異世界狐交流譚――お狐様の誕生日祝いを添えて――その⑤

 幽世と現世。二つの世界をまたいで出会った妖狐たちと雷獣たちの会話は大いに盛り上がった。初めは源吾郎の戦闘スタイルや得意とする妖術(女子変化ではなくて結界術や認識阻害術・幻術の方である)をメインに話を進めていた。

 しかしここは気の知れた妖怪たちが集まる場である。いつの間にかラヰカや竜胆たちも自身の能力や戦闘スタイルの話、更には最近自分たちが悪妖怪や影法師などと闘った話に流れていったのだ。

 ちなみに源吾郎たちが話したのは、雪羽の従兄が絡んでいた違法ゲームセンターを摘発した時の事であり、ラヰカたちが話したのは影法師に洗脳された妖狐との肉弾戦の事だった。なお、ラヰカが直近の影法師との戦闘について語る事は、柊と夜葉の両名より許諾を得ている。というよりも、「どの道ラヰカは配信で語るだろうし、それを先んじて源吾郎君たちに語ったとて問題は無いだろう」という認識ではあったのだが。

 それでも源吾郎は、無闇にこの事は語らず、心の中にしまっておこうと考えたのだが。


「ラヰカ姐さん。今回の闘いって、要は酷暑が続いて発狂したホッキョクギツネの妖狐が影法師に洗脳された挙句ドーピングして、そんでもってどったんばったん大暴れしたって事ですね」

「そうそう、そんな感じだよ雪羽君」


 きっと雪羽も源吾郎と同じ気持ちを抱いているのだろう。言葉のチョイスは何ともアレであるが。


「やはり魍魎というのもとんでもないバケモノですし、ラヰカさんたちも稲尾さんの一族も物理攻撃に特化しているんですね」

「そうなりますねぇ」


 源吾郎の至極無難な呟きを拾ったのは竜胆だった。彼は確か結界術に特化した妖狐であり、姉の椿姫や親戚の穂波のようにゴリゴリの武闘派ではない。しかしそれでも、先の影法師との闘いでは、彼もまた準特等の魍魎を相手に、結界術を武器として闘ったという。

 その辺りも鑑みると、竜胆の扱う結界術と源吾郎の操るそれでは、やはり用途や内容が異なるという事なのだろう。


「源吾郎さんの得意技は変化術だと思っていましたけれど、他の妖術も巧みに扱うのが得意なんですね。さっきのお話の、管狐とカマイタチに追い詰められていると見せかけた攻防は、ちょっとしたミステリーみたいで興味深かったです」

「確かにな。俺だったらちょっとした敵なんぞ雷撃で仕留めようかってつい思っちまうんだけどな」


 やや前のめりとなった竜胆と、感心した様子の蓮を前に、源吾郎は軽く微笑みつつ口を開いた。


「ま、まぁ何というか僕が幾つもの術を展開したり、相手を欺きながら油断した一瞬の隙をつくような戦闘スタイルになっちゃっているのは……単に力押しのゴリ押しじゃあ勝てないからって言うだけなんだけどね。

 あれだよ。雷園寺君は武闘派になるだろうけれど、僕自身はさほど戦闘が得意な訳じゃないんだ。うん、昔は男だし武闘派を目指していた時もあるけれど」

「ちょっとせんぱーい。先輩ってば戦闘が下手だなんて迂闊に言ったら駄目っすよ。それこそ凡狐たちの怒りを買って、狐襟巻にされかねないっすよ。

 だって先輩の狐火も威力がえぐいじゃないっすか。対戦車ライフル相当の威力のやつをいくらでもぶっ放せるんでしょ? かすったら石ころだって融けちゃうし」


 対戦車ライフル相当の狐火だったら、一度のインターバルに五、六十発が限界であろうか。そんな事を思ってから、源吾郎は雪羽に向き直る。


「そりゃあそうだけどな雷園寺君。攻撃術に関しては雑だのロスが多いだの大味だのって、俺が萩尾丸先輩とか穂谷先輩とかに言われるのは君も知ってるだろ? ていうか君だって俺の狐火なんかしれっと相殺しちゃうしさ。

 そもそも論として、そう言う術を繰り出して闘うって事からして、その術が通用するかどうか解らない相手になるんじゃないか」


 源吾郎が住む現世でも、妖怪同士が相争い、或いは悪妖怪を摘発するというシーンは度々発生する。だが彼らがいつでもどこでも力を振るって大暴れする事は案外少ないのだ。そので勝負が決まる事がほとんどだからだ。

 従ってあまりにも強力な攻撃術は、会得していたとしても必ずしも有効打になる訳ではない。先の源吾郎の狐火だってそうだ。全力を尽くして闘わねばならぬ相手というのは確実にこちらが苦戦する事になるためだ。そして、最大威力の狐火でもって仕留められる相手ならば、そもそもその術を使う前にこちらが勝利を収めているだろう。

 時々おのれの強さに無自覚だと言われる源吾郎であるが、探せば自分より強い者などはいくらでも見つかってしまうと常々思っていた。何せ研究センター内では、雪羽と並んで若手職員だのだのと言われているのだから。

 イズナイタチの三姉妹と闘った時だってそうだ。源吾郎は四尾で彼女らは二尾であったが、カマイタチの身体能力を引き継ぐ彼女らに対し、攻撃術で攻めるのは悪手に他ならない。

 だから分身術を使って相手を仕留める……ように見せかけて、相手を欺いた訳である。黄風怪と花狐貂という割合派手な分身で相手の注意を引きつつ、その裏で認識阻害の術を行使してもいたのだ。そしてタイミングを見計らい、相手に気付かれないように認識を弄ったのだ。すなわち源吾郎の分身がイズナイタチの少女に、そしてイズナイタチの少女が分身に見えるようにしたという訳である。

 これを少しずつ行う事で彼女らを困惑させ、連携を崩していった訳である。特に雷園寺虎雨の攻撃に巻き込まれてイズナイタチの一人がミンチになった(と思われる)光景を目の当たりにさせたのが良かった。実際に粉微塵になったのは、イズナイタチの少女に見えた分身に過ぎなかったのだけど。

 ラヰカは近接攻撃が得意であるという訳だが、源吾郎もある意味では近接攻撃が得意であると言える。妖術やそれに付随する心理的誘導にて相手を油断させ、その隙をついて攻撃に転じる。これもまた源吾郎が好んで使う戦闘スタイルの一つだった。


「源吾郎君や雪羽君の術が通用しない相手、か」


 ラヰカがぽつりと呟く。とうにアイスは食べ終わっており、手許が寂しいのか若干手遊びを行っている。ややあってから竜胆の尻尾の先を弄り始めたではないか。


「源吾郎君たちも十分強い、って言いたいけれど、君らよりも強い妖怪たちってごまんといるみたいだもんねぇ。萩尾丸さんとか」


 萩尾丸。その名を口にしたラヰカの顔に、畏怖の念めいたものが浮かんだのを源吾郎は見逃さなかった。源吾郎たちの上司である萩尾丸が途方もない強さの持ち主である事は周知の事実である。武闘派神使・邪神系妖狐たるラヰカをして「萩尾丸さんは敵に回すと怖そうだから闘いたくないよな」と言わしめるほどである。

 大天狗である事と紅藤の側近としての地位を永年護っている事を思えば、純粋な戦闘能力もかなり高いのかもしれない。だが彼の恐ろしい所はそこではない。それ以外の部分、要はビジネスマンだとか組織の長、或いは中間管理職としての振る舞いや能力も一定水準以上を具えている所。こそが萩尾丸の強みであると源吾郎は思っていた。個体差があれど、妖怪というのは得意な術や分野がどうしても偏ってしまう事がほとんどである。バランスよく多くの術を会得しているという妖怪は、中級妖怪や大妖怪であっても珍しい。手数の多さと判断力の高さを萩尾丸は兼ね備えていると言っても良かったのだ。

 そうなれば、いかな武闘派神使と言えども、ラヰカが敵に回したくないと思うのも無理からぬ話だ。もっとも、萩尾丸とて向かう所敵なし、というわけでは。彼をしてもどうにもならぬ相手や問題は存在するのだから。


「確かに萩尾丸先輩は強いですね。正直僕たちも、どれくらい強いのか見当がつかないんですよ。しかもあれでもの大妖怪に振り分けられるわけなので……」

「現世も現世で怖いなーとづまりすとこ」

「先輩、常識的な強さって言うても萩尾丸さんってやっぱりめっちゃ強いんじゃないんすか。だってさ、俺の叔父貴だって逆らえないんだもん」

「叔父って、もちろん三國さんの事だよな」


 雪羽の言葉を再確認するように、敢えて源吾郎は三國の名を出した。そして雪羽から視線を外し、ラヰカたちの方を見やった。ここにいない妖物の名を出したのだ。ラヰカたちは知らないのではないかという懸念を抱いてもいた。


「三國さんって言うのは、雷園寺君の末の叔父で保護者でもあるお方なんです。あのひともめっちゃ強くて――」

「あーうん。三國さんの事なら知ってるよ。雪羽君に負けず劣らずの暴れん坊雷獣らしいって聞いた事あるぜ。というか雪羽君が三國さんの生き様を学んだんだっけ」


 三國さんだろ。俺たち一度現世で会った事があるんだ。そう言ったのは雷獣の大瀧蓮その妖だった。

 そうだったんですか。源吾郎は瞼を持ち上げてそう言った。三國が蓮たちと会った事がある。そんな話は聞いた事があるような気がしたし、聞いていないような気もする。

 雪羽は何か知っているだろうか。そう思って見やるも、彼は何故か気まずそうに床を眺めるばかりだった。


「竜胆と菘と……あとはここには居ないけど金森光希って言う雷獣の子と一緒に姫路城近辺に遊びにいったんだ。そうしたら、あのひとも丁度仕事中だったみたいでばったり出くわしたんだよな」


 そう語る蓮は、ここでふっと頬を緩ませた。


「あのひとも、部下に任せているとはいえ外食産業にも手を出しているみたいだな。うちが……というか菘がバーガーチェーンを始めたって言ったら、色々と話が弾んだんだよ」

「確か外食を担当しているのは堀川さんという獣妖怪だったはずです。肉食なので、お肉とかの取り扱いにこだわってらっしゃるとか」


 それでね源吾郎さん。紫紺の瞳を輝かせ、竜胆が言葉を続けた。


「実は僕たち、三國さんに会う前に雪羽さんたちにもお会いしたんですよ」

「あ、そうだったんだね竜胆君」


 竜胆の言葉に、源吾郎は今度は割と素で驚いていた。神使たちが仕事や息抜き等で現世に遊びに来ることは知っている。春の終わりなどにもわざわざこちらでオフ会を行ってくれた事であるし。

 しかし源吾郎の知らぬ所で雪羽と竜胆たちが遭遇していたという話は初耳だった。雪羽の事だから、そう言う話はすぐに嬉々としてこちらに伝えると思ったのだが……


「この前……五月の末か六月の頭に有給を取っていた時があっただろ? あの時にモールとかゲーセンの中をブラブラしてたんだ。そうしたら菘ちゃんたちがいるのを偶然見つけてさ……」


 雪羽は口早に説明してくれた。翠の瞳が揺れて視線は定まらず、何とも胡散臭い雰囲気が漂っている。何か隠し事をしているな。源吾郎はすぐに気付いてしまったが、深く追求するつもりは無かった。

 仕事や戦闘訓練を通じて親交を深めた源吾郎と雪羽であるが、さりとて互いに全てを知り尽くす・理解しつくす事は不可能な事だ。どれだけ親しかろうと、何もかも全く同じという事は有り得ぬわけだ。ましてや源吾郎と雪羽では出自や境遇、種族すらも違う訳だから。

 だからまぁ、言いたくないのなら言わなくても構わないと源吾郎は思っていた。既に雪羽がまっとうな妖怪として生きようとしている事は知っている。おかしな悪事を働いているとは思わなかった(もしそうだとすれば、まず萩尾丸が黙ってはいないだろうけれど)


「げんごろう! ゆきははね、といっしょにいたときにわっちたちとであったんだよ」


 菘ちゃん! 天眼通を持つ幼狐に対し、源吾郎と雪羽はほぼ同時に呼びかけていた。その瞳にはまたしても同心円の紋様が浮かんでいる。


「ともだちはね、じもとにいるようかいたちだったかな。おんなのこ……アライグマとフェネックのおんなのこもいたよ。ゆきは、にこにこしながらともだちにおかねをくばってた」

「え、ちょっと……菘ちゃん?」


 雪羽の顔には、あからさまに狼狽の色が浮き上がって来る。竜胆は呆れとも憐みともつかぬ表情を見せており、ニヤニヤ笑いのラヰカの肩は何故か震えていた。雷獣の蓮はというと、さも不思議そうな様子で雪羽を眺めているだけだった。

 源吾郎にしてみれば腑に落ちる思いだった。菘たちと出会った時、雪羽は取り巻きと変わらぬようなオトモダチに対して節操なく金を配り、そうして仲間に引き入れていると思い込みながら悦に入っていたのだろう。

 だからこそ源吾郎にも伝えなかったし、竜胆や菘の言葉にうろたえたのだろう。

 ヤンチャな悪ガキだった頃の名残なのか、雪羽は取り巻きだった妖怪や取り巻きになりそうな若くて弱い野良妖怪に近付き、オトモダチにしようと画策する事がある。そしてその交遊については、源吾郎には表立って言う事はない。オトモダチを作ろうとする事、彼らとの関りを忌み嫌っていると雪羽は思っているからだ。

 源吾郎が雪羽のオトモダチを忌み嫌っていると言われれば、確かにその通りではある。彼らは雪羽の金や力量、肩書に目がくらんで尻尾を振っているだけなのだ。雪羽に群がり、おこぼれにあずかりあろうことか搾取しようと目論む連中を、友達だなんて呼ぶべきではないと源吾郎は思っている。

 それ以上に、そうでもしなければ仲間を得られないと思っている雪羽が愚かしくて忌々しかった。無論これは雪羽に直接言うような事では無いし、そもそもそんな風に思ってしまうおのれの度量の狭さにもうんざりしてしまう訳なのだが。


「俺は君の交友関係について口うるさく言うつもりは無いよ」


 雪羽の肩に手を添え、源吾郎は一言一句はっきりと告げる。源吾郎を見つめる雪羽の顔は、事もあろうに怯えの色すら浮かんでいた。誇り高き雷園寺家の次期当主でも無ければ、野良妖怪を束ねていた悪ガキの大将ですらない。親の叱責を恐れる幼子のような表情だった。


「そう言うのはきっと、萩尾丸先輩や三國さんたちの仕事だろうからね。だけど俺だって言いたくなる時はあるよ。友情と愛情のをするなってね。

 ましてや君には大勢の弟妹達がいるんだからさ」

「あいつらは悪いやつじゃあないんだ。そりゃあ、に育った島崎先輩とは違う所もあるかもしれないけどね。でも、一度会って話してみれば、案外気が合うかもしれないよ?」

「……考えとくよ」


 雪羽は悔しそうな眼差しを向けていたが、この話はこの辺りで打ち切っておく事にした。源吾郎たちで話し合っても平行線をたどる一方であるのは明らかだ。それに雪羽の事だ。オトモダチを新たに作ったとなれば、いつかどこかで源吾郎に引き合わせようとするだろう。その時にどういう奴がオトモダチになって、源吾郎と関わるのか。そう言う問題なのだと思っていた。


 お手洗いから未だに神使たちの集まる居間に戻ろうとしたまさにその時、源吾郎の脚に何かががっちりと組みついてきた。白い毛並みの先端が紫に染まった月白の妖狐だった。二足歩行する狐の姿で、菘よりもうんと小さい。桜花だった。


「あ、桜花! 急に走ったと思ったら……悪いな源吾郎君」


 慌てて駆け寄ってきたのは稲尾燈真だった。大丈夫です。小声で源吾郎が言っている間にも、慣れた手つきで桜花を引き離し、自分の腕の中に収めた。椿姫と同じく若々しい風貌であるが、息子を抱く仕草は既に堂に入っている。


「大丈夫です燈真さん。ちっちゃい子って、元気いっぱいで好奇心旺盛なんですから」


 むしろ桜花の元気さは好ましく、少しばかり羨ましい。というのも、妖狐の血が濃すぎる半妖という事で、源吾郎は幼い頃はやや病弱だった時期もあったからだ。もっとも、男児は女児に較べて、幼い頃は風邪を引いたり寝込んだりする事が多いという訳だから、半妖である事が関与しているのかは定かではないが。

 桜花をあやす燈真は、何故か意外そうな表情で源吾郎を見つめていた。


「源吾郎君ってちっちゃい子が苦手なのかなって思ってたけど、意外と子供好きな所もあるんだな。ほら、さっきまでいつもの連中と……ラヰカたちと話し込んでたし」

「ラヰカさんと話し込んじゃったのはなし崩し的な物ですね。僕も、雷園寺のやつにあの写真を仕込まれた事にびっくりして、ちょっと一人でいたかったもので」


 ちっちゃい子が苦手。燈真の言葉を吟味しながら源吾郎は口を開いた。正しいとも正しくないとも言える事柄だったのだ。


「安心してください燈真さん。僕は別に、ちっちゃい子が苦手とか、子供嫌いじゃあないと思いますんで。というか僕自身も、結婚したら子供は欲しいなって妖並に思ってるくらいなんですからね。

 ですが……僕は末っ子で、両親だけじゃなくて年の離れた兄姉たちからも構われながら育ったんです。なので年下の子たちとはどう接すれば良いのか、ちょっと戸惑っちゃう事があるんです」

「そっか。そう言えばちょっと前から配信で源吾郎君のお姉さんがコメントを入れてるもんなぁ。末っ子だったから、やっぱりお父さんにもめちゃくちゃ可愛がられたんだろ?」

「ええ、そりゃあもう可愛がられました。父には溺愛されて、甘やかされていたんだと今でも思います」


 最後まで言い切ってから、源吾郎は失言だったと思い直した。燈真は幼い頃に母を亡くし、長じて父に勘当されたという。そう言う若者を前に、自分が父に甘やかされたなどと言うべきではなかったのだ。

 だが言い放った言葉は収まらない。源吾郎は一瞬うろたえたが、さらなる事実を言い添える事にした。


「――とはいえ、僕を甘やかしてくれた親族は父だけだったんですがね。母や母方の親族は、僕が妖狐の血を引いている事や野望を持っている事を把握していたので、羽目を外さないように目を光らせていました。

 それに父が僕を甘やかす以上に、長兄が厳しい父親の役割を担っていたんです。昔はよく、僕の父親は長兄ではないかと思う人もいたくらいですよ。その勘違いを、長兄は楽しんでいた節もありますからね」

「そっか。源吾郎君の生真面目な所って、お兄さん譲りなんだな」


 ふっと微笑む源吾郎に対し、燈真は納得したように呟いていた。

 父母の一方からほぼほぼ無尽蔵に甘やかされていたにもかかわらず、源吾郎がそれでも真面目に育ったのは、やはり兄姉たち(特に長兄)の影響が大きいであろう。宗一郎は源吾郎を人間として育てようと意気込んでおり、だからこそ実の父以上に父親らしい振る舞いでもって源吾郎に接していた。

 実は宗一郎の振る舞いは、彼が幼子だった頃の幸四郎の振る舞いを参考にしているという話もあるのだが……いずれにせよ長兄が源吾郎にもたらした影響が大きい事は変わりはない。源吾郎にとって、兄とは責務を持った弟妹達の保護者と同義だった。

 だからこそ、源吾郎は雪羽の兄貴分になる事は出来ず、気軽に彼を弟分と見做す事は出来なかった。源吾郎の弟分は現時点ではただ一人。使い魔のホップである。源吾郎はホップを自分の部屋に住まわせて養い、彼の衣食住の面倒を見ていた。ホップが危険な目に遭わないか、安心して過ごせるかあれこれ心配する事もある。その心配やその思いこそが、かつて兄らが源吾郎に対して抱いたものとであると気付いてしまう時もあったのだ。


「兄姉たちは人間として生きていますが、それでも僕は兄姉たちには頭が上がりません」

「それでお姉さんが絡んでくるコメントには、源吾郎君もたじたじになってたんだね」

「まぁ何と言いますか、弟は姉には逆らえませんからね……しかも長兄は姉には少し甘い所があるので尚更かもしれません。年齢差も大きいでしょうけど」


 自分語りもこの辺りにしないと。そう思いながら源吾郎はその場にしゃがみこんだ。燈真は不思議そうに蒼い目で見つめ返している。桜花は興奮したように耳を動かし、ねー、ねー、と喃語を口にしている。


「桜花君を抱っこしても良いでしょうか」

「良いよ。桜花も源吾郎君に興味津々だから。というかさっきタックルしてたもんな」


 燈真が腕を緩めると、桜花はすぐに駆け寄ってきて、源吾郎の腕の中に収まった。既に二、三歳児の大きさに育っている桜花の身体は、心地よい重さと暖かさを伴っていた。


「ねー、ねー!」

「よしよし桜花君。僕は狐のお兄さんだよ。桜花君の仲間だから、ね」


 桜花の背に腕を回し、空いている方の手で頭をそっと撫でる。狐って事で仲間と言ったけれど、桜花には鬼の血も入っているんだった。こめかみから生える角を前に、今更ながらそんな事を思い出した。

 それにしても……鬼としての側面を持つ桜花を眺めながら、源吾郎は少し思案に耽っていた。幽世の環境もあるにしろ、桜花の成長が速いのは鬼の血によるものかもしれない。そんな事を思っていたのだ。

 誕生後の成長が速いという逸話は幾つか残されている。三大悪妖怪の一体・酒呑童子も成長の速い鬼子だったと言われている。生まれて間もない頃から六歳児程度の育ち具合であり、四歳にして十六歳の若者のような振る舞いだったというではないか。

 して思えば、桜花が元気にすくすくと育っているのは、父の血の特性を思えば至極当然な事であると源吾郎は思ったのだ。

 俺と玲香さんの子供たちは、きっと可愛い仔狐になるだろうな。桜花を抱きながらも、源吾郎はまだ見ぬわが子の事を空想していた(と言っても、別に玲香が懐妊している訳ではない。というかまだ入籍すらしていない)。源吾郎は妖狐の血を四分の一受け継いでおり、玲香は純血の妖狐である。そうなると生まれるのは妖狐の血を八分の五受け継いだ存在になる。妖狐の血がやや濃い半妖になる訳だ。

 狐なのに取らぬ狸の皮算用的な事を考えていると、何処か申し訳なさそうな燈真の声が聞こえてきた。桜花は先程から、ねー、ねー、と言っているのだ。


「源吾郎君。桜花はな、『きつね』って言おうとしてねー、って言ってるんだと思うんだ。別に君の事をお姉さんだと思ってるわけじゃないから、な」

「あはは、別にそっちでも面白そうだから良かったんですけれど」


 燈真の気遣いを前にして、源吾郎は面白くなってついつい笑ってしまった。


※考えとく:関西圏では否定の意を伴った返事であると解釈される。源吾郎もそうした意味で使ったと思われる(筆者註)

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