邪神狐のカミカクシ

「いやもう、本当に、ほんとうにどいつもこいつも男とくっついてて本当に羨ましいんだよっ」

「そりゃまぁ竜胆君まで結婚が決まったってなれば焦りますよねぇ」

「ホントそれな。とはいえ柊にはその未来が見えている訳だし、当人同士も乗り気だからさぁ……」


 ラヰカたちの集まる座でのガールズトークは大いに盛り上がった。途中から椿姫たち三人の近況や、夫や恋人への惚気話になり……そしてフリーであるラヰカが羨ましさを爆発させる流れへとつながったのである。

 六花自身も、ラヰカたちのガールズトークの輪に入って純粋に楽しんでいた。京子やトリニキと言った仲のいい三人組で時折女子会を開く事があるのだが、やはり面子が違うと雰囲気はがらりと変わる。なお、六花の参加する女子会の男女比は二対一であり、女性はトリニキこと鳥園寺飛鳥嬢のみなのだが、そうした事は些事である。

 シラユキちゃん。ラヰカはグラスに残った酎ハイをぐっと空けると、そのまま顔を上げて六花の両肩に手を添えた。目付け役のように振舞っていた椿姫も一拍遅れ、困った様子でラヰカの動きを見守っている。


「シラユキちゃんもフリーだなんて……俺と同じで、仲間だな! でも、シラユキちゃんみたいに可愛い子がフリーってそれもそれで不思議かも」

「あはははは。何と言いますか、仕事も忙しいしチビたちと遊んだりしないといけないしで、ちょっとそう言った出会いから遠のいちゃってますねぇ」


 六花はそう言ってから、万里恵の方をちらと見ていた。ワイルドな狼系雷獣・大瀧蓮と交際しているという彼女は、六花と視線が合うといたずらっぽく微笑むだけだった。

 万里恵や竜胆の恋愛事情については、正直な所六花も話を聞いて驚いた節はある。とはいえ、今はそんなに恋愛に興味が無いのもまた事実だった。仕事の事とか大勢いる弟妹達の事とかに意識が向いているためだった。

 何より六花はまだ若妖怪、子供妖怪に過ぎない。結婚とか所帯を持つとかいう話は彼にとってはまだまだ先の事でもあった。身を固めるには幸せな家庭を作りたいとも思っていたし、その前にきちんと自分の地位を確立しておきたかった。雪羽は日頃からそのように考えていたのだ。


「そっかぁ。言うてシラユキちゃんも若いもんなぁ……まだ四十代だったっけ。それだったらうちの竜胆とほとんど変わらないなぁ……ああ、若いって良いよな」

「そんなそんな。ラヰカ姐さんだって十分若いじゃないですか?」

「シラユキちゃん。こう見えてもラヰカはこの中では最年長なんだよ。幽世に来て二百年経ってるって言うし。私が三ケタを迎えた所で……椿姫と穂波ちゃんは、シラユキちゃんよりもちょっと年上だったかな」

「そうだったんですね」


 万里恵の言葉に六花は素直に呟く。ラヰカが二百歳ほどである事は知っていたが、万里恵や椿姫たちの年齢まで把握していなかったのだ。言われてみれば、万里恵は椿姫や穂波よりもやや大人びた面立ちにも見えなくもない。


「まぁ、私らよりも年上である事には変わりないけれど、それ以上に大人げない所が多いのよね、ラヰカは。だからある意味若々しいのかもしれないけど」

「ちょっと椿姫! いくら何でも言いすぎだろ」


 椿姫の言葉にラヰカが気色ばんだ。平素の性格もあるが、酒が入っているから一層興奮しやすくなっているのだろう。飲酒後に気が大きくなる事、それでしょうもない悲劇を引き起こす事は、雪羽もまた痛いほど知っていた。

 だが当の椿姫は臆した様子もなく、むしろジト目でラヰカを眺めるだけだった。


「だってそうじゃないの。この前だって竜胆を勝手に女の子に変化させちゃってるし……ラヰカとかきゅうび君みたいに自分で好きに変化するのは良いけれど、相手を勝手に変化させるのは良くないでしょうに」


 確かにそうやなと、絶賛女子変化中の雪羽も椿姫の言葉に内心頷いていた。それにしても、女子変化大好き枠にラヰカと源吾郎が同列なのが面白かった。雪羽は源吾郎に感化されて(?)女子変化を嗜むようになったのだが、正直な所源吾郎の女子変化のあくなき追求にはちょっとついて行けない所がある。半ば狂気じみた、名状しがたい偏執狂的な情熱を感じる事があるのだ。しかもそれは、恋人を得た後も留まる事を知らぬわけであるし。

 とはいえ、源吾郎は雪羽や他の妖狐の男子に女子変化を無理強いする事は特に無い。雪羽に女子変化するように誘導した事はあるが、無理やり女子に変化させられた事は無いし。

 そんな事を思っていると、椿姫の紫紺の瞳が六花を見つめていた。


「それにねシラユキちゃん。ラヰカってばシラユキちゃんの事でも色々と――」


 ラヰカ姐さんは俺で何を考えているのか。その事が気になりはしたが、六花は最期まで聞く事はついぞなかった。椿姫が喋っている最中に、ラヰカがテーブルを叩きつつ勢いよく立ち上がったからだ。その衝撃たるやグラスの中の液体が揺れ、氷がぶつかり合う程である。とはいえ中身が零れる事は無かったのだが。


「あーあー、性悪狐のせいで酔いが醒めちまいそうだよ。椿姫に万里恵。あと穂波。ちょっと夜風に当たって来るわ」

「あ、ラヰカ姐さん……?」

「良いのよ、ほっときなって」


 大股気味にテーブルから離れるラヰカを引き留めようとした六花であるが、すぐに椿姫に制止されてしまった。万里恵がチーズの欠片を放り込んで飲み下し、頷いてから口を開く。


「ラヰカは拗ねやすい所があるからねー。むしろ今色々声をかけたり構ったりしたら、却ってややこしい事になるよ。ま、外をブラブラして酔いが醒めたら、気分も良くなるだろうし」

「ややこしいって言っても、ここは幽世じゃないからそんなに大事にもならないだろうし」


 常闇之神社の神使たちは、外の世界に出た時には弱体化した状態になるのだと椿姫は教えてくれた。外の世界・別の世界に出る事そのものが、世界に対して大きな影響をもたらすためである。ましてや神使たちは、突出した能力が異なると言えども特等級――要は上位の大妖怪クラスだ――揃いである。そうした事もあって、外界では力の制約が普段以上に課せられている所があった。

 これは彼らの進行する常闇様の計らいであるとも、逆に常闇様の管轄外にあるからともいえる現象らしい。


「そんな訳で、今の私たちには――ラヰカも含めてだけどバケモノじみた力は無いのよ。せいぜい見た目通りの妖怪としての力しかないわ。それにラヰカだって暴れて良い時と悪い時を心得ているから。だからシラユキちゃん。心配しなくて大丈夫」

「……はい」


 椿姫の言葉が何となく優しげに聞こえ、六花は少しだけ驚いていた。椿姫さんももしかしたら、ラヰカ姐さんの事を兄として慕っていた時期があるのかもしれない。そんな事を六花はぼんやりと思っていたのである。

 そんな中、タイミングよく黒服の青年がやって来た。男装した宮坂京子……もとい塩原玉緒である。彼は不要なグラスを下げ、ついで離席したラヰカのグラスを一旦下げた。もちろん椿姫たちに許可を貰ったうえである。


「塩原君もありがと。ラヰカの所のお冷、ちょっと氷多めに入れておいてあげてね。暑がってたから」


 やはり椿姫の声には気遣うそぶりがあった。その間に万里恵と穂波が目配せし、それぞれドリンクとおつまみの追加オーダーを行っていたのだ。


 さて席を立ったラヰカはと言うと、宣言通り店を出て往来を眺めていた。頬や尻尾に当たる冷たい風が火照った頬には心地いい。とはいえ、幽世に較べればまだ手ぬるい方だった。ただ風が冷たいだけで、雪などは積もっていないのだから。地面が凍結している気配もない。自宅である巣穴などは、油断すれば周りは雪まみれになるというのに。


「あー、もうリア充ばっかりやな……」


 気を落ち着かせようとテーブルを離れたものの、ラヰカの気持ちは晴れなかった。年末と言う事もあって、結構カップルとか夫婦とかが目立ったのだ。夜も遅いので家族連れはほとんどいない。だがウェーイと言う啼き声が特徴的な若者の姿も見受けられた。

 あーねんまつ。リア充爆ぜろ。そんな捨て台詞をぼそりと呟き、ラヰカは踵を返した。大人げないのは椿姫たちの言うとおりだ。その椿姫は、遠い親族である穂波と知り合って喜んでいるのだ。その幹事を買って出たのに、こうして拗ねてしまうのはやはり彼女らの心証を悪くするだけだ。

 それに何より六花たちが……変化しているが雪羽や源吾郎がスタッフとして店にいるわけだ。彼らと会って話が出来る時間も限られている。明日の昼には、ラヰカたちも幽世に戻る予定なのだから。

 そんな訳で、ラヰカは店内に戻っていた。椿姫が六花に語っていたように、夜風に当たって大分気持ちも落ち着いていたのである。


「もしもし、そこのお嬢様……」

「お嬢様って、まさか俺の事?」


 店内に戻るや否や、黒服に声をかけられてラヰカは目を丸くした。イケメン風の狸妖怪は確かにお嬢様と言ったのだが……周囲にはラヰカ以外見当たらない。であればラヰカに向けて放たれた言葉なのだろう。

 言うてお嬢様って柄じゃあないんだけどな。そう思いつつもラヰカは満更でもなかった。


「あ、まぁお嬢様って言う程でもないんだけどな。自分でも、男か女か判らない時もあるし」

「そうですか。それはまた面白い事を仰りますね……興味が惹かれます」


 好意的な黒服の言葉に、ラヰカの心が揺らいだのもまた事実だった。


「実はですね、あなたのようなお客様に向けて、特別にを振舞っているんですよ。まぁ所謂裏メニュー、内緒のモノなんですがね。お連れ様もいらっしゃるみたいですし、どうぞ彼女らにもお声がけしても……」

「ジンかぁ……」


 ラヰカの脳裏は既にジンの事で頭が一杯になってしまっていた。柊や伊予との飲み比べに参加するほどには酒好きであるし、ウィスキーをストレートで呷る事もある。若干酔いが醒めた事もあって、度の強いお酒に対する興味や魅力が首をもたげてきたのだ。

 それから椿姫たちの事が脳裏に浮かんだが……彼女らを誘おうとは思わなかった。彼女らは六花も交えて楽しくやっているだろう。こちらもこっそり飲んで良い気分になって戻ってくればそれで良い。そのように考えたのだ。


「いや。俺一人で行くわ。ツレたちはあんまりお酒に強くないだろうしさ」

「畏まりました」


 黒服は恭しい口調でラヰカに告げ、大胆にもラヰカの手を取った。二人はそのまま廊下を進み、そして途中で姿を消したのだった。

 客たちも従業員たちも、その全貌を見ていた訳ではない。たまたまオーダーを運んでいた塩原玉緒でさえ、その様子をちらと見た程度である。


 その数十分後に閉店時間を迎えたが、ラヰカはついぞ戻ってこなかった。

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