銀髪ギャルと男装の麗人
令和四年、十二月下旬。真夏の暑さが嘘のように、日本全土には強い寒波が押し寄せていた。瀬戸内海に面する温暖な港町もまた、そのあおりを受けていた。他の地域のように積雪が烈しいという訳ではないが、要は寒いのだ。
身を切るような寒さの中でも、港町の歓楽街はにぎわっている。クリスマス、大晦日、年末年始……こうしたイベントが混然一体となる時期であるから無理からぬことであろう。今はまだクリスマスの装飾が目立つが、一晩経てば今度は年末・お正月ムードになるのは明らかだ。
或いは、夜に向かう歓楽街ゆえの賑わいもあるだろうが。
梅園六花は、そうした物をただただ横目で眺めるだけで、ツレと共にただただ歩を進めるだけだった。世間では聖なる夜かもしれない。ついでに言えば今年のクリスマスは土日でもあった。だが六花たちにはそんな事は無関係だ。仕事でこの歓楽街に出向いているのだから。
※
「梅園さん。そんな姿で寒くないの……?」
六花の真横から声がかかる。ツレである宮坂京子が、遠慮がちに六花の全身を眺めていた。男物のやや大ぶりのコートを着用し、頭にはニット帽をかぶり、首許をチェック柄があしらわれた幅広のマフラーで覆っている。完全防備と言っても過言では無かろう。やや寒がりな京子らしいと六花は思った。
妖狐は寒さに強そうなステロタイプが世間にはあるが、それでもやはり限度はあるだろう。ましてや、京子は人間の血を引く半妖なのだから。
一方、六花は純血の雷獣であるので、この度の寒さも実はそれほど堪えてもいない。雷雲のある場所などは氷点下になる事も珍しくない。その事を思えば地上の寒波などどうという事も無いのだ。
「あはは、あたしが雷獣なのを京子ちゃんも知ってるだろう? 大丈夫だよ大丈夫。むしろ涼しいなって思う位なんだからさ」
「そうだよね。梅園さんは雷獣だから、妖狐や人間よりも寒さに強いよね。それは僕も解ってるよ」
京子の口調は若い男の子のような、中性的な口調だった。日頃京子はお嬢様らしい優雅で品のある物言いなのだが……既に京子の中では役作りが定まっているという事なのだろう。もっとも、砕けた少年らしい物言いは、ある意味で普段の物言いに近いのかもしれない。宮坂京子は――演じ手である島崎源吾郎は実際の所は男なのだから。生物学的にも性自認的にも。
無論これは、梅園六花――もとい雷園寺雪羽にも当てはまる話ではあるのだが。
それはさておき、京子は頬を赤くしながら言葉を紡いだ。六花が吐く息も京子が吐く息も白かった。
「梅園さんは寒くないかもしれないけれど、見ている僕の方が寒いくらいだよ」
「そう? あたしだって一応コートを着てるけど?」
「そうだけど……僕は梅園さんがコートの下に何を着ているのか知ってるからさ。その事を思うとこっちまで冷えちゃうよ」
「コートの下ですって! あらやだ、生真面目な京子ちゃんからそんな言葉が出てくるなんて!」
「梅園さんってばもう……」
六花の冗談に京子は呆れたような笑みを見せるばかりだった。京子の指摘通り、六花も一応コートを羽織ってはいる。淡いスカイブルーのダッフルコートだ。特段目立つ者でもないし、見ていて寒くなるような衣裳でも無かろう。
六花の防寒着はそれだけだった。コートの下に着ている服と言えば、薄手のチャイナドレスを、それも胸元がきわどくない程度にくり抜かれたものだけである。カーディガンやトレーナを着込んでいる訳でもないし、最近通販で流行っている電熱式のチョッキで身体を温めている訳でもない。
その事を知っているから、京子は見ていて寒いと言ったのだ。
そんな宮坂京子はと言うと、一度咳払いして澄ました表情で六花を見つめた。
「あともう一つだけ付け加えておくよ。今日の僕は宮坂京子じゃなくて、塩原玉緒だからね。そこんとこよろしくね」
「はぁい。塩原玉緒君、ね。宮坂京子ちゃんじゃないんだね。りょうかーい!」
塩原玉緒だと名乗る宮坂京子の全体像を眺めながら、六花は笑いが止まらなかった。この度の潜入先はガールズバーのような所である。だからこそ六花は臨時ホステスに扮して潜入する事になったのだ。美少女妖怪である宮坂京子もまた、本来は六花と同じようにホステスになる筈だった。
ところが、京子はホステス役を拒み、事もあろうに男装してウェイターとして潜入すると言って聞かなかったのだ。それが六花には、雪羽には滑稽で面白おかしくてたまらなかったのだ。
そもそも宮坂京子と言うのは、青年である島崎源吾郎の女狐(♂)変化の一つに過ぎない。その宮坂京子の状態に変化したうえで、更に男装を重ねる。男が女子変化して男装するという二重の変化を源吾郎は行っているのだ。それが滑稽と言わずして何と言えば良いのだろうか?
そんな回りくどい事をせずとも、島崎源吾郎として別の男の姿に変化すれば良かったのでは? そのような疑問は雪羽の脳裏にあるにはある。だがその質問は源吾郎に対しては禁句だった。息をするかのように女子変化をこなす源吾郎は、別の男性の姿に変化する事も理論上は十分に可能だ。何となれば変化と演技力で……流行のイケメンだの何だのに変化して、女性陣を誑かす事とてできるのかもしれない。だが変化術をそのように用いる事を源吾郎は良しとしなかったのである。何かをこじらせている気もしないではないが、源吾郎の頑固さは雪羽ではどうにもできない部分でもある。
それに実のところ、六花は京子の男装姿を見て大いに面白がっていたのだ。口調こそやや丁寧ではあるものの、仕草や物言い自体は実は源吾郎の素の状態にかなり近い事に気付いていたからだ。源吾郎は、京子はその事を気付いているのだろうか。或いは意図せずにそうなっているのか。いずれにせよ興味深い事柄でもあった。
「とりあえず、今回もお仕事だから、最後まで気を抜かないようにしっかり頑張ろうね。僕はその……ああいう所に潜入するのは慣れてないけど、僕も梅園さんもウェイトレスとして働いた事があるから……多分その辺は大丈夫じゃないかなって思うの」
「おいおい~、先輩はさておき俺はウェイターとしての経験しかないですよぅ」
宮坂京子の言葉に、六花は思わず雪羽として返答してしまっていた。ウェイターとしての経験がある。これは雪羽と源吾郎の二人に当てはまる事だった。雉鶏精一派の頭目・胡琉安の誕生日を祝う生誕祭にて、彼らはウェイターとして(源吾郎は時々ウェイトレスになっているが)料理の準備や配膳を義務付けられていたからだ。これもまた、生誕祭でグラスタワー事件を起こした雪羽への懲罰の一つに相当するのだが、その辺りは割愛する。
要するに、六花にしろ京子にしろ、飲食店絡みの接客はある程度できると言う訳だ。何となれば紅茶を淹れたりちょっとした飲み物やサンドイッチなどを作る事だってできる程である。
京子が言いたかったのは、おおよそそういう事だったのだろう。
「……とまぁ、冗談はこれくらいにしておいてさ。気を付けないといけないのは本当だよね」
おどけていた六花は表情を引き締めて呟いた。潜入先である飲食店「ノワール・シャトー」はもう目と鼻の先だ。この店を運営している組織の事を、店名とサンタの伝承から「ブラックサンタ」と呼んでいた。六花の――雪羽の脳裏には萩尾丸の顔が浮かんでいた。
本当だね。少年のような声音で京子も頷く。
「今回の件は、萩尾丸先輩も……ボスも相当ご立腹だったもんね。だからこそ、僕らを捜査員として送り込んだわけだし」
ノワール・シャトーは証拠を掴み次第こちらで潰す。穏やかに告げる萩尾丸の言葉には、しかし憤怒の色が見え隠れしていた。
ふっと息を吐き出して六花は潜入先を睨みつけた。ふと馴染みのある妖気を感じたのだが、その時は特に気にしなかった。感覚の鋭い雷獣と言えども、気が昂っていれば思い違いや考え違いをする事もある。それにここは人の多い歓楽街である。本当に知り合いの気配を感じたとしても、それは特に不自然な事でもないのだから。
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