地下で始まる百鬼夜行
《源頼光の鬼退治:大江山に棲まう酒呑童子の討伐を引き受けた源頼光は、道中で神々の化身である三人の翁に遭遇した。彼らが頼光に授けたのは神便鬼毒酒と言う名の酒である。
神便鬼毒酒には鬼を弱らせ、神の加護ある勇者に力をもたらす物だった。頼光たちは鬼たちにこの酒を飲ませて弱体化させ、討伐したと伝わっている》
※
楽しい接客のひとときも終わり、店じまいが進められていた。客たちは全員会計を済ませ、店を後にしている。聞く所によると、椿姫たち一行が幽世に戻るのは明日の昼頃の事だそうだ。かつて雪羽たちが幽世で行ったみたいに、彼女らはこちらの世界を観光するのだという。
ラヰカはあれから戻ってこなかった。会計の折に金狐である穂波がその件について疑問を呈していたが……店側の対応は素っ気ない物だった。先に帰られたのではありませんか。その一点張りだったのだ。まとめ役である椿姫が「四人目のツレは自分たちで捜します。不審な点があればそちらにお問合せしますのでご了承ください」と言って引き下がった所で事なきを得たのだが。
絶対に怪しいだろこの案件。六花はもちろんそのように思っていた。何せ妖身売買の嫌疑が掛かっている店なのだから。
店じまいが終わったからと言って、店員たちもそれではい解散となる訳ではない。テーブルの後片付け、食器洗い、会計チェック等々の仕事が待っているのだ。キャストの妖怪娘、特に売れっ子だったり古参で発言権のある妖怪たちはそれらの仕事を免除して早めに上がる事もできる。だが、黒服や新人のキャストになるとそう言う訳にも行かなかった。小間使い丁稚よろしく洗い物や掃き掃除に勤しまねばならなかったのだ。
六花も玉緒も、閉店後の丁稚と小間使いになったのは言うまでもない。六花は今日働きだした新入り中の新入りだ。玉緒に至っては、男装していると言えども黒服として働いているのだから。
もちろん小間使いになる事は織り込み済みだったし、六花たちにしてみればむしろ都合が良かった。本当の仕事はここから始まるのだから。
「さーて梅園さん。ここから二人で探し物と大掃除を始めちゃおうか」
あたしは下っ端なんで、廊下とか奥の汚れが溜まっている所を掃除しますねー。謙虚に健気に大変な所を請け負うふりをして、六花は店の奥に向かっていた。城の名を冠するだけあって店内は存外広い。お手洗いは廊下の先にあるのだが、そこから先も廊下が続いている。それに六花は――雪羽は雷獣だ。隠し扉も隠し階段も、彼の電流探知能力にかかればすぐに明らかになる。
所詮は三下集団か。そんな風にほくそ笑んでいた丁度その時、塩原玉緒がこちらにやって来たところだった。
「大丈夫だよ梅園さん。向こうには俺たちの分身を作って適当に動かしてるから。言うて小一時間で消えちゃうけれど……それくらいの猶予があればイケるよね?」
「イケるどころか十二分すぎるさ」
玉緒の報告に、六花はまたも笑みを深めた。源吾郎本来のマメさや抜かりなさが、雪羽には何とも頼もしく思えてならなかった。純血の妖怪であり、幼い頃から闘いの場に身を投じてきた雪羽と異なり、源吾郎は半妖で、しかも十八になるまで人間として育てられていた。そのため源吾郎は自分は戦闘が苦手だと日頃より思っていたのだ。その一方で、分身術の手配などと言った妖術を操る方面に長けていた。妖狐であるという事もあるし、彼自身そう言う方面に力を使う方が性に合っている節もあると雪羽は思っていた。
いずれにせよ、正面切って闘う術しか知らぬ雪羽にしてみれば、源吾郎のこうした気質や得意分野は有難い部分だった。
「君の事だ、きっとボスにも連絡は入れてるんでしょ?」
もちろんだとも。案の定、玉緒は真面目な表情で頷く。その顔には若干険しさが見え隠れしていた。
「ラヰカさんが先に帰ったかもしれないって話になってるのは、梅園さんだって知ってるだろう? あれは連中がでっち上げた話だって俺は知ってるんだよ。
俺は見たんだ。ラヰカさんは一度店に戻ってる。多分椿姫さんの……稲尾様たちの許に戻るおつもりだったんだよ。だけど、黒服の一人がラヰカさんに声をかけて、それで……」
「なーるほど。ボスに連絡を入れたのも合点がいきましたよ、島崎先輩」
六花、もとい雪羽は納得したような表情を浮かべ、相対する若き半妖に声をかけた。塩原玉緒でも宮坂京子でもない、島崎源吾郎に対して。無論彼は、今もなお巧妙に変化術を保っている。塩原玉緒に扮する宮坂京子の体裁は崩れていない。それでもその背後にある感情のうねりは、雪羽には手に取るように見えていた。雪羽に比して、源吾郎は落ち着いているだとか穏和だとかと言われる事がままあった。しかし源吾郎はただ大人しくて優しいだけの若者ではない。
むしろいっそ苛烈な熱情の持ち主と言っても良かった。そうでなければ人間として育ちながら最強の妖怪を目指すなどと言う野望を抱きはしなかっただろう。もちろん源吾郎にも体裁や何やらがあるから、気性の烈しさをいつも露わにしている訳ではない。だが……ひとたびトリガーが与えられれば、その後はあっさりと表出する。
もちろん、今の引き金はラヰカの失踪だった。
「突入する権限が俺らには与えられたって事っすね。でも先輩、ちょっと取り乱していませんかね」
「…………そりゃあ取り乱すだろう。よりによってラヰカさんが捕まるなんて」
雪羽の指摘に、源吾郎は素直に応じていた。やはりラヰカ姐さんが心配だよなぁ。源吾郎の気持ちには雪羽も同意できた。二人ともラヰカの事は慕っていたのだから。そしてきっと、敬愛の気持ちは源吾郎の方が強いだろう。源吾郎はラヰカと同類と言っていい存在であるし、何しろ金毛九尾と縁ある存在なのだから。
「ひとまず進もうぜ! 隠し通路は見つけたんだからさ!」
六花はそう言うや否や、床張りのタイルを一枚剥がしとり、そこを起点としてぐっと力を込めて押し込んだ。人が一、二人ばかり通れる空間が生まれ、そこは灰色の階段が続いていた。飛び降りるように六花たちはその先に進んだのは言うまでもない。
――ついでに言えば、先を急ぐあまり六花も京子も隠し通路のドアを閉める事を失念してもいたのだ。
※
「わひゅーっ」
「おいっ。どうした変な声を出して」
階段を下りた先のねずみ色の廊下の中にて、玉緒が素っ頓狂な声を上げた。橙色の照明がポツポツと落とされただけの廊下は、店内とは思えぬほどに仄暗い。何のかんの言いつつも玉緒は半妖であるから、この程度の暗さだと周囲が見えづらいのだろうか。とはいえここは敵陣である。不用意な声出しは危険だと思うのだが。
「不用心だろ塩原君。一体何があったんだ」
「何か、生暖かくてふわふわした物が……」
「ぅにゃーん」
玉緒が言い切る前に、足元で猫の啼き声がした。それから、彼の言う生暖かくてふわふわした物の感触を六花も味わう事となったのだ。
「あ……猫……」
歩を止めて足を止めた六花は、自分たちの傍に一匹の黒猫が侍っている事に気付いた。その猫はまさに六花の脚にスリスリしている最中だったのだ。
猫だけど、一体何処から入ってきたのだろうか。茫洋と立ち止まる六花たちから、黒猫は僅かに距離を取った。成猫としての大きさであるが身のこなしはしなやかで若々しい。さも当然のように二本ある尻尾が、彼女が猫又である事を示していた。
「こんばんは。雪羽君に源吾郎君。女子会でのガールズトークは楽しかったな。でも、ここからが二人の本当のお仕事の時間なんだね」
「あなたは万里恵さん……!」
「き、霧島さん!」
聞きなれた娘の声で話しかけてきた黒猫は、そのまま人型に変化した。長くつややかな黒髪に、コスプレ忍者風味の出で立ち。そして黒髪と同じ色味の猫耳と二本の尻尾。彼女は確かに万里恵だったのだ。
「ま、万里恵さん。どうしてこんな所に……」
「どうしてって、私たちはあなたの仕事を手伝いに来たの」
そう言うと、万里恵は六花の手を取った。手の暖かさや柔らかさを堪能する暇はなかった。彼女の膂力は思いがけぬほどに強かったのだから。半ばよろめきながらも、六花はどうにか転ぶ事なく歩を進める。
「椿姫や穂波ちゃんもやって来るわ。うーん、私らとは別ルートかもしれないけどね。でも駄目よ、ドアはちゃんと閉めておかないと。多分ラヰカの事で焦ってて、それで忘れちゃってたのよね。でもまだ頭を叩いていない訳だし、相手に怪しまれてもいけないわ」
「霧島さん。霧島さんたちも、ラヰカさんの事を……」
玉緒のおずおずとした問いに、万里恵はニコニコ顔で頷いた。
「椿姫も同じ事を言うと思うけど、実は私たち、柊さんからある予見を聞かされていたの。『出先で知り合いと顔を合わせたら、その相手に力を貸すべき』ってね。私も椿姫もついさっきまで忘れていたんだけど、今思い出したのよ。それにラヰカも常闇之神社に戻らなかったら大変だからね、色々と」
万里恵はそこで一旦言葉を切った。橙色の仄暗い灯りしかないゆえに、彼女の瞳孔は黒く大きく広がっていた。
「さぁ行きましょ。妖狐に雷獣に猫又と種類は少ないけれど、
百鬼夜行。その言葉に六花は心が躍るのを感じた。
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