ラスボスが横道使いまくりの件について

 縛妖索ばくようさく雷公鞭らいこうべん、そして緊箍児きんこじに定風丹。妖怪社会や術者の業界では、伝説の宝具にあやかった名前の道具は多く存在している。例えば縛妖索は、本来紂王の許に侍った三妖妃を捕縛するために女媧が使った業物である。しかしながら、その名を冠する妖怪捕縛の道具が世間に広く流通しているではないか。

 そんな訳で、実際にはそうした名を冠する道具たちの実力や品質は玉石混交である事も珍しくはない。むしろ本家にあやかっただけの、大妖怪たちから見ればのような代物の方が多いほどだ――

 しかしだからこそ、僧形の男が語る神便鬼毒酒の威力に六花はおののいていた。あのラヰカを昏睡させているのだから。もちろんラヰカもまた、幽世の地を離れている事もあり多少は弱体化しているだろう。それでも五尾の妖狐としての力は健在なのだ。五尾と言えば弱いと言えども中堅妖怪の枠に食い込む強さである。三尾は言うに及ばず、四尾との力量差も極めて大きなものだ。

 自分たちが飲めばひとたまりもない。椿姫さんでも持ちこたえられるかどうかではないか。そのように六花は分析していたのだ。


「情けなしとよ高僧たち、鬼神に横道なきものを!」


 隣で朗々とした声が響く。いささか古風な言い回しは、深みのある声質と相まって一種の歌のように六花の耳に届いた。声の主は源吾郎だった。妙に穏やかな表情を見せながらも、隠れ座頭を睨むその目つきは鋭い。

 酒呑童子の最期の言葉である事は、六花にも察しがついていた。


「神便鬼毒酒を振舞いましょうだなんて、糞つまらん事を言うんじゃねえよこの野郎! あの酒が、酒呑童子様をも斃すような恐ろしい代物と知っての狼藉か!」


 怒気と妖怪としての妖気を放出しながら源吾郎が吠えていた。一本当たり一メートル半ある四尾は背後で放射線状に広がり、全身から淡い金色の妖気が滲み出てくる様が六花にもはっきりと見えた。

 ああ、。源吾郎が無意識のうちに放つ妖気を浴びた六花は、思わず身震いしていた。生物としての本能が根差す感覚ゆえに震えていたのだが、ヤンチャで積極的に闘いに身を投じていた雪羽にしてみれば、むしろ心地よい感触でもあった。

 ともあれ、源吾郎は敵を相手に妖気をまき散らしているのだ。妖気をまき散らす威嚇行為も、実は妖怪同士の闘いでは効果を発揮する事は往々にしてある。相手が弱ければ委縮させて戦意喪失させる事もできるし、強い妖怪ならば放出した妖気そのものが武器になる事さえあるのだから。

 この威嚇行為は、源吾郎が使っても一定の効果を発揮する事は雪羽には解っていた。若狐と言えども中級妖怪の域に食い込んでいるのだから。もっとも、こうした行為に源吾郎自身が踏み切る事は滅多にないのだが。大妖怪の許に弟子入りし、師範を超えるべく修行に明け暮れる源吾郎であるが、品の良いお坊ちゃまと言う気質は、実は争いを好まないという本来の性根が変わった訳ではないのだ。

 源吾郎がこうして怒りを露わにするのは、むしろ珍しい事でもあるとも言えた。だからこそ自分は冷静に立ち回らねばと思う訳なのだが。


「半妖の小僧が生意気な事を言いおって!」

「ふん、神便鬼毒酒が飲みたくないと言うならば、無理にでも取り押さえるだけだろう! そこの五尾じゃない、取り巻きの猫とか別の女狐を狙うんだ!」


 無事だったスタッフが二人ばかり、いきり立った様子でこちらに向かってくる。一方はオークと思しき若者で、もう一方は人に変化し損ねた猿妖怪のようだった。

 雷撃で迎え討たねば……六花が身構えた次の瞬間、斜めから黒い影が躍り出た。影のような黒猫が跳躍した直後、スタッフたちから悲鳴と鮮血がほとばしった。六花が動くよりも先に、猫又の万里恵が二人に応戦したのだった。既に人型に戻った彼女だったが、未だに鉤状に曲がったその爪の先には、二人分の鮮血が染みついている。


「おにーさん。実は猫って犬の二倍は強いんだけど、知らなかったかな?」


 万里恵の一閃で、二人は戦意喪失してしまったらしい。オークの方は片方の腕を不自然に垂らし、顔を覆う猿妖怪の手許からは涙のように血が流れていた。大方敵は利き腕の腱を切られ、顔を引っ掻かれたのだろう。いかにも猫らしい攻撃だった。

 他のスタッフたちも、血気盛んな仲間が襲われてどうした物かと戸惑っているようだった。そんな彼らの動きを制したのが、他ならぬ隠れ座頭だった。


「……解りました。あなた方がどうあってもこのアンドロギュノスの妖狐を取り戻そうとするおつもりですよね。ええ、ええ。。引きずるなり抱えるなりして、退?」


 隠れ座頭はそう言うと、未だ眠っているラヰカに一度近付いた。屈みこんで背中を撫でると、そのまま未練気も無く立ち上がって距離を置く。


「二十分の猶予を差し上げましょう。。勝利に免じて、その狐はあなた方にお返ししましょう。ですが、二十分経っても部屋を出る事が出来なければ――お解りですね?」


 源吾郎がぎり、とあからさまに歯噛みするのが見えた。それとなく六花が制していると、さもおかしそうに隠れ座頭が笑う。


「ふふふっ。仔狐殿。あなたの考えは読めていますよ。ええ、あなたの姿を見た時から、きっと援軍に連絡を入れているであろうって事くらいは予想していましたよ。その援軍はきっかり二十分後に来てくれるんですかねぇ?

 それに私たちだって足があるんですから……しばらく国外に高飛びとしゃれ込む事もできる。そうだろう、ケリー?」

「……術式の構築は無論二十分以内に出来る……おたくらの無駄口に付き合わなければの話だが」


 ケリーと呼ばれたのは、スーツ姿のおそろしく背の高い男だった。名前と風貌からして欧米の妖怪・魔人の類であろう。六花は彼に意識を向け、それから気付いた。彼もまたサカイ先輩と同系統の存在なのだと。表立って姿を見せているから、所謂すきま男の類では無いのかもしれない。だが先の隠れ座頭の会話から察するに、空間転移や空間と空間の間への隠蔽を得意としているのだろう。

 萩尾丸が来るまでに空間転移術で逃げられたら手出しできない。六花は密かに焦った。ちなみに今回の潜入捜査には、サカイ先輩はメンバー入りしていなかった。休暇を楽しむようにと他ならぬ萩尾丸や紅藤に言われていたからだ。きっと今頃は、沢山の(各地で噴出する怨念や怨霊・悪霊の類)を堪能するので大忙しであろう。


「とりあえず、ラヰカを運んでここから連れ出す事が出来れば、ラヰカを私たちに返してくれるのね」


 ああだこうだと考えている六花をよそに、椿姫が隠れ座頭に確認していた。やや強い口調を耳にしながらも、隠れ座頭は笑みを崩さない。


。妖怪に二言はありませんから」


 大ぶりの砂時計がひっくり返されるのを見るや否や、一行はラヰカに向かった。ラヰカを運んで連れ出すだけで構わない。あまりにも簡単な条件だった。簡単すぎるがゆえに裏があるのではないかと警戒していた訳でもあるが。

 新入り神使である穂波も、もちろんラヰカの傍に駆け寄ってはいる。しかし彼女は携えた鉄パイプを肩に掛けながら、抜け目なく周囲の様子を探ってくれていた。斥候係を買って出てくれていたのだ。


「ラヰカ……変な所に入って変な事に巻き込まれたみたいだけど、私たちと一緒に帰るわよ――」


 椿姫が呼びかけるも、ラヰカからの反応はない。強いて言うなら何か寝言が漏れ出ただけであろうか。

 彼女はそのままラヰカを抱え上げようとした。尻尾の数が多いと言えども、ラヰカの本来の姿は普通のアカギツネやギンギツネと大差ない。従って重さもせいぜい十キロ未満であろう。変化する妖怪の重さは、本来の姿に依存するのだから。

 しかしここで思いがけぬ事態が発生した。椿姫はラヰカを抱え上げるどころか、持ち上げる事すらできなかったのだ。涼しい顔で放った尻尾の一振りで、頑丈な鉄扉を吹っ飛ばした椿姫が、である。


「くっ……うそ、何て事なの……!」


 ラヰカを動かそうと奮闘する椿姫の額に汗が滲む。汗の一滴がこめかみからおとがいに向かって流れ落ちたその時、彼女は深い息を吐いて小休止した。


「どうしたの椿姫?」

「まさか……ラヰカさんって本当に数十トンもあったんですか」

「いやいやそんな訳ないやろ」


 様子のおかしい椿姫に対し、万里恵と源吾郎が心配そうに質問を投げかけている。源吾郎が懸念するラヰカの体重については、六花の方でもツッコミを入れていたが。こうした奇妙な言動からも、源吾郎が冷静さを欠いている事は明らかだった。


「島崎先輩の冗談はさておき、本当に何か変ですよ。まるで……ラヰカ姐さんがこの場所にみたいです」


 六花ももちろん、事の異常さに気付いていた。椿姫がラヰカを抱え上げようとしている間、ラヰカは毛の先も微動だにしなかったのだ。縫い留められているなどと言う言葉が浮かんでくるほどに。


「何かラヰカさんに術が掛けられているのかもしれないわ」


 そう言ったのは穂波だった。彼女は用心深く、ラヰカの全体像を眺めている。


「椿姫さんに万里恵さん。ラヰカさんに掛けられた術を解析するか、何かおかしなものが付着していないか確認したほうが良いかもしれない」

「術の解析は……今の私の妖力じゃあちょっと骨が折れるわね。菘とか竜胆が……いえ柊とか伊予がいればまた違ったんだけど」

「椿姫さん。俺も電流で探りますんで。打開策を考えましょう」


 穂波の提案を受けた椿姫と六花、そして万里恵と源吾郎はラヰカの様子を注意深く観察する事にした。そんな中で、隠れ座頭が身を揺らして笑ったのだ。笑い声と共に、何処かに隠し持っているであろう鈴の音がちりちりと聞こえていた。


「ああ、お嬢様がた。やはりあなた方は妖狐だけあって知恵が回るようですね。それに免じて一つヒントを差し上げましょう。アンドロギュノスの妖狐にはを付けております。ふふふっ。お嬢様がたの細腕ででは荷が重いでしょうなぁ」

「定心丹……?」

「何かお薬の名前みたいだけど。でも聞き覚えがあるような……」


 定心丹。隠れ座頭が放った言葉に椿姫と万里恵は軽く首を傾げた。ともあれラヰカに細工を施されている事は確定だ。畜生、やっぱり小細工をやっていたんじゃないか……思わず怒鳴りそうになった丁度その時、傍らの源吾郎が短く息を吸うのが聞こえた。


「稲尾さん。定心丹そのものは存じませんが、と言うのを僕は知っているんです。その、西遊記で登場した丸薬か宝珠なんですけれど……定風丹は、持ち主をから護り、吹き飛ばされないようにする役割を担っていたはずです」


 ひとまず定風丹の説明を行った源吾郎は、表情を引き締めて言い添えた。


「恐らくですが、定心丹は持ち主のを……位置座標とかそう言ったものをその場に押し留める物ではないかと思うのです」

「それじゃあ……初めから……」


 元よりラヰカを運び出せない事を前提にした茶番だったのだ。ラヰカを取り囲んだ妖怪たちの空気が張りつめ、一瞬だけ言葉も音も消え失せてしまった。

 その中で、時間経過を示す砂時計が、静かに砂を落としていたのである。

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