新企画なり料理動画 後編
あ、これは冷凍マウスじゃなくて〆たばっかりの生マウスじゃあないか。これはまた豪勢な事だ。時たま冷凍マウスを天ぷらにする源吾郎は、思わず喉を鳴らした。
マウスの天ぷらを好物としている源吾郎であるが、実はそんなに頻繁にマウスの天ぷらにありつけるわけでもなかった。冷凍マウスはホームセンターや通販で簡単に調達できるのだが、他の食材に較べればいささか値の張る物だからだ。
文明や穂谷先輩と言った妖狐仲間からは妖狐向け・妖怪向けの冷凍マウスの販売店も教えてもらったが、そちらもホームセンターよりもやや安いというレベルであり、週に何度か口にする食材にするにはいささか高額である。いかなマウスがねずみ算式に増えると言えども、無菌状態で健康に育てるための工賃が掛かり、従ってグラム当たりの単価も鶏肉や豚肉に較べれば格段に跳ね上がってしまう訳だった。
『さーて、今回はこのマウスちゃんたちを使って、幽世の名物、ねず天を作っていきたいと思いまーす。何かと狐がたむろする常闇之神社では、マウスは日常的に食べる事のある食材なんですよねぇ。
あ、幽世ではブランド肉として常闇牛とか常闇鶏とかもあるんだけど、そっちはまた、次回以降の料理動画の時に使おうと思っているんで期待してくれたら嬉しいな』
『きゅうび:マウスが日々のおかずとかって幽世羨ましすぎ』
『yukiha:きゅうび君の食いつき凄すぎて顔中草まみれや』
目ざとく雪羽からツッコミが入るものの、源吾郎のコメントは本心からの物だった。幽世とこちらでは世界が違うので、食糧事情や物価事情も異なっているのかもしれない。その事を解りつつも、幽世に住まう妖狐たちがこの時は少し羨ましくなったのだ。
『――マウス料理は色々なレパートリーがあるんですけどね、やっぱりねず天が一番人気で一番ポピュラーなんだよな。
そう言えばさっきコメントをくれたきゅうび君は、皮をはいでワタを取って天ぷらやフライにするって前に教えてくれたんだけど、ミンチにしたマウス肉をツミレみたいにして、それでまるっと揚げるのが幽世流の調理方法でーす!』
『とっしー:マウスのミンチとか……(ガクブル)』
『隠神刑部:ミンチにするってミキサーですぐできると思うんだけど』
『トリニキ:どうせなら
『yukiha:いやです(切実)』
『見習いアトラ:ミキサーと聞いてひよこミキサーを思い出した。訴訟』
『きゅうび:地獄のようなコメント欄だな(呆れ)』
マウスをミンチにする。そのラヰカの発言にコメント欄は異様に沸き立ってしまった。邪神ラヰカは素直に喜んでいるが、源吾郎はコメント欄のカオスぶり地獄ぶりに半ば引いていた。しかも一番過激な文言を放っているのは妖怪ではなく人間なのだ。と言うか飛鳥の発言に雪羽も引いているし。
『キメラフレイム:三聴ってピンクマウスの踊り食いですね。三度啼き声が聞こえるからそう言う名前らしいです』
『yukiha:生々しすぎるやろ……(戦慄)』
『すねこすり:食中毒の危険は無いのかな?』
『燈籠真王:ラヰカだからへーきへーき』
『きゅうび:食用マウスは無菌育成されているから大丈夫に決まってるだろ! いい加減にしろ!』
『ネッコマタ―:きゅうび君元気やな \300』
「島崎さん元気だね」
「あ……ちょっと熱くなっちゃった」
冷凍マウスが危険! みたいな話の流れになりかけたので、源吾郎もついつい荒ぶってコメントを投げてしまったのだ。ネットではそう言う事がままあると飛鳥嬢もかねがね言っていたし、とみにこの常闇之神社チャンネルではありがちな光景でもある。
とはいえ、ラヰカやその仲間たちが受け取っているのだと思うと冷静さを取り戻し、そして少し反省もしていた。
それはさておき、雪羽が戸惑ったりドン引きしているのは中々に珍しい事である。元々ヤンチャ三昧の悪ガキだった事もあってか、雪羽は存外肝の据わった所のある若者なのだ。少なくとも、この前のような闘いの場では。
だがその一方で、雪羽が生モノを苦手とする事もまた事実だったのだ。流石に野菜や果物、チーズの類は生でも喜んで食べる。しかし生魚や生焼けの肉、更には半熟卵などは、気味悪がって食べようとしないのだ。生肉などはもってのほかである。
それは雷獣と言う種族の特徴と、雪羽個人の境遇によるものだった。そもそも雷獣は雷撃や電流を様々なシーンで使う妖怪である。古来より雷撃で獲物を仕留めるため、加熱された動物性たんぱく質と相性が良い。他ならぬ雪羽がかつてそのように教えてくれたのだ。
加えて雪羽は幼少期に本家を出て、叔父の許に引き取られてもいた。子育ての経験のない三國や彼の仲間たちが、幼い雪羽を健康に逞しく育つようにと色々と心を砕いたのは言うまでもない。生モノを食中毒や消化不良の原因になると思い、雪羽の保護者達は雪羽がそれを口にしないように気を配っていたのである。
『とっしー:それにしても妖怪ばっかりだからコメントも物騒杉』
『yukiha:※トリニキもアトラちゃんも人間です』
『しろいきゅうび:人間がコメ投げるってレアやで』
『きゅうび:実はぼく半妖です』
『トリニキ:きゅうび君は純然たる女狐だってそれ一番言われているから』
『月白五尾:唐突なる女の子説は草』
『りんりんどー:まぁ自発的に女の子になってるから多少はね?』
『とっしー:きゅうび君って結局どっちなの?』
『ネッコマタ―:リアルではオトコノコだったよん』
『見習いアトラ:リスナー同士で身元が割れてるじゃん。こわいなーとづまりすとこ』
おいおい、俺をほっぽって盛り上がり過ぎじゃないか皆! コメント欄が異様に早く流れていく事に気付き、ラヰカは声を張り上げた。
『いやまぁ確かにきゅうび君も俺の可愛い妹分……じゃなくて弟分だから、盛り上がってくれるのは大いに結構なんだけど。
でもっ! せめて盛り上がるんなら賽銭を入れろよ、な!』
『隠神刑部:やっぱり平常運転じゃないか \800』
『トリニキ:しれっときゅうびちゃん妹分扱いなのほんと草 やっぱり女の子じゃないか(歓喜) \150』
『きゅうび:やめてくれよ……(絶望) \150』
『yukiha:モノホンの女子より女子力高いし多少はね? \200』
『やっぱり、皆さんお正月明けって事もあって元気いっぱいですねぇ。それじゃあ、マウスの天ぷらを作っていきたいと思いまーす!』
未だにああだこうだとコメントは流れているのだが、ラヰカはそのまま料理を敢行する事を決めたようだった。
その方が良かろう。何となくこちらに寄りかかって来るホップにふわふわの一尾を差し出しながら源吾郎も頷いていた。ノリのいい妖物(一部は人間)が多く集まっているので、もちろんコメント欄も良く盛り上がる。しかしそれにいちいちラヰカが応じていると、いたずらに時間を消費するだけでもあるのだ。
ラヰカは特段時間の枠を設けている訳では無さそうだが、さりとて長々と続くとグダグダになっていく事はいち視聴者である源吾郎も良く知っていたのだ。
「これ見たら島崎さんもマウス料理を作ってよ。ぼく、マウスの尻尾が食べたいな」
「尻尾くらいならマウス料理をしなくても用意できるよ」
ホップの可愛らしいおねだりに、源吾郎は思わず顔をほころばせた。蜥蜴だの昆虫類だのを臆せず捕食するホップは、マウスの尻尾も好物だったのだ。あるじである源吾郎はミルワーム等の購入を渋っていたのだが、ある時ふと思い立ち、棄てるはずのマウスの尻尾をホップに与えてみたのだ。以降マウスの尻尾はホップのたまのおやつと言う地位を確立したのである。
なお、ホップに与えるマウスの尻尾は、沸騰した湯にさっと通して煮沸消毒しているので、衛生的にも問題は無かろう。
『それじゃ、今回はこれでマウスちゃんをミンチにしていきまーす』
『イダイナタキ:でっか』
『トリニキ:※刃物の事です』
『しろいきゅうび:まな板こわれる』
笑顔で調理器具らしきブツを振りかざすラヰカの姿に、源吾郎は――恐らくは他の視聴者も――嫌な予感しかしなかった。それは包丁ではなかった。鉈の類でもない。強いて言うならば戦斧に似ていた。ラヰカがしっかと握る柄の部分には装飾が施されており、武器としては中々に壮麗な物であるらしかった。
しかし――少なくともマウスを捌くために使うような物では無かろう。源吾郎だってキッチン用のハサミと小ぶりのナイフでマウスを加工しているのだから。
※
数分後。予想通りと言うべきか否か、ラヰカが加工したマウスの姿はモザイクで覆われていた。ホップは不思議そうに、或いは何処か残念そうに小首をかしげている。
「ねぇねぇ島崎さん。どうして粉みじんになったマウスがモザイクで見えなくなってるの?」
「それは運営への対策だよホップ。あと、グロ画像が苦手な人もいるからね。俺みたいに」
「でもぼくは平気だよ」
「そういやホップは蜥蜴と取っ組み合いしてたもんねぇ……別に、俺がグロ耐性低くてもそれはしゃあないやん」
料理とは……? 月白五尾こと稲尾椿姫女史が放ったコメントこそが、全リスナーの考えを代弁していると言っても過言ではなかった。画面には三枚の白い皿に、マウスだった物がそれぞれ置かれている事だけがおぼろに解るだけだった。おぼろなのはモザイク処理がなされているためだ。モザイク処理はラヰカではなく月白御前による処置なのかもしれない。ラヰカは呑気に酒チャレンジと称して飲酒を始めているのだから。
と言うか、常闇名産だという狐夢酒をここで使うのか……源吾郎は密かにそんな事を思っていた。酒は調味料として使うのだと源吾郎は思っていたのだ。と言うか料理番組に登場する酒は、そう言った役割ではなかろうか。
隠神刑部であり常闇之神社で炊事を担当している山囃子伊予も画面の異様さを指摘しているし、幼狐の稲尾菘に至っては、BANの恐れがないかと心配している始末だ。
『きゅうび:モザイク処理する料理番組なんて初めてだ……』
『yukiha:弟妹に見せられねぇ』
源吾郎のコメントも雪羽のコメントも割とガチトーンである。特に優しいお兄ちゃんを心掛けている雪羽は、弟妹の教育に悪い物に弟妹達が触れないか、その辺りに神経質だった。
だが……多分雪羽が知らないだけで、弟妹達もこれをこっそり見ているのではないか。確証はないがそんな気がしてならなかった。
『すねこすり:配信あるある』
『ネッコマタ―:料理中に酒を飲む酒カスの鏡』
『トリニキ:おっそうだな』
顔も知らぬ妖怪や見知った面々もコメントを流している。ほろ酔い気分の飛鳥はどんな気持ちでコメントを入れたのだろう。その辺りがついつい気になり、思わず笑みを浮かべていた。
『濡羽天狗:まあ妖怪らしいと思いますけどね \1000』
見知らぬ視聴者がコメントを投げたのは、トリニキのコメントの直後の事だった。何者なのかは解らない。だが慇懃無礼とも取れそうな礼儀正しい口調と、臆せず高額賽銭を決め込む姿には顔も見えないはずなのに見覚えがあった。
『yukiha:ん?』
『きゅうび:ア……』
――ふふふ、ラヰカさんのチャンネルは私も時々拝見させていただいているんです。可愛い後輩たちがお世話になっているんですからね。お日にちとお時間が合えば、どんな内容かまたチェックいたしますね。
――萩尾丸さんも視聴なさっていたんですか! どうぞご遠慮なさらずコメントもなさってください! あのチャンネルはコメントの掛け合いも面白さの一つなので
昨年の――と言っても半月も前の事ではないのだが――ある妖怪たちのやり取りを思い出した源吾郎は、あのコメントの主が誰であるか気付いてしまったのだ。
「どうしよホップ! 萩尾丸先輩だ! 萩尾丸先輩が見てたんだよ……」
「見られちゃってたんだね」
「何かめっちゃ呑気やな! 俺もユッキーも場の空気に飲まれたとはいえはっちゃけてたじゃん……あああ、これもう十世紀ぐらいまで延々と弄られ続けちゃうよぅ」
「十世紀って……千年は大げさじゃないの?」
そうは言うものの、ホップは源吾郎の尻尾を撫でてくれた。
『隙間女:心の隙間が広がった……』
『キメラフレイム:兄さんの動きが止まった……?』
『濡羽天狗:おやおや、意外な子も参加していたんですか \300』
『ネッコマタ―:天狗様なんかセレブそう』
『りんりんどー:実は天狗様にご祝儀貰ったし』
『トリニキ:ワイの時も欲しかったわ……』
『がしゃどくろ:トリニキ既婚者かよぉ(驚愕)』
その後、源吾郎も雪羽もコメントを投げないでおこうと思ったのだが……異変に気付いたラヰカや他のリスナー(特にトリニキ)の圧と言う名の暖かい呼びかけにより、やはりコメントを投げざるを得なかった。
それでも先程までのキレは無く、無難でお上品なコメントになっていた事は言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます