた。雪羽がスケバン雷獣の六花に変化しているから、源吾郎は男装の麗人としての京子になっているのだ。

 ちなみに今回は、雪羽が自発的に六花に変化する形となった。穂村の心を落ち着かせるにはこれが手っ取り早いとの事である。源吾郎はその勢いに押されて京子に変化した訳であるから、ある意味珍しい流れとも言えよう。ちなみにミハルの推しは宮坂京子であるので、バランスが取れていた。


「しま……じゃなくて宮坂さん。今回は色々とありがとうございます。それにしても、兄さんたちって色々とフリーダムだから、宮坂さんも振り回されていそうで申し訳ないんです」

「ふふふ、僕は大丈夫だよミハルさん。梅園さんとは僕も仲良くしているし、穂村君だって、色々と大変だろうに頑張ってると思ってるからさ」


 六花たちのカオスっぷりとは対照的に、目を覚ましたミハルはいたって冷静そのものだった。京子に扮して京子として接しつつも、源吾郎は彼女から内容を聞き出せるかもしれないと思い始めていたのだ。

 穂村が取り乱し、六花にギャン泣きしつつ甘える姿については、まぁそれも致し方ない事だろうと源吾郎は思っていた。配信では大人びた振る舞いと大人顔負けの知識を披露するキメラフレイムであるが、年齢的には雪羽と同じくまだ少年なのだ。しかも彼も、母との死別や複雑な家族関係を背負いながら生きている。叔父に引き取られて可愛がられた雪羽よりも、鬱屈した物を抱えていたとしてもおかしくは無かろう。

 だがああして取り乱していたという事は、この幽世来訪は彼らも意図せぬ事だったのかもしれない。源吾郎はそんな風に思い始めていた。いかな電気に姿を変える事が出来たとしても、わざわざ他妖ひとのパソコンから飛び出す真似などをするだろうか? と。それこそラヰカが不法侵入で訴える可能性とてあるのだから。

 そんな事を思っていると、ミハルがじっとこちらを見つめている事に気付いた。所謂たぬき顔の、つぶらな瞳の可愛らしい少女である。明るい灰褐色の髪が揺れ、瞳に奇妙な熱を帯びるのも感じた。


「宮坂さん……本当に美少女なのにイケメンで……こうしてお話していたら素敵なお方だなって一層実感しちゃいました」

「ミハルちゃん。僕の事はそう思ってくれていたんだね。気持ちだけ受け取らせていただくよ」


 中学生ほどのいたいけな少女の純粋な眼差しを前に、源吾郎は一人の罪悪感を抱いていた。ミハルが憧れ推しているのは、あやかし学園の宮坂京子に過ぎない。ミハルは宮坂京子が架空の存在である事を知っているはずだ。だがこの眼差しは、宮坂京子を透過して島崎源吾郎に向けたものではないか。そんな考えに取り憑かれてしまったのだ。

 愛する女性を持ちつつも、別の少女から好意を向けられる事の苦々しさを、源吾郎は密かに噛み締めてもいたのだ。

 だが次の瞬間、源吾郎は射抜くような眼差しがこちらに向けられているのを感じた。痺れるような殺気をまとった眼差しである。

 もしかしなくても、六花が京子を睨みつけていたのだ。その両眼は猛獣めいた獰猛さを見せつけながら輝いている。


「宮坂さん。あんたってば本当に油断のならないだねぇ。アタシの可愛い妹を誑かしてみな。強制的にシャットダウンさせてやるから、な」


 おいちょっと待てよ雷園寺。その可愛い妹をなだめるために俺は京子ちゃんに変化してるだけなんだぜ。ていうか自分だってわざわざ六花ちゃんになって可愛い弟を甘やかしてるんだからだろうがこの野郎――心中ではそんな事を言い募っていた源吾郎であるが、優雅な狐娘たる京子は、ただ額に青筋を浮かべるだけだった。


「そう言う梅園さんだって、穂村君が甘えてそのお胸にしがみつくのを許しているじゃないか。僕がミハルちゃんに指一本も触れていないのは見ていて解るだろう?

 あんまりおかしなことを言うんだったら、屋上で君を焼いちゃうかもしれないよ?」

のいいあらそいってこわいなー」

「菘。源吾郎さんも雪羽さんも、空気を読んで演技をしているだけなんだからさ、そんな事は言わないの」

「源吾郎君はガチの演劇部だから仕方ないね。これもう迫真演劇部だろ」


 ああほんと、俺は一体何をやらされているんだ……? 自発的ではない女子変化など何年ぶりだろうか。そんな事を源吾郎は密かに思っていた。そのような状況下であっても、巧みに演技が出来てしまうのだから一層やりきれない。


 何やかんやあり過ぎたような気もするが、小一時間ほどで穂村もミハルも落ち着きを取り戻した。結局のところ、彼らは空腹と転移酔いによって気を失っていただけらしかった。ラヰカたちの好意によって穂村たちには常闇バーガー(ラヰカの分身が購入してくれた)が振舞われ、軽食が済んだ所で事情聴取と相成った。


「要するに、ラヰカの巣穴に入り込んでしまったのは予期せぬ事故だったという事ね」

「はい、その通りです」


 事の次第を全て聞き終えてから、夜葉は二対の腕を組みつつ穂村に再確認した。穂村は恐縮した様子で頷き、恥じ入るように俯いていた。彼には夜葉の正体は伝えてはいない。しかし異様な気配からしてただ者ではないと察したのだろう。

 事のあらましはこのような物である。自身の肉体を電子データに変換する事で、パソコンとパソコンの間を経由して移動する事が出来るのではないか。穂村は急にそんな事を思い立ち、事もあろうに実行してしまったのだという。

 但し、初めからラヰカの巣穴にあるパソコンを目指して飛び込んだわけでは無かった。部屋に二つのパソコンを用意し、普段使用しているパソコンAから中古のパソコンBに移動できるかどうか。そんな簡単な試験を行おうとしていただけだと穂村は証言した。ミハルも元々は飛び込む予定はなく、兄がパソコンからパソコンに移動するのを見届ける役割を担っていたらしい。

 しかしここで予期せぬ事態が出来したのだ。電子の海に飛び込んだ穂村は、流れの渦に飲み込まれてしまったのだ。異常事態に気付いたミハルも飛び込んで兄を救出しようとしたのだが、二人で仲良く流された末に……気が付いたら幽世に流れ着いていたという次第である。

 ちなみにラヰカの巣穴に侵入したという自覚は無く、幽世に辿り着いたと知ったのは、目が覚めた後の事だった――これらが、穂村とミハルの証言だった。

 色々とツッコミどころのある話ではある。だが予期せぬ事故である事には変わりはない。源吾郎はそんな風に思っていた。ちなみに二人とも我に返っているので、源吾郎も雪羽も普段の青年姿だ。


「ええ。あなたたちの証言は嘘ではないみたいね。幽世は基本的に招かれた者しか入れないようになっているけれど、それでもしれっと入り込む前例もある訳だし」

「……これもまた、そなたたちの持つがそなたたちを幽世に送り込んだのかもしれぬな」


 穂村の証言に偽りはない、と判断する夜葉の傍らで、柊が意味深な事を口にする。繋がりというのは、やはり雪羽が幽世にいた影響であろうか。源吾郎はぼんやりとそう思った。穂村たちが実験を始めたのはお昼前の事であり、都合数時間は電子の海の中に翻弄され、流されていたのだという。二人が空腹を訴えたのもそのためだった。

 繋がり、と聞いたミハルが、ハッとしたような表情を浮かべて口を開いた。


「柊様。実は私たち、自力でラヰカさんのパソコンの中に飛び込んだんじゃあないんです。あの時、兄さんも私も半分気を失いかけていて、どうなるか解らなかったんです。

 だけどその時、私たちの前に白くて大きな獣が姿を現して……それで私たちの首根っこを咥えて放り投げたんです。だから多分、その時にラヰカさんのパソコンからこっちにやって来たんじゃないかなって……」

「それは本当の事か、ミハル!」


 白い獣に放り投げられ、それでラヰカの巣穴に飛び込んだ。ミハルの奇妙な証言に、穂村は眼を剥いて驚いた。夜葉や柊、そして神使たちの視線がある事も気にせずに、ミハルの肩に両手を添えている。

 今にもミハルをゆすぶらんとする穂村を制したのは、長兄の雪羽だった。


「穂村、ミハル。その白い獣というのはきっと俺たちの母さんだよ」


 雪羽の言葉は湿り気を帯びており、それでいて優しげな響きを伴っていた。ミハルは不思議そうに首を傾げ、穂村は小刻みに震えていた。


「俺たちの母さんは最期まで……俺たちの事を思っていたんだ。きっと今回だって、お前らが電子の海の藻屑にならないように助けてくれたに違いない。ラヰカ姐さんとは俺たちも交流があるからさ。

 本当の事は解らないけれど、兄ちゃんはそうだと思ってる。お盆だしさ、その方が嬉しいじゃんか」

「雷園寺……」


 源吾郎は感極まってしまい、思わず雪羽の名を口にしていた。今まで雪羽と一緒に過ごしてきた源吾郎であるが、ここまで兄らしい姿を見たのは初めての事のように思えた。

 まぁこれで一件落着となるかの。威厳を伴った声でそう言ったのは、月白御前たる稲尾柊そのひとだった。いつの間にか梅酒(しかも半分ほど空になっている)の一升瓶が傍らにあるが、それにツッコミを入れるのは野暮という物だろう。


「悪意あってそなたたちが入り込んだ訳ではない事は妾も十分に解った。ラヰカも特に腹を立てている訳でも無し、そなたたちの幽世への侵入は不問とする。それにしてもそなたたちは運が良かったぞ。いや、誠に天晴なのはそなたたちの母君であろうがな」


 柊の言葉に、穂村とミハルは敬服したように頭を下げる。源吾郎も雪羽も安堵していた。とりあえず二人が不法侵入者として罰せられるわけでは無いと。

 だがの。穂村たちを見下ろしながら柊は言葉を続けた。気品あるその顔は僅かに笑みに歪んでいる。源吾郎は本能的に嫌な予感がした。


とは妾は言うとらんぞ? そなたたちは子供であるにもかかわらず、危険を顧みずに無謀な行為をした。その事は説教するに値すると思うておるぞ。残念ながら妾はそなたたちの母ではないが、母の愛の鞭であると思うと良い」

「……」

「……」


 安堵していた穂村たちの表情が一瞬で強張った。柊のお説教。これが如何なるものであるか。ラヰカの配信動画を視聴している二人は何となく知っているのだ。説教を受けている者たちが寝てしまうほど長い物である、と。そうでなくとも相手は九尾の妖狐である。その圧たるや相当な物であろう。


「ひ、柊様。俺も一緒に弟妹達とお説教は受けますから! ですから、何卒普段よりも短縮したバージョンでお願いします。えっとその……九尾繋がりで島崎先輩も受けてくれるって言ってますし」


 いや俺何も言ってないけれど……必死の形相で柊の前に平伏する雪羽を見下ろしながら、源吾郎はどうすれば良いのかと思い悩んでいた。だが、雪羽がそう言っているのならば、自分も柊の説教を共に受けた方が良いのかもしれない。そんな風に思い始めていた。

 何というか、雷獣三兄妹だけが説教を受けるのが気の毒に思えてきたのだ。


「面を上げよ雪羽よ。そなたの心がけもまた殊勝であるが……妾の説教は怖くはないぞ?」

「そうだな。寝てたらあっという間に終わるしな」

「そんな事言ってたらまたお説教されるよ!」

「にいさんもにいちゃんもいっしょにせっきょうされちゃうねー」

「ま、ラヰカが説教を受けるのもルーティンみたいなもんだもんね」


 神使の妖狐三兄妹などが目配せしつつそんな事を言っている。穂村たちは流石に説教中に寝る程図太くは無かろう。

 そんな事をつらつらと考えていると、思いがけぬ所から声が上がった。静かに様子を眺めていたサカイ先輩である。


「月白御前様。私どもは日帰りの予定でこちらに来訪しているのです。ただ今回は穂村君たちを本家に送り届けなければならなくなりましたので、帰りが遅くなりますと、二人のご家族も心配するかと思うのです。ですので、この度のお説教はご容赦頂ければありがたいのですが……」


 おぉ。サカイ先輩の言葉に柊は目を細め、今気づいたと言わんばかりの表情を作った。


「そうだったの。そなたたちは異世界の住民であり、穂村とミハルには保護者がおるからの。うむ、確かにこやつらの家族を心配させるのは良くないな」

「それに柊様。穂村君たちについては二人のお父様がきちんと叱って指導してくれると思うのです。なのでご安心くださいませ」


 サカイ先輩のさらなる説明に対し、柊や大人の神使たちは納得した表情を見せていた。その一方で、穂村はひどく驚いた様子でサカイ先輩を振り仰ぐ。


「そんな、サカイさん。あなたのお力をもってすれば、僕たちがあの実験をする前に送り届ける事も出来るんじゃあないんですか?」

「も、もちろんやろうと思えばできるよ。だけど、そうしたら萩尾丸さんやあなたのお父様を騙す事になってしまうから……」


 自分は萩尾丸を裏切ったり欺く事は出来ないのだ。暗にそう告げるサカイ先輩の顔を、穂村は恨めしそうに眺めていた。

 その穂村に声をかけたのは、やはり雪羽だった。


「気に病むな穂村。俺もな、今回の件は父親に注意されるべきだと思ってる。俺も父親に対しては思う所はあるけれど……それでも穂村たちには子供としての情を持ち合わせているはずだから、な。

 万が一それで何かあったら、兄ちゃんに相談するんだ。愚痴でも何でも聞いてやるよ」

「本当にありがとう、雪羽兄さん」


 かくして数日遅れのラヰカ・椿姫の誕生日祝いは、招かれざる来客というハプニングを挟みつつも無事に幕を下ろした。文字通り飛び込み参加した穂村やミハルも、人懐っこい桜花と触れ合う事が出来たのだった。

 サカイ先輩の能力と常闇様の護符の合わせ技にて源吾郎たちは現世へと戻った。もちろん、穂村とミハルも同行したのは言うまでもない。

 研究センターに戻ってみると、源吾郎を玲香やホップや姉の双葉が一緒に出迎えてくれた事、あらかじめ色々な事を知っていたらしい雷園寺家の現当主が、萩尾丸と共に雪羽たち三兄妹を待ち構えていた事などがあるのだが、それはまた別の話である。

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