年始推し動ひと騒動 後編

「もう許せるぞオイ! 雷園寺ぃ、お前だと気付かなかったら俺の尻尾でミンチになってたかも知れねぇからな」

「おー、それは怖いですね先輩」


 ドッキリ終了後。おったまげたはずみで変化の解けた源吾郎は、未だ腰を床に着けたままの状態で雪羽を睨み上げていた。宮坂京子だった時に着用していたうさ耳が頭の揺れと連動するように揺れていて、それもまた何とも面白かった。ちなみに源吾郎は女子変化する際は服装まで女子らしく変化するのが常だ。なので「女物の衣裳を身に着けた成人男性」と言う珍妙な姿になる事はまずない。

 ドッキリの内容は単純なものだ。レポーターよろしく解説を行っていたラヰカと京子(源吾郎)の背後から雪羽が飛び出すという、それだけのものである。詳しく言えば、雪羽は二人が背景だと思い込んでいたグリーンバックの隙間に潜り込んでいたのだ。ホワイトタイガーの顔出し着ぐるみを着用した状態で、である。

 ドッキリの発案者は稲尾柊とその子孫である稲尾椿姫、そして猫又で最近ドッキリの被害に遭った霧島万里恵だった。


「ああ、もう、本当に俺も驚いたよ。びっくりして変化も解けちゃったしな」


 笑ってはいたものの、ラヰカもまた気まずかったらしい。乱れた髪を整えたり、狐耳を動かして肩をすくめたりとやや動きがせわしない。


「ラヰカさんはともかくとして、僕の変化が解けたのは放送事故になっちゃいますかね?」

「やだなぁ先輩。それこそさっきの迎撃で俺がミンチになったりしたら放送事故になるでしょうけれど」

「そんな、ラヰカさんの御前で不謹慎な事を」

「冗談ですってば。俺が先輩の尻尾にぶつかる事なんてほとんど無いのはご存じでしょ? それに先輩だってガチだったわけじゃないですし」


 虎に扮装した雪羽が飛び出してきた時、源吾郎は変化が解けた直後に雪羽に向けて尻尾を繰り出していた。だがそれに明確な攻撃の意志が無かった事は雪羽も見抜いていたのだ。せいぜい尻尾で相手を巻き取って動きを封じようと思っていただけなのだろう。標的だった雪羽は拳を二、三回繰り出す事で受け流せたのだが。


「島崎君、そんなに心配しなくて大丈夫よ。ドッキリの仕込みの方には柊も協力してくれていたの。それに私たちだってラヰカが驚いて何をするか想定できないから、ステージ内には結界を展開していたの。もちろん、雷園寺君もその結界で護られていたわ」


 そう言って微笑んだのは、化け狸の山囃子伊予だった。彼女は未だ興奮冷めやらぬラヰカと源吾郎に暖かいお茶を用意してくれていたのだ。

 九尾の稲尾柊は、満足げな様子でラヰカの驚きようを眺めていた。だが何かを思いついたように源吾郎たちに視線を向けた。


「源吾郎と雪羽のどちらを仕掛け妖にしようかと思ったが、やはり雪羽の方が遊び心を解しておるの。或いは、お主らと交流のあるとやらが参加しても面白かろう。あのも中々に良い遊び心・いたずら心を持っておりそうだからの」


 さりげなく柊がトリニキに言及した事に、源吾郎たちは目ざとく反応した。後に判明したのだが、稲尾柊の天眼通をもってすれば、リスナーの本性は丸わかりになるのだそうだ。トリニキが既婚女性である事は知られていたし、何となれば紅藤の挨拶がある前から、源吾郎と雪羽の本性は柊と菘には大体判っていたそうだ。


「あ、雪羽兄さん。こんな所にいたのね」


 洗った手をハンカチで拭っていると、すぐ傍で少女の声がした。アナグマのようなもっさりとした一尾を振っているのは妹のミハルである。確か彼女は、母親の許に戻ると言った深雪を送り届けていたはずだ。

 実を言えば、ミハルに対しては雪羽もそんなに身構えたり緊張したりする事なく接する事が出来た。弟たち若干二名と異なり、クソデカ感情をぶつけようとする事が無いからだ。もちろんミハルも雪羽を兄として慕っているはずなのだが……弟たちと較べたら振る舞いは格段にクールだった。


「お父さんたちが雪羽兄さんと挨拶したいって言ってるから、顔を出さないと」

「伯父さん……いや現当主殿か」


 顔合わせなんてかったるいなぁ……そんな雪羽の本音は顔にも出ていたのだろう。ミハルは少し呆れたように眉を動かした。


「私だって、雪羽兄さんが父さんたちの事を赦していないのは解ってるよ。でも、兄さんだって次期当主を目指しているんでしょ? それなら……」

「最後まで言わなくても良いよ、要は挨拶すれば良いだけなんだからさ」


 ところで、と雪羽はミハルを見ながら問いかけた。彼女はまた宴会場に戻る所なのだろうか。


「ミハルはこれからどうするの? 何もなければ、部屋に戻ってくれた方がありがたいんだ。今ちょっと……穂村と時雨と二人っきりだからさ」


 同じ部屋に穂村と時雨が二人っきり。その事が雪羽の懸念だった。


「大丈夫。私も開成兄さんも戻るから。それに、春嵐しゅんらんさんも後で私らの所に来てくれるって言ってたから」

「春兄まで来てくれるんだ……」


 春嵐の名を聞いた雪羽は、安心するような気恥ずかしいような複雑な気持ちになった。三國が最も信頼を寄せる仲間の一人であり、雪羽にとっても兄か叔父のような存在である。穂村たち弟妹も、実の叔父である三國以上に春嵐に懐いていた。春嵐は穏和で優しい性格だから、子供らも安心感があるのだろう。

 もっとも……かなり真面目で潔癖な部分があるから、そこを煙たく思う事もあるのだろうけれど。

 ともあれ雪羽はミハルの言葉を聞いて一安心した。穂村は特に春嵐の事を慕ってもいたから、彼が来た事で機嫌も良くなるだろう。それに開成が戻るという事であれば、時雨も寂しい思いもしないだろうし。


 現当主である雷園寺千理への挨拶は予想以上に長引いてしまった。現当主夫妻への挨拶自体は手短に終わらせる事は出来た。次期当主である雪羽が、現当主に対してどのような想いを抱いているかは彼らも知っていた。だからこそ雪羽の神経を逆なでしないように気を配っていたのだろう。息子への……同じ雷園寺家の雷獣に対する愛情なのかどうかは解らないが。

 だが挨拶をせねばならないのは現当主夫妻だけではなかったのだ。雪羽の親族は何も現当主たちと三國たちと弟妹達だけではない。むしろ叔父も叔母もいとこも大勢いるくらいだ。ついでに言えば彼らの取り巻き、もとい部下や側近たちも居合わせていた。現当主夫妻への挨拶が終わると、彼らにも挨拶回りをせねばならなくなったのだ。

 挨拶も手短に済む場合もあれば、酔っ払いに捕まって長話を聞かされる羽目になる場合もあった。雪羽は雷園寺家の次期当主候補として、若き大妖怪の卵としてそれらを笑顔で受け止めなければならなかった。それこそが任務なのだ、と。

 妙に長々とした挨拶回りは今年が初めての事ではない。それでも挨拶回りを行うたびに、何故か上司たちの顔が浮かんでくるのだった。

 大妖怪として君臨する紅藤や萩尾丸も、こうした対妖関係たいじんかんけいに心を配り、時にそれが大儀に思う事があるのかもしれない。そんな事を思いながら。


「ん……?」


 離れのふすまに手をかけた雪羽は、動きを止めて首を傾げた。部屋の中が妙に騒がしいのだ。もちろん中で争いが発生しているのであれば、迷わずふすまを開けて中に入り込んでいくつもりだ。だがふすまから漏れ出る騒がしさは、争いに起因するような物騒な物ではなかった。むしろ子供らの喜ぶ声や興奮して思わず上げる声に近い。

 電流で調べてみると、五人分の気配を感知した。開成もミハルも戻ってきており、年長の弟妹達は殆ど揃っているようだ。彼らが派手に動いている気配もない。むしろ一か所に集まっているくらいだった。

――穂村たちはどうしたんだろう? でも春兄もいるみたいだし、変な事にはなっていないはず

 そう思いながら雪羽はふすまを開いた。


「兄ちゃん、雪羽兄ちゃん!」


 真っ先に雪羽の許に駆け寄ってきたのは、異母弟の時雨だった。兄である雪羽に憧れの念を抱いているのは変わりはない。しかし、彼の瞳は今、普段とは異なる興奮でキラキラと輝いていた。

 その興奮の謎は、雪羽が問いかけるまでもなく時雨が自ら明かしてくれた。


「すごいね雪羽兄ちゃん! 穂村兄さんの動画配信の相談に乗っていたけれど、まさか雪羽兄ちゃんが動画に出てたなんて!」


 とっても面白かったよ。そう言ってその場で跳ねる時雨の姿は屈託のないものだった。だが雪羽の顔には笑みは無く、いっそ真顔だった。

 不審がる時雨を置いて、雪羽はそのまま弟妹達や春嵐が集まっている所に直行した。時雨が駆け寄ってくる前にちらと見えたのだが、彼らは雪羽のタブレットの前に集まっていたのだ。その顔に浮かぶ表情はまちまちだったが、タブレットに映し出されている何かを食い入るように眺めていた事には変わりない。


『な、な、何じゃワレェ! いてこますぞこの野郎!』

『コャーン……きょ、京子ちゃん。いくら関西出身だからってそこまで言わなくても……って源吾郎君に戻ってる』

『はいお狐様たちお疲れさまでしたー。それではネタバラシでーす』


 弟妹達がタブレットで何を見ているのか。それを知った雪羽は思わず硬直した。画面では、虎の顔出し着ぐるみ姿の雪羽が、ラヰカと源吾郎にドッキリをかますその瞬間が映し出されていたからだ。顔出し着ぐるみゆえに雪羽の顔ははっきりと判るし、何より源吾郎も本来の姿に戻ってしまっている。

 これだけでもインパクトのある物なのだが、画面右側のライブコメントがやたらと盛り上がっているではないか。


『見習いアトラ:33-4』

『トリニキ:ここからがほんへ』

『月白五尾:驚いているとはいえ個人情報をポロリするとは畜生やな』

『通りすがり:ここのリスナーは限られていますんで多少はね? ¥2000』

『トリニキ:トラ型雷獣ってうちの近所にもいるじゃん。怖いな~とづまりすとこ』

『ネッコマタ―:完全に再現しててほんと草』


 トリニキとかアトラちゃんとかめっちゃ面白がって視聴してるやん……そう思っている雪羽の耳に、弟の呼びかけが入り込んだ。声の主は穂村だった。あからさまに困惑していた。


「兄さん。これって兄さんと島崎さんだよね?」

「そうだね……兄ちゃんと島崎先輩だよ」


 穂村の問いかけに、雪羽は素直に応じる他なかった。しらを切るという選択肢は使えなかったのだ。源吾郎も雪羽もバッチリと顔が映り込んでおり、二人とも全く別人と言い切るのは困難だからだ。それに春嵐も居合わせる中で誤魔化すのは悪手だと判断したためだった。


「それにしても、どうして雪羽兄さんと島崎さんが動画に出ているのかしら?」


 素直に疑問を口にしたのはミハルだった。彼女の指先は、チャンネルのアイコンに向けられている。


「雪羽兄さんも穂村兄さんみたいに動画チャンネルを作ってたのかなって思ったの。でも、常闇の神社……チャンネルって言うのは初めて聞いたから」

「やだなぁミハル。雪羽兄さんと島崎さんが動画チャンネルに出演している理由なんて見れば判るじゃないか」


 不思議そうなミハルに対して、開成はやや興奮気味に応じる。


「雪羽兄さんは雷園寺家の次期当主候補だし、イケメンだし妖怪的にも強いから、ラヰカさん? も招待してくれたって俺は思うんだ」


 僕もそう思う! 時雨の言葉を聞きつつ、開成は雪羽の方に向き直った。そうだよね、兄さん色々凄いもんね。期待に満ち満ちた弟たちの眼差しを前に、雪羽の顔は引きつってしまった。ドッキリを行う流れだったとはいえ、面白おかしく振舞うおのれの姿を弟妹達に見られるのは恥ずかしかった。何というか、呆れられるよりも憧れの眼差しを向けられる方が精神には来る。


「……開成君や時雨君の考えで大体合っていると思いますよ」


 それまで黙って兄弟たちの様子を見ていた春嵐が口を開いたのは、ちょうどその時だった。見かねて助け舟を出してくれたのだろうか。その割には表情が浮かないのが気になる所であるが。


「僕も詳しくは知らないのですが、雪羽君は確か仕事の関係で常闇之神社の皆さんとお知り合いになったんですよね? 夏に常闇之神社へ出張なさってましたし」

「そうそう! 仕事だよ仕事。春兄、これも仕事の一環でやった事なんだ」


 まぁ実際には、今回の常闇之神社行きはプライベートだったんだけど。心の中でそう思いつつも、春嵐がそれで納得するならそれで良いかと思っていたのだ。

 さてタブレットは相変わらず動画を流し続けていた。ドッキリの場面は終了し、今度は源吾郎と雪羽の姿が映る。本来の青年姿に戻った源吾郎は、変化を解いて獣姿になった雪羽を抱えて胡坐をかいている。


『さーて、こちらの雷獣君にはドッキリ返しを行いたいと思いまーす! 実はですね、僕は前に彼から『好きにしちゃっていいんですよ(ハート)』なんて言われてるんですよ。だからここで、思う存分モフモフしちゃおうと思いまーす』


『すねこすり:これがアニマルビデオですか(すっとぼけ)』

『きゅうび:この後めちゃくちゃモフモフした』

『yukiha:こいつらいつもモフモフしてんな ¥500』

『おもちもちにび:もふもふでかわいかったよー』

『イダイナタキ:やっぱり子供じゃないか(呆れ)』

『見習いアトラ:そうはならんやろ感がすごくてほんと草』

『トリニキ:雷獣君は黒塗りの高級車に追突しちゃったんでしょ(適当)』

『通りすがり:雷獣君は自動車免許を持ってないはずなんですけどね…… ¥700』


「仕事の一環、ですか……」


 念のため、後で確認しておきますね。春嵐はそう言ってから、深々とため息をついていた。雪羽のタブレットは、未だに動画を流し続けている。

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