エピローグ:クーデレ雷獣娘(♂)のドッキリ劇場

 丑三つ時も差し掛かった頃。源吾郎は白いベッドにごろりと転がった。潜入捜査が連日にわたる事を想定し、前もって予約を入れていたビジネスホテルの一室である。妖怪向け(人間も宿泊可能らしいが)なので、尻尾を出そうが本性に戻ろうが気兼ねしなくて良いのが良かった。


「…………」


 源吾郎は布団を頭まで被り目を閉じた。身体は疲れているのだが、疲れているためなのか眠気が中々やってこない。ラヰカの狐火大爆発を目の当たりにしたからなのか。或いは、恋人である米田さんに連絡を入れるのに(彼女の方から連絡を寄越してくれたのだ!)スマホの画面を眺めたからなのだろうか。

 暗闇の中なのに紋様が浮かんでは消える気がするし、静かな室内ながらもおのれの内側から音が聞こえてくる。神経が昂っているだけなんだ。落ち着いて、目を閉じていたら次第に睡魔がやって来るって昔兄上たちや姉上が言っていたじゃないか。眠れない程しんどくても、意識が飛んで気が付いたら小一時間過ぎていたって事もあるし……

 そう思いながら、源吾郎は知らず知らずのうちに寝返りを打っていた。そこで何かにぶつかったのだ。手に触れる感触は、柔らかくて暖かな物だった。いや、源吾郎の(妖怪としては)低い体温では熱いと言っても良いほどだった。

 要するに、生きている者の感触が手先に伝わってきたのだ。


「んん……」


 短く唸るような声を発しながら、源吾郎は目を開きのそりと動いた。何者かが布団に潜り込んでいたのだと、未だ覚醒している源吾郎の意識は判断を下した。しかしその事への恐怖や警戒は特に無い。とうに誰か判っているからだ。

 身を起こして布団をめくると、銀髪翠眼の雷獣がいたずらっぽく微笑んでいた。予想通り、布団に潜り込んでいたのは雪羽だった。男同士だし、ニコイチでこの部屋に予約を入れていたのだから。

 いや、厳密には今の彼はと呼んだ方が良いのかもしれない。見慣れたその面は普段よりもいくらか幼げで、尚且つあのメリハリのある身体つきなのだから。であれば先程自分が手をぶつけた部位と言うのも……そこまで思って源吾郎はため息をついてしまった。うんざりしてしまったのだ。雪羽は男なので、特に胸元に触れられてもどうという事は無いのだろう。だがどうという事はある。たとえ相手が、女子変化しただけの男で気心の知れた相手だったとしても。


「……何をしているんだい君は」

「冷静ですね、島崎先輩……」


 呟く六花の声には、落胆と失望の色が見え隠れしていた。彼としてはいたずら心で潜り込み、源吾郎を驚かせようとでも思っていたのだろう。そうでなくとも、多少なりともリアクションが欲しかったのかもしれない。

 源吾郎に僅かにでも元気があれば、雪羽が望むようなリアクションを果たしたのかもしれない。だが生憎の所、今の源吾郎にはそんな元気はなかった。まぁ別に害はないし放っておくか。多分雷園寺君も俺に甘えたくなっただけなんだろうし。そう思っていたまさにその時、六花がもう一度口を開いた。


「ねぇ先輩。同じベッドの中にいるんですし、俺の……じゃなくて私の事を好きにしても良いんですよ」


 好きにしても良い。童顔でグラマーな雷獣娘の姿でもって、事もあろうに六花はそう言ったのだ。放っておいてもう一度寝よう。そう思いかけていた源吾郎の心に刺激をもたらすには十二分すぎる発言だった。


「そうかい。俺の……?」


 源吾郎はそう言ってにたりと笑うと、六花の右手首に手指を添えた。六花の、雪羽の肌は相変わらず触れると熱い。雷獣は獣妖怪の中では体温が高く、摂氏四十度でも平熱の個体は珍しくない。雪羽の平熱は四十一度前後だった。三十六度後半から三十七度前後が平熱の源吾郎とはえらい違いだ。

 ともあれ源吾郎は六花の妖気の流れを見定めると、おのれの妖気をぐっと六花に打ち込んだ。猫みたいな短い声が漏れ、六花の身体がびくりと震える。源吾郎は用心深く妖気を巡らせ、ついでに銀髪翠眼の雷獣の様子を見守っていた。

 梅園六花の変化は解除され、普段見慣れた雷園寺雪羽の姿に戻っていたのだ。本来の獣姿では無く、日頃見慣れた人間の姿である。妖気の流れを乱したら変化が解ける事、雪羽が眠る時も人型である事を考慮したが上の処置だった。


「あー。折角娘々雷獣に変化したのに、その変化を戻すなんて、先輩もイケズやなぁ」

「何だよ、先に好きにして良いって言ったのはそっちだろ」


 好きにして良いんなら、本来の姿に戻して抱っこしたかった。その本音は流石に口にしなかった。それを口にしたら最後、雪羽と取っ組み合いになって寝るどころでは無くなりそうだったから。

 源吾郎は横になり、雪羽に背中を向けた。源吾郎は寝る時は変化を解く派であるから、長大な尻尾がそのまま露わになっている。一尾は前方に向けて自分で抱え込んでいたのだが、フリーな三尾は雪羽に向けて伸ばした。雪羽の身体に触れ、何気なく絡め取ってみる。雪羽は抵抗しなかった。それどころか進んで源吾郎の尻尾に触れ、撫でたり自身の尻尾を絡めたりしている。手指の動きも尻尾の動きも思いがけず細やかな物だった。


「雷園寺君は暑がりでしょ。君のベッドは向こうにあるし、部屋はそんなに寒くは無いよ」

「……寒いのは平気だけど、


 雪羽の声はややたどたどしく、いっそ幼子のそれのような響きを伴っていた。やっぱり本格的に甘えたがっているんだな。源吾郎はぼんやりと思った。

 数年前まではヤンチャな悪童だった雪羽であるが、実の所甘えん坊で寂しがりやな一面を持ち合わせている事を源吾郎はよく知っていた。実母に死なれ、実父に棄てられた挙句弟妹達から引き離された。幼子の時に経験した出来事が未だに尾を引いているのだ。保護者である叔父夫婦に甘やかされて育ったが、それでも幼少期の出来事を払拭できるわけでもない。

 更に言えば雪羽は長子であり、上に兄姉はいない。兄代わり姉代わりの妖怪は傍に居たのかもしれないが、壊滅的に甘え下手なのだ。甘えずにギリギリまで頑張り続け、途中で反動が来てベタ甘えになってしまう。それが雪羽の気質だった。生まれた時から兄姉や叔父叔母に構われ、甘える術を知らず知らずのうちに身に着けた源吾郎とは真逆の気質とも言えよう。源吾郎はまごう事なき末っ子気質なのだから。甘え上手だが、それほど甘えん坊でもないし寂しさへの耐性も実は強い。

 もっとも、ベタ甘えモードは彼の叔父である三國、実弟の穂村、異母弟の時雨でも見られる光景であるから、もしかしたら雷獣男の……或いは三國の血筋に由来するものなのかもしれない。

 寂しいんでしょ。尻尾の向こうで、雪羽が問いかけに応じたのを源吾郎は感じていた。ラヰカが拉致されかけているのを見て不安になったのかもしれない。従姉妹のように振舞う椿姫と穂波を見て、羨ましさを感じたのかもしれない。


「雷園寺君。俺は急にいなくなったりしないから。安心するんだ」


 月並みな言葉と承知ながらも源吾郎はそう言った。誰かが、特に親しい相手がいなくなる事。雪羽はそれを一番恐れていた。怨霊もホラーもグロ系の物語も、それらの恐怖に較べれば可愛いものだと、いつか雪羽は言っていた。

 先輩は今ここにいるし。雪羽の呟きはやはりあどけなく、そして若干くぐもった響きを伴っていた。


「先輩も疲れ切ってると思うけど、俺も色々あって疲れただけさ……潜入捜査で、ラヰカ姐さんたちに会えたのは確かに嬉しかったよ。そのラヰカ姐さんがあんなふうに攫われるなんて予想もしてなかったけど」

「ラヰカさんたちも大丈夫だよ。巻き込んだお詫びにって事で、萩尾丸さんが宿の手配とか色々なすっていたみたいだし……あのひとの事だから、もしかしたら竜胆君へのご祝儀を稲尾さんに渡してらっしゃるかもしれないよ?」

「あー確かに。萩尾丸さんならやりそう」


 上司であり先輩でもある萩尾丸の抜け目なさを思い、源吾郎と雪羽は忍び笑いを漏らしていた。外交的手腕と言うか、かゆい所に手が届く的なサポートや立ち回りこそが、萩尾丸の武器の一つなのだから。もちろん、大妖怪と言う存在であるから武力にものを言わせた闘いも上手なのかもしれない。未だに彼が本気で闘った所を見た事は無いが。

 そう言えば。若干弾んだ声音で雪羽が呼びかける。


「先輩ってばちゃっかりラヰカ姐さんのチャンネルに飛び入り参加するって約束したらしいっすね。全くもう、抜け目ないっすねぇ」

「んー、でもなぁ……萩尾丸先輩も監視してるんでしょ? だからはっちゃけた企画じゃなくて、比較的お上品で控えめな企画にした方が良いかなって……そりゃあもちろんラヰカさん側の意向もあるけれど」


 萩尾丸もラヰカの配信を見ている。その知らせは源吾郎たちには結構ショッキングだった。要するに「君らの書き込みは監視してるからね」とくぎを刺されたようなものだからだ。まぁサカイ先輩だったらまだ良いかと思っていたのだが、流石に相手が萩尾丸だったらちょっと気まずい。何せプライベート全開でラヰカに対して書き込みを投げているのだから。


「それにしてもいつコラボするのかな。言っとくけど俺は年末年始は雷園寺家に向かわないといけないからパスな。穂村たちとか時雨たちにお年玉を渡さないといけないし」


 雷園寺家。雪羽の言葉を源吾郎は静かに反芻していた。五年前の秋に、雪羽は正式に雷園寺家の次期当主候補である事が本家から認められた。それ以来、盆や年末年始には本家に顔を出さねばならないようになっていたのだ。無論三國たち一家と三國の仲間と共に出向く訳であるが、何かと神経を使うイベントなのだろう。

 雪羽自身は弟妹達に会う事を楽しみにしているが、穂村たち実の弟妹と時雨たち異母弟妹が不仲ではないか、喧嘩をしないか心を砕いてもいるらしい。


「だからその……年明けの三連休とかだったら俺も都合は着くって感じかな。どうしても年末年始って言うのなら、先輩が一人で幽世に向かう事になるかもしれないよね。と言うか、年末年始だったらラヰカさんたちもお忙しいだろうし、先輩も実家に戻ってご家族に顔を合わせた方が良いと思うけどな」

「まぁその……お正月までまだ日があるから考えるわ。ありがとう雷園寺君。おかげで大分眠くなってきたよ。お休み」


 うん、お休み……雪羽の言葉を聞いたところで、源吾郎は本格的に寝に入ったのだった。

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