術者活躍記録――違法ゲームセンターの検挙:その3
いかな妖怪や術者であっても、硬い床に叩きつけられたら負傷する事は免れない。或いは打ち所が悪ければ――去来した不吉な考えを、俺は懸命に振り払った。そんな事を考えている場合ではない。飛鳥を、愛する妻を残して俺だけ死ぬわけにはいかない! 落下しながらも、俺は受け身を取る体勢を整えていた。他の者たちにもそう言ってやりたかった。だがそうする余裕は残念ながらなかった。
「うっ……ぐぅう……」
そうしているうちに俺たちは落ちる所まで落ち切った。もちろん物理的な意味である。どうにか受け身を取ったのだが、予想に反し痛みが襲ってくる事は無かった。それに痛みを訴える声が思いのほか少ない。
周囲を見渡した俺は、ここでようやく今の状況が何となくつかめてきた。落下した事には変わりない。だが、俺も含め周囲の面々は物理的な衝撃を受けなかったのだ。
「あああ……やっぱり尻尾が……」
「島崎君。流石の君でも今回の術はちと大掛かりだったんじゃあないかな」
痛みを訴える島崎君の声と、それに呼応しなだめる様な田辺さんの声が近くで聞こえる。俺はゆるゆると状況を把握しつつあった。何がしかの術によって落下した物の俺たちはダメージを受けなかったのだ、と。
そして俺はようやく二つの事に気付いた。俺たちのいる一角だけ地面の色が違う事と、田辺さんの変化が解け、直立する狸の姿になっている事に。
「大丈夫ですか、皆様」
尻尾の付け根をさすりながら島崎君が問う。あちこちから無事を告げる声が聞こえ、島崎君は安堵の笑みを浮かべたらしかった。というのも、その笑みは明らかに痛みをこらえた作り笑いだったのだ。
結局のところ、落下の衝撃を防いだのは島崎君の結界術と田辺さんの八畳敷の変化術によるものだった。島崎君は自分の結界術だけでは皆を無事に着地する事は出来なかったと述懐していた。
悔しさと自身の至らなさに思いを巡らせているであろう島崎君の姿に、俺は複雑な思いを抱くほかなかった。あの時の島崎君の反応や行動は大したものだった。そもそも結界で落下する十人弱の人間や妖怪を受け止めるという事自体が大変な術なのだ。出来なかったとしてもそれを咎める者はいないし、むしろそんな事をよくぞできたものだと称賛されるべき事なのだ。
だが島崎君は、それだけの事をやってのけたにもかかわらずおのれの至らなさに目を向けていた。彼はおのれの能力を過小評価しがちなのだ。大した事じゃあありませんよ。彼がそう言う事柄の多くは、他の妖怪から見れば大した事に値するのはそれほど珍しくはない。
とはいえ、おのれの能力に無自覚な愚か者だなどと俺は思えなかった。島崎君に才能がある事は事実だ。彼の強さ、術の巧みさに一般妖怪はひれ伏するほかないだろう。しかし、彼はそれ以上に才覚と能力のある者たちの許で修行している。才能のあるなどと言う生温い物ではない。妖怪たちの基準の中でも大妖怪だとかバケモノだなどと呼ばれるような面々ばかりなのだ。島崎君の上司や先輩たちという者は。
更に言えば、そんな上層部が頭を悩ませるような厄介な面々に狙われ、時に対立する事もあるのだという。島崎君の周囲は味方も敵も規格外のバケモノ揃いなのだ。であれば、若いうちに才能を開花させた程度では、「自分はまだまだの仔狐だ」と思うのも致し方ない……事なのかもしれない。ましてや島崎君は最強の妖怪になるなどと言う野望に取り憑かれているのだから。
俺はだから、島崎君が時々哀れに思えてしまうのだ。遠大な野望を抱いてしまったからこそ、苦難の道を歩む事を強いられているのではないか、と。普通の人間、或いは普通の妖怪として生きていたとしても、彼は人並の幸せと平穏な日々を得られるのではなかったか、と。
もっとも、凡愚であるこの俺がそんな事を考える事こそがおこがましい事なのかもしれないけれど。
「あーあ。島崎先輩ったら早速大技を使ったんじゃあないっすか? まだまだこれからなのに、へばらないで下さいよ?」
呑気そうな声は俺たちの斜め上から降りかかってきた。声の主は雪羽君である。未だに宙に浮くその身体は、ゆっくりと床へと降下している。全くもって重力を無視したかのような動きだった。とはいえ驚くほどの事では無い。雷獣である彼は宙を舞い空を飛ぶ術を心得ているのだから。実際に彼が浮く所を見たのは初めてだったけれど。
しゃあないだろ。島崎君が顔を上げて言い捨てる。声の震えを押し殺した彼は、雷獣の若者に笑みを見せていた。
「俺たちは鳥園寺様をサポートするために派遣されているんだ。それにこんな所から落っこちたら皆タダでは済まないって事は君だって解るだろう?」
「……先輩は相変わらず心配性っすね。しかもそれが自分じゃあなくて他のヒトに向かってるって訳だ……」
いつの間にか雪羽君は着地していた。困ったと言わんばかりに肩をすくめているが、その表情や声に籠っているのは呆れの色だけでは無さそうだ。
「しんみりしている場合じゃないぜ。まだ親玉は叩いちゃいねぇ」
思わず物思いにふけりかけた俺の耳に、倉本さんの言葉が飛び込んでくる。八畳敷を畳んだ田辺さんと同じく、彼も半獣の姿を見せていた。衝撃で変化が解けたのではない。臨戦態勢に入った証だった。気が付けば、俺たちが率いていた一団の妖怪たちの殆どが半獣形態に戻っている。
薄暗い地下室の中できらめくものがそこここで露わになっている。丸い光は獣妖怪たちや魔物たちの瞳だった。
あらかじめ天狗の青年や虎雨から聞かされていたのだろう。獣じみた異形たちの群れが、いびつな円を描いて俺たちを取り囲んでいた。
「数はおよそ三十ですね。僕の見立てでは有象無象ばかりでしょうが……お坊ちゃま、ゆめゆめ油断なさらぬように」
鼻面から伸びたひげを弾きながら田辺さんが言う。敵たちの怒号と罵声を聞き流しつつも、俺は力強く頷いた。懐から攻撃用の護符を取り出し、一歩踏み出す。摘発を率いているのは他ならぬこの俺なのだから。
「鳥園寺様。露払いはこの僕にお任せいただけないでしょうか」
立ち上がった島崎君がそう言ったのは、俺が構え始めたまさにその時だった。尻尾の痛みは治まったのだろうか、涼しい顔で俺の隣に並び立っている。ついでに言えば周りが少し明るくなっている。彼の周囲には蒼白い狐火が三、四個浮かんでいた。
「リーダー格である天狗と雷獣は隠れてしまいました。ですが――それならそれでいぶり出せば良いまでの事です」
言うや否や、島崎君がにい、と笑った。妖狐、それも悪狐の血を引くにふさわしい、残忍さや獰猛さを孕む笑顔ではないか。普段の彼が、俺や妻に対して見せる笑みとはまるきり違っていた。
直後、彼が伸ばした右手から煙を伴った突風が吹き荒れた。この煙交じりの突風は、武装した敵妖怪たちに吹き付けられたのは言うまでもない。黄砂よろしく黄ばんだ煙の向こう側がどうなっているのかは定かではないが、敵妖怪たちの当惑ぶりは聞こえてきた。怒号から一転した悲鳴や獣の唸り声、更には肉がぶつかる様な音が聞こえてきたのである。
「島崎君も思っていた以上に余裕がありそうですね。とはいえ、若い妖にばかり働かせるのも気が引ける所ですがね」
そう言いつつ、田辺さんも腕を振るう。半獣形態ながらも器用に十数枚もの木の葉を彼は摘まんでいたのだ。それらは彼の手から離れるや否や、きらめく畳針に変貌して煙の中に消えていった。
一分足らずで、黄色い煙は収まった。俺たちの外側を吹き荒れた煙は、さながら竜巻のような様相を呈していたのだ。
威力も生半可な物ではなかった。三十程いた異形たちは、七割ほどが戦闘不能になっていたのだ。要するに煙に翻弄され、巻き上げられて転がされていたのだ。よく見れば、田辺さんが放った畳針によって壁や床に縫い留められている者もいた。
残りの三割は、どうにか倒れずに持ちこたえていた。若いながらもオークだとか人狼めいた獣人だとか二尾になりそうな妖狐だとか、妖力だとか体力のありそうな連中ばかりである。
しかし彼らも雷園寺君の放った雷撃や島崎君の幻術その二によってあえなく沈んだのだったが。ちなみに島崎君の幻術その二は、触れた者に恐ろしい重さをもたらす木の葉だった。安倍晴明の逸話を参考にしたであろう事は明らかだった。相手を動けなくしただけであり、生命を奪うまではいかなかったけれど。
「おしっ、有象無象はこの程度かな」
死屍累々――別に死者はいないのだが――となった異形の部隊を眺めながら、雷園寺君は小さく柏手を打つ。その顔には疲労の色はなく、余裕の色が濃かった。
「露払いは終わりました。これで彼らも出てくるほかないでしょう。なので鳥園寺様たちに置かれましては――」
言わなくても解るよ。心配と若干の焦りを滲ませながらこちらを見つめる島崎君に対し、俺は頷いて前進した。俺たちが成すべきは犯罪者妖怪の捕縛である。そのために島崎君たちは術を振るい、妖怪たちをダウンさせたのだ。
そして妖怪たちの捕縛を急がねばならない事も俺たちには解っていた。彼らも弱いとはいえ妖怪である。そのスタミナや生命力は人間の比ではない。今でこそ島崎君の術にダウンして田辺さんの放った針で身動きの取れない者もいるが、まごまごしていたらすぐに回復してしまう。反撃されたり逃げ出されたりしないうちに完全に捕縛し、逮捕の準備を行うのが肝要なのだ。
「縛妖索、急ごしらえですけれど術でどうにか準備は出来ますよ!」
「おうよ! 幸いこのチームには田辺君と俺と……あとは新入りの狐娘がいたからな。女狐だろうと関係ねぇ! 妖術を手伝ってもらうぜ」
「ありがとう……」
倒れ伏し、逃げようともがく妖怪たちに駆け寄りつつ、俺は田辺さんたちに礼を述べた。俺もこの業界に身を置いて十年近いが……やはり田辺さんたちはベテランだ。
「はははははっ。チンピラ雷獣君と半妖の狐も中々やるじゃないか~。チンピラ小僧と半端者の半妖だからって思っていたけれど、いやはや馬鹿にしちゃってたかなぁ」
唐突に間延びした声が鼓膜を震わせた。気が付けば、姿を隠していたはずの天狗と雷園寺虎雨が俺たちの前に姿を現していたのだ。
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