ギンギツネ奪還作戦

「やっぱりね、ラヰカは幽世に必要な存在なの」


 およそ数十分ぶりに再会した稲尾椿姫は、六花たちの顔を見るなりそう言った。怜悧さと気高さを纏った彼女の、優しさの籠ったその言葉に六花は安堵して思わずほおを緩めた。ラヰカに対する、彼女なりの気遣いが感じられる心暖まる一幕だったからだ――彼女の傍らで伸びている、黒服の若妖怪たちの姿に目をつぶれば。

 万里恵の話通り、椿姫と穂波は万里恵とは別ルートでこの地下道に潜り込んでいたらしい。その道中で店員に気付かれて襲われかけ、そのまま返り討ちにしたという事だそうだ。

 椿姫さんは言うに及ばず、穂波さんとやらも相当な手練れだぞ――雪羽は心の中でそう思っていた。得物として先がL字に曲がった鉄パイプを構える彼女は、まさしく標的を探すハンターの眼差しで周囲を見渡していたのだから。

 そんな中、椿姫は静かに言葉を続けた。


「私たち神使は、魍魎もうりょうや影法師たち、それから悪事をなす呪術師たちと闘う役目があるの。もちろんラヰカもその役を担っているわ。むしろ荒事はラヰカの得意分野になるわね」


 荒事がラヰカの得意分野。その通りだと六花は思っていた。思い出すのは幽世の地で、ラヰカが魍魎の軍勢を相手に闘う姿である。あれはもはや闘いと呼べるものではなかったのだが。


「そのラヰカが幽世にいないとなると、やっぱり私たちも困るのよ……あ、でも今は大丈夫。柊や伊予がきちんと常闇之神社で仕事をこなしているし、今は夜葉ちゃんも遊びに来ているから」

「夜葉さん、ですか――」


 夜葉。その名を聞いた六花は、思わず前のめりになった。彼女の存在は、雪羽の脳裏に鮮明な印象を与えていた。初めは稲尾三兄弟の末子・菘の不思議な友達だと思っていたくらいだった。もちろんその時からただ者ではない事には気付いていたのだが。

 夜葉に対して雪羽が畏怖めいた念を強めるきっかけになったのは、あのモフモフ配信の後のやり取りによるものだった。夜葉は物思いにふける雪羽に対して、静かにこういったのだ。

――安心なさい。あなたが大切に思っていたひとから。

 唐突な夜葉の言葉はまさしく青天の霹靂めいた衝撃を雪羽にもたらした。だが――その言葉で雪羽がのもまた事実だった。幽世の住民になるものは、なべて非業の死を遂げるという共通点がある。であれば雷園寺家の先代当主も……と雪羽は密かに思っていたのだ。

 もちろんそんな事は誰にも打ち明けていない。そもそも表立ってそんな願望や考えがあったという事に、夜葉の言葉で思い知ったくらいだった。

 夜葉が何者なのか、雪羽たちは未だに知らない。だがもしかすると……と思ったりするのだ。


「それにラヰカがいないと竜胆も菘も寂しがるのよ。ほら、ラヰカってあの二人の兄枠に収まってるから」

「確かに……確かにそうですよね稲尾さん」


 玉緒は椿姫の言葉に頷くと、やや上目遣い気味に椿姫たちを見やった。


「実はですね、僕らもラヰカさんの事は兄のように慕っているんです。雷園寺君は一番上ですし、僕の兄たちはどうも生真面目な連中ばかりでして……ラヰカさんも、僕らを弟分だと思っていたら嬉しいんですが」

「結局それが言いたかっただけじゃないっすか、先輩」

「まあまあ、私らもあなた達が味方だって解って正直ホッとしているんだから」


 サバサバとした、椿姫とは別方面で落ち着いた声音で言ったのは穂波だった。彼女は片手で金髪をかき上げ、気の強そうな面に笑みを見せた。


「ご存じの通り、私はあなたたちと初対面になるわ。だからどうしてこのお店で働いているのか、詳しい事情は解らなかったの。でもね、単なるキャストと黒服じゃあない事はあなたたちの目や立ち上る妖気から感じ取っていたわ。

 ああ、これまでの私みたいに何がしかの依頼を受けているんだろうなってね」

「はい。まさしく稲原さんのご指摘通りです」


 穂波の鋭い指摘に、玉緒は素直に頷いた。源吾郎はプライドが高い若者として通っているが、その実素直な一面も多く持ち合わせている。実力のある者、強い者と相対している時には特にそれが顕著だった。


「あなた達が何を企んでいるのか、それが少しだけ心配だったわ。だけどラヰカさんを奪還するという目的は同じだもんね。それなら一緒に手を組まない理由は無いわ」

「椿姫さん、万里恵さん、穂波さん。本当にありがとうございます」

「元よりこの組織の調査と摘発は僕らの仕事だったのに、巻き込んで申し訳ありません」


 感謝の意を口にした六花であったが、その後に続く玉緒の言葉は、感謝の意ではなく何と謝罪の言葉だった。謝らなくて良いのに。万里恵のひょうひょうとした言葉は、まさしく雪羽の心中を代弁してもいた。


「稲尾さんたちは休暇としてこちらの世界に遊びに来てらっしゃるというのに、ラヰカさんが攫われた挙句犯罪組織の摘発と言ったしんどい仕事を行わねばならないんですから……」


 玉緒は言葉尻を濁していたが、椿姫たちの顔や尻尾を眺めながら言い添えた。


「稲尾さんに霧島さん。僕は過去に、神使たちは幽世の外を出たらしてしまうという話を耳にした事があるんです。もしかしたら、ラヰカさんもで捕まってしまったのではないでしょうか。そうなれば――」

「安心なさい、源吾郎君」


 幼子に言い聞かせるように柔らかく、しかし毅然とした様子で椿姫は言った。作業員めいたツナギ姿だった彼女の背後で、五尾が扇のように展開しているではないか。先端だけが墨を含んだ月白の毛並みは、妖狐の尾を見慣れている六花であっても感嘆するような美しさだった。


「確かに私たちが、外界で制約を受けている事には違いないわ。でもね、それでも全くもって無力な存在に成り下がる訳じゃない。の妖怪になるだけに過ぎないのよ。

 源吾郎君も雪羽君もごらんなさい。私は五尾で穂波は三尾でしょ。万里恵は二尾だけど、猫又だし手練れだから。少なくとも、あなたたちの手を煩わせる事は無いわ」

「すみません……ありがとうございます……」


 源吾郎はここでようやく椿姫に感謝の言葉を口にしたのだった。


 一行はとうとう奥まった場所に秘密の部屋があるのを発見した。向こう側に妖怪たちが控えている事、いなくなったラヰカがいるであろう事は六花の電流探知で確認済みだった。

 だが、部屋と廊下を隔てる鉄扉は施錠されており、簡単にこじ開ける事は出来そうになかった。針金か何かを見繕ってピッキングすべきだろうか。或いは源吾郎(彼はもう、勝手に変化を解いていた)に鍵を焼き切ってもらうか。

 そう思っていた矢先、力強く微笑んだ椿姫が六花の肩を叩き、少し下がるように伝えたのだ。


「扉が開かなくて困ってるんでしょ。私が開けてあげるから。危ないからみんな下がってて」


 気付けば万里恵も穂波も四、五メートルばかり後方に下がっている。六花と源吾郎もそれに倣った。

 次の瞬間、椿姫の五尾がダイナミックな動きでもって鉄扉を文字通り吹き飛ばしたのだ。雪羽には予備動作から鉄扉へ直撃する瞬間、そして鉄扉が吹き飛ばされる光景までばっちり見えていた。椿姫は五尾を縄のように寄り集めたかと思うと、振り子の原理でもって力を籠め、その勢いで鉄扉をぶち抜いたのだ。その間椿姫は爽やかな笑みを浮かべたままで。

 尻尾での攻撃術を度々繰り出す源吾郎も、思う所があったのか神妙な面持ちで一尾を抱え込んでいた。


「あのう、先程上のお店で女子会を楽しんでいた稲尾椿姫と申します。忘れ物を探しに来たのですが、どうぞご協力していただきたく思っております」


 鉄扉が丸ごと吹っ飛んできた事で、もちろん部屋の中はパニック状態になっていた。

敵襲か、鉄扉を飛ばすなんて重火器でも使ってるんじゃあないのか、そんな事より相手を追い返せ……相手がおろおろしている間に、椿姫たちも六花も源吾郎も部屋に突入した。


「雷園寺、あれ、あれは……!」


 地下室は思っていた以上に広かった。うっすらと漂う甘ったるい香りが鼻を衝く。そんな中で、源吾郎が部屋の中央を指し示す。

 彼の指し示す先にいたのは一匹の妖狐である。妖狐本来の、狐としての姿でもって打ちっぱなしのコンクリートの床の上に横たえられていた。黒々とした毛皮は尻尾や手足の先端だけが藍色のグラデーションを呈している。

 尻尾の数を数えずとも、その妖狐がラヰカである事は明らかだった。突然の来訪者によって大騒ぎになっているにもかかわらず、ラヰカは横たわったまま微動だにしない。ラヰカの頭部、そして前足と後足の先端には金色の環が嵌められているのを六花は見た。

 ラヰカは眠っているか、意識が無い状態なのだ。幽世の中では無限の妖力を持ち、重傷を負っても瞬時に回復する再生能力を見せるラヰカが、こうして無防備に眠らされているなんて……


「やれやれ。元気の良いお嬢様がただ」


 部屋の奥から低く朗々とした声が響く。視界を遮るように建てられた衝立の向こう側から出てきたのは、僧侶を連想させる風貌の男妖怪だった。彼の左右には、先程の騒動に巻き込まれなかったであろう人型の妖怪たちが侍っている。


「アンドロギュノスの妖狐だけでも十分珍しいが……今回わざわざここまで来てくれたんだ。さぁ諸君、お嬢様がたにも神便鬼毒酒じんべんきどくしゅを振舞おうではないか」

「生憎と、私らは酒を飲みに来たんじゃないのよ。しかも神便鬼毒酒を振舞おうだなんて……良い趣味なさっているわね」


 頭目と思しき僧形の妖怪の提案を跳ねのけ、きっぱりと椿姫は言い放ったのだ。神便鬼毒酒だったのか! 六花と源吾郎は密かに顔を見合わせていた。

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