異世界狐交流譚――お狐様の誕生日祝いを添えて――その②

 社務所に通された一行を待ち受けていたのは、常闇之神社の神使たちの歓待だった。いの一番に飛び出してきたのは本物のラヰカである。月白の毛並みの仔狐を抱いた稲尾椿姫と、その弟である稲尾竜胆がその後を追従する形となったのだが。


「源吾郎君に雪羽君。二人とも驚かせてすまんなぁ。本体の俺が出迎えれば良かったんだけど、ちょっとこっちも準備とかそんなのがあったから、分身を送ったんだよ」


 源吾郎の読み通り、あのラヰカたちは分身だった。武闘派として名高いラヰカであるが、実は分身術を日常的に使う事も珍しくないそうだ。幽世の何処かに漂着した魂を案内する時や、境内を掃除する時などが主な用途なのだそうだ。

 ちなみにあの分身たちはラヰカそのものなのだが、本体とは別の独立した自我を持ち合わせているのだという。また分身ラヰカたちが見聞きしたり感じたりしたものは、良きにしろ悪しきにしろ本体のラヰカにフィードバックされるとも言う。


「そうだね、俺の分身は塩原玉緒君に似ているんじゃないかな。ほら、あやかし学園で京子ちゃんの分身として登場してたでしょ。あの子も自分の意志を持っていて、しかも京子ちゃんとある程度意識を共有していたみたいだし」

「それが一番ラヰカさんの分身に近いんですかね……」


 分身術についてあらかた解説を終えたラヰカが、ふと思い出したように付け加えた。その言葉に対し、源吾郎は吟味しつつ頷くのがやっとだった。確かにあやかし学園では、宮坂京子の分身として塩原玉緒を登場させた。本体である宮坂京子からある程度独立し、それでいて京子の記憶を保持している。確かにラヰカが扱っている分身とは共通点はあるだろう。


「とはいえ、アレはラヰカさんが使っている分身のように御せるものではありませんけどね。分身ではある事には変わりありませんが、自分で動くという点ではむしろタルパに近いかもしれません。或いは宮坂京子の願望を受け継いだもう一つの人格ともいえるでしょう。いずれにせよ、心の一部が繋がっているので無闇に消滅させる事は出来ないでしょうし……それにラヰカさん。流石の僕でもあそこまで自我を持った分身を作り出す事は出来ません。他の妖狐たちだっておおよそそんな感じだと思います」


 源吾郎も分身を作り出し、あたかも自律して動いているように見せる事はあるにはある。しかしそれらに実際に自我が宿っている訳ではない。あらかじめざっくりとした意図や命令を籠め、それでコントロールしているだけなのだ。言うなればラジコンを動かしているようなものだ。

 そもそも分身と視覚共有などでも、使い方を間違えれば意識が危険性すらあるのだ。自我を持った分身などという物はそう易々と顕現させる事は難しい。だがラヰカはそれを易々と作り、しかも分身が消滅した後も普段通りである。そこは無尽蔵の妖力を持ち、無数の魂や怨念によって構成されているが故のタフさなのだろうか。


「ま、俺の分身は暴走しないように主導権はこっちがしっかり握っているから安心してくれよな。だけど今回は、ちょっと分身連中がはしゃぎ過ぎたみたいで、上手く手綱を握れなかったんだ」


 だから複数のラヰカが同時に源吾郎たちに駆け寄ってくるという珍事が発生した。そう言ってラヰカは分身の説明について締めくくった。

 源吾郎はその言葉を素直に受け取っていたのだが、それは源吾郎だけだったらしい。雪羽は忍び笑いを漏らし、竜胆はジト目でラヰカを見上げているではないか。


「あはは、ラヰカ姐さんが俺たちの到着をめっちゃ喜んでいたって事は分身越しにも伝わりましたよ。だってその……ラヰカ姐さんが浮かれていたからこそ、分身たちも浮かれてたんでしょうし」

「雪羽さんの言う通りですよ」


 竜胆はそう言って小さくため息をついた。


「兄さんの分身が見聞きした事は兄さんに直接フィードバックされるから……きっと分身たちで雪羽さんたちを見れば、楽しさとか嬉しさがするって兄さんは思ってそうなんですよ」

「竜胆、お前も千里眼の才能が目覚めたのか?」

「全く、ラヰカも源吾郎君たちが来ているというのにいつも通りねぇ」


 ラヰカと竜胆のやり取りにしっとりとしたツッコミを入れたのは稲尾椿姫その妖だった。一児の母である事は、その腕に抱く仔狐が如実に物語っていた。しかしその仕草は若々しく、少女のように見えてならない。

 いえいえ稲尾さん。源吾郎は微笑みながら椿姫に声をかけた。


「実を言えば、僕たちもラヰカさんとのやり取りは楽しみなんです。僕の兄たちはいかんせん真面目過ぎますからね……」

「先輩も十分真面目だと思うけど」


 雪羽あたりからツッコミが入った気がするが、源吾郎はそれを華麗にスルーした。源吾郎の視線は既に椿姫に、彼女が大切そうに抱く仔狐に向けられていた。


「稲尾さん。この度はおめでとうございます」

「こちらこそありがとう。誕生日祝いの方は、ラヰカと誕生日が重なってる事もあって神使や氏子の皆がド派手に祝ってくれたの。だけど島崎君たちまで来てくれるなんて……あなた達も社会妖しゃかいじんだし忙しいんじゃないの?」

「こゃー」


 問いかける椿姫の腕の中で、桜花がもぞもぞと動き、声を上げた。本来の姿を取っている桜花の姿は、全体的には白い仔狐そのものだった。既に人間の乳幼児と変わらぬ大きさである事、頭部の右側から角がせり上がるように生えている事を除けばの話であるが。

 桜花の動きに目を奪われていた源吾郎をよそに、雪羽がずいと前に進み出た。その面には蕩けるような甘やかな笑みが広がっている。


「椿姫さん、この子が噂の桜花君ですね。あー、本当に可愛いなぁ……桜花くん、おれは雷獣のおにいちゃんだよ。わかるかなー」

「にー、にいー!」

「よしよし、いい子だなー」

「雪羽さん、とっても嬉しそうですね。何か親戚のお兄さんみたいな雰囲気まで出てますし」

「雷園寺君は根っからの兄気質だからね。竜胆君も多分知ってると思うけれど」

「そうでしたね。雪羽さんって、弟さんや妹さんがたくさんいますもんね」


 ちゃっかりおのれの指を桜花に握らせている雪羽を見やりながら、源吾郎と竜胆は言葉を交わした。雪羽は兄気質であり、ついでに言えば幼子の扱いにも慣れていた。彼の保護者たる三國夫婦の間にも幼い子供がいるからだ。雪羽自身は週末しか叔父の家に戻れないのだが、戻った時には弟妹達の面倒を見、遊んでやったりするらしい。双子の幼い兄妹もまた、雪羽をきちんとお兄ちゃんと見做して懐いている事もまた源吾郎は知っている。


「雪羽君の弟妹か。俺はどうにもキメラニキとサニーちゃんしか思い浮かばんのだが」


 それもそうかもしれませんね。のんびりとした口調で告げるラヰカに対し、源吾郎はくすりと笑った。


「雷園寺君には大勢の弟妹がいますけど、ラヰカさんが関わっているひとたちとなったらあの二人に絞られますもんね。配信でも何かとお世話になっているみたいですし」

「キメラ君の配信も面白いんだよな。まぁ何というか、推しへの愛情が凄い所とかは俺もえぇ……となる時はあるけどさ。でもそういう時はサニーちゃんがツッコミを入れてくれるし、その辺の掛け合いはやっぱりすごいなぁって純粋に思うぜ」

「今度から僕も兄さんの配信でもっとツッコミを入れようかな?」

「竜胆はいつも鋭いツッコミを俺に寄越してるだろうが」

「わっちもにいちゃんにツッコミ入れてもいい?」

「ラヰカ姐さん。穂村は配信では時々暴走しちゃうけれど、実際に会ってみるとかなり真面目に振舞うんですよ」

「へぇーっ。それじゃああのノリは配信での演出だったのか」

「兄さんもその辺り穂村さんを見習えば?」


 まだまだ社務所の居間に通されたばかりであるが、源吾郎たち一行と神使たちの会話は大いに弾んだのだった。途中で話に登場した穂村やミハルも、ラヰカにとっては今や馴染みの存在であるから尚更であろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る