悪行罰示と天眼通――たぬき尻尾と化した雷獣ニキ

 悪行罰示:過去に悪事を行った神や霊を調伏し、式神として従えたもの。式神の中でも最も強力であるとされる一方で、術者の能力が不足していると逆に取り込まれる危険性もあるという。


 雷園寺雪羽は前途を嘱望された若妖怪である。所属する雉鶏精一派の次世代の幹部になる未来は確定しているし、実家である雷園寺家の次期当主候補としての地位を確立してもいた。

 職場での彼の日々は満ち満ちたものだった。大妖怪に連なる上司たちは雪羽の才覚を認めているし、同僚である九尾の末裔・島崎源吾郎とはもう何年も前から打ち解けていたのだから。源吾郎は単なる友達というよりも、戦友や同志と呼んでも遜色は無かった。少なくとも雪羽はそう思っているし、源吾郎もそう思っているはずだ。

 才能に恵まれた前途有望な好青年。だがその姿が、一部の者たちに見せるある種の仮の姿である事もまた、雪羽は心得ていた。

 職場の面々、特に潔癖な源吾郎には見せる事の出来ない一面。それすらも雪羽は持ち合わせていたのだ。


 港町中心地から六キロばかり離れた下町の某所。小ぢんまりとした住居が立ち並ぶエリアに建立するこれまた小規模な神社、その隣に併設されている公園に雪羽たちはいた。四、五名ほどいる若者たち、或いは少年少女たちはもちろん全員が妖怪である。ついでに言えば元々はアライグマやフェレットなどと言った獣出身の連中であり、その妖力も至極ささやかなものだった。

 ここ数年ばかりはこうした妖怪たちと接触する事は殆ど無かった雪羽であるが、今回は目的あって彼らを招いていた。

 表向きな目的は同人ドラマ「私立あやかし学園」のシーズン1完成に対するささやかな打ち上げなのだが……本命の目的に関してはおいおい雪羽から口にするつもりであった。


「諸君。今日はわざわざ集まってくれて感謝するよ。平日の昼日中ではあるけれど、俺の招集に反応してくれたわけだし、周囲の目など気にせずぱぁっと盛り上がろうじゃないか」


 雪羽はそう言ってから、ハッとした表情で言い足した。


「……と言っても、あんまり無茶苦茶に羽目を外さないように、な。あくまでも常識の……公序良俗の範疇での話だよ」

「あははははっ。雷園寺の若君も、見ない間に随分と堅物になっちまったねぇ」


 雪羽の補足事項に声を上げて笑ったのは、少女姿の妖怪だった。灰褐色のおかっぱ頭に女子高校生のような衣裳、そして太くて縞模様の入った尻尾という特徴を具えている。

 彼女は熊谷リンと名乗っていた。灰色と黒の縞模様の入った尻尾からも解る通り、アライグマの妖怪である。あやかし学園では宮坂京子を慕う女子中学生・ラス子の役を演じていた。

 もっとも――ラス子のようにほわほわとした呑気な少女などでは無いのだが。

 リンの事は雪羽もよく知っていた。彼女の兄共々、悪ガキだった雪羽と何かとつるむ事があったからだ。ちなみにリンの兄は、雪羽の異母弟妹を拉致して殺そうとした事件に絡んでいた事もあり、投獄されて今も服役中である。

 リン自身はその事件に関わっておらず、だからこそ今もこうして自由に野良妖怪生活を送っているのだ。アライグマ故の艱難辛苦を知っている彼女は、だからこそ危ない事に深入りしない用心深さとすれっからしとも思えるほどの処世術を持ち合わせていた。要するに世知に長けているのだ。


「それもまぁ致し方ない事、になるんだろうねぇ。何せ今の若君はあのおっかない大天狗様に飼われている身分だし……ああもう、アタシだって悪党ラスカルの名を背負う者だけど、あのお方と目があった時にゃあ、自分が毛皮の帽子になったような心地だったもん。ユーリカ、あんただってそう思ったろう?」


 リンはそう言うと、隣にぴったりとくっつく少女の肩を叩き、同意するようにと促した。ユーリカと呼ばれた少女は服装こそリンに似ていたが、その容姿や雰囲気はリンとはまるで違っていた。麦わらのような淡い金髪と、ススキの穂のようなフワフワした尻尾が特徴的だ。さながら妖狐のようであるし、ある意味それは正しいともいえる。ユーリカは妖怪化したフェネックなのだから。

 彼女もやはり宮坂京子を慕う女子中学生の役で出演していたのだが……役柄と本来の性格が異なるのはリンと同じだった。

 さてユーリカはというと、リンに唐突に話を振られて気の毒なほどに戸惑っているらしかった。致し方ない事なのかもしれないと雪羽は思っていた。

 ユーリカが実は臆病で内向的な性格であるし、そもそも雪羽との面識は薄い。リンは彼女を妹分のように扱っているが、実はまだ出会って数年くらいなのだろう。雪羽が闊達に悪ガキをやっていた頃にはユーリカはいなかったのだから。


「……大天狗さま、とっても偉そうなひとだなってわたしは思ったな」


 様子を窺いつつユーリカはそう言っただけだった。偉そうとはどういう意味だろうか。身分が高そうな事なのか、それとも横柄に振舞っているように見えたという事なのか。どちらにしても合っていると雪羽は思った。

 だからこそ、そうやなと笑いつつ頷いたのだった。


「それにしても、雷園寺のアニキも随分とサラリーマンぶりが板に付きましたよねぇ。でも俺、アニキと一緒に糞生意気な雑魚妖怪共をシメて回った頃が懐かしいんすよ」

「そりゃあまぁ雷園寺さんも、大天狗様だとか雉仙女様に飼われている身分だもんなぁ。あんなバケモノ連中に身柄を縛られているんじゃあ致し方ないっしょ。しかももう飼われてから五、六年は経ってるって言うし」


 良い感じに宴もたけなわ(?)となってきて、若妖怪たちは食べながら歓談し、飲みながら笑いだすと言った風情である。ちなみに食べ物は近くのホームセンターで購入した犬猫小動物用のおやつであり、飲み物は所謂ソフトドリンクの類であるからまぁ健全と言えるだろう。

 新顔らしいフェレット妖怪の少年が、雪羽の方に身を乗り出して問いかけた。


「雷園寺さん。今回は俺らみたいな雑魚妖怪ばっかり呼び集めて、一体何を企んでいるんです? 俺たちだって馬鹿じゃない。雷園寺さんが貴族の子弟だって事くらい知ってるよ。だから目的が気になって……」


 同人ドラマ・あやかし学園の慰労を兼ねた打ち上げだとは思い難い。そうであるならばそれこそ大天狗やら九尾の末裔なども同席した、もっと華やかな物であろう。フェレット妖怪や仲間の妖怪はそんな事を雪羽に告げたのだ。

 たどたどしい口調ながらもその言葉たちは核心を突いたものだった。


「……ふふふっ。君らも気付いているとは思うけど、実はあやかし学園完成を記念した打ち上げって言うのは表向きの理由さ」


 雪羽のカミングアウトに、驚く妖怪たちはほとんどいなかった。気弱なユーリカでさえ、納得したような表情を見せていたのだから。


「個人的な妖員確保のために、今回君らに声をかけたんだよ」


 個人的、という所を殊更に強調して雪羽は言った。妖怪たちが僅かにどよめき視線が絡み合うが、気にせず雪羽は言葉を続ける。


「君らの中には、俺のオトモダチとして一緒に行動を共にした経験があるやつもいるかもしれない。ここ数年は俺自身も研修漬けでほったらかしにしてしまったけれど……その辺りは申し訳なく思ってるよ。

 それでだ。俺もそろそろ副業とかお小遣い稼ぎに精を出せるほどの余裕が出来てきたからさ、君らにも協力してほしいと思ってね。今までは俺らも悪さをしてきた側かもしれないが、今度は悪さをする奴らを狩る側に、摘発する側に回ろうじゃないか」


 雪羽の面に思いかげず獰猛な笑みが広がる。職場では好青年として振舞っている雪羽であるが、悪ガキだった頃の気質や獣としての闘志は抜けきっていない。

 成程ね、納得したよ。蓮っ葉な口調で応じるのはアライグマのリンだった。


「ドラマの打ち上げにしては小規模だなぁって思っていたんだけど、そう言う事ならまぁこういう感じになるだろうねぇ。雷園寺の若君に付き従っていた取り巻き連中はさ、アタシやお兄も含めて大勢いたけれど、今の若君のお眼鏡にかなう妖怪がどれくらいいるのかは解らないもんねぇ。多分、そんなに多くないだろうさ」


 それにしても。リンは何か探る様な眼差しを雪羽に向けていた。


「島崎だったっけ。九尾の末裔君は今日はいないんだね。雷園寺の若君ったら、今となってはアタシらとつるむよりも九尾の末裔君が傍にいた方が嬉しそうだからさ」

「……せんぱ、島崎君なら今日は仕事だよ。あくまでも、俺は有給を使っているだけなんだからさ」


 心拍数が少し速まるのを感じながら雪羽は続ける。


「それに島崎君は、俺がこんな事をしているのを知ったら嫌がるからさ……いや、あんたらに非がある訳じゃあないんだけど……」

「良いって良いって。九尾の末裔君がどんな奴かって言うのはアタシらも大体解っているんだからさ。いかにも貴族のお坊ちゃまですって全身でアピールしているじゃないか。そんな高貴なお狐様にしてみれば、アタシらなんぞ下賤な畜生なんだろうねぇ」


 ケラケラと声を立てて笑うリンの眼差しや挙動には、そこはかとない憤怒と憎悪がうっすらと漂っていた。あいつはそう言う所があるからな。雪羽はそう思ったが、口に出す事は出来なかった。

 九尾の末裔こと島崎源吾郎は、雪羽と同じく研究センターに勤める若者である。今や親友であり戦友でもある間柄なのだが、ものの考え方は互いに異なる部分も多かった。それは二人の境遇や、種族による違いがもたらしたものだった。

 真面目で穏やかな気質の源吾郎は上からの覚えはめでたいのだが、いささか真面目過ぎて潔癖過ぎたのだ。雪羽の事を友達だと思う一方で、悪ガキだった頃の所業を知ると渋面を浮かべる様な、そんな若者だったのだ。

 そして源吾郎は、雪羽のを、取り巻きだった妖怪連中を心底忌み嫌っていた。その思いを直接雪羽やオトモダチにぶつける事は無い。それでも何となく解ってしまうのだ。

 源吾郎が彼らを忌み嫌っているのは、彼らが賤しい妖怪であるから……という訳では無かった。オトモダチが雪羽に群がり、彼を利用して搾取しようとしているのではないか。源吾郎はそのように思い込み、勝手に雪羽の身を案じているらしかった。そうした関係性である事は、雪羽もオトモダチも承知しているというのに。

 だからこの会合の事は源吾郎も知らない事だった。雪羽の改心を喜んでいる源吾郎の事だ。改心前に構築した妖脈じんみゃくに近付くという所業に対し、彼は決していい顔をしないだろう。

 それに源吾郎は普通の妖怪というには強すぎた。彼に敵意や悪意がなくとも、一般妖怪は委縮してしまう程の妖力の持ち主なのだ。そんな状況であれば、ビジネス的な話題を彼らに持ちかけるのもままならないし。

 もちろん、雪羽が私兵を持つ事は後々になってから明るみになってしまうのかもしれない。しかしその間に実績があれば、上もそんなにとやかく言う事は無いであろう。雪羽はそのように踏んでいたのだ。

 それにそうなれば、源吾郎も彼らの事を雪羽の仲間だと認めざるを得ないはずだ。生真面目で潔癖な源吾郎であるが、妖狐らしく情に篤い所があるのだから。


「リンの言う通りさ。島崎君は確かに腕の立つ男だとは思っている。だがいかんせんすぎるんだ。そりゃあまぁあいつだって社会妖経験は積んでいるけれど、それでも悪妖怪の考えを辿るのは苦手なんだよな。致し方のない話――」


 いつしか雪羽は立ち上がり、アライグマ娘にあれやこれやと解説を始めていた。ところが、その言葉は途中で途絶えた。絶句したのだ。彼の視線はアライグマのリンではなく、更に遠方に向けられていた。公園の外の歩道、そこにいる者の姿が、ここではあり得ざる者だったからだ。雪羽の三尾は倍以上に膨れ上がり、所謂たぬきの尻尾になっている。

 そこまで雪羽が驚愕した相手。それは一見すれば十歳前後の童女だった。先端だけが紫に染まった白い髪や紫の瞳を除けば、ごくごく普通の可愛らしい女の子に過ぎない。獣妖怪の類であれば、黒髪黒目でなくとも珍しい事では無いし、そもそもこの童女が獣妖怪、妖狐である事は雪羽も知っている。

 この白狐の童女とは雪羽も面識があった。しかしだからこそ驚いていたともいえる。

 何せ彼女は、こことは違う世界たる幽世の住民、もっと言えば常闇之神社の神使の一人であるのだから。

 童女の名は稲尾菘いなおすずなという。その世界に住まう九尾の白狐・稲尾柊の三十四代目の子孫にして、未来の九尾と嘱望される妖狐だった。

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