異世界狐交流譚――お狐様の誕生日祝いを添えて――その①

 三千世界という言葉がある。宇宙を内包した世界は三千存在するという意味だ。

 ちなみに三千世界という場合、三千は千の三倍ではない。千の三乗、すなわち十億の世界が存在するという事だ。

 世界が異なればその法則も異なる。それぞれの世界にキツネがいたとしても、そのキツネたちは全く異なった生態や法則の持ち主であってもおかしくはない。

 今回は、そんな異なる世界の狐たちの交流・調査譚である……


「うーむ。本当は当日に幽世に出向きたかったんですが、こっちもこっちで忙しかったもんなぁ」

「そこはまぁしゃあないよ。俺たちもサラリーマンだしさ、何より胡琉安様の生誕祭はどうにも外せないし」


 八月中旬。関西某所。某研究センターの一角には三人の妖怪が集まっていた。妖狐の半妖である島崎源吾郎、雷獣の雷園寺雪羽、そして隙間女のサカイスミコである。

 この研究センターは彼らの職場でもあるが、仕事の為に集まっている訳ではない事はその姿を見れば明らかだ。私服姿であるし、何より手土産やら何やらを源吾郎と雪羽は抱え持っていたのだ。

 数年前より突如出現した八月の祝日をいくらか過ぎたこの日、源吾郎たちはまたしても幽世に遊びに……もとい向こうの住民たちとの交流アンド調査を兼ねて幽世に出向く事と相成っていた。

 要はちょっとしたオフ会のような物である。幽世に住まう邪神・夢咲ラヰカとは配信動画の投稿主と視聴者という関係性であり、また源吾郎たちは兄のようにラヰカの事を慕っていた。そのラヰカが、せんだって月白の妖狐・稲尾椿姫と共に誕生日を迎えたばかりである。弟分として誕生日を祝おうと思っていたのだ。

 生誕か……源吾郎の言葉を受け、雪羽が短く単語を口にする。その眼には感慨深そうな色が浮かんでいた。


「そう言えば島崎先輩。椿姫さんの所の桜花君、物凄い成長ぶりだよな」


 本当だよな。雪羽の言葉に頷きつつ、源吾郎も言葉を重ねた。


「幽世とこっちの世界だと色々と法則が違うからさ、妖怪の成長速度は違うみたいだけど……それでもびっくりしちゃったよ。雷園寺君の所の野分君や青葉ちゃんとほとんど変わらないくらい育ってるもん。まだ産まれて一か月も経ってないのにさ」


 桜花君とは幽世の新たな住人である。後天的に鬼となった稲尾燈真と、月白の妖狐たる稲尾椿姫を父母に持ち、それ故に鬼と妖狐の特徴を受け継いで生まれた子なのだそうだ。厳密に言えば、燈真は人間の血を受け継いでおり、遠い先祖は神だったというから、桜花は都合四種族の血を受けているともいえる。

 それはそうと、源吾郎も雪羽も新たな幽世の住民の成長速度には舌を巻いていた。七月二十七日に生まれた桜花は、まだ産まれて三週間程度である。しかしながら既に立ち上がって走り回る事もあり、のみならず片言ながらも言葉を発するほどなのだ。生後一か月足らずながらも、既に人間換算で二、三歳ほどにまで成長していたのである。

 だがそれも、過酷な幽世の環境によるものなのだそうだ。

 幽世では負の感情が凝って魍魎と呼ばれる異形に変貌する。この魍魎は生きている者を無差別に襲うため、幽世の神使や氏子たちは日夜これと闘い打ち滅ぼす任務を担っているのだ。もちろん、神使たちであっても魍魎と闘う事には危険が伴うという。従って通常の妖怪であったとしても、魍魎は危険極まりない捕食者となりうるのだ。

 そうした魍魎の脅威から身を護るために、幽世の妖怪たちは乳幼児の時期が極端に短いという。もっとも、菘のようにある程度の所まで育ったら、後は心身の成長や成熟はゆっくりとしたものになるそうなのだが。

 源吾郎たちの世界でも、妖怪が長命である事には変わりはない。だがその分幼少期も長いのだ。例えば雪羽の弟妹(血縁上はいとこにあたる)である野分と青葉などは、完全に乳離れするまでに二年半かかったという。今は五歳半であるのだが、人間で言えばそれこそ二、三歳の幼子と同じくらいであろう。

 もちろん、野分と青葉は雷獣と鵺の子なので、鬼と妖狐を父母に持つ桜花と比較するのは難しいかもしれないが。


「それじゃあ二人とも。準備が出来たからね!」

「あっはい。いつもありがとうございますサカイ先輩」

「よっしゃ、それじゃあまた幽世に行きますか」


 護符にて転移の準備をしていたサカイ先輩が声をかける。幽世に出向く際は、サカイ先輩がこうして引率者として同行する事がほとんどである。源吾郎たちが羽目を外さないように監視するという側面もあるにはある。しかしそれ以上に源吾郎たちの安全確保のためというのが主だった理由だった。

 先に述べたとおり、幽世はある意味危険な土地でもある。それは住民たちのみならず他の世界の妖怪にも当てはまる事でもあった。正直な話、源吾郎や雪羽単体であったとしても、魍魎に喰い殺される危険とてあるのだ。雪羽クラスの強さで初めて、幽世に来訪しても問題なしと当局で見做されてもいる。裏を返せば雪羽よりも弱い妖怪や術者は、幽世の来訪は控えた方がいいという事でもあった。

 そう言った意味では、萩尾丸が幽世の調査として源吾郎たちを選んだのは適任だったのかもしれない。

 ちなみに萩尾丸や紅藤は、幽世の地に向かう事はまずなかった。六道輪廻から外れた存在は来訪できないだとか、強すぎる妖怪が別の世界に来訪するのは色々と危険が伴うからだと言われているが、真相はきっと彼らの胸の中にあるのだろう。

 ぼんやりとした闇の中が広がる。源吾郎と雪羽は目配せし、既に闇の中に飛び込んでいるサカイ先輩の後を追った。異なる世界の因果に干渉し、世界と世界を繋ぐのは常闇様の御業である。常闇様の加護が付与された護符を使っているので、この闇を抜ければ幽世の門に繋がるはずなのだ。

 この前みたく物騒な映像が展開されなければ良いのだけれど。源吾郎はそう思いながら、闇の中を進んでいったのだった。


「おおっ! 源吾郎君に雪羽君じゃないか! 忙しいのにありがと! 待ってたんだぜ」


 門をくぐった一行を熱烈に出迎えたのは夢咲ラヰカその妖だった。見慣れた藍黒色の五尾を嬉しそうに震わせ、そのかんばせには花開くような笑みが浮かんでいた。御年二百二十八歳の邪神系妖狐は、弟分の来訪を少年のように喜んでいたのだ。


「しばらくぶりですラヰカさん。ラヰカさんもお元気そうで何よりです」

「本当にラヰカ姐さんも元気そうっすね。こっちもこっちで暑いですし……もう俺なんか毎日溶けそうになってるんすよ」

「そちらもお盆の頃でお忙しいかと思ったんですが……私たちもこの時期でないとどうにも身動きが取れなくて……」


 源吾郎に雪羽、そしてサカイ先輩の言葉を聞くや、ラヰカはあっけらかんと笑ってみせた。配信でよく見る底抜けの笑顔である。


「サカイさんもお気遣いありがと。だけど俺たちなら大丈夫。暑さをしのぐ術は俺たちにもあるし、それこそどうにもならん時には氷雨さんにお願いすればどうにかなるからさぁ……」


 氷雨とは常闇之神社の神使を勤める雪女である。雪女という種族上冷気を操るのが得意であるのは想像に難くない。しかし街を凍らせる事も出来るし、そこまでいかずとも永久に融けぬ氷を作り出す事も出来るのだそうだ。やはりというべきなのか、大規模な能力と妖力の持ち主であるらしい。


「それに忙しさの方も大丈夫さ。椿姫も無事に出産を終えて優雅に子育てに勤しんでいるし……」


 ラヰカはここで言葉を切ると、にぃと唇をゆがめて笑みを作った。その笑みを前に、源吾郎と雪羽は少しだけたじろいだ。軽妙な言動が親しみやすいラヰカであるが、概ね整った面立ちである為に、その笑顔には迫力があったのだ。ましてや、邪神めいた邪気をほのかに漂わせているのだから。


「しかもつい最近、影法師の連中を潰してきたからな。ははは、完全に消滅させたわけでは無いが、奴らもすぐに悪さをする事は無いだろうさ」

「影法師、ですか――」


 源吾郎の喉が上下に動いた。影法師を潰した。庭掃除でもしたかのような軽いノリで言い放たれたその言葉がどのようなものか、源吾郎としては知りたかった。影法師とはこの世に闘争と混沌をもたらそうとする組織の事であり、ともすれば魍魎よりも厄介な相手だという。深く突っ込んで話を聞くのは恐ろしい事だ。だがそれ以上に好奇心がそそられもした。

 だが結局のところ、その件について源吾郎が深く追求する事は無かった。思いがけぬ光景を目の当たりにして、そちらに注意が向いたのだ。

 その光景を前に、源吾郎の瞼が僅かに持ち上がる。源吾郎たちの許に、ラヰカが更に二人ほど近付いてきたのだ。


「おっ、もう既に源吾郎君たちと合流していたのか。抜け駆けしたな。全くもって油断ならん奴め」

「おいおい、皆全員俺なんだからさ、お客さんの前でしょうもない喧嘩はよそうぜ。ささ、雪羽君に源吾郎君。社務所まで距離があるし荷物は運ぶよ」


 気付けば源吾郎たちは三人のラヰカに取り囲まれていた。もちろん危険な気配は無いのだが、この奇妙な状況に源吾郎は首をひねったのだ。確かにラヰカは異質な存在である。九尾の怨念が凝り、藩士とギンギツネの肉体を奪って誕生したという出自や、不死の肉体を具えるという特徴は普通のキツネとは言い難い。だがラヰカが分裂するという話は未だに聞いた事はない。

 そうなると分身になるのか――変化術の使い手として、源吾郎はそのように考えていた。だがそれにしては生々しい。本体と思しきラヰカと後から来たラヰカたちとの区別は殆ど無かった。それに何というか、自分で考えて動いているような気配がこの分身たちからは感じられるのだ。

 この分身たちは何なのだろう。そう思ったまさにその時、視界が広がった。いや、集まっていたラヰカたちが霧散し、白い煙となって消えてしまったのだ。やはり分身であるという推論は間違っていなかった。


「――全く、ラヰカも忙しいのは解るけれど、わざわざ分身を使って出迎えるなんて。源吾郎君たちも困ってるじゃない」


 涼しげな声音と共に二人の少女がこちらに近付いてきた。源吾郎は居住まいを正し、雪羽も反射的に尻尾を逆立ててしまった。


「雉鶏精一派の皆さまね。ごきげんよう。さっきラヰカの分身から聞いたかもしれないけれど、あなた達も元気そうで何よりね」


 年上――と言っても中学生くらいであるが――の方の少女が源吾郎たちに語り掛け、静かに微笑んだ。四本の腕と背後に方陣を抱く少女の名は夜葉という。表向きは幽世に住まういち妖怪として振舞っているのだが、実はこの幽世を統べる女神・常闇様の受肉した姿なのだそうだ。一応夜葉の正体は秘密だったらしいのだが、今では既に神使たちに広く知れ渡ってしまっている。彼女自身も隠すつもりはもはやなさそうなのだが、源吾郎は一応気付いていないふりを通す事にしていた。


「よ、夜葉様! 御自ら出向いてくださるとは!」

「えへへー、げんごろうも、ゆきはもひさしぶりだね!」


 夜葉の隣にいた月白の幼狐・稲尾菘が嬉しそうに声を上げた。先端だけ紫に染まった狐耳がせわしく動き、喜びと興味を抱いている事を如実に物語っている。

 夜葉たちと一通り挨拶を行った所で、一行は改めて社務所に案内されたのだった。

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