発端はチラシから――若妖怪のメイド談義 ※怪文書注意

 話の発端は、源吾郎が手にしていたチラシだった。昼休みの自由時間のお供として、源吾郎はそのチラシを眺めていたのだ。自宅の郵便受けに新聞紙に挟まれてやって来ていたチラシである。本来ならば一顧だにされず他のチラシや新聞と共に資源回収の運命をたどっていてもおかしくはない。

 しかし源吾郎はこのチラシに興味を持ち、わざわざこっそりと職場に持ち込んでいたのだ。興味を持ったのは、何も近場で開店したという事を案内しているからというだけではない。


「あ、先輩! 何だと思えばメイド喫茶のチラシじゃないですか」


 やや甲高い声が、源吾郎の頭上から降りかかってきた。少数ながらも大妖怪や才覚のある妖怪ばかりが揃うこの研究センターのなかで、源吾郎を先輩と呼ぶ妖怪は雷獣の雪羽だけである。

 彼もまた昼食を終えて手持ち無沙汰だったのだろう。互いをライバルと認めつつ休日ですら一緒に遊ぶ事がままある雪羽の事だ。休み時間に源吾郎の許にやって来てじゃれついてくるのはもはや日課のような物だった。源吾郎が珍しい物を持っているとなれば尚更であろう。


「うん。吉崎町に出来るんだってさ。それで面白そうだなと思って眺めてたんだよ。雷園寺君もこういうの好きじゃないの?」


 源吾郎の発言もまた、屈託のない無邪気な物だった。今は雷園寺家次期当主だのなんだのと言ってお行儀よく振舞っているが、元々は好色でドスケベな少年である事を源吾郎は知っていた。というかヤンチャだった頃は色っぽい獣妖怪の娘らを侍らせていた事もあるという。一応は名家の子息であるし、メイドさんに関心を持つだろう。源吾郎はそのように思っていたのだ。


「いや別に……俺はメイドとかには興味ないよ」

「嘘やん」


 気のない様子で即答する雪羽に対し、源吾郎は思わず声を上げた。源吾郎は驚いて目を丸くしていたのだが、見つめ返す雪羽の瞳には呆れの色が浮かんでいた。


「意外だなぁ。雷園寺君女の子とか大好きでしょ。しかも良い所のお坊ちゃまだから興味を持つかと思ったんだけど」

「良い所のお坊ちゃんだからこそ興味がないんだよ」


 源吾郎の口にした内容を拝借し、雪羽はきっぱりと言い切った。ここで彼は自分が良い所のお坊ちゃんであると断言したのだが、嫌味らしい雰囲気は特に無い。雪羽の物言いが堂々としているからなのかも知れないし、雪羽自身が次期当主候補らしい振る舞いを身に着けようとしているからなのかもしれない。


「メイドさんとかって言うけれど、要は姐やとか女中とか使用人の一種だろう? 俺自身は本家にいた時期は短いけれど……それでも使用人たちが面倒を見てくれてた事は覚えてるよ」


 やっぱり雷園寺はお坊ちゃまやな……源吾郎は口にこそ出さなかったが密かにそう思った。幼少の頃を思い出しているから若干たどたどしい物言いになっている節もあるにはある。しかし本家に使用人たちがいた事を、さも当たり前の光景のように言ってのけたのだ。

 雷園寺家では使用人を多く抱えるのは自然な事なのだろう。源吾郎もその事は知っていた。雪羽の異母弟でありもう一人の当主候補たる時雨も、姐やや使用人たちが世話係・教育係として側に居るわけであるし。

 また雷園寺家だけではなく、名門妖怪・貴族妖怪と呼ばれる妖怪たちは使用人や配下を多く抱える事が珍しくないという。傅かれて当然と彼らが思っているというよりも、使用人として多くの妖怪の生活を安定させ、平和を保つための責務なのだそうだ。


「それに女中とか使用人だと思ったら、若い娘よりもおばさん……いや経験を積んだお姉様の方が安心感があるんだよ。ほらさ、若い娘って色々と神経質で、俺たちみたいな男をとかく目の敵にしがちだろう。そんな娘が自分の許に仕えてくれるとしても、お互い気が休まらないじゃないか。そうなって来ると、色々と経験を積んで丸くなっているお姉様の方が俺たちとしても安心できる」


 雪羽の使用人談議には、奇妙な説得力があった。源吾郎が思わず嘆息の声を漏らすほどに。まぁ雪羽は年上好みというか色々と包容力のありそうな女性が好みだから、その辺のバイアスもあるだろうけれど。


「あとはまぁ……メイドさんだからあるじに忠実とか、そんなん嘘っぱちだって事も注意点だろうな。そりゃあ忠誠心もあるかもしれないけれど、それはあくまでも業務上の忠誠心に過ぎないんだからさ。確かに俺も弟妹達も使用人たちのお世話になったけれど、それは雷園寺家の子供って言う肩書があったからに過ぎないわけで……」

「ああうん。俺も流石に知ってるよ。使用人とか家政婦がこっそり家主の持ち物とかを盗むって事件があるって事はさ。外国で多いみたいだけど」


 雷園寺家のあれこれについて雪羽が言及しそうになったので、源吾郎はそれとなく話題を逸らした。とはいえ彼の言は正しい。メイド喫茶のためなのか、フィクションでのメイドさんはあるじに忠実な若い娘というイメージが付きまとう。しかし彼女らとて仕事を行っているだけであり、あそこまであるじに忠実かと言われると首をかしげざるを得ない。


「ともあれ先輩。何故先輩はメイドさんに興味があるんです? いや……女の子に甘えてみたいって気持ちもあるでしょうが」


 雪羽はとうとう質問を源吾郎に投げかけてきた。愚問ではないか。源吾郎は僅かに口角を上げ、雪羽を見据えて問いに応じた。


「そりゃあもちろん、メイドさんに変化してみるのも面白そうだもん。ああしてご主人様に傅く姿とかさ、自分なりに演ってみたいなぁって演劇魂が刺激されるんだよ。普段演ってるお嬢様とは一味違うだろうしさ」


 ドヤ顔で言ってのけた源吾郎に対し、雪羽は数秒ほど何の反応も示さなかった。そして数秒後に反応があったと思えば、呆れ切った表情で口を開いたのである。


「ああ、うん……そういう事だろうと思ってたよ」

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