掌編

縁側の月夜酒――或いは、青臭くも愚かしい追憶

 おれたちの長兄である千理は、今や雷園寺千理と呼ばれるようになっていた。

 雷園寺家の屋敷の奉公妖ほうこうにんに過ぎなかったはずの彼は、雷園寺家の若き女当主・雷園寺ミシロに見初められ、そのまま結婚してしまったのだ。

 千理の兄貴は雷園寺家当主の婿になり、弟妹であるおれたちは、雷園寺家の姻族となった。俺たちは元々は無名の平民雷獣に過ぎず、しかし雷園寺家は関西では名の知れた名家中の名家である。

 まったくもって――な話ではないか。兄姉たちはさておき、おれはそんな風に思っていた。


「あー、酒が旨いのだけが救いだぜ。あとツマミも悪かないかな」


 雷園寺家の屋敷に呼ばれた俺は、人気のない縁側に腰を下ろして酒を飲んでいた。今宵は雷園寺家でささやかな宴席が設けられていた。ささやかと言っても、貴族様の基準のささやかさなんだけどな。

 おれは雷園寺千理の弟として出席せねばならなかった。本当はこんな宴席など興味はなかったし、これまでも何度か断ってきた。しかし、今回はとうとうのらりくらりとかわす事ができなかった。兄姉たちが妙な所で団結してしまったためだ。

 兄貴たちも姉貴たちもおめでたい頭の持ち主であるらしく、千理の兄貴が雷園寺家の婿になった事で、自分たちもおこぼれにあずかる事が出来ると思っているのだ。そしてそれを、事もあろうにこのおれにも押し付けようとしているのだ。

 というよりも、おれが強い雷獣であるから、雷園寺家と結び付けたかったのかもしれない。全くもって愚かしい話じゃないか! 婿の弟妹だからと言って、そんなに簡単におこぼれにあずかれると思うなんて。

 そもそもおれは、貴族様などが嫌いだった。貴族が権力を持つ事こそが、おれたち雷獣の生き様を腐敗させ、他の妖怪たちに隷属せねばならない状況を生み出している。

 おれはおれのやり方でそれを打開したかったし、その事で雷園寺家に協力を求めるつもりなんて無かった。部下たちの中にも、雷園寺家当主の義弟という立場を使えばいいなどと宣う手合いはいたけれど。


「……三國、三國! 兄さんたちが探していたと思ったら、こんな所にいたのね」


 梅酒に口を付けたおれは、声が掛かってきた方を見やって眉を寄せた。困ったような表情で俺を見下ろしているのは姉の天水だった。両耳に提げた大ぶりのイヤリングが揺れている。月の光を反射しながらそれらが輝いているのを眺めながら、おれはグラスの梅酒をぐっと呷った。

 天姉さんの青灰色の眉がぐっと歪み、それからルージュを引いた唇が動いた。


「ミシロお姉様や千理兄さんへの挨拶をろくろくやってないと思ったら、こんな所で隠れて呑んでいたのね」

「宴会だから飲むのは当たり前だろう。ミシロの義姉さんだって無礼講だって言ってたじゃないか」

「だからって吐くまで飲む事はないでしょ。吐いた後ケロッとしているのは良いけれど、そこからまた飲むなんて……」

「酔いが醒めちまったんだから、また酔う事の何が悪いんだよ」


 こめかみに手を当てて、天姉さんはとうとうあきれ果てていた。再び酔いが回ってきたおれは、良い気分になりながら天姉さんの姿を見る事が出来た。

 実を言えば、これでもおれはかなり穏やかな気分で天姉さんと会話していた。それは相手が天姉さんだからだ。天姉さんはおれの六番目の姉で、大勢いる兄姉たちの中では一番下だった。歳が近いとやっぱり威圧感も少ないし、何より兄姉たちの中でも割合雷園寺家への恩恵への関心が薄いようにも感じられた。

 ようするに、これが年長の兄貴や姉貴だったら、おれのほろ酔い気分も打ち切られていたというわけさ。


「……ちょっと酔い覚ましを貰ってくるから。三國はそこで待ってなさい」


 ため息のようなのっぺりとした声とともに、天姉さんはおれに背を向けた。


「あんたの考えや成そうとしている事について、私はとやかく言わないわ。だけど三國。自分の振る舞いは自分でしっかりとしなさいね。そうでないと後々後悔するわよ」

「天姉さんまで雷園寺家の連中に尻尾を振って媚びろって言うのかい? はははっ、おれたち兄弟は大勢いるんだ。連中だって、おれの事にわざわざ注目する暇なんて無いだろう」


 笑い交じりのおれの声に、天姉さんからの返答はなかった。いつの間にか、姉さんは音もなく立ち去っていたのだ。


 天姉さんはいつ戻ってくるのだろうか。少しイラつきながら、おれはつまみをぱくついていた。ポテトフライだとかピザなどと呼ばれるものだ。どちらも舶来の料理で、まだまだ世間には浸透していない。そう言った物まで用意されている所が、何とも貴族の屋敷らしいと俺は思った。

 天姉さんから酔い覚ましを受け取って飲めば、それで安心しておれを放っておいてくれるだろう。そう思っていると、何故か酒を飲む期にはなれなかった。

 丁度その時、おれのすぐ傍に誰かがやってきた。


「遅いじゃないか天姉! 酔い覚ましのために酒を飲まないでいたら、却って酔いが醒めちまったぜ」

「おやおや……誰かと思ったら三國君じゃあないか」

「あ……」


 天姉さんだと思って怒鳴りつけてから、おれはしまったと思った。やってきたのは天姉さんではなかった。その雷獣女は雲の紋様の入った黒い着流しの上に梅模様の散った紅色の羽織を重ね、翠の瞳でおれを見つめていた。

 おれの許にやってきたのは雷園寺ミシロだった。薄青く輝く銀髪を胸元まで伸ばし、同じ毛色の細い五尾が背後で揺れている。確かに彼女も義姉には変わりないが……おれは心がざわつくのを感じ、ミシロを睨んだ。自分は七尾のはずなのに、一瞬彼女にたじろいでしまった。しかも気に喰わない貴族のではないか。


「千理さんやあのひとの弟妹達から君の事は聞いていたんだ。強い上に君なりの理念を持っているんだってね。私も少し話をしてみたいと思ったのに、君ときたら中々捕まらなかったから難儀してたんだよ。

 ああ、でもここだったら誰も寄り付かないもんねぇ。良い所で飲んでるじゃないか」

「十三代目・雷園寺家当主殿がこのおれに興味を持たれるとは……」


 そう言って、おれは瓶から梅酒を注ごうとした。その時に、既に瓶が空になっている事に気付いた。酒に逃れる術もないとおれは腹をくくり、言葉を続ける。


「でもどうしておれなんです? ミシロ義姉さん。くそったれで腑抜けな兄貴たちや姉貴たちに会ってやった方が良いですよ。そうすればあいつらも大喜びして尻尾を振るでしょうから。少なくとも、今よりもお互い有益な時間が過ごせますぜ」

「だからこそ私は君に興味を持ったんだよ」


 ミシロはそう言って微笑み、左手で腹の辺りをそっと撫でた。彼女が宝剣を携えていることは俺も知っている。春日大社に祀られている建御雷神たけみかづちの力が宿ったとされる宝剣だ。雷園寺ミシロは……雷園寺家は代々建御雷神を崇拝している訳だから、特におかしな事ではない。


「千理さんの弟妹達は、多かれ少なかれ私に好かれようと、気を引こうとあれこれやっていたの。でも、三國君にはそう言う所が無いでしょ。それが私には潔く感じられたの。

 もちろん、千理さんの事は好きだから、あのひとの弟妹達も私の弟や妹みたいなものだけれど」

「ミシロ義姉さん。義姉さんまでおめでたい考えの持ち主だったとは……そんなんじゃあ雷園寺家の行く末が心配でなりませんなぁ」


 ミシロの笑顔が歪むのを見てみたい。その思いに突き動かされながらおれは言葉を紡いだ。


「解らないんですか義姉さん。おれがあんたに媚びないのは、あんたの事が……雷園寺家の事が嫌いだからだよ! 貴族だなんだとうそぶいてふんぞり返っているだけの世間知らずの癖に。そう言うやつと結婚した千理の兄貴も、そのおこぼれにあずかろうとする兄貴たちや姉貴たちもくそくらえだ!」

「……そう言う風に思っていたのね、三國君は」


 おれの言葉が終わった所で、ミシロは静かにそう言った。先程までの笑顔はないが、怒りや悲しみで歪む事は無かった。ひどく静謐な、おちついた表情と眼差しでおれを見つめている。それがいっそ恐ろしかった。


「ああ、でもそうだよね。確か三國君は権力とか権威が一握りの妖怪に集まるのが嫌で、それで他の妖怪たちのために活動していたんだよね。私もうっかりしてたなぁ、千理さんからそんな話も聞かされていたのに」

「忘れていようが覚えていようが変わりないでしょうに」


 おどけたように舌を出すミシロを見ながら、おれは低い声で告げた。


「義姉さん。あんたにはおれがやろうとしている事や、おれの気持ちなんて解りっこないんですから。貴族という身分の下、その家の当主になる事が生まれつき約束されたあんたに、一体何が解るというんだ」

「――腐りきった旧い体制をぶち壊して、それで新しい物を作りたいんでしょ?」


 おれの喉がヒュッとなった。ミシロの瞳の鋭さに、おれは事もあろうにたじろいでしまったのだ。

 しかし次の瞬間にはミシロの表情はまたしても笑みに戻っていた。先程の獰猛さが嘘のような笑顔である。


「頑張ってね三國君。多分、君だったら君の理想を叶える事が出来ると私は思うわ。もしそうなれば、私だって――」


 この後タイミング悪く天姉さんが戻って来てしまい、おれはミシロ義姉さんの言葉を最後まで聞き取る事は出来なかった。

 

 結局のところ、ミシロ義姉さんと深く言葉を交わしたのは、あの時くらいだった。その後も何度か雷園寺家に(渋々)足を運びはしたのだが、せいぜい挨拶を交わす程度だったのだ。おれもおれで忙しかったし、ミシロ義姉さんはもっと忙しかったはずだ。何せ十年足らずで子供を四人も設け、その子らの育児に追われていたのだから。

 子育てで忙しいのは初めの二十年だけで、子供たちが大きくなれば一段落する。兄姉たちの言っていたその言葉を、おれは無邪気に信じてしまったのだ。

 千理の兄貴とミシロ義姉さん。そして二人の間にできた子供たち。一家の姿は幸福に満ち満ちていて、それが変わらずに続くものだと思っていた。おれも、兄姉たちも、そして恐らくはミシロ義姉さんも。


「――叔父貴! こんな所で寝てたら寝違えちゃうよ」

「え、寝てたっけ……」


 聞き慣れた声を耳にしたおれは、ハッとして顔を上げた。そんなおれを見つめるのは、淡い銀髪と翠の瞳を持つ雷獣の少年だ。この子は雷園寺雪羽という。雷園寺ミシロの実の息子、つまりはおれの甥にあたる雷獣だった。

 元々彼はミシロ義姉さんの長男として、雷園寺家の次期当主になる事が確約されている存在だった。何もかもがおかしくなった三十五年前に、おれがこの子を引き取って、息子として育てている。

 雪羽は雷園寺家の次期当主になる事を望んでいる。亡き母の無念を晴らすために、そして実の弟妹達のために。

 おれは雪羽の進路を否定するつもりはなかった。雷園寺家の当主になる事こそが彼の生きがいであると解っていたからだ。

 ただ――皮肉で因果な事だと思う時はあったけれど。雷園寺家の事を疎み抜いていたおれが、まさか雷園寺家の次期当主を育てるなんて! だが、それで糞みたいな兄貴たちの鼻を明かすのも良いかもしれないと思ったりもしていた。


「ねぇ叔父さん。何かずっとぼんやりしてるけど、大丈夫? 深酒でもしちゃったの?」


 テーブルに残ったグラスなどを眺めながら雪羽が問いかけた。無邪気な甥の表情が、ミシロ義姉さんのそれによく似ていた。

 おれはだから、小さくかぶりを振って微笑んだ。


「大丈夫だよ雪羽。少し昔の事を思い出していただけだから。うん、きちんとした所できちんと寝るよ。そうしないと月華に怒られるからな」


 どんなことを思い出していたのか。流石にそこまでは言わなかった。ミシロ義姉さんの事は、母親の事はもう少し大人になってから話した方が良い。おれはそんな風に思っていたのだ。

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