異世界狐交流譚――お狐様の誕生日祝いを添えて――その⑥

 さて桜花との触れ合いを短いながらも堪能した源吾郎は、ラヰカや雪羽がたむろする場所へと戻っていった。案の定というべきか、雪羽は未だに神使たちと話し込んでいた。但し、椿姫や万里恵がラヰカの傍に腰を下ろしており、あべこべに蓮が席を外しているなどと言った面子の入れ替わりはあったけれど。

 とはいえ平和な団欒の光景だ。源吾郎はそんな風に思っていた。何度も幽世を訪れている源吾郎であるが、毎回魍魎に襲われかけたり魍魎を蹴散らしたり影法師がいらん事をしたりと、まぁ刺激的と言うにも刺激的すぎる事が待ち受けていた。

 いかな幽世と言えども、平和に過ぎていく一日があってもおかしくは無かろう。ましてや、先日ラヰカたちは影法師の幹部と危険な魍魎を討ち取ったばかりなのだから。

 だが平和なのも表面上の事だけであって――あれこれ考えている源吾郎の傍らを、毛玉の塊が素早く通り抜けた。それがラヰカの式神であるノルウェージャンフォレストキャットの姉妹の一匹、ラテであると気付いたのはややあってからだ。

 猫のラテは啼き声を上げながら、ラヰカに向かってまとわりついて来た。彼女が何を言っているのかは源吾郎には解らない。だが尋常ならざる事を伝えに来た事だけは解った。きょとんとするラヰカの着物の端を咥え、立ち上がるように促してさえいるのだから。妖怪化していると言えども、ここまで飼い主に訴えかけるのは余程の事だろう。


「どうしたんだラテ。何があったんだ」

「不法侵入、侵入者が来たんだよ!」

「二匹の獣が、僕たちの巣穴にドーンって入って来たんだ」


 ラヰカの問いに応じたのは、これまた別の妖怪二人だった。少年の姿に変化しているが、鳥妖怪である事を源吾郎は即座に見抜いていた。であればこの二人は、式神である文鳥たちなのだろう。よく見れば、文鳥少年の一人は、ラテとよく似た猫を抱えている。こちらが姉妹の片割れのノアであろう。

 ともあれ、文鳥少年たちの報告に、ラヰカが真顔になった。


「獣の侵入者だと? お前らは大丈夫だったんだな」

「僕たちは平気。あいつらが単に飛び出してきただけだもん」


 ラヰカはおのれの式神と問答を交わしたが、獣の侵入者とやらの有力な情報は得られなかった。式神たちに襲われた形跡はない。しかし彼らの発言は要領を得ないものだったのだ。彼ら自身もひどく驚いていたし、その彼らが口にするのも「画面から飛び出してきた」「あいつらは急にやってきた」といった突飛な物だったのだ。


「瘴気の気配は感じないから、魍魎の類ではないな。まさか影法師の敵襲か……?」


 立ち上がったラヰカの表情は既に真剣なものになっていた。困惑する式神たちにはここに留まるように命じ、月白の九尾たる柊の名を叫ぶような形で呼んだ。


「どうしたラヰカ。大声を出さずとも妾には聞こえておるぞ」

「侵入者がやってきたと式神たちから報告があったんだ。しかもよりによって俺の巣穴でだ。何者かは解らないが、柊も出向くだろう?」


 歩み寄ってきた柊に対し、ラヰカは問いかける。謎の侵入者に対し、柊も自ら対応するはずだ。源吾郎もそのように思っていた。

 ところが、柊の口から飛び出してきたのは思いがけぬ言葉だった。


「普段のお主ならば妾たちが巣穴に入るのを拒むというのに珍しい事を申すのだな。

 何、侵入者はお主や我々の事は既にお見通しよ。もちろん、彼らから事情を聞き出さねばならないがな」

「ラヰカ。柊はああ言っているけれど、私は付いて行くわ。稲尾家の三十四代目なんだから」

「椿姫がそう言うなら私も付いて行くよ。私は椿姫の護衛なんだから、ね」


 巣穴へ向かうラヰカの同行者は椿姫と万里恵に決定した。ともに立ち上がった二人を眺め、ラヰカは源吾郎たちに向き直る。


「源吾郎君に雪羽君。悪いけど、そんな訳だからちょっと三人で巣穴に戻るよ。柊はああ言ってはいるけれど、何故俺の巣穴に入り込んだのか気になるし。もしかしたら新しい幽世の住民になるの可能性だって――」

「ラヰカ姐さん、!」


 ラヰカの言葉を半ば遮る形で、雪羽が声を上げた。提案でも希望でもなく半ば脅迫めいた響きを伴うその勢いに源吾郎は気圧されていた。しかも雪羽は、侵入者云々の話を聞いてからずっと無言を貫いていたのだ。


「良いのか雷園寺君。俺たちは確かにラヰカさんの弟分だけど、だからと言って巣穴に入り込むのは……」

「そう思うのなら先輩はここで待っていれば良いじゃないですか」


 突き放すような雪羽の言葉に、源吾郎は戸惑ってしまった。どういう事だろうかと戸惑って視線を彷徨わせる間に、柊と視線が合った。


「雪羽よ。気になるのならばそなたも巣穴に向かうと良い。ラヰカはそなたと懇意にしておるから構わぬであろう。

 そして源吾郎よ。迷うのであれば


 見透かすような柊の言葉に、源吾郎は背中を押されたような気分となった。

 結局のところ、源吾郎もラヰカの巣穴に向かう事にしたのだ。雪羽が妙に興奮しているのが気になっての事だった。

 奇妙な事に、サカイ先輩や夜葉は居間で待機しておくとの事だった。そこについても気になる点だったが、雪羽を追いかけるのに専念していたので深く追求はしなかった。


 獣の侵入者たちはすぐに見つかった。二匹とも床の上に転がっていたからだ。両目は固く閉ざされており、しかし腹は上下している。生きてはいるが気を失っているらしかった。

 獣の一匹は黒い毛並みにレッサーパンダに酷似した体躯の持ち主だった。但し彼が異形である事は、四肢と尻尾に生やした蛇のような鱗が物語っていた。

 異形のレッサーパンダの腰にしがみつく獣は、アナグマに似た姿を呈していた。両前足をしっかりと黒い獣の腰に絡め、爪の先には黒い毛が絡まっているくらいだ。

 侵入者はラヰカや自分たちの脅威ではない。柊のこの発言がであると源吾郎は悟った。彼らの妖気はささやかであり、下級妖怪の中でも弱い部類になるからだ。それに何より、


「な、何で穂村君たちが……?」


 源吾郎は思わず言葉を漏らした。この獣たちは雷園寺穂村と雷園寺ミハルである。二人は雪羽の実弟と実妹だった。子供妖怪相応の妖力しか持たず、幽世に対して悪だくみをするような子たちではないので、確かに柊が危険ではないと見做すのも自然な事だ。

 だが、何故彼らがここにいるのか。よりによってラヰカの巣穴に侵入したのか。源吾郎には皆目解らなかった。

 神使たちも顔を見合わせてざわめく中で、真っ先に動いたのは雪羽である。


「理由なんて二の次だよっ! 穂村にミハル、しっかりしろ!」


 雪羽は倒れ伏す弟妹達に駆け寄り、肩や腰をゆすり始める。ツーテンポばかり遅れて源吾郎も動き出した。財布の奥から小さなカプセルを取り出し、カプセルを開いて護符を二枚抜き取る。もしもの時に用意していた応急処置用の護符である。と言っても、体内に循環する妖気を安定させるだけのものでしかないが、今の所はこれで大丈夫であろう。

 落ち着け雷園寺。聞かぬと解りつつも雪羽に声をかけ、源吾郎は穂村とミハルに件の護符を貼り付けた。その際に脈と体温をそれとなく探る。雷獣ゆえに熱く感じるほどに温かく、脈もおかしなものでは無さそうだ。


「医者じゃないから解らないけれど、穂村君たちは単に気を失っているだけのように見えるんだ。妖気を安定させる護符をくっつけたし、幽世はそもそも妖気が充満してるから、二人ともすぐに目を覚ますと思うよ」


 護符がしっかり定着したのを見届けてから、源吾郎はチビ狐の分身を顕現させ、居間に向かうように命令を下す。二人が熱中症にかかっている場合も考慮したためだ。クーラーボックスの中にはまだおしぼりが残っているし、何よりスポーツドリンクも入っていた。流石に使わぬだろうと思っていたが、ここで役に立つとは。

 おっ、とラヰカが小さく声を上げるのが聞こえた。見れば空間が小さく開き、そこへチビ狐たちが吸い込まれるように飛び込んでいく。


「これが源吾郎君の分身だな。あの空間の先は居間に繋がってるからな。ははは、妖怪も時短とかタイパは大切だもんな!」

「ありがとうございます、ラヰカさん」


 源吾郎は素直に頭を下げた。やはりラヰカも妖狐という事で、源吾郎の意図を汲み取ってくれたのだろう。

 同行者である椿姫と万里恵は、源吾郎たちの周辺をゆるゆると歩きながら現場検証を行っていた。意識を向けると、彼女らが推論しつつ語り合う声が聞こえてくる。


「あの子たち、見覚えがあると思ったら雪羽君の弟妹だったのね」

「そうだよ椿姫。ていうか普段のキメラフレイム君とサニーちゃんのアバターとほとんど変わらなかったから私もびっくりしたんだよ~。あ、でも、オフ会の時は雪羽君みたいに人型になってたけどね」

「そりゃああの子たちだって妖怪だし、全くの子供じゃないんだから変化も出来るわよね。私は初対面だけど。

 それにしても万里恵。穂村君たちはどうやってラヰカの巣穴に侵入したのかしら」

「もしかしたら、自分の身体を電気とか電気信号に変えて……それであのパソコンから飛び出してきたのかもよ」

「え、何それ万里恵。大昔の呪いのビデオじゃあないんだからさ」

「トンデモ説じゃなくて有力説だと私は思うんだけどなー。だって、ネズちゃんだって『画面から飛び出してきた』って言ってるでしょ。それにこの、お菓子の袋とかの飛び散り具合からして、あの子たちが画面から床にたたきつけられたんだって思えば納得がいくもの。

 それに椿姫、蓮だって自分の肉体を事が出来るんだよ? 強さや住む世界は違うけれど、穂村君たちだってそんな事が出来たとしてもおかしくないんじゃない?」


 万里恵の鋭い考察と推論に驚いていると、ラヰカが唐突に柏手を打った。


「椿姫に万里恵。現場検証はこれくらいにして撤収しようぜ。後の事は、穂村君が目を覚ましてから事情聴取しようじゃないか。まぁ、穂村君たちの事だから悪意なんぞあるとは思えんし。

 それよりも居間に戻るぞ。雪羽君も源吾郎君も二人の事を心配しているんだからさ」


 言うや否や、ラヰカが空間を開いて居間への道を作り出した。雪羽は慌てずに実妹のミハルを抱え上げ、居間へ戻ろうとするラヰカの方へと進みだす。源吾郎は未だ意識の戻らぬ穂村を抱え上げる事となった。穂村の身体は雪羽や桜花よりもうんと軽かった。

 腕の中で穂村の瞼と手足が幽かに動く。口許が動き、そこから不明瞭な声が漏れる。


「お……さん、ゆ……はに……さん」


 鵺に似た雷獣の少年が、現とは異なる意識の中で母と兄に呼びかけていたのだ。

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